■節子への挽歌5136:相変わらず夢をよく見ます
節子
この頃、よく夢を見ます。
いろいろな人が登場します。
まるで人生を振り返えさせられているような気もします。
微妙に記憶とは違いますが、なぜか記憶よりも私の心情に沿うような内容の夢が多いのですが、にもかかわらずけ㏍は私の思いを裏切るような内容です。
でもみんなから私がとても愛されている感じもします。
それにうまく応えられずに、悔いを残すところで目が覚める。
人は、死の直前に、頭の中を走馬灯のように人生が駆け巡ると言いますが、こうした夢を毎日見るのは、そろそろ私の人生も終焉に近づいているのでしょうか。
そうであればうれしいのですが、しかしそうであれば、こんなに怠惰な毎日を過ごしているわけにはいきません。
何しろまだやっておかねばいけないことが山のようにある。
今死んでしまったら、迷惑をかける人があまりに多い。
生き方をどうも間違っているような気が、最近しています。
人はある年齢になったら、社会との付き合いや他者との付き合いを整理し、自らの世界に閉じこもるのがいいかもしれません。
迷惑をかけるのなら、生きているうちにかけた方がいい。
そんな気がします。
それにしても今思うと、私の人生はあまりに身勝手だったような気がします。
しばらく前までは「後悔」という思いは、私には無縁な気がしていましたが、最近は後悔というか反省することが多いのです。
いまごろになって気づくとは、情けない話ですが、夢を見る度に、何か後悔や反省を迫られているような気がしてなりません。
私のどこかに、罪の意識があるのかもしれません。
毎朝、元気が出ないのはそのためかもしれません。
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