■湯島サロン「茶会で考えたこと」報告その2
昨日投稿した「茶会で考えたこと」サロンの報告は内容が全くない報告だったので、少しは内容の報告もほしかったとある人から言われました。
確かにそうで、独り言のような報告をしてしまったことを反省しました。
当日配布したメモも添付します。
ダウンロード - e88cb6e4bc9ae381a7e88083e38188e3819fe38193e381a8e382b5e383ade383b3e383a1e383a2.docx
この内容を最初に少し話させてもらいました。
話し合いはいろいろと広がりました。
なかなか思い出せないのですが、こんな話があったような気がします。
・自分の思いを自由に話し合える場はあまりほかにはない。
・いろいろなテーマの話題に触れることができる。
・単に面白いから来る。
・退屈な話し合いが多いのでしばらく来なかった。
・たくさんの人がつながっている場なので何か商機があると思ってくる人もいるようだが、そういう人は来なくなる。そういう意味では、ほかの集まりの場とは違う。
・参加者が選別されることなく、誰でも全く同等で居られる。
・言葉だけの話し合いが多くて、世代間の違いを感ずる(20代)。
・時に特定の人の間の「対論」になってもそれもまた面白い。
・ただ話し合うだけでなく、何かがはじまる場であるといい。
・子どもにも参加してもらったらどうか。
・知識ではなく体験を中心に語り合いたい。
・土日だけではなく平日にもやると参加しやすい。
・主宰者にとっての価値よりも、みんなにとっての価値が大切。
・参加できなくとも、こういう場があって、いつでも参加できると思えることがいい。
主宰者に気兼ねしてくれたのか、あまり「マイナス面」は指摘されませんでしたが、改善点や問題を含意した意見もありました。それはきちんと受け止めました。
私の関心事の一つは、話を聞く場や話し合う場、人が集まる場は他にもたくさんあるし、また自分でもつくれると思うのですが、そういうものとどう違うのか、どういう場になれば参加者にとって意味があるのか、ということです。
湯島のサロンは、ただ参加するだけのサロンではなく、「みんなで育てるサロン」を目指していますが、そうなるためには何が大切なのか。それを考えるヒントはいくつかもらえました。
サロンの「お客様」はできるだけ減らしたい。そして、もっともっと門戸を開きたいと思いました。
話し合いの中で、ギフト(贈与)には本来、「毒」の意味もあるという話がでました。湯島のサロンには、「毒」もあってほしいと思っています。
もしかしたら、毒を盛られることもある「話の饗宴」。
「生きづらさ」こそ「生きやすさ」の条件、と言った禅問答のような話もありましたが、フランスの知的交流のサロンでも、不満のはけ口のイギリスのコーヒーハウスでもなく、何かがはじまるような場、生き方を見直す示唆に出合える場になる、サロンを改めて目指したいと思います。
その新しい試みの一つが、今度の日曜日(8月8日)の「はじまり場サロン」です。
もしお時間があれば、ご参加ください。
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