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2021年10月

2021/10/31

■節子への挽歌5182:総選挙投票日

節子

今日は衆議院選挙です。
例年と違い11時ころ、ユカと一緒に出かけました。
いつもより2時間ほど遅かったせいか、投票所には長い列ができていました。
こんなことは今までで2回目です。最近はありませんでした。
もしかしたら投票率が上がるかもしれない、もしそうなら反自民が増えるかもしれません。そんな期待が高まりました。

にこたちは私たちよりも早めに行ってきました。いつものようにじゅんの書いた投票用紙を箱に入れるのがにこの役割だったのですが、今回は本人が入れてくださいと注意されてにこは少しお冠だったでしょう。
でも小さな時から投票に行くことが身についていれば、大人になっても行くことがルールになるでしょう。

わが家は昔から家族全員で投票に出かけました。
まだ投票権を持っていなかった頃の記憶はないのですが、たぶん投票所まで一緒に行った期間が長かったと思います。
投票できるようになってからも基本的にみんなで一緒に出かけました。
ですからわが家なみんな投票には抵抗なく行けるようになっています。
ただしだれに投票したかは必ずしもオープンではありません。
でも最近はどうも同じ人に投票することが多いような感じがします。

節子は選挙が好きでした。
その節子ももう選挙には行けません。
でも何となく投票に行く時は、いつも節子が一緒のような気がしたなりません。
節子は私よりも過激だった気がします。
生活者としてしっかりと考えるとどうしても共産党寄りになるようです。
私はどうも共産党には抵抗があり、節子とは必ずしも同じではありませんでしたが。

ちなみに今回の選挙結果は予想以上に失望する者になりました。
8時にはそれがわかり、報道を見る気もなくなりすぐ寝てしまいました。

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■10月2回目オープンサロン報告

10月2回目オープンサロンの報告です。
8人に人が集まってくれました。

初対面だった人も複数いたので、一人ひとりが自己紹介を兼ねて自由に話すスタイルを取りました。
時々このスタイルをとりますが、私は毎回聞いているので同じ人の自己紹介を何回も聞くことになります。しかし何回聞いても、毎回必ずと言っていいほど新しい面に気づかされます。つまり人の持っている多様性は想像以上なのです。このことこそが人と付き合う面白さです。人(自分)を簡単に決めつけてはいけません。人の多様性や可能性は、自分が思っている以上です。もちろん新しい自分に出会うことも少なくありません。

今回は時期が時期だけに選挙のことがまずは共通話題となりました。
すでに期日前投票に行った人もいました。政治には絶望しているが、投票には行こうと思うという若者もいました。各党の政策論議の話も少し出ました。
湯島は考えの違いはむしろ歓迎される場ですので、選挙に関しても私見を明確に開示する人が少なくありません。もちろんみんながみんな同じではなく時に異論のぶつかりもある。今回も異論のぶつかり合いもありましたが、言葉で議論することの難しさも話題になりました。

選挙の話から話は自在に展開しました。
オープンサロンの良さは、話題をいかにも転じられることです。
嚙み合わない議論があったり、中途半端に終わったりすることもありますが、必ずと言っていいほど、参加者の数だけ学びをもらえます。誰もが先生です。自分から学ばせてもらうこともある。それがサロンの面白さです。

前回久しぶりにオープンサロンに参加してくれた人が、サロンから帰った後、久しぶりに脳が刺激されたことに気づいたのでまた今日も来た、と話してくれました。たしかにサロンでは、いつもとは違うところを刺激されることは少なくありません。毎回参加させてもらっている私でさえそうですから。
話しているときには気づかなくても、後でふと気づくこともある。

もっとも時に厳しい指摘を受けることもあります。
今回、私はうっかり「人は善か悪か」というような話にふれてしまったのですが、佐藤さんの考える善とは何か。悪とは何か、と厳しく問われたのです。
それに重ねて、佐藤さんが考える幸せとは何だというのです。

人は善か悪かをテーマにしたサロンをやる予定ですが、きちんと準備しないと大変なことになりそうです。今回は、それを口実にかわしてしまいました。

しかし、私に厳しい問いかけをした人は、サロン終了後、私に「体調は本当に大丈夫ですか」と声をかけてくれました。もう一人の若者まで、私にもっと水を飲んで運動をするようにアドバイスしてくれました。
まさか彼らが気にしていてくれるとは思ってもいませんでした。
一部の人にご心配をかけた「軽い脳梗塞状況」はぶじ乗り越えられたようです。
私のせいで、現場で迷惑を受けた鈴木さんも、今回サロンに来てくれていました。
やはり人の本性は「善」なのです。
例外はお前だろう、と言われそうな気がしないでもありませんが。

来月もオープンサロンを2回、開催する予定です。

Open20211030

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2021/10/30

■節子への挽歌5181:今度は口内炎

節子

昨日はよく寝ました。
通算10時間近く寝たかもしれません。
そのおかげで体調は回復…といいたいところですが、いまひとつです。
でものどの痛みもかなりなくなってきました。
代わりに口内炎が気になりだしました。

風邪かもしれませんので、今朝はみんなまとめてと思い、たくさんの薬を一気に飲みました。
これだけいろんなものを一緒に飲んで大丈夫だろうかという気もしないではありませんでしたが、まあ飲んでしまいました。
良い方向に向かうといいのですが。

いま一番気になるのは口内炎です。
痛くて仕方がない。こんなに気になることはめずらしい。
もう一つ気になるのは頭の右下がどうもほっかほっかしていることです。
なんか通常ではないのです。

こういうことを気にしだすと際限なく広がり深まります。
まあそれが心因性疾病なのでしょうか。
こうなると無理をしようという気がそがれます。

今日は地元の集まりと湯島のサロンです。
無理をしないでおとなしく静かにしていようと思います。

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2021/10/29

■革命は静かにやってく

私だけが感じていることなのかもしれませんが、選挙が始まってから、テレビや新聞での政治関係の取り上げが少なくなったような気がします。

自民党総裁選挙の時はあれほどにぎやかに取り上げられていたのに、なぜか国政選挙になった途端におとなしくなってしまいました。
日本の未来を決める選挙であるならば、毎日のようにどこかの局で党首会談が行われて選挙への関心を盛り上げてほしいと思いますが、差しさわりのない退屈な報道しかないように思います。

今日、友人がある動画配信サイトを教えてくれたので早速視聴してみました。
最近の若者はこういうサイトで政治への関心を高めているのかもしれないと思いましたが、ただよほど意識のある人でないとこういうサイトにも辿り着きません。
ましてや仕事に忙殺されている「働き盛りの人」や「時間に追われている人」は時間を割くことも難しいでしょう。せめて選挙期間のうち1週間ほどは、できるだけ経済活動を休止してでも、選挙への関心を高めるようにすべきだと思います。
せめてNHKのテレビは選挙関係一色にしてもいいとさえ、私は思います。
もちろん退屈な政見放送などはなくてもいいですが。
あれは政党の広告でしかありませんから、なくてもいいでしょう。

新聞を読む人が減り、テレビを見る人が少なくなったと言われますが、それでも何となく目に触れるメディアとして、新聞やテレビの影響は大きいでしょう。
というよりも、そういう情報をむしろ増やしていくべきではないかと思います。

行政や関連組織は、誰も読まないのに立派な情報紙誌をたくさん作っています。関連した印刷会社などの支援かもしれませんが、それだけの資金と時間があるのであれば、多くの国民が読めるような活字メディアの開発に心がけるべきでしょう。

まあそれはともかく、私は今回の選挙が大きな政権変動を起こすような気がしています。
ミャンマーやアフガンに比べて日本はかなり遅れた国だと思っていましたが、どうもそうでもないようです。
大きな地殻変動が起こる期待が高まっています。

もっとも私が期待している政治革命は、その先なのですが。
政治家の政治から市民の政治へと変わる、第一弾がはじまるのではないかと期待しています。
私が生きているうちに、山本太郎政権が実現することが夢でもなくなってきた気がします。

それにしても選挙結果報道テレビに出て来る人たちのバカさ加減には嫌気がさしますが。
もっとも報道の前に結果は判っていて、解説報道は茶番でしかないので、誰でもいいでしょうが、本来は投票結果報道の時にこそ、まともなコメンテーターや解説者が大切で、受け狙いのタレントには出てほしくはありません。それこそ政治への関心を低下させてきた原因ではないかと思っていますので。

しかし大きな政治の地殻変動がようやく動き出す。
30年待ち続けていたので、本当に楽しみです。
まさか今回は裏切られることはないでしょう。

期日前報道という制度には大きな違和感がありますが、私は今回も当日にきちんと投票に行く予定です。

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■節子への挽歌5180:風邪の懸念で養生

節子

また長らく挽歌を書けませんでした。
日曜日にサロンをやった後、なんだか疲労感におそわれてダウンしてしまいました。
とりわけ火曜日にのどの変調に気づき、のどの痛みと何となく感ずる体調不良に、風邪かなと思い、在宅で養生していたのです。
もっとも「養生」というのが私の場合は難しい。
むしろ中途半端なだらしない生活に陥っていたというべきかもしれません。

今日は思い切って昼間に寝てみました。
なんと3時間も寝続けてしまいました。
しかしそのおかげでなんだかすっきりしました。
もう大丈夫でしょう。
明日から活動再開です。

歳をとってもなかなか実感は出来ないものです。
意識はなかなか変わらない。
そこで意識と身体のギャップがどうしても出て来てしまう。
節子がいたら、お互いに気づき合えるのでしょうが、同世代の伴侶がいないと自分が見えてこない。
同世代の人との交流はあるのですが、伴侶でないとどうも自らと重ね合わせられないのです。
これは不思議です。

まあしかしやっと挽歌を書く元気が戻ってきました。
明日には正常化できるでしょう。

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2021/10/26

■湯島サロン「贈り物はもらうほうが幸せですか、あげる方が幸せですか」報告

「贈与」をテーマにしたサロンは、いつもより若い世代の多いサロンになりました。20代前半の人が2人もいましたし。
「贈与」は、私たちの日常生活と切り離せないテーマなので、話はどんな方向にも展開できます。ですから今回のサロンでの話題もさまざまでした。

