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2021/08/19

■湯島サロン「教えるより学びませんか」報告

今回のサロンは、いささか私の思い込みが強すぎて、呼びかけの主旨があいまいでした。
そのため、テーマに違和感を持ちながらの参加者も多く、議論も混乱したような気がします。しかし、そのおかげで、私自身にはとてもたくさんの示唆をいただけるサロンになりました。ありがとうございました。

最初に、このサロンのきっかけになったメーリングリストでのやりとりに関する感想や今回のテーマへの意見を参加者がそれぞれ話すことからサロンは始まりました。
そこで、少なくとも2人の方から、「教えるより学びませんか」という呼びかけへの違和感が提出されました。また、「教える」と「学ぶ」とはコインの表裏ではないか、とか、教えられるようになって初めて一人前、教えられるようになることを目指して学ぶというような話も出ました。「教えることの楽しさ」の話も出ました。
いずれも私にはとても学ぶことの多い指摘でした。

お話を聞いていて、要するに「教える」とか「学ぶ」とかいう言葉の内容をもっとしっかりと定義し、その対象を分けて考えないと議論は混乱することに気づかされました。今回のテーマはあまりに粗雑すぎました。しかし、我田引水的ですが、粗雑すぎるテーマの効用もあるかもしれません。

報告したいことがたくさんありますが、思い切り絞って報告します。

まず、教えるにしろ学ぶにしろ、当事者の関係性はどうなのかという話が出ました。いわゆる目線の問題です。「教えることの傲慢さ」と「学ぶことの謙虚さ」と言ってもいいかもしれません。「教えることの楽しさ」はよくわかりますが、「教えられる者」のことも考えなければいけません。少なくとも、2つの視点を持った関係が大切です。

知識は教えられても知恵は学ばないといけないのではないかという話もありました。知識を活かしていくのが知恵だとしたら、教えることと学ぶことは役割分担しあっていて、双方あって初めて完結する。しかし、知識偏重、知恵偏重というように、そのセットがいまは少しおかしくなっているのかもしれません。

それに関連して、反知性主義の話題も少し出ました。
さらに、知性とは何なのかもほんのちょっとだけ話題になりかけました。

学ぶとは真似ることから始まるという、よく言われる話題も出ましたが、これは日本語特有の語呂合わせでしかないという意見も出ました。
しかし、教えるにしても学ぶにしても、「守破離」という言葉があるように、「模倣」は重要なことです。ここにとても大切なヒントがあるようにも思います。

ちなみに、いま世界は「模倣の時代」に入り、いままたその模倣の対象が変わりだしたと言われています。1989年の冷戦終了とともに、「歴史の終わり」とさえ言われたように自由主義的な資本主義モデルがすべての国家(東欧もソ連も中国も)によって模倣される対象になりました。学ぶモデルや教えるモデルが一つになると、モデル自体は「改良」が止まり、むしろ問題が次々と露呈しだします。そのため、いまは反自由主義・反民主主義の動きが強まり、これまでとは真反対のモデルの模倣もはじまっているとも言われています。こうした国際政治状況は、生活にもつながっています。学ぶモデルや教えるモデルを設定することは思考停止につながりかねない。最近の新型コロナウイルス騒ぎにも同じ構造を感じます。

話が少しとんでしまいましたが、そう考えていくと、どうも「教える」と「学ぶ」とは違う、第3の何かがあるような気がしてきました。
たとえば、「創る」とか「抜け出る」です。少なくとも、「自分で考える」ことを取り戻さないといけないような気がします。「教える」にしろ「学ぶ」にしろ、要は「考える」ための基礎でしかありません。

サロンでは、直接話題にはなりませんでしたが、「教えることの利他性」と「学ぶことの利己性」にも気づかせてもらいました。私は、教えるよりも学びませんか、と呼びかけましたが、学びは人との関係や自然との関係を育てないかもしれないという気が、少しだけしてきました。

また長くなりそうなのでこのあたりでやめますが、考え出すときりがないほど大きなテーマであることに改めて気づかされました。
できればシリーズ型の「(知識に呪縛されない)知のサロン」を時々呼びかけさせてもらえればと思います。
だれか発題者になってくれる方がいたら、ご連絡ください。

参加してくださったみなさん、ありがとうございました。

Manabisalon

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