■私たちの中にある「人間」性と「アンドロイド」性
久しぶりにディックの「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」を読みました。何十年ぶりでしょうか。20代までは大のSF好きでしたが、ディックはさほど好きではありませんでした。映画化された「ブレードランナー」も、一作目は私の好みではありませんでした。
今度、「遺伝子は夢を見るか」というサロンで、「アンドロイド(AI)は夢を見るか」も話題にしようと思っているので、改めて本を読み、映画化された「ブレードランナー」2作品を見直したのです。ディックはアンドロイドも夢を見ると考えているようです。映画のアンドロイドは涙も流していました。アンドロイドに夢を見させるのは簡単でしょうし、涙も簡単でしょう。でもその時の夢や涙は、何なのか。
ところで、ディックの本が手元になかったので、図書館から早川書房の文庫版を借りてきて読んだのですが、そのあとがきに、後藤将之さんの言葉が紹介されていました。そこにこんな文章がありました。
ディックにおいて、人間とアンドロイドの生物学上の、あるいは自然科学上の区別は、まったく無意味である。親切な存在はすべからく「人間」であり、それ以外は人間ではない。ここで彼が、この非人間的性質の比喩としてのみ、「アンドロイド」を持ち出している事を失念してはならない。(中略)ディックの世界では、そもそも人間と機械、自然と人工といった単純な二分律は棄却されている。彼が問題としていたのは、人間と機械の、その双方における、「人間」性および「アンドロイド」性の対立の構図である。
問題は、人間対アンドロイドではなく、私の中にある人間性とアンドロイド性の問題なのだと思うと、ディックの作品が少し理解できるようになりました。人間とアンドロイドはつながっているのです。
ちなみに、ディックはアンドロイドにも「死」を持ち込んでいます。
しかし、私はやはりアンドロイドには「進化」したくありません。
オリンピックを見ているとなぜか私は感動よりも悲しさを感じますので、最近はDVDで映画やドキュメント番組を見ています。
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