■孫から教えてもらったこと
昨日、娘たちがでかけたため、孫と2人だけ留守番でした。
いろいろと遊んだ後、孫が私にプレゼントをくれました。
孫がとても大事にしている、虹色のアクセサリーです。
もらっていいのかと訊いたら、いいよ、でも明日までだよというのです。
「明日まであげる」という発想に興味を持ちました。
今日、また孫がやってきて、今度はこれをあげるといって、貝のデザインのアクセサリーをくれました。そして、昨日もらった虹のアクセサリーは持っていきました。
明日、また何か大事なものを持ってきて、交換するそうです。
私も、そのお礼に何かやろうと思い、探しましたが、孫の気に入るものは見つかりませんでした。
孫とやり取りをしながら、マリノフスキーやモースなどが報告している贈与交換の話に似ていることに気づきました。
孫はまだ「排他的所有」という概念を持っていないのかもしれません。
たしかに、彼女に何かをあげても、自分だけで独占しようとすることはあまりありません。
お菓子をやっても、自分がその時食べる分しか受け取りませんし、せっかくプレゼントした本やおもちゃも、遊んだ後、2階に置いておくといって持ち帰らないこともあります。
そういえば、近くの手賀沼からエビや魚を獲ってきても、翌日には戻しに行きますし、カブトムシも翌日は逃がします。
最初は、欲のない子だなと思っていましたが、どうもそうではなくて、これが人間(生命)の本来のあり方なのかもしれないと感じました。
数年前に読んだ奥野克巳さんの「ありがとうもごめんなさいもいらない森の民」という本に出てくるブナンの人たちの話も思い出しました。
そこでは、いろんなものが「みんなのもの」として、シェアされているのです。
そして、誰かに何かもらっても、それをずっと所有するわけではなく、また誰かにあげるというかたちで、いろんな人が「所有」しながら、その物をみんなで楽しむのです。
社会全体の資産の総量は少ないかもしれませんが、社会全体が享受する資産ののべ総量は豊かなのです。
孫からまたとても大切なことを教えられた気がします。
明日は、何がもらえるでしょうか。
私は何をもらってもらえるでしょうか。
実は今日は、亡き妻の残していったアクセサリーをあげたのですが、気に入ってもらえずに、もらってもらえませんでした。
明日はもらってもらえるものを探さないといけません。
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