肝心の問いかけ「贈り物はもらうほうが幸せですか、あげる方が幸せですか」は、どうも参加者全員、贈る方が幸せだという感じで、問いの立て方を間違ってしまったことに気づきました。私の認識不足でした。

なかには、「贈与」は「支配」につながっているので、贈り物は嫌いだというような意見もありました。たしかに贈与は、人のつながりを豊かにする一方で、上下関係や拘束意識を生み出す面もあります。さらには、行き過ぎたポトラッチのように社会を壊してしまうような面もないわけではありません。

贈与と交換、贈与と布施、さらには共助の話など、さまざまな視点から、話は弾みました。話し合いはあまりにも多岐にわたり、思い出せませんので省略します。サロンでは検討のためのメモを配布させてもらいましたが、それを見てもらえると、どんな議論があったかは少しわかると思います。
ダウンロード - e8b488e4b88ee382b5e383ade383b3e383a1e383a2.docx

今回は(最近そうなりがちですが)、サロンの報告というよりも、サロンを終わっての私が感じたことを少し書かせてもらいます。

「贈与」と「交換」は結局は同じものであるような気がますますしてきました。
同時に、それは「自分」をどう捉えるかにもつながっているように思います。
添付のメモのイラストを見てもらえれば、わかってもらえるかもしれません。

家族関係では家族内の贈与に「交換」の要素は考えられなかったと思いますが、最近はどうもそうではないような気もする一方、かつては交換の世界でも、たとえば商店での売買にも単にお金と物とのやり取りでない、お金にも物にも、そこになにかプラスアルファのような「余剰価値」が乗っていたような気がします。
買うという行為には、「分けてもらった」という意味がこめられ、売るという行為にも「役立ててうれしい」という意味が込められていました。
贈与と交換を区別して考えること自体、経済主義に陥っているのかもしれないことに、今回改めて気づかされました。

シェアリングエコノミー(分かち合いの経済)という動きが広がっていますが、これは「個人所有(私有)」という発想を超えようとしています。そこでは、交換でも贈与でもない、共有ということが経済の基盤をつくっています。
贈与と交換は、個人所有を基盤に成り立つ概念です。「贈与」という概念は、交換経済になじんだ人の、貧しい発想かもしれません。

そんなことを話し合ったせいか、一時期流行った「自分をほめてあげたい」という言葉を思い出しました。あの言葉にはずっと違和感があって、気になっているのですが、現実では、さらに「自分への贈与」ということも広がっているようです。

言うまでもありませんが、贈り物は受け取ってもらって初めて「贈り物」になります。
相手がいないと、贈り物は出来ません。
そう考えると、贈与を受け取ってもらえる人がいることの幸せに気づきます。
生きるとは、贈り物を受け取ってもらえる人を探すことなのかもしれません。

そして、贈与を受け取ることの大切さもわかります。
贈り物を受け取ることなら、誰にもできることかもしれません。
そう考えていくと、いまの経済とは全く違った経済が見えてくるような気がします。

このテーマはもう少し考えていきたいと思います。

最後に永六輔作詞の「生きているということは」のはじめのフレーズを紹介させてもらいます。
ユーチューブでも聴けますので、お時間があればぜひ。
https://www.youtube.com/watch?v=oNaIH095OSI

生きているということは 誰かに借りをつくること
生きていくということは その借りを返してゆくこと

まだまだ私は死ねません。返せていない「借り」がまだ山のようにありますので。
困ったものです。

Zouyo

 

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2021/10/25

■湯島サロン「新型コロナ・ワクチンに関する気になること」のご案内

マスコミ報道を批判的にウォッチしつづけている、中嶋さん・北川さんからの問題提起を受けるサロンも定例化してきました。
おふたりは、マスコミ情報だけではなく、さまざまなネット情報やオフライン情報などを長年にわたって継続的にチェックしています。そこから見えてくることは少なくないでしょう。

湯島では、「陰謀論」サロンという形で、おふたりに時々話をしてもらっていますが、おふたりの言う「陰謀」は、マスコミ情報の奥にある「大きな流れ」という意味だと私は解釈しています。
時々、話はいささか荒唐無稽なところまで跳んでしまうこともありますが、それはともかく、マスコミやネットの情報を受け身で捉えるだけでなく、さまざまな情報を編集し直していくことで見えてくることもあるはずです。そのエッセンスに時々触れさせてもらっているわけです。

今回は新型コロナのワクチンに関するさまざまな情報を提供してもらいながら、ワクチン接種の問題を話し合えたらと思います。
すでに日本では7割近い人がワクチン接種を受けていますが、ワクチンに対する不安を持っている人も少なくありません。
みんなが十分に納得していないまま、目の前の危機を回避するために各人が判断して行動するのはいいのですが、納得しないままに何となくみんな疑問を封印していくという風潮が、私にはとても気になります。

そこで、おふたりに今回は「新型コロナ・ワクチン問題」を中心に、ネット上で広がっている情報を紹介してもらいながら、ワクチン問題から見えてくる社会の動きを話し合えればと思っています。
ワクチン支持者もワクチン懐疑者も、ワクチン無関心者も、だれでも歓迎のサロンです。
異論をぶつけ合うことは大切ですから。

マスクで口を封ずる社会から、いろんな意見が自由に飛び交う社会に戻していきたいと思っています。

〇日時:2021年11月14日(日曜日)午後2時~4時半
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「新型コロナ・ワクチンに関する気になること」
〇話題提供者:中嶋一統さん+北川泰三さん
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

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2021/10/24

■湯島サロン「能力主義社会をどう考えますか」のご案内

私が学校を卒業したころ(1960年代中頃)、日本でも「メリトクラシー」という言葉がはやりだしていました。その頃、読んだ本にマイクル・ヤングが著した「メリトクラシーの法則」という本がありましたが、その本の副題には「2033年の遺稿」とありました。メリトクラシーがつくりだす社会が描かれていましたが、当時はピンときませんでした。しかし、その本がとても気になっていて、いまもまだ捨てずに持っています。

最近の日本はどうでしょうか。

先日、湯島のサロンに参加してくれた23歳の渡邊さんが、「能力主義社会に関心がある」と言ってくれました。そして、「能力主義によってかなり澆季混濁とした世相になってしまったのかなと思うところがあり、互いにカテゴライズし、能力の有無で評価するという、短絡的なものになってしまい、非常に生きにくい世の中だなと常々感じています」とメールをくれました。

「澆季混濁」という言葉を私は知らなかったのですが、調べたら、「澆季」はこの世の終わりのような、道徳や人情が乱れた世の中のこと。「混濁」は濁るや、汚れるということだそうです。
若い世代の人が、いまの世相を「澆季混濁」と感じている、しかもそれが「能力主義」とつながっている。何となく感じてはいたものの、実際に社会を鋭く感じているだろう若者からそういわれて、私自身改めて考えさせられました。
私たち世代は、とんでもない社会を育ててきたのかもしれません。

そんなわけで、そうメールしてきてくれた渡邊青さんにお願いして、「能力主義社会」を話題にするサロンを開くことにしました。
最初に渡邊さんから日々感じていることを少し話してもらい、みんなで「能力と道徳と人情」とか、いまの時代の「能力」とは何かとか、能力がなければ生きていけないのか、とか、そんな話をしながら、いまの社会の生きにくさの問題を考えられればと思っています。

若い世代から学ぶことはたくさんありますので、こんな社会にしてしまった中高年世代の人に学びに来てほしいサロンです。もちろん若い世代の人にも参加してほしいです。
私も学ばせてもらい、反省を深めたいと思っています。

〇日時:2021年11月27日(土曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇問題提起者:渡邊青さん(生きづらさを感じている若者)
〇テーマ:「能力主義社会をどう考えますか」
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

 

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■緊急サロン「今回の選挙について本気で話し合いましょう!」報告

今回の選挙は、これまで停滞していた日本の政治が動き出すかどうかの岐路にある選挙ではないかと思っていますが、なかなか選挙への関心も高まらないような不安を感じています。
そんなこともあって、緊急サロンとして、「今回の選挙について本気で話し合いましょう!」というサロンを開催することにしました。
問題提起は、私以上に危機感を持っている、命・地球・平和共助・協働ネットワーク代表の渡辺和子さんです。

開催を決めたのが4日前、それからの呼びかけだったにもかかわらず、9人の方が参加してくれました。渡辺さんはご多用の中を、サロンのために10枚にもわたるレジメも作ってくれました。集まった面々が、みんな選挙に関心の高い人だったのが少し残念でした。渡辺さんの話をもっと多くの人に聴いてほしい気がしました。

渡邊さんのレジメのタイトルは「総選挙の重要公約を憲法の視点から検討する」となっていました。渡辺さんの危機感は、憲法改正にあるようです。
そこでまずは「憲法と法律」の話からサロンは始まりました。政治を方向づける基本は憲法ですが、現在の日本の政治は、その憲法を踏みにじってきています。そういう政治を許していていいのか、というのが渡辺さんのメッセージの基本です。

そしていわゆる野党の共通政策と各党独自の政策、そして自民党総裁選挙で示された4候補の主張から見えてくる自民党の政策を紹介してくれました。
併せて渡辺さんは、7年前の安保法制議論の時に生まれた「市民連合」も紹介しました。今回の選挙では、市民連合もはっきりと姿を現しだしていますが、これはこれまでの「政党政治」体制への新しい動きの一つと言っていいでしょう。

渡辺さんの話をさえぎって議論が飛び交うなど、話し合いは活発で、本気での話し合いも弾みました。時間も予定では終わらずに、1時間過ぎても終わる気配がないほどでした。私は帰宅がいつもよりも1時間も遅れてしまいました。

話の内容を報告するのは難しいですが、渡辺さんは、各党の政策をしっかりと調べたうえで投票することが大切だということと、投票ルールをきちんと知っておくことの大切さを具体的に話してくれました。
たとえば、今回行われる最高裁判事の審査について、たとえば誰かに〇を付けてしまうとその投票は無効になってしまうというようなことも改めて注意してくれました。
こういう「罠」が、いまの日本の投票の仕組みには仕組まれているような気もします。

