■湯島サロン「ムーンショット計画をどう受け止めるか」報告
台風が近づいていたので、心配していたのですが、10人を超す参加者がありました。
湯島では、「ムーンショット計画」は最近、よく話題に出ますが、ご存じない方も多いでしょう。簡単に言えば、「日本発の破壊的イノベーションの創出を目指し、従来技術の延長にない、より大胆な発想に基づく挑戦的な研究開発(ムーンショット)」を推進する計画で、その実現に向けて、ムーンショット型研究開発制度がかなりの予算も投入されて進められているのです。問題は、その目標にあります。
詳しく知りたい方は、内閣府のホームページの次のサイトをご覧ください。
https://www8.cao.go.jp/cstp/moonshot/gaiyo.pdf?fbclid=IwAR14B5BT0-qi1PbfsHv3bVfwa4NmSzCItartu4LSkyoNcxPgn2cHrSZ-ujM
山森さんは、この計画が目指す7つの目標の中から、2つの目標を選んで、その目標に向かっていまどんな研究が行われ、何が目指されているかを具体的に説明してくれました。
山森さんが選んだのは次の2つです。
目標1:2050年までに、人が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会を実現
目標3:2050年までに、AIとロボットの共進化により、自ら学習・行動し人と共生するロボットを実現
この2つの目標を、どう受け止めるかが、今回のサロンの中心テーマでした。
山森さんは、ムーンショット計画の実験だとも言われている、昨年成立した通称「スーパーシティ法」にも言及しました。スーパーシティとは「生活全般をスマート化した都市」のことで、自動運転や完全キャッシュレス決済、ドローン配送、遠隔教育や遠隔医療などが完全配備された未来都市の実現を目指しています。この分野は、私たちの生活とのつながりも見えていますし、かなり現実に近い話です。しかし、AIやロボットとのつながりも、すでにいろんなところで現実化しています。
こうしたことは一見、私たちを幸せにするようにも思います。
しかし、山森さんは、「違和感や不気味さを感ずる」というのです。
こうした構想はどこから見るかで、評価は全く変わるでしょう。
たとえば、目標1に関して、山森さんは、「我々の脳が制限なしにグローバルに繋がりデータを交換できる社会」は監視社会や個人情報の侵害につながっていくのではないか、と言います。さらに、「人間をサイボーグ化することが国により正式に進められて行くことに対する恐怖感」もあるというのです。
たしかに、人間が「身体、脳、空間、時間の制約から解放された」ら、果たして人間と言えるのかどうか。私も、大きな違和感と不安を持ちます。
もちろん福祉や医療の現場にいる人にとっては、こうした動きがもたらす効用は大きいでしょう。でもそうした技術がどういう目的でどう使われるかは、しっかりとみんなで監視していくことが必要だと山森さんは言います。
山森さんは、ただ違和感や不安を述べただけではありません。
生命倫理という視点から、哲学や精神医学など、さまざまな分野からの材料も提供してくれました。生命倫理に関心の深い、山森さんの思いが伝わってきました。
山森さんのお話はとてもここでは紹介しきれないので、詳しく知りたい方は、山森さんのレジメをお届けしますので、私宛ご連絡ください。
最近、自らをサイボーグ化したピーター・S・モーガンの話もありました。モーガンは2017年にALS(筋萎縮性側索硬化症)の診断を受け、余命2年宣告を受けたのを契機に、自らをサイボーグ化した人です。それによって、いまなおサイバネティック・アバターとして活動し、著書まで発表しています。それはまさに、AIを活用した生き方と言えるでしょう。サイボーグ化したモーガンが実際に書いた自伝「ネオ・ヒューマン」を私も読みましたが、AIと人間の共生を考えていく上で、何が課題なのかを考えさせられる本です。
もし共生が実現するとなると、AIと人間のそれぞれに、独自の強みがなければいけません。
モーガンは、この著書で、それが何かを明確に示唆しています。
こういう問題は、「人間とは何か」「生きるとは何か」につながっていきますが、今回はそこまでの議論にはいきませんでした。
ムーンショット計画に関しては、評価は人によって違うでしょう。
しかし、こうした動きが進められていることに関して、私たちはしっかりと関心を持っていくことが大切ではないかと思います。
科学技術が悪いわけではないとしても、使いようによって、人間に害を与えることもある。科学技術の目先の効用だけではなく、それがもたらす影響(未来の子どもたちへの影響も含めて)もしっかりと考えていかなければならないでしょう。
参加者による活発な議論を紹介できないのが残念です。
余計なことですが、私としては、改めて、人間の時代はもう終わったのかなという思いを強くさせられました。まあ、間もなく人生を終える年齢に来ているからかもしれませんが。
でも多くの人が、こうした方向での科学技術が進められていることを知るようになれば、逆に人間が主役であり続ける方向に向かって、科学技術が活かされていくようになるかもしれません。もしそうなれば、私ももうしばらく生きながらえてもいいかなとも思います。
大きな岐路に、私たちは立っている。
それが今回のサロンの私の感想です。
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