■節子への挽歌5131:会社時代の先輩からのメール
節子
思ってもいなかった人からメールが届いていました。
会社時代の先輩です。
数年前に、フェイスブックを始めたのでと友だちリクエストがありました。
その先輩は、会社時代最後の仕事でいろいろとお世話になりました。
会社を辞めてからはほとんど付き合いはなくなっていました。
書き出すと会社時代の思い出がどっと出てくるのですが、彼は社外にも顔がとても広い方です。関心領域も私の比ではなく、文化や芸術、スポーツなどにも幅広い友人がいる方です。
その人は私のフェイスブックを見ているようです。
まずはそれに関して、息の長い活動と評価してくれました。
そして、最近、フェイスブックで紹介した「次世代に伝えたい戦時体験談」の小冊子が読みたいと言ってきたのです。
この人もまた、好奇心は衰えていないばかりか行動につなげて生きている人だとうれしく思いました。
好奇心は行動につながらなければ意味はありません。
考えてみると、私は会社時代も先輩に恵まれました。
なぜかみんなが応援してくれたのです。
それは不思議なほどでした。
私が、会社時代に大きな仕事ができたのは、そのおかげです。
もっともその仕事は、次の社長によって否定されてしまったのですが、それでも私を応援してくれた人もいました。
退社するときも最後まで引き留めてくれた人もいますが、結局、私は自分のわがままを貫かせてもらいました。
あの頃は、私もまだ、生きていたなと、つくづく思います。
しかし残念ながら、あまりに視野が狭かった。
自分の世界にはまり込んでしまいすぎたのです。
いまから思えば、いろいろなチャンスを無駄にしていた。
もっとも、そのおかげで今の豊かな暮らしができているのですが。
でも会社時代の友人に会うと、当時のことを思い出すようになってきてしまいました。
これはまさに生きていない証拠かもしれません。
困ったものです
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