今回、参加できなくなった参加予定の人から、こんな趣旨のメールが届きました。
とても印象的なので、あえて要旨を紹介させてもらいます。

私は日本においても特に国政選挙については完全不正選挙と確信するに至り、投票行動自体が無意味と位置付けていましたが、サロンに来られる方々の真摯な言動や***さんのしつこいばかりのFB発信を見ているうちに、そうか、不正どっぷりだからこそ投票行かねばか!と思うようになりました。怒りが募る一方ですが、だからこそ行動しなければ、と。

いまや日本の選挙制度に対する信頼感さえが失われてきているのです。
投票に行っても何も変わらないと言う人もいますが、そんなことはありません。不十分とはいえ、選挙は私たちが政治につながっている大事な仕組みの一つなのですから。
投票所に行って投票するだけで、政府の動きへの関心は高まるでしょうし、いまの選挙制度のおかしさにも気づくかもしれません。

そして、渡辺さんが強調したように、政策を憲法をもとに評価していくようにしたら、憲法への関心も生まれてくるでしょう。憲法こそが私たちの生活を守ってくれているのです。

先週の政治サロンでは、投票をボイコットしたらという話も出ましたが、せっかくある仕組みなのですから、ボイコットではなく、政治家主導の選挙制度ではなく、国民主導の選挙制度へと変えていくことが大切ではないかと思います。

いずれにしろ投票日まであとわずかです。
周りの人と、選挙の話をするだけでもいいと思いますが、投票率をあげることによって、私たち国民の意向が少しでも多く反映する政府にしてきたいと思います。

政治サロンは選挙後も継続します。
ちなみに渡辺さんが主宰している命・地球・平和共助・協働ネットワークでは、定期的に憲法カフェを開催しています。
http://lepia.org/archives/162
関心のある方はご参加ください。

Vitaminsalon

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2021/10/23

■節子への挽歌5179:初めての化粧

節子
今日は生まれて初めて「化粧」させられました。

先日、筑波山登山でちょっとおかしくなったことから、どうも脳梗塞コンプレックスに陥っています。
まあいつ何があってもおかしくない。
そこで、娘たちや孫と一緒に食事に行くことにしました。
そして、食事の後、西松屋という子供用のお店に娘たちは立ち寄りました。
私はそこには入らず、その近くの書店に行っていたのですが。

にこはそこで子供用のおもちゃの化粧セットを買ってもらったようです。
帰宅して休んでいるとにこがやってきました。
そして化粧してあげるというのです。
すでに自分は、化粧セットを使って化粧してきていました。
それでまあ私が次の実験台となったわけです。

Keshou212110242

というわけで、生まれて初めての化粧です。
面白がってユカが写真を撮っていました。
年寄りは子供にとってはおもちゃの一種ですね。
困ったものです。

しかしにこは真剣に化粧していました。
生まれて初めての化粧でしたが、後はもう死んだ後の化粧だけでしょう。

ちなみに私は化粧が嫌いでした。
節子はよく知っていますが。

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2021/10/22

■脳梗塞コンプレックスに陥ってしまいました

一昨日の筑波山での失策以来、「脳梗塞コンプレックス」に陥って、なんだか調子が出ません。まああまりの寒さのせいもありますが。

一昨日、登山途中の軽い脳梗塞症状で同行者ばかりか多くの人に迷惑をかけてしまった自覚が昨日からようやく芽生え、さらに次のようなメールがいくつか届いたこともあって、昨日の午後から気が滅入ってきて、昨日は自宅で安静にしていました。
届いたメールは、たとえばこんな感じです。

「小さい脳梗塞をちょこちょこ起こして、ドカンと来る。そんな話をよく聞く」
「軽い脳梗塞はすぐに治るから、そこで病院行くのはなかなかないよね、私もそうなった時に行けないと思う。ちょっと気分が悪かっただけ、でも大丈夫。と思うだろうなあ」

なんだか自分のことを言われているみたいで、いささか心配になってきました。
気になりだすと実際におかしくなって、昨日の朝はすっきり起きられたのに、今日はなんか頭が重い気がします。病は気から言いますが、ほんとうにそうです。

これまでも何回かこういう経験はあったのですが、30分も寝ていれば元に戻ったので気にもしませんでした。
しかし今回は、鈴木さんから私が失神しかけた時には、言葉もおかしくて脳梗塞のようだったと「言語化」されたので、さすがに能天気な私にも自覚ができたのかもしれません。まあ1日以上たってからなのですが。

万葉集サロンで、言葉の霊力が時々話題になっていますが、言葉は人を支配します。
いまや私は完全に脳梗塞コンプレックスに陥り、無理をするどころか、不安さえ出てきそうです。困ったものです。

こんな「脅迫」めいたメッセージも届きました。

「佐藤さんにまだやりたいことがあるのなら、病院へ行ってください」

幸い、私にはあまりやりたいことはないので病院にはいかなくてもいいのですが、いま突然だと部屋も片付いていないし、返せていない「借り」もあるので、ちょっとまずいかなとも思います。

今日は寒いので病院はもう少し暖かくなってからにして、取り合えず水分補給と薬をきちんと飲むようにし、無理をせずに平安に過ごそうと思います。
今朝はたっぷり水分を取りましたし、薬も間違いなく飲みました。

今日は湯島で「選挙について本気で話し合おう」というサロンですが、本気になると身体に悪いので、気をつけようとも思います。
人生はなかなかうまくいきません。
まあ、政治ほどではありませんが。

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■節子への挽歌5178:脳梗塞コンプレックス

節子

昨日は大事を取って自宅で安静にしていました。
気のせいかどうも頭が重いのです。
気になりだすと実際におかしくなるものなのでしょうか。
病は気から言いますが、まさにそうなのでしょう。

これまでも何回かこういう経験はあったのですが、30分も寝ていれば元に戻ったので気にもしませんでした。
しかし今回は、鈴木さんから脳梗塞のようだったと「言語化」されたので、さすがに能天気な私にも自覚が出来たのかもしれません。
私は、暗示にかかりやすいタイプなので、意識はともかく、身体が意識しだしたのかもしれません。今朝もどうも違和感がある。

今日は病院に担当医が来る日ですが、湯島でサロンがあるので、サロン優先です。
それに病院に行ったらまたMRIをとることになる。そしてもっと水を飲めと言われる、さらに強い暗示にかけられかねない。
とまあ、こうやって自分に都合のいいように考えてしまうのも、私の悪いところかもしれません。

昨日、暇だったので、ルトガー・ブレグマンの「希望の歴史」という本を少し読んでみました。
人は本質的に善良だという認識で書かれた本です。
そこにプラセボ効果とノボセ効果の話が出ていました。
薬だと思って偽薬を飲めば病気は治り、飲んだジュースに毒が入っていると言われるとおかしくなるという話です。
私は前者を大事にしたい。

まあ水分をたくさん飲めば、脳梗塞は回避できるということを強く信じて、今日は水をたっぷり飲もうと思います。
いま、寝起きの水をコップ一杯飲み干しました。
これから朝の珈琲をマグカップにたっぷり飲みます。普通のカップの3杯分です。
そしてさらに青汁バナナジュースを飲んで…、まあこれだけ飲めば今日は大丈夫でしょう。
血液サラサラの薬も、今日は忘れないようにして。

そういえば、寒い日も気をつけなければいけない。
今日は厚着して、そして靴下も履いて出かけましょう。

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2021/10/21

■節子への挽歌5177:軽い脳梗塞

節子
無事目覚められました。

実は昨日、入浴時にやはり何となくの違和感がありました。
やはり脳梗塞だったのかと、ちょっと気になりだして、食事をしてすぐ寝ました。
食事は、今日は疲れてくるだろうとユカが大奮発して、ウナギとアサリのお味噌汁を用意してくれていました。

ユカは昨日出かける予定だったようですが、私から急な連絡があるといけないのでと予定をキャンセルして自宅待機してくれていたようです。
なにしろ最初に倒れた時点でメールしておいたからです。
その後、スマホは全く見ずに、連絡もしていなかったのも叱られました。

昨夜、同行した鈴木さんからメールが届いていました。
以下、鈴木さんの了解なしで引用します。
その時の様子が、よくわかります。
もちろん私には記憶はありません。

佐藤さんが失神しかけた一回目は突然だったので、
最初はふざけているのかと思ったほどでした。
目はうつろだったし、言葉も出にくくなっているようで
これは尋常ではないと気づきました。
山の中腹でのことだったのでどうなるかハラハラしましたが、
コメダコーヒーで話したときはすっかり元の佐藤さんに戻っていましたね。
仮に脳梗塞だとしても軽い症状だとは思いますけれど、
通っている脳神経外科で一度、今回の件を話して相談されてみてはいかがでしょうか。

これを読んでようやく事態が理解できました。
あの鈴木さんがあれほど厳しかったわけがわかりました。
なにしろ、登りたいという私に対して、動いても立ってもだめだと、私の腕を強く押さえて、鈴木さんらしからぬ大きな声で言うのです。
そのため、登山している人たちが振り返ってしまうほどでした。
いろんな人が声もかけてくれました。
なにしろ登山道の途中で、もめているのですから。

鈴木さんは何でこんなに頑固なのかと言ったら、佐藤さんがこんなに素直でないとは知らなかったと逆に言われました。
あの時の鈴木さんは、本当に私を心配していたのです。
それに気づかずに、勝手に行動していたことを大いに反省しました。

ちなみに、心配して声をかけてくれた人と、その後、山頂で会いました。
登れたのですかと訊かれたので、ロープウエイできましたというと、でも山頂でおまいりすれば同じですよと言われました。
筑波山の女体山は、伊弉諾・伊弉冉を祀っているのです。
その人と友達になりたかったのですが、その人はたくさんの園児を引率していまたから、そういうわけにはいきませんでした。

