■第16回万葉集サロン「万葉集と詞の嫗たち」報告
第16回の万葉集サロンは、石川女郎と大伴坂上郎女が主役でした。
はじめに、升田さんは石川女郎と大伴坂上郎女の家系図を示し、大伴家持の義母や叔母にあたる大伴坂上郎女や石川女郎が「万葉集」の編纂に大きな影響を与えたのではないかと話してくれました。
これまで石川女郞や大伴坂上郎女をたくさんの歌を残した女性歌人としか捉えていなかった私にとっては、万葉集のイメージそのものを変えてしまうような話でした。
今頃なにを言っているのと叱られそうですが。
今回、升田さんが最初に読んでくれたのは、前回も読んだ、石川女郎と大伴田主の歌のやりとりです。石川女郎からの歌に田主が応えるところまでは前回紹介してくれましたが、田主の歌にさらに石川女郎が応えているのです。
この歌のやりとりは、「石川女郎の勝ち」と升田さんは言います。たしかに、生き生きしているのは石川女郎のほうです。こうした歌のやりとりを通して、意識が育っていくのを感じると升田さんは言います。
歌のやりとりは、みんなが共有している記憶言語(序詞)が生み出す信頼関係の上で行われます。みんなの思いを「みんなの言葉」で声にしていることも多かったでしょう。それは自分の言葉なのか、みんなの言葉なのか、はっきりとは分けられない。そういう思いを分け合って生きている世界の中で、女の挑発的な歌のやりとりが個人の「意識」を育てていく、これは「個」の発達を促すものでもある、と升田さんは言うのです。
歌が、古代の「わ」や「な」の覚醒を果たしてゆく上での女の力は大きかった。それが贈答歌から読み取れる。たしかに、石川女郎と大伴田主のやりとりを読むと、そんな気がしてきます。
升田さんは、このやりとりの歌を読んだ後に、常陸国風土記の出てくる有名な「富士筑波伝説」を紹介しました。歌垣の由来譚にもなっている話ですが、当時の歌の応酬には、そういうことまでが共有されていたと考えると、歌の解釈の世界はずっと広がるでしょう。しかも、男と女の世界は微妙に違っていたかもしれません。その違いが、歌の応酬に読み取れる。男と女の対応の仕方にも違いが出るのかもしれません。
長年、万葉の歌を読んできた升田さんは、時代を動かす力を内に持つ女たちの存在を感じとってきているのかもしれません。そういう視点から見ると、男たちを主役にしているのとは違った歴史が見えてくる。そこに万葉集の面白さがあるのかもしれません。
これは後で聞いて知ったのですが、万葉集の作者不明歌群の半数以上が女の歌だそうです。女たちのほうが、歌を楽しみ、歌でつながっていた。そして男たちを手玉に取っていた、かもしれない。
当意即妙に言葉を操る女たちが、恋の主導権を持っていたとしたら、社会もまた女たちによって動かされていた。そういう、生き生きした社会の実相が、万葉集から見えてくるのかもしれません。
しかし、男の私にはひっかかることがあります。
今回の主役の石川女郎と大伴坂上郎女の個人名が残されていないことです。
「郎女」「女郎」はいずれも「いらつめ」と読み、「貴人の娘」というような意味だと思いますが、大伴坂上郎女は大伴坂上氏の娘、石川郎女は蘇我石川氏の娘ということで、個人名ではありません。当時は、実際の名前で呼ぶことは特別の関係を示唆しましたから、女は「個人名」で呼ばないのが基本だったかもしれません。もちろん、歌われた当時は、それがだれかはみんなわかっていたのでしょう。
ただもし女性の方が「わ」と「な」の覚醒を先導したのであれば、「なまえ」はどう考えればいいかというのは興味ある問題です。
今回、歌そのものは石川女郎の歌をたくさん紹介してくれましたが、石川女郎は万葉集に採用されている歌が多いだけではなく、活躍している時間も長いので、ひとりの女性ではないのではないかとも言われています。
これも興味ある話です。
次回はどこに行くでしょうか。
「山柿の門」といわれて柿本人麻呂や山部赤人が万葉歌人の範とされますが、もう少し「女たちの万葉集」と女性歌人の「意識」を知りたくなりました。
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