■節子への挽歌5158:畑はやめることにしました
節子
久しぶりに畑に行ったら、もうまた「原野戻り」をしていました。
なにしろこの1か月ほど、ご無沙汰してしまったのですから、仕方ありません。
節子ががんばって「開拓」したところも、やはり継承はできないまま、放棄することになりそうです。
もう返却しようと思います。
経済的負担もちょっと限界に来ましたので。
いささか感慨深いものがありますが、節子も許してくれるでしょう。
節子が始めたことが、こうして次々と消えていきます。
しかし、畑に関しては、よくまあここまで続けてきたものです。
まあ節子は褒めてくれるでしょう。
節子がいなくなってからは、収穫はほぼゼロでしたが。
そういえば、家の片づけも少しずつですが、進んでいます。
節子の手紙やスケッチ、あるいは油絵なども、なかなか手が付けられません。
まあ結局はみんな捨てられることになるでしょうが、そう簡単ではないのです。
一番の難問は節子に日記です。
私は節子と結婚した時に、すべての日記を廃棄しました。
過去をすべて捨てようと思ったからですが、節子はそれまでの日記を持ってきました。
何となく捨てられなかったのです。
だから今も残っていますが、これをどうするか。
読むのはいまでも結構つらい。
むすめたちはたぶん読まないでしょう。
そういうものが、まだたくさんある。
前途多難です。
それでも畑はやめることにしました。
ちょっと重荷から解放されます。
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