とても不思議なのですが、山で会う人たちとはみんな友だちになりたくなります。
この文化は、節子の影響かもしれません。

いずれにしろ今日は少し自重して様子を見ることにします。

 

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2021/10/20

■節子への挽歌5176:筑波山登山報告

節子
今日は大変でした。
とりあえずフェイスブックにアップした登山報告を書いておきます。
くわしくは、またあした。

〈筑波山登山報告(公式版)〉
サンダルでの筑波山登山は見事に成功しました
7
時に我孫子駅出発。
菅野さんの車で予定通り9時に筑波山のつつじが丘駐車場到着。
登山口から登山開始。
登り始めから急坂でかなり難航しましたが、気がついたら女体山山頂駅に到着。
天気に恵まれ、スカイツリーや富士山が見える素晴らしい眺望に感激。
山頂の岩の上で近年撮影。
帰路もロープウエイで無事駐車場に到着。
いい1日でした。

010

〈筑波山登山報告(真実版)〉
サンダルでの筑波山登山は見事に失敗。
あやうく脳梗塞で倒れるところを同行者の鈴木さんのおかげで大事に至らず、無事生還しました。年寄りの冷や水は戒めなければいけません。

登山開始後、あまりに急な上り坂で大変だったのですが、20分くらい登ったところで体調がおかしくなり、私だけ遅れてしまいました。
ゆっくりと登ったのですが、心配した鈴木さんが待っていてくれて、何とかそこまで進んでベンチに座った途端に、どうも失神したようで、鈴木さんが看病してくれていました。近くにいた人まで心配してくれていました。
鈴木さんによると、目もどんよりしていて、脳梗塞の感じなのでもうこれ以上は無理なのでここから降りようというのです。
まだ登り始めたばかりなので、もう少しトライさせてほしいと言って、少し休憩後、登りだしたのですが、また足元がふらつき、平たい石に座ったらまた失神しそうな感じで、鈴木さんがもうこれ以上はだめだと強いお達しで、腕をつかんで立たせてもくれません。
鈴木さんがこんなに厳しいとは思ってもいませんでした。

まあ倒れた経験はこれまでも3回あるから大丈夫だと言う私の懇願にもかかわらず、鈴木さんは絶対だめだというのです。倒れても背負って降りられないというのです。
鈴木さんはすでに先を行っている菅野さんに電話して呼び戻しました。
菅野さんが戻るまで30分もかかったのですが、その間、鈴木さんに懇願し続けましたが、許可が出ない。その間、登る人も下りの人も、私の様子を見て、降りるべきだと強く勧めるのです。サンダル履きなのを見て、なんと非常識な登山者だと思われたことでしょう。

幼稚園の園児たちを引率した園長先生は、急な下り坂も危険なので、横歩きで降りるようにとアドバイス。みんな親切で、いろいろとアドバイスしてくれるのですが、みんな鈴木さんの味方なのです。困ったものです。
菅野さんが下りてきて、ここは引き戻すのがいいと決定、有無を言わさず2人に挟まれて下りることになりました。
私の大きなリュックも鈴木さんが持って、私には持たせてくれないばかりか、早く歩くと鈴木さんからもっとゆっくりと怒られるのです。

なんとか登山口まで戻り、ロープウエイで山頂へ上り、女体山山頂まで行き、山頂写真を撮って登頂証拠を捏造。しかし、岩の先端まで行くのはだめと鈴木さんに厳しく注意されました。ここまでくると鈴木さんには異を唱えられませんので、素直に従いました。

まあそんなわけで、サンダル登山は見事に失敗。
鈴木さんはどうもこれを見越して、わざわざ来てくださったようです。
当分、頭が上がりません。いや永久かもしれません。
鈴木さんは、佐藤さんがこんなに素直でないとは、と嘆いていました。

公式報告で「帰路もロープウエイで無事駐車場に到着」と書きましたが、往路もロープウエイだったので「も」になっているわけです。フェイクを見破るヒントは一応入れておきました。
帰宅したら、娘が案の定かと言って、厳しく叱られ、2人に感謝しないといけないと注意されました。今日はどこにも行けずに自宅待機していたそうです。
自分の年齢や体調はしっかり認識しなければいけません。

みなさん、サンダル登山はやめましょう。
脳神経外科にかかっていて、脳梗塞の注意を受けている人は、そもそも登山をやめた方がいいかもしれません。
困ったものです。
しばらくは自重しようと思います。

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■節子への挽歌5175:筑波山に向けて出発

節子

予定通り今日は筑波山に登ります。
昨日は雨だったので迷いはありましたが、すでに一度延期しているので、同行者3人で話しあって、全員合意で決行となりました。
明け方には雨は上がり、日の出もしかりと見える夜明けでした。まさに登山日和です。

朝、7時、常磐線我孫子駅に集合し、菅野さんの自動車で筑波に向かいます。
もう一人の参加者は、杉並から来てくれますが、コロナ騒ぎがなければ毎年、スペインのサンチアゴ巡礼をしている、「歩きのプロ」の鈴木さんですから、安心です。
問題は、間もなく彼岸に旅立つだろう私ですが、彼岸への旅に比べれば、楽な旅でしょう。

大きなリュックには万一の時に備えての靴が入っています。
使わないですめばいいのですが。

陽光を浴びながらいつもより早い朝食を終えて、さて出発。もちろんサンダルです。
富士山と違って、筑波の山は親切で優しいので、私たちを守ってくれるでしょうから、安心です。

久しぶりに小節子も一緒に出発です。

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2021/10/19

■地域で起こっていることに触れると未来が見えてきます

我孫子の南地区社会福祉協議会では毎年、1月に「福祉フェスティバル」を開催しています。

コロナで開催も心配されていたのですが、開催できそうな状況なので、今日、その実行委員会のようなものが開催されました。
自治会の会長になると、必ず社会福祉協議会の委員になるのですが、先週、私は福祉フェスティバルの委員で、当日も役割を担当するスタッフとして参加することになっていることを知りました。
そもそも私はこの福祉フェスティバルに参加したこともなく、どうして寒い時期に開くのだろうといつも疑問に思っていました。
私のイメージでは、フェスティバルは春か夏なのです。
しかも開演が12時からなのです。
私には全く理解できない時間割ですが、その理由も今日お聞きして理解しました。

そんなわけで大きな違和感を持っていたのですが、まさか自分が実行側で参加するとは思ってもいませんでした。
いくつか思うこともありましたが、ともかく今回は割り当てられた役割をきちんと果たすことにしようと思います。
終わった後、いろいろと意見を出そうと思っていますが、楽しみにしている人も多いようです。すでに出しものは8演目決まっていました。

しかし、コロナ対策の影響の大きさは、こうした実際の活動に関わると改めて驚きます。
思うことの多い会合でした。
生活を支えている地域で何が起こっているかを知ると、未来が見えてくるような気がします。

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■政治サロン「民主と共和と立憲―統治のあり方を考える」報告

政治への関心は政局への関心とは全く違うと私は思っています。
でも多くの人は、それらを混同している気がしていて、そのことがいつも気になっています。そこで、政治の捉え方を考え直したいという思いで、政治関係のサロンをはじめ、今回はその3回目でした。

今回の切り口は「統治」。
国家を前提にして生きる時代であれば、その国家がどういうように形成され、どういうルールで運営されているかに関して、改めて考え直すことが大切だと考えたのです。

国家のあり方や運営ルールが、私たち一人ひとりの生活につながっていることは避けがたく、そうであれば、私たち一人ひとりがうそれにどう関わっていくかが、「政治」なのではないか、そのためには、政局ではなく、その根底にある政治に関するリテラシーを高めていく必要があるというのが、私の考えです。
政治の本質は、政局や具体的な政策課題にあるわけではない。

そこで今回は、世の中にある意見を整理して、統治の4つのかたちを提示させてもらいました。資料として添付しますが、「民主」「立憲」「共和」「専制」の4つです。

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前の3つは、日本やアメリカの政党に使われていますが、いずれも「専制統治」から抜け出ようという民主主義志向の歴史の試みを象徴しています。

最初に10分ほど、言葉の意味を説明してから、最後に、「私たちは、今の政治にどう関わっていけばいいか」と問いかけさせてもらいました。
意外だったのは、説明が終わった後、いずれの説明もあまり聞いたことがないと指摘されたことです。私にとっては、ここで整理したことは基本の基本であって、異論や新鮮味など皆無だと思っていたからです。
しかし考えてみれば、こうした言葉はあふれてはいますが、党名に使っている政党関係者でさえ、あまりきちんと語ってはいないようにも思いますし、アメリカの政党にいたっては、建国当初の「民主」「共和」の理念とは似て非なる状況になっているようにも思えます。
ちなみに、政党名に使われるもう一つの概念に「自由」や「公明」がありますが、これは統治概念ではないと思います。むしろ「自由」をどう統治するか、統治をどう「公明」にするかの方法こそが、この4つの概念に象徴されると思っています。

議論はかなり盛り上がり、予定の時間を1時間超えても終わる気配がありませんでした。
でも注意しないとやはり政局や政策課題に話は向きがちです。
しかも、観察的になりがちで、私が考える「政治」とはどうも違うような気がしてしまいました。政治は観察するものではなく、実践することだと思っているからです。

国家や政府はみんなが暮らしやすい状況を育てるために、みんなでつくる仕組みではないのか。つまり私たちは、国家を構成する要素としての国民ではなく、国家を統治する主役でなければいけないのではないか。そしてそれが理念として認められているのがいまの時代状況なのではないかと思うのですが、多くの人はいまなお、国家は私たちとは別次元に存在する第三者として受け止めているような気がします。
だから、国家を批判し非難する。あるいは請願し期待する。
さらに、それがうまくいかずに、国家に絶望し、その結果、統治者の専制に身を任し、愚痴をこぼし、時に非難する、寄生的な存在、観察的な存在になってしまっているのではないか。今回、みんなと話し合っていて、改めてそう感じました。

