■節子への挽歌5155:使われることのなかったトレッキングシューズ
節子
昨日書いた「使われることのなかったトレッキングシューズ」のことを書いておこうと思います。
節子の胃がん手術の後、2年ほど、転移もなく、体力も戻ってきた時期があります。
節子は貪欲に、友人たちに会いだし、旅行にも行きだしました。
私もほとんど付き合うようにしました。
対価をもらう仕事はすべて一斉にやめ、なかなか断り切れないボランティア活動も減らしていきました。
あまり遠出はできませんでしたが、バス旅行にはよく行きました。
申込はすべて節子。
山が多かったような気がします。
どんどん元気になってきて、山をあることも増えてきました。
それで、これからはバス旅行ではなく、山歩きをしようということになり、2人でトレッキングシューズを買いに行きました。
それで購入したのが、この靴でした。
それぞれの好みで買ったのでお揃いではありませんが、店員のアドバイスを聞きながら、履きやすいものを選びました。
ところが、その少し後にがんの再発が確認されたのです。
そうして、山歩きは、実現することはなかったのです。
節子がいなくなってから、2つの靴は捨てられることなく、そのまま奥にしまわれたまま、忘れられてしまったのです。
このトレッキングシューズこそ使われることはありませんでしたが、節子も私も山歩きが好きでした。
登山ではありませんが、単なる山歩きですが。
ただ子供が小さかったころは、4人でよく登山もしました。
一つだけ記憶に残っているのは、茨城県の加波山登山です。
4人で早朝に出かけるはずだったのです、前夜、私たちは夫婦げんかをしてしまい、私は行かないと言ってしまったのです。
ところが、早朝、節子は娘たちを連れて3人で出かけてしまったのです。
追いかければよかったのですが、その頃はまだ私も意地っ張りだったので、追いかけはしませんでした。
加波山は、手前にある筑波さんよりは厳しい山だと聞いていますが、3人は無事、登って買ってきました。しかも下山したところで農家の人にお土産までもらって。
これは私には忘れられない失策の一つです。
まあそればかりではなく、山登り・山歩きに関してはたくさんの思い出もあるはずですが、私はほとんど覚えていないのです。
ともかく私は記憶力が悪いのです。
海外旅行でさえもあまり覚えていない。
それに対して節子は、記憶力がよく、旅行先でのことをよく覚えていました。
メモもよくしていました。今も節子の残したものを整理していると、旅行先で書いたメモがたくさん出てきます。
節子が使わずに残したトレッキングシューズ。
さてさてどうしようか迷っています。
それを見ていると、勝った時の様子がはっきりと思いだされます。
記憶力が悪い私も、そういうちょっとしたワンシーンは、時々、鮮明に映像だけが思い出されるのです。
そのお店には、あれから一度も言ったことがありません。近くにっても入店する勇気さえありません。
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