■節子への挽歌5101:久しぶりに幸せな気分になりました
節子
やはりかなり疲れているようです。
相変わらずまだ走り続けているのかもしれません。
意識的にはすっかり生き方を変えているつもりですが、どうもそうではないようです。
気づいていないのは自分だけ、かもしれません。
今日は先日の茶会サロンで考えたことを話すサロンでした。
暑いのとサロンの趣旨が曖昧なので、あまり参加者は来ないだろうと思っていましたが、6人の人が参加しました。
後でわかったのですが、どうも私とサロンの応援者たちでした。
なかには半年ぶりに来た人も2人ほどいましたが。
私の案内に、私がサロン継続を迷っているのを何となく察知したようです。
後で気づいたのですが、私を元気づけるメッセージがいくつか込められていた気もします。
湯島のサロンの趣旨をしっかりとわかってくれている人たちがいる、と家に戻ってから改めて実感しました。
迷いがふっ切れました。
印象的だった指摘が2つありました。
いま新しいマッサージ業に取り組んでいる大学生から、佐藤さんにも施術したいが佐藤さんはお金を持っていそうもないので、対価をもらうかどうか迷っているというのです。
大学生からそう指摘されるとは意外でした。
他の人もどうもそう見ているようです。
帰宅して娘にこういわれたといったら、娘が言うには、着ているものから見てみんなそう思われるでしょう、とあっさりと肯定されました。
もう一つは、佐藤さんは人をまったく選別しないと言われました。
それは「人を見る目がないということか」と冗談で問い直してみたら、なんと「そうも言える」というのです。
まさかそう簡単に肯定されるとは思ってもいませんでしたが、それに重ねて、それで何回もひどい目にあっているでしょう、と言われてしまいました。彼はそのことも知っているのです。何しろ私は自分のことに関しては口が軽いですから。
確かにこれも反論できない。
困ったものです。
しかし、参加者はみんな湯島のサロンはぜひ続けてほしいといってくれました。
まさかのまさかですが、そういわれるとやはり続けようと思ってしまうのが、私の、性格なのです。これまた実に困ったものです。
まずは湯島維持のために、資金調達しなければいけません。
亡くなった友人の好意を素直に受けて、遺産をもらっておけばよかったとふと思いましたが、そんなことをしたらそれはそれで、また大変なことになっていたでしょう。
やはりお金はないほうがいい。
本当に困っていると、必ず誰かが何とかしてくれますから。
それが実に幸せを感じさせてくれますから。
サロンの時にはいささか疲れて、ただコーヒーを淹れていただけですが、帰宅してから何かとても幸せな気持ちになりました。参加者に感謝です。
お天道様は必ずみんなを見ているという言葉を思い出しました。
サロンは続けることにしました。
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