ちなみに私は、いまの日本は「専制政治」に向かっていると感じています。
国民の多くも、それに賛成している。政治などといった難しいことは専門家に任せ(同じように経済も専門家に任せ)、ワクチンをうてと言われたらワクチンをうち、消費税が必要だといわれたら収入がなくても税を払い、従順に生きていこうとみんな思い出しているようにさえ思えてしまいます。それが幸せなのかもしれません。
しかし、私にはあまりにもぞっとする世界です。

でも幸いに最近はAI政治の可能性が出てきた。
もしかしたらAIが私たちを幸せにしてくれるかもしれません。
ただしこれにも、私はあまり共感できません。
それで、最後に映画「イーグル・アイ」の話も少しさせてもらいました。

サロンの報告というよりも、私の悲観的な思いを書いてしまいました。
サロンでの興味深い話し合いの報告ができずにすみません。これはやはりサロンでリアルに体験してもらわないと文字では伝いにくいです。
もしできれば、添付した当日配布した検討メモを読んでもらえるとうれしいです。
関心を持っていただければ、ぜひまたサロンしたいと思っています。

なお今回の選挙に関して22日に緊急サロンを開催することにしました。
お時間が許せば、ぜひご参加ください。
案内は下記にあります。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2021/10/post-79f82f.html

Touchi20211017

 

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2021/10/18

■緊急湯島サロン「今回の選挙について本気で話し合いましょう!」のご案内

いよいよ総選挙に入ります。
いろいろと見方はあるでしょうが、私は長らく停滞していた日本の政治が、動き出すかどうかの岐路にある選挙だと思っています。
ここは小異にこだわらずに大同で動くべき時期だと思います。

そんな時に、渡辺ビタミン和子さんからメールをいただいたので、総選挙について話をしてもらえないかと打診したところ、ビタミン和子さんから、「私でよかったら、重要なテーマですので、させていただく」と返信をもらいました。実践的に生きているビタミン和子さんであれば、私以上に大きな危機感をお持ちでしょう。
そこで、急遽、サロンを開催させてもらうことにしました。

選挙について、「少しでも主権者として、また人権を持つものとして、平等に、人々が平和・幸福になるように」というのがビタミン和子さんの願いです。

ビタミン和子さんと最初に出会ったのは、平和に向けてのさまざまなグループの結集を目指した集まりの時です。元気のいい人がいるととても印象的だったのですが、その後、命・地球・平和共助・協働ネットワークの代表として、人生をかけて活動に取り組まれていることを知りました。毎月定期的なメルマガも発行しています。
一度会ったら忘れられないほどの強い意志と個性的な表現力を持つ方です。思いは私と通底しているところがあるのですが、私のような生ぬるい活動ではだめだと彼女からは叱られています。それもよくわかります。彼女は何しろ本気ですから。

いま、「選挙についてできる限りの資料を準備し、努めさせてください。できるだけ深く、しかし和やかに進めたいと思います」とメールが来ました。
渡辺さんからもらったサロンのタイトルも、副題に「後悔なく、全力を尽くし、実現しましょう!!」とありました。全く同感です。

はじめにビタミン和子さんから事実にできるだけ基づいた資料からの問題提起があり、それに基づいての話し合いになると思います。
いまの日本の政治がかかわる問題点や、私たちが考えなければいけないことなどの気づきをもらえるようなサロンになればと思っています。

ビタミン和子さんのお人柄とその活動に触れるだけでも意味があると思いますので、急なお誘いではありますが、できるだけたくさんの方に参加していただきたいと思っています。
よろしくお願いいたします。

〇日時:2021年10月22日(金曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇問題提起者:渡辺ビタミン和子さん(命・地球・平和共助・協働ネットワーク代表)
〇テーマ:「今回の選挙について本気で話し合いましょう! 後悔なく、全力を尽くし、実現しましょう!!」
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

 

 

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■第17回万葉集サロン「宮廷歌人の苦悩-笠金村」報告

万葉集サロンも、私たちが慣れ親しんでいる柿本人麻呂など誰でも知っている歌人から離れて、今回は笠金村が主役でした。
私のようにあまり万葉集に親しんでいない者にとっては、どこかで名前を聞いたことがあるような気はするものの、歌は思い出せないという人も少なくないでしょう。
しかし、笠金村は万葉集に45首の歌を残している、宮廷歌人の一人なのです。

升田さんの案内にありましたが、白鳳万葉から天平万葉への、宮廷歌人の歌の変容から、時代の流れや人々の意識の変化に触れるというのが、今回の主旨でしたが、それを象徴する「吉野賛歌」に入る前に、まず、笠金村の「志貴皇子挽歌(2-230232)」を読んでくれました。ところが、これがとても興味深く、話が尽きず、今回は升田さんが用意してくれた資料の半分も進まないうちに時間切れになってしまいました。
したがって、肝心の「宮廷歌人の苦悩」に迫るところまで今回は行きませんでしたが、次回、もう一度、そこを中心に話してくれることになりました。

笠金村の「志貴皇子挽歌」には、すでに白鳳万葉から天平万葉への変容と、そこから生まれつつある新しい世界がしっかりと示唆されています。升田さんは、笠金村の「志貴皇子挽歌」に併せて、いくつかの歌も紹介してくれましたので、それがよくわかりました。

たとえば、柿本人麻呂の草壁皇子への挽歌を読んで、金村の挽歌との序詞の違いや「生と死」の捉え方の違い、また、「懐風藻」にある大津皇子が死に臨んで遺した漢詩と万葉和歌の違い、さらには山上憶良の「世間之道(よのなかのみち)」で終わる、わが子を見送る日々を詠った長歌に感ずる「物語性」など、さまざまな歌を対比させながら、万葉集のなかで歌がどう変化していったかを話してくれました。

書き出したら際限がなくなりそうなのでやめますが、そうした変化の背景には、「ことばの霊力」が消えていき、それに代わるさまざまな「もの」(例えば祭器、織物、仏像など)が生まれてきたということがある。同時に、それは神への依存から人が自律していく過程だったのかもしれません。そこには、仏教の伝来や西域との交流も影響していたというような話も、(確か)ちょっと出てきたような気がします。
それに伴って、歌の意味合いも、スタイルも変わってきた。
そして、意識から意思も生まれ、「人が創る物語」も生まれる機運が生じた。
もちろん人と人のつながりも大きく変わってきたはずです。

そんな大きな流れを、笠金村の志貴皇子挽歌を軸に、升田さんは解説してくれたのです。
万葉集サロンでずっと話題になってきている「た」と「な」と「わ(あ)」の関係も、ようやく見えてきた気がしますが、それはたぶん次回の大きなテーマになるでしょう。

以上はかなり私の勝手な解釈なので、升田さんからは叱られるかもしれませんが、今回はいろんな想像を巡らせることのできる、たくさんの示唆があったような気がします。

今回のサロンで私は、万葉集の歌は最初の頃のものと最後の頃のものとが、全く別物だということを改めて実感しました。
飛鳥・白鳳の歌は神に向けてうたわれ、天平の歌は人に向けてうたわれた。
「た」(多・他)から「な」(他人・相手)が生まれだした。
飛鳥の歌は耳にひびき(身体で受け)、天平の歌は文字で読んだ(理解した)。
だから、万葉集サロンの最初に升田さんが、万葉の歌は目で読むのではなく、声に出して読むのがいいと言った意味が、ようやくわかりました。

ちなみにサロンでは、参加者からもいろんな指摘や問いかけがあり、それもとても面白かったです。ちょっとした疑問が話し合えるサロンの面白さを今回も楽しませてもらいました。

次回の万葉集サロンは1218日の予定です。
最初に簡単な復習をしてもらう予定ですので、今回参加できなかった方もぜひご参加ください。

Manyou17

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2021/10/17

■お時間が許せば今日の午後、湯島のサロンに来ませんか

いよいよ選挙ですが、今日の湯島のサロンは統治について話し合うサロンです。
現在の統治のスタイルは、「民主」「立憲」「共和」、そして誰かへの「委任」だと考えて、それぞれの特質を考えてみようと思います。
昨今の日本人は、「委任統治」に任せようとしている気がしますが、委任先はだれかが問題です。歴史的には、神、預言者(宗教指導者)、哲人、僭主集団、官僚などでしたが(アメリカへの委任もありますが)、どうも近未来はAIへの委任の可能性が高いように思います。
委任統治の場合は、国民の見識は問題になりませんし、政治への関心も必要なく、今の「野党」のように支配者を批判しているだけで十分です。そういう人にとっては、選挙の投票に行く意味はありません。投票したら「責任」が発生するからです。

毎回、投票率の上昇を期待しますが、なかなかそうなりません。
しかし投票率をあげるのはそう難しい話ではありません。
それはいまのワクチン接種の経験を思い出せばだれにもわかることです。
しかし、投票率が上がることは、統治者にはメリットはありませんし、委任好みの国民にも意味がないのでしょうか。

今回の総選挙でもし「政権交代」が起こったとしたら、野党は連立しなければいけませんので(あるいは自民党も含めての連立)、政治の構造が変わります。
そうなれば、政治の捉え方が少し変わるかもしれません。
そんな話し合いを今日のサロンではしてみたいと思います。

雨で寒い日ですが、気が向いたら湯島の話し合いにお越しください。
どなたでも歓迎です。会場は次のところで、2~4時の予定です。

http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf

 

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2021/10/16

■「新しい資本主義」「新しい経済」

岸田さんの提起した「新しい資本主義」が話題になってきています。
実現会議も発足しましたが、そのメンバーからも方向性は少し見えてきました。
15人のメンバーで私が知っているのは一人だけで、しかも面識があるだけで親しくはありません。ただし、その人の実践実績は、私のイメージする「新しい経済」の考えには合っています。まあ、今の資本主義の真っただ中にいる人ではありますが。

「新しい資本主義」、さらには「新しい経済」を話題にするサロンも考えていきたいと思っていますが、視点をちょっと変えるだけでも新しい経済への入り口は開けるように思います。その気になれば、いろいろと見えてきます。

