■節子への挽歌5123:孫との花火
孫と娘が花火をやるというので呼ばれました。
今年は手賀沼の花火大会もないので、残念です。
孫は友だちと一緒に先日も庭で花火をしていましたが、今日はユカがにこと私のためにたぶん花火大会を企画したのです。
ですからちょっと疲れ切っていたのですが、付き合わせてもらいまいた。
でも私が子供だった頃や娘が子供だった頃とは、どうも違うような気がします。
孫だけの話かもしれませんが、そんなことをちょっと感じました。
昔は庭で焚火をしたりすることもありました。
私はとても焚火が好きでした。
炎もにおいも好きでした。
でも今は自宅で焚火することなどは許されません。
わが家で焚火をしなくなった理由は、以前、住んでいたところで、よく焚火をしていたのですが、近くにお住いの人から焚火をやめてほしいと言われたのがきっかけでした。
その人の言い分はよくわかりますので、大いに反省したのですが、まさか庭での焚火が注意されるなどとは思ってもいなかったのです。
時代の変化を強く感じた事件でした。
いまのところに転居した後は、もう焚火はやめました。
焚火や花火の話に萎えると、いつも思いだすのはゾロアスター教です。
ゾロアスター教の拝火壇の遺跡に、一度、行ったことがあります。
節子と一緒にイランを観光した時です。
なんでもない廃墟なのですが、いつもはそういう廃墟にはあまり興味をもつことのない節子が興味を持っていたのを今も覚えています。
ゾロアスター教には、昔からとても興味を感じています。
すべての宗教の大本ではないかという気さえします。
毎日、朝、節子の位牌の前のろうそくに点火し、その帆脳で線香に火をつけて般若心経を唱えていますが、ろうそくの炎はとても不思議な気持ちを起こします。
決して毎日一様ではないのです。
花火の話からおかしな方向に行ってしまいました。
にこは花火を楽しんでいました。
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