■第10回益田サロン「遺伝子は〈夢〉を見るか」報告
〈夢想と現実〉を切り口にして「生物と環境」「自己と非自己」を考える話が益田サロンでは続いていますが、その都度、新しい発見があるような気がします。
益田サロンは、講座型サロンではなく、益田さんも含めて、それぞれが考えるサロンですので、どう展開していくかわからないのが面白いところです。
今回は、益田さんの次のメッセージから話し合いがはじまりました。
結果など意図せずに行うのが夢。
しかし、その結果が現実になった途端に、それは夢ではなくなる。
そして、遺伝子重複の話が紹介されました。
遺伝子重複とは、遺伝子を含むDNAのある領域が重複する現象のことだそうです。
遺伝子の重複が生じていると、重複した遺伝子の一方は選択圧から解放されるため、経代に伴う変異が起こりやすい、つまり結果を意図せずに「夢」が起こりやすくなる。
もう一つ益田さんが言ったのは、変異は環境によって起こるのではなく、遺伝子の内発的な現象だということです。結果など考えずに、ということには、環境とは関係なくということが含意されていると言えるでしょう。
いずれの指摘も、論点(異論)がたくさんあります。
話し合いは、今回もかなり激しく展開しました。
もっとも今回初めて参加した人によれば、異論が飛び交っているようで、大きな違いはないように感じたそうです。たしかにそうかもしれません。ちょっとして視点の違いが、言葉にすると大きな違いになってしまうこともあります。でもそこを大切にするのが益田サロンの特徴です。
たとえば、遺伝子が内発的に起こした変化も、結果として環境によって受容されなければ消えていきます。つまり夢で終わってしまい、変異にはつながらない、とも言えます。
もっとも私は、実現しないからと言って無意味だったとは思いません。実現しない夢こそが、夢を実現させていると考えています。
今回もまた益田さんは破傷風菌の話をしました。
毒素を持っている破傷風菌は自らが死ぬことで仲間の破傷風菌を守っていくが、その時の「自己」とはどう考えればいいのかという、このサロンでよく話題になる話です。
個体として自己を捉えるか、種として自己を捉えるかという問題ですが、夢も同じように考えればいいでしょう。
消えていくたくさんの夢もまた毒素をもった破傷風菌のように、変異につながっている存在だとも言えるでしょう。
実現したかどうかに関しても、そう簡単に決めていいのかと、私は思います。
益田さんの最初のメッセージから、環境にはじき出されて消えてしまうのが「夢」だとしたら、実現した視点から考えると、夢とは過去の屍のような存在です。夢と言うと、何か「未来」とつなげて考えがちですが、夢とは過去の話ということになる。この意味を考えていて、私は一晩眠りそこないました。まだ解けていない謎です。
少なくとも、目的(結果)を考えないのが夢だとすれば、因果の世界から飛び出していますから、時間からも解放されていることになる。しかし、「変化(変異)」とは、時間の概念に支えられている概念ですから、話はこんがらがってきてしまう。
そこから「時間とは何か」という話にもなりました。
いずれにしろ、目的や時間を超えての「夢」があるからこそ、生命は存在しているというような話になった気がしますが、これは私のいつものような勝手な勘違いかもしれません。
しかし、生きるということは、そうした夢(全く無意味な動き)に支えられているのかもしれません。これは論理の世界(AI)を超えているとも言えるでしょう。
ちなみに、アンドロイド(AI)は夢を見るかに関しては、今回も参加してくださった山森さんが9月18日のサロンで話題にしてくれる予定です。
サロンの最後に、益田さんは最近手づくりした作品を持ち出しました。
輪ゴムを回しておいたうえで、机の上にそれを出すと動き出す作品です。
すべての動きには、「因果」があるということでしょうか。
それと今回の益田流の「夢」の捉え方をどうつなげたらいいのか、また禅問答のような問いかけが出されてサロンは終わりました。
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