たとえば、「成長と分配」という言葉の、どこに起点を置くかでも、経済も資本主義もまったく違ったものになるような気がします。

これまでの経済(資本主義)は、「成長のための経済」でした。
そこでは「分配」もまた「成長」のためでした。
有名な「フォードの5ドルの神話」があります。
自動車会社のフォードが労働者の日給をそれまでの2.5ドルから5ドルに倍増することで、労働生産性が上昇するとともに労働者が自動車の消費者になって市場が急拡大し、その後の成長につながったのです。
しかし、そこでの経済の目標はあくまでも「資本の成長」「経済の成長」であり、生活者の豊かさは目標ではありませんでした。

それに対して、経済を「分配(再配分)のための経済」と捉え直すと、経済の仕組みは一変します。
再配分のためにもし成長が必要であれば、成長がサブ目標になるでしょうが、必要なければ成長は不要になる。というよりも、成長の基準が変わってくるでしょう。言い換えれば、経済の指標が変わるということです。
そこに「新しい資本主義」の入り口が見えてくる。

もちろん、資本主義を超えた「もう一つの経済」という動きもたくさんあります。
私たちは、今の資本主義経済(金銭基準経済)に浸りきっていますが、つい半世紀ほど前までは日本もまだ金銭がそれほど覆っていたわけではありません。
いまではお金がないと都会では暮らしていけませんが、そういう状況になったのは、ついこの50年ほどの話なのです。
お金に呪縛されない若い世代も出て来ているようですから、資本主義を超えた「もう一つの経済」も実現するかもしれません。
そうしたことを視野において、「新しい資本主義」を考えると、いろんな道が見えてくる。

湯島で「新しい経済」を話題にしたサロンを少しやってみようと思います。そろそろ機が熟してきているように思いますので。

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■湯島サロン「小さいことはいいことだ!の実践」のご案内

「農」も「福祉」も実践しながら農福連携のあり方を実践的に研究している熊本の宮田喜代志さん(熊本地域協働システム研究所相談役)の今年2回目のサロンです。
宮田さんには毎年、1~2回のサロンをやってもらっていますが、そのおかげで宮田さんの活動を通して、日本における農福連携の動きを実感させてもらっています。
その先にはこれからの日本社会のあるべき姿のようなものも垣間見えてくるのが、宮田さんの活動の魅力です。

これまで宮田さんのサロンに参加された方は、ご存じだと思いますが、宮田さんからはいつも「農福連携の最前線」のお話がお聞きできます。
それも知識ベースではなく、宮田さんの実践を通してのものですから、とても生々しくホットなのです。

農福連携というと、なにやら専門的な感じを受けるかもしれませんが、決してそうではなく、宮田さん風に言えば、「小さいことはいいことだ!の実践」、私風に言い換えれば、生活に根差した経済や福祉を考えようということですので、誰でも入り込めます。
気楽にどなたでもご参加ください。

今回は、宮田さんが取り組んでいる小規模事業所のネットワークづくりの話などと併せて、各地で始まっている「小さいことはいいことだ!の実践」に触れあっての宮田さんの「新しい経済」観のようなものも話してもらえると思います。
いま世間では「新しい資本主義」という言葉が話題になっていますが、すでにそうした動きは各地でさまざまに始まっています。そうした現実の動きにも触れることができると思います。

平日の午後という時間ですが、ぜひ多くの人に参加して、宮田さんと触れ合っていただければと思っています。

〇日時:2021年11月9日(火曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「小さいことはいいことだ!の実践」
〇話題提供者:宮田喜代志さん(熊本地域協働システム研究所相談役)
〇会費:500
〇申込先:佐藤修 qzy00757@nifty.com

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■節子への挽歌5174:太陽が戻ってきました

節子

2階のリビングから見える日の出の場所は季節によって大きく移動します。
夏は来たに大きく動きますので、部屋から日の出は見えなくなりますが、秋から冬には見えるようになります。
今朝、久しぶりに日の出を見ました。

Hinode202110162

もう冬も近いのです。
いささかあわただしい気分になります。

太陽が顔を出して20分もしたら雲に覆われて太陽は見えなくなりました。
今日は雲の重い1日になりそうです。

季節が冬に向かうとなると気分も何となく萎えがちです。
こう思うということは、私自身の季節感もようやく戻ってきたのかもしれません。

気温も急に寒くなりそうです。
来週は筑波山に行く予定ですが、また天気がいささか心配です。
今回は、巡礼者の鈴木さんが一緒に行くことになりました。
牛久にお住いのNさんからも案内の申し出があったのですが、今回は辞退させてもらいました。しかしまさかNさんからそんな申し出を受けるとは思いませんでした。
Nさんとは2回しかお会いしたことはありませんが、そこで言われたことはいまもはっきりと覚えています。
佐藤さんは自死遺族の気持ちがわかっていない、と。

Nさんは、パートナーを自死で見送っているのです。
あれからもう10年はたったでしょうか10年は決して長くはありませんが。

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2021/10/15

■節子への挽歌5173:ゾロアスターとペルセポリス

節子

ずっと気になっているゾロアスターの本を2冊読みました。
すべての宗教はゾロアスターに端を発しているという考えをむかし何かの本で読んだような気がしていて、ゾロアスターが気になっていたのですが、万葉集サロンをやってくれている升田さんが、持統天皇の天武天皇挽歌の中に、ゾロアスター教を思わせる歌があると教えてくれたのです。
次の2首です。

燃ゆる火も取りて裹(つつ)みて袋には入ると言わずや面(おも)知るを雲(2-160)

神山にたなびく雲の青雲の星離れ行き月を離れて(2-161)

必ずしもまだ訓も定まっていない歌のようですが、「火を袋に入れるとか星などはゾロアスター教を思わせる」と升田さんは言います。

ゾロアスター教は拝火教と言われるように、火が大切にされていますが、私には同時に「水」もまた大切にされているような気がしています。
その象徴が東大寺二月堂のお水取りです。
その日、二月堂では韃靼の火祭りのような人ともに、若狭の遠敷川から送られた水が主役です。

ゾロアスター教の拝火の祭壇遺跡には、イランに行ったときに節子と一緒に登ったことがあります。
エジプトに並んでイランの旅は私にはできればもう一度行きたい旅です。
今日もゾロアスターの本を読んでいたら、ペルセポリスの話が出てきましたが、印象的な旅でした。イランは、節子もとても楽しんでくれた旅でした。

もう海外に行くことはないでしょう。
イスファハンで購入してきたペルセポリスの写真集を久しぶりに引っ張り出しました。
これからは写真やテレビで海外を楽しむしかありません。
節子といったときに写真もどこかにあるはずですが、あまりにもたくさんあるので探すのも面倒です。
節子が出て来るので、あまり見たいとも思いませんし。

 

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2021/10/14

■節子への挽歌5172:天王台の業務スーパー

節子

最近話題の業務スーパーに行きました。
今日は、筑波山に行く予定だったのに、延期になったので、暇になったのです。

節子の好みではないかもしれませんが、いろいろと面白い商品があるというテレビ番組を昨夜見て、また来たくなったのです。
今日は天王台の店舗で、初めてのお店です。

テレビで観ていた時には、いろいろと面白そうだと思ったのですが、実際に来てみると買いたくなるものがない。
まあいつもそうなのですが、新しい店舗に行くのは好きなのです。
いずれにしろ私は調理はしないので、下手に買い物かごに入れて買ってしまうと、結局は廃棄することになりかねません。

それで今回は遠慮して、殻付き冷凍アサリと1キロのナスの漬物をかいました。
以前一度、ナスの漬物を買ったことがありますが、その時は結局、食べずに廃棄してしまったので、今回はそのリベンジで、必ず食べ終わることにしました。
中国産というので、食べるのは私だけですが。
殻付きアサリはボンゴレでユカが使ってくれるでしょう。

それにしても業務スーパーは安いのです。
最近、わが家の経済状況はかなり悪いようなので、安いお店が増えてきたような気がします。
一昨日の昼食は、一人30円だったそうです。
スーパーで売れ残っていた冷凍うどん(25円)に、前日のカレーの残りを入れた、カレーうどんだったのです。
でもまあ粗食は私の好みです

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■節子への挽歌5172:筑波山登山は延期

節子

今日は筑波山に登る予定だったのですが、昨日の雨で、登山道がぬかるんでいるのではないかということで、延期しました。
一緒に行く人たちとの相談の上だったのですが、今朝起きたらいい天気で、ちょっと後悔しました。
しかし雨の翌日の山道は大変なので、判断は正しかったでしょう。

しかし、正しい判断も、後で思い出すと「後悔」することは少なくありません。
節子に関する思い出のほぼすべては、そうした気持ちに覆われています。

過去がすべてバラ色に輝いている人もいますが、
過去がすべて悔いに満ちている人もある。
まさに過去は「現在と未来」の反映です。
その時は、いつも、迷いながらではあれ、最高の判断をしていたはずなのです。
でも今から思えば、それは実に怪しい判断でしかなかった。

そうやって人はいつも判断に迷い、間違いながら、生きている。
それがAI的人生と人間的な人生の違いかもしれません。

登山は来週にしようと思いますが、なかなか日程調整ができません。
今日は、そんなわけで、ちょっと気が抜けて1日を過ごしました。

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2021/10/13

■筑波山登山隊員緊急募集のご案内

1014日に筑波山に登る予定でした。
しかし、今日の雨のために、延期しました。
雨の翌日の山のことは、私も少しは知っていますので。

そこで、19日に決行しようと思いますが、残念ながら、リーダーを期待していた吉本さんがどうにも都合がつかなくなりました。そこで、菅野さんと2人でと思いましたが、いささかの不安もあるので、できればもう一人、誰か「頼りになる人」が一緒に行ってくれるとうれしいと思い、呼びかけすることにしました。

なにしろ、同行者は「最近山には登っていない筑波山初体験の人」と「サンダルで登ると言い張っている老人」ですから、何が起こるかはわかりません。
どなたか「頼りになる人」で、よほどお暇な方はいないでしょうか。

