■せつこへ5114:終戦記念日
節子
今日は終戦の日。しかし、この頃、原爆の日は意識しても、終戦の日はあまり意識することがなくなりました。
「敗戦」か「終戦」化いろいろと考えた時期もありますが、依然と違って、いまは「終戦」のほうがなじめています。
多分多くの日本人は、戦争などしたくなかったと思うようになったのです。
つまり戦争は多くの国民にとっては、権力者の我欲が起こしたものであって、国民はそれに巻き込まれただけだという気がしてきたのです。
あの時代にもし私がいたら、どういう思いを持っただろうかというのが、昔からの渡井の視座でしたが、たぶん自分で勇んで戦いにはいかなかったという確信が最近持ているようになったのです。
私は戦争ができるタイプの人間ではないという確信です。
別に理由があるわけではなく、ただそういう気がしてきただけなのですが。
それはそれとして、しかし、靖国神社に参拝に行く政府閣僚の報道に触れると、やはり心穏やかではありません。
私の父が靖国に祀られていないことはせめても救いですが、やはり「英霊思想」には大きな違和感がある。
節子が元気だったころ、こういう議論をよくしました。
節子の生家には戦争で亡くなった人がいて、その関係で、節子の母親は靖国にお詣りしていた記憶がありますが、節子はたぶん一度も行っていないはずです。
節子の姉は行っていますので、もし節子は私と結婚しなかったら、言っていたかもしれません。
節子は、もしかしたら、政治面では私の影響を受けたかもしれません。
同時に、節子とそういう話をすることで、私も考えが変わったような気がします。
一緒に暮らしだした頃は、そういう話も含めて、いろいろと話し合った。
終戦か敗戦か、原爆と原発は同じなのか違うのか、などなど。
節子がいなくなってから、そういう話をすることがなくなりました。
娘たちとは、どうもそういう話はできない。
もちろん知識レベルではできるのですが、なぜか節子との話とは違うのです。
娘に限ったことではなく、友人たちともやはり何かが違うのです。
何が違うのか、自分でもわかりませんが、何かが違う。
終戦か敗戦か、を今日は少し自問自答しましたが、節子だったら、躊躇なく、敗戦ではなくて終戦だというでしょう。
生きているときの節子は、たぶん「敗戦」だという私の説明に納得したでしょうが、いまならたぶん私と同じく変節しているはずです。
いずれにしろ、戦争で亡くなった人たちに今日は手を合わせました。
戦争が繰り返されるような気配が最近強まっているのがとても残念です。
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