■節子への挽歌5138:死者には時間がない
昨日の話につながる話を思い出しました。
10年程前に伴侶を見送った若松英輔さんが最近出版された岩波新書の「死者と霊性」で書いていたことです。
私の妻はもうなくなって10年になるわけですが、10年前の声がいまやっとわかるということは、もちろんある。それもありますが、いまここで、ありありと死者のコトバを経験するという地平もあると思います。
よくわかります。
死者は、時間を超えている。
死者には時間がないと言ってもいいかもしれません。
そういってしまうと、若松さんの意図とはかなり違ってしまうような気もしますが。
彼岸には時間がない、と私は思っています。
というか、すべての時間が折り重なっている、言い換えれば直線的に一方向に進んでいるわけではない、と思っています。
「今」も「ここ」もなく、「いつも」「どこも」しかない。
私たちは、現世では直線を一方向にしか進めない。
過去には戻れない。
時間が進むのではなく、私が進むことで、時間が生まれてくる。
不思議なのは、人によって動く速度が違うのに、なぜか同じ時間軸を共有できることです。
したがって彼岸に行った途端に、人は歳をとらなくなる。
私の中では、いまも節子は62歳。
そして今も、私と一緒に生きている。
そういう感じが、最近、かなり実感できるようになってきました。
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