出発は、常磐線我孫子駅午前7時集合で、コースはつつじが丘駅から女体山に登る「おたつ石コース」(1時間半)です。
上りは歩き、下りはロープウエイの予定です。
それ以外は、行き当たりばったりです。
天気はどうも大丈夫のようです。

もし一緒に行きたいという方がいたら、私までご連絡ください。
ちなみに、何が起こっても責任はとれませんが。

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■節子への挽歌5171:娘にお相伴

節子

今日はユカにお相伴させてもらいました。
先日、義姉が体調を崩した時に、ユカが病院への送り迎えなどをしたお礼に、お昼をごちそうしてくれたのです。私もそれにお相伴させてもらったわけです。

兄夫婦は私と同じ我孫子に住んでいますが、兄の娘たちはいずれも遠くに住んでいます。
兄は今年になって自動車の運転をやめたので、時にユカが役立っています。
兄夫婦を見ていると、娘たちと一緒に暮らせている自分の幸せさを感じます。
とりわけ私は、生活力がありませんので、一人での生活は予想もできません。

兄の娘からもお礼のお菓子が届きました。
いとこが親の近くに住んでいるのは、安心材料かもしれません。
幸いにまだ兄家族とはこうして付き合いがありますが、いとこ家族との付き合いはほとんどありません。
それぞれに遠くに住んでいるので、いとこ同士もめったに会うことはなくなりました。
いささか寂しい気もしますが、それ以上に、安心感という意味でも、やはり血のつながりは何やら特別の意味をもっているのかもしれません。

私と兄とは、2人だけで会うと必ず言い合いになりますが、娘を介すれば平和です。
生き方も考え方も違う兄弟ですが、そのくせしばらく連絡しないと電話がかかってきます。
兄弟や家族とは不思議なものです。

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■節子への挽歌5170:気温が下がると気分も下がります

節子

天気が崩れてしまい、昨日から雨です。
14
日に筑波山に登る予定をしていたのですが、今回は延期することにしました。
雨の翌日の山にはあまりいい記憶はありません。
ようやく日程調整して決めていたのに、残念です。
万一のことを考えて、9日に開催した講演会が終わってからとしていたのが失敗でした。
やはり思ったことは、すぐやらなければいけません。
できれば来週、決行したいですが、一人ではいささか気が重いので、調整待ちです。

自治会の集まりも、コロナ制約が解除されたので開催可能になったのですが、なんだか気が抜けてきてしまいました。
会場取りは難しくなり、気温が下がると人間の活動気分も低下しがちです。

私は、その気になった時にやらない後どうもダメなタイプです。
困ったものです。

今日は策さを感ずるほどです。
身体がなかなかついていけません。
体調を崩さないようにしないといけません。

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2021/10/12

■10月第1回オープンサロン報告

テーマなしの気楽なオープンサロン、それも平日の午後の開催でしたが、今回も8人の人が集まりました。
湯島に集まる人は、最近はフリーランスの人が多いこともありますが、組織に所属しながらも、土日は休めないとか午後なら平日でも参加できるとか、人によってそれぞれなのです。
働き方の多様化はたしかに進んでいるのかもしれません。

オープンサロンはテーマがないので、来た人が勝手に話題提供するというスタイルです。
話題提供と言っても、別に難しい話ではなく、無駄話が多いのですが、いつも話が途切れたことはありません。
それぞれが近況を話すだけで、話し合いは広がっていくのです。

後半は、前回も話してくださったのですが、住んでいる街を楽しくしようという活動に取り組んでいる竹形さんの構想がまた一歩前進したというので、それが話題になりました。全国展開も考えている竹形さんの構想はとても魅力的です。
すでに竹形さんは、フェイスブックに「誰にでも使いやすい地域SNSを作ろう」というグループを立ち上げて、公開しています。関心のある人はぜひご覧ください。
竹形さんは各地で取り組んでくれる仲間を探していますので、興味を持った人は竹形さんに問い合わせてみてください。

オープンサロンは気楽で、いいです。
それに、テーマなしで話している方が、お互いのつながりは深くなりそうです。
テーマを意識して議論を方向づけたりしなくてもいいし、報告も心配しないでいいし、私も楽です。もっとも、最近はテーマがあっても、あまり意識せずに、成り行き任せになっているような気がしないでもないですが。

10月は30日にもう一度、テーマなしのオープンサロンを予定しています。
テーマを乗っ取りたい人はどうぞ。

Open20211011

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■節子への挽歌5169:ムクドリたち

節子

またムクドリがにぎやかです。
夕方の我孫子駅はとても騒々しいのですが、今朝はわが家のまわりでも朝早くからムクドリがにぎやかでした。

鳥というと思い出すのが、節子が残した言葉です。
もう声が出なくなった時に、苦労して神にメモした言葉が「また鳥や花になってちょいちょい戻ってくる」というものでした。
その時には、なんで「鳥」なのかと思ったのですが(私はあまり鳥が好きではないのです)、前にも書きましたが、その後、とても納得しました。
鳥は、霊をあの世からこの世に運ぶものなのだそうです。

白川静さんの本で前に知ったことですが、中国の昔の甲骨文には鳥がよく出て来て、「鳥形霊(ちょうけいれい)」という考えがあるそうです。
たしかに鳥は遠くに飛び立っていくとともに、渡り鳥のように、また戻ってくる。
それに、鳥によって遠くの植物の種がやってくることもある。これはまさに生命を運んでくると言っていい。
私たち人間よりも、空間的な次元は一つ上のようにも考えられますから、次元を超えた存在とも言える。
彼岸と此岸をつなぐ存在と考えても不思議はない。

節子が、あのメモを書いたとき、節子はすでにそうした鳥の姿を見ていたのかもしれません。そうでなければ、あえて「鳥」とは言わなかったように思います。「花や蝶」というのが自然です。

しかし不思議なもので、最近は鳥嫌いではなくなってきました。
鳩は相変わらず苦手ですが、ムクドリは許せる。
騒々しい鳴き声も苦にならない。
私も間もなくお世話になるからかもしれません。

朝、うるさいほどに騒いでいたムクドリも、昼間はいなくなり、今は鳴き声も聞こえません。
彼岸に行っているのでしょうか。

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■山本太郎さんが立候補する選挙区を変えたそうです

山本太郎さんが立候補する選挙区を変えたそうです。
どうも立憲民主党とのコミュニケーションのずれが原因のようです。
これでまた政権交代が一歩遠のいた気がして残念です。
この騒動にはだれかの「意図」も感じますが、組織の恐ろしさも感じます。

自民党にはさまざまな人や思いや政策が含まれていて、最近はかなり統制が進んでいるとはいえ、日本社会の縮図になっています。つまり自民党のなかには、「与党」も「野党」も同居している。それが自民党政権が続いている理由だと思います。日本における実際の政治アクターとしての政党とは自民党のなかの派閥なのではないか。
ですから、菅政権から岸田政権への移行は、ある意味では「政権交代」とも言えるような気がします。

いまの野党は、共産党とれいわ新選組以外は自民党の派閥やグループとそう違わないような気がします。
鳩山民主党は野党としての自立を図ろうとしましたが、鳩山さん以外の閣僚の多くは相変わらず自民党からの派遣社員意識でしたから、結局はトロイの木馬のなかにいた野田元首相によって、外様自民党に立ち戻りました。

いま野党連合が構想されていますが、自民党のように各党が派閥グループになって、第2自民党をつくらない限り、今の政治のスキームでは、政権交代は起こりようがありません。
しかし、自民党がまたかつてのように、ゆるやかな政策集団(派閥)構造に回帰したら、野党は現在のような外部応援団として、ますます寄生的にしか存在できない存在になるでしょう。

政治家のための政治から国民のための政治になるためには、改めて「政権交代」の意味を問い直す必要があると思います。
私は早く日本も、ミャンマーや香港のような民主志向国家になってほしいと思っています。後進国の日本人が、彼らから学ぶことはたくさんあります。

山本太郎さんの今回の騒動には、個人の信頼関係がベースの組織と個人の責任回避をベースにした組織とのギャップを感じます。
それはそのまま政治パラダイムに重なっている気がします。

また「政治パラダイム」をテーマにしたサロンを開きたくなりました。前回はあまりに伝わらなかったので、気が萎えましたが、もう少し説明力を高めたいと思いますので、よかったら参加してください。

 

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2021/10/11

■第11回益田サロン「生きているということはどういうことか」報告

益田サロンは湯島のサロンでも独特で、いつも、禅問答のような雰囲気があります。
しかもなぜか私が益田さんの問いかけに乗せられて余計なことを話して、混乱することも少なくありません。異論のぶつけ合いから、議論が空回りして話し合いが深化しないことに異議申し立てが出ることもあります。
益田さんは何かを教えるのではなく、みんなが考える材料を、時に挑発的に、また暗示的(不親切にとも言えます)に提起するので、参加者はそれぞれ、自らで考えなければいけないのです。湯島のサロンの精神にぴったりですが、疲れます。

そんなわけですから、報告が難しい。

益田さんは、今回は手づくりの起き上がりこぼしをもってきて、復元について語りだすことから始めました。ついでに、コマもみんなに配って、各自回すように言いました。
起き上がりこぼしは傾けても、まっすぐに立とうとする。つまり、「復元」する。
コマは回っている時にはしっかりと立っているが、回転が止まると倒れてしまい、動かなくなる。回転は復元している状態、止まった時には復元作用が止まる。
そこから「生きるとは何だろう」という話がはじまりました。

禅問答のようでしょう。しかも切り口はたくさんある。
起き上がりこぼしの場合は、復元する「元」とはなんなのか。それは「関係(環境)との関係」「状況」であって、起き上がりこぼしそのものではない。
コマも回っている時には、復元が繰り返されると捉えられるが、回らなくなって倒れたら、復元は起きないが、変化も起きない。
話は、そんな感じでややこしく展開しました。

物理原則と生命原則は違うのではないか、しかし生命現象も物理原則からは自由にはなれない、いや、そもそも物理世界と生命世界は、分子レベルでつながっているのではないか。さらに、分子生物学を超えて、意識とか意思、あるいは精神や霊魂があるのではないか、と話はどんどん広がっていくのです。

いつものように、生命と環境、地と図の話が出ましたが、地と図の境目に関しては「あわい」の話も少し出ましたし、どこまでを「図」と考えるかで議論は全く変わるという話も出ました。

前回も話題になりましたが、時間軸の話も出ました。
復元とは、過去の自分を今に取り戻すことというような話も出ましたが、このあたりになるとちょっとした言葉遣いで人によって受け取り方が微妙に違うかのせいがあるので、言葉で表現するのが実に難しい。
もちろん、生命の特徴としての「自己複製」も話題になりましたが、復元性と複製との違いも興味深いテーマだと思います。

とこう書いても、なかなか議論の内容は伝わらないと思いますので、やめますが、ともかくさまざまな視点からの話し合いが無限に広がりそうな雰囲気でした。

今回は21歳から80歳と幅広い年齢層が参加していましたが、世代によって「生きている」ということの捉え方は違うという話も出ました。
つまり、生きて来た人と生きて行く人とでは、同じ「生きているとはどういうことか」の答えも違うようです。
それはまた「死」にも関わっています。
しかし、それはどうも年齢だけの問題ではなさそうです。
自分の問題として「死」は実感できずに、いまから思えば、無謀なこと(例えばバイクの疾走や登山)をしてきたが、いまはもうできないという元若者もいましたし、一度、実際に死の恐怖を感じたのがきっかけで生きることを考え出したという現若者もいました。

まだまだ面白い切り口や問いかけもあったのですが、際限がありません。
そこで、最後に、私の考えを書かせてもらいます。

永六輔作詞の「生きているということ」という歌があります。
出だしはこうです。
「生きているということは、誰かに借りをつくること」

これこそ、まさに今回のサロンの問いかけの答えだと、私は思います。
そして、歌は「生きていくということは、その借りを返していくこと」と続きます。
そう考えると、自分の命だからといって勝手には扱えません。

私は、この歌に「生きていること」の意がすべて凝縮されているように思っています。
もしお時間があれば、実際に永六輔さんが歌っているので聴いてみてください。
そして、改めて、生きていることの意味を、考えてみてもらえれば、と思います。
https://www.youtube.com/watch?v=Gt8posdmTaM

ちなみに、10月24日に開催予定の「「贈与」を考える」サロンでも、このテーマをさらに少し違った視点で考えたいと思っています。
ぜひご参加ください。

Masuda11

 

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2021/10/10

■「政権交代」がなにやら怪しくなってきましたが

総選挙に向けての政党の活動がはじまりだしました。
今回は「政権交代」につながるだろうと先月までは考えていましたが、いささか弱気になっています。
まともな野党がほとんど出てこない一方で、岸田さんが変身した気がするからです。

日本のいわゆる「野党」は、相変わらず権力非難ばかりしていますので、聞いていて嫌になります。非難はもう聞きたくないのです。非難する前に自らをもっと反省してほしい。非難することで、自己を守っている限りは何も生まれないでしょう。自己反省や成長も生まれない。野党の意味がない。

自らの政策を打ち出しているのですから、それだけを語ればいい。その政策と重なる自民党の主張には賛意を示し、支持すればいい。それができない限り、私には野党を支持したくなる気持ちは出てこない。私の関心は、権力闘争ではなく、私が生きている社会がよくなることですから。政権交代を期待するのはそのためです。
しかし先の民主党政権のように、野田さんのような首相(核を是認し消費税を加速させた)を出すようなら、政権交代はリスクが大きすぎます。

それに比べて自民党には期待が出てきました。
もしかしたら、岸田さんは核廃絶条約に署名するかもしれない。
いち早く総裁選に名乗りを挙げた岸田さんなら可能性はゼロではない。
現実の呪縛から抜け出せるかもしれません。
それもこれも私たちみんながそう「期待」することではないかと思いますが。

政権交代を諦めているわけではありませんが、悩ましいこの頃です。
もちろん私の投票先はいつものように決まっていますが。
日本には、野党は一つしかないと思っているからです。

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■講演会「ファースト侍!平将門さまとは」報告

先日、ご案内した我孫子のコホミン(湖北公民館)での、カール・フライデーさんをお呼びしての講演会「ファースト侍!平将門さまとは」は昨日、たくさんの参加者のみなさんのおかげで、盛況でした。

ご案内の通り、今回の企画は、平将門の居館は我孫子の湖北にあったという、戸田さんの新説に共感した人たちの集まりから始まりました。
我孫子の文化を守る会のメンバーでもある芦崎さんが中心になり、いろいろな人がゆる~くつながりながら実行委員会ができました。そして、みんながそれぞれに役割分担し、苦労しながら、そして楽しみながら実現したイベントでしたが、おかげさまで定員ぎりぎりの120人を超す参加者がありました。

講演会と言っても固い雰囲気ではなく、主催者側も参加者も、みんな楽しい時間を持つことを大切にしたのですが、オープニング直前に「謎の侍」が乱入するなどのハプニングもあり(当日直前に思いついた実行委員の即興でした)、参加されたみなさんも、これはちょっと楽しい講演会だなと感じてくれたと思います。

つづいて、フライデーさんの「王になろうとしなかった男 平将門の歴史的な意義」と題する講演でしたが、フライデーさんは日本語のパワーポイント作ってきてくださり、お話も日本語でやってくださいました。
タイトルの「王になろうとしなかった男」というのは、日本でよく言われていることを反転したタイトルで、そこにフライデーさんの姿勢がしっかりと表現されています。
講演を聴いた後、日本人とは違うとらえ方に触れて刺激的だったという人も少なくありませんでした。将門のイメージを変えた人もいました。
今回はあまり強くは出ませんでしたが、フライデーさんは研究者としても、ちょっとしゃれた感覚(詩的な遊び好き)をお持ちの方のようです。

つづいて、フライデーさんと参加者との話し合いのセッションでした。単なる質疑応答ではなく、フライデーさんと親しく交流するというスタイルでしたが、いろんな意見があり、予定の時間を超えても、まだ話し足りない感じでした。
そのセッションでは、そもそも今回の講演会の起点になった、我孫子に将門の館があったと言い出した戸田さんからもその説の紹介がありました。
フライデーさんも、その説に興味を持って、また改めてその痕跡を歩くことを約束してくれました。フライデーさんが世界に向けて広げてくれるかもしれません。

将門にちなんで和菓子を創作してくださった福一さんの「将門餅」も希望者には紹介させてもらいましたが、これを契機に我孫子でも将門ブランドが広がるといいのですが。

今回は、「市民のチカラ」のイベントの一つとして取り組んだのですが、市民たちの思いや活動が集まるといろいろなことができることを改めて感じました。市民活動は楽しまなければつづきません。
新しい市民活動をめざして、これからも将門プロジェクトは続いていくと思いますが、仲間を募集しています。将門で楽しみたい方がいたら、ご連絡ください。

なお、今回のプロジェクトが立ち上がるきっかけにもなった、住民主役の開かれたプラットフォームをめざす「(我孫子・柏)まちづくり編集会議」の活動にも是非関心を持ってもらえるとうれしいです。

 

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2021/10/09

■節子への挽歌5168:久しぶりに公開イベント

節子

今日は我孫子の湖北で、将門関連の講演会でした。
今回はできるだけ実行委員会の実作業には関わらないようにしていましたが、最後にやはり関わらざるを得なくなり、話し合いのセッションを引き受けることにしました。
久しぶりだったので、靴を履いていきましたが、みんなからは、今日はサンダルじゃないのですか、とか、靴を持っていたのですか、と言われてしまいました。
ちなみに今日の会場は、フラットな会場ではなく、壇があるホールでしたので、壇上では裸足でもよかったので、靴でなくてもよかったかもしれません。

実行委員長の芦崎さんの頑張りで、予想を超えた参加者で、満員になりました。
最後に近づくにつれて、次第に私好みでの自己組織的な展開になり、それぞれが大変さの中に楽しさを感じてくれたのではないかと勝手に思っています。
コムケア時代を思い出します。

講師はアメリカ人のカール・フライデーさん。
私は初対面でしたが、はじまる前にミニ・ミーティングをして心を通わせ合いました。
ともかく気楽に楽しくやりたとお伝えし、呼び方も「フライデーさん」と呼ぶことにさせてもらいました。

講演は、将門に関してのしっかりと自己主張のある内容でした。
その後話し合いのセッションに入りましたが、マスクをしての発言の上に、音響が壇上ではとても聞きにくく、半分は勘に頼っての受け答えでしたが、何とか私好みのカジュアルな雰囲気で勧められました。

いろんな人がまさにコンヴィヴィアルに動いて、うまく進んでいく。
こういうことを体験すると、意識が変わっていくのですが、固い組織で生きてきた人はなかなか解きほぐしにくいのです。
でも今回は少し感じてくれたのではないかと期待しています。

私は今回はずっと横にいましたが、それでも最年長だということで、みんなが助けてくれました。
久しぶりにちょっと昔を思い出しました。
地元の活動はもう引こうかなと思っていましたが、またちょっと意欲が戻ってきました。
でもまあ次の世代に引き継ぐのがいいでしょう。

フライデーさんはとても気さくな素直な人です。
一度また彼と我孫子を歩きたいと思います。

 

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2021/10/08

■節子への挽歌5167:血圧が正常値になっているようです

節子

気がついたら、降圧剤がありません。
それで慌てて、遠藤クリニックに薬をもらいに行きました。

相変わらず最初の言葉は、毎日薬飲んでますか? でした。
全く信頼されていない。
毎日飲んでいるので薬がなくなりましたと、これまたわけのわからない返事をしているうちに、血圧測定が完了。

140/70という優等生数値だと思ったら、念のために左手もという。
150/80に上昇。
毎日測ってる? と訊かれ、家最近は調子がいいので測っていませんと答えていると、また右手を測定。
ついに160になったようで、本当は投薬を増やしたいというのです。

私はむしろもう薬はいいのではといいたかったのですが、別に遠藤さんは薬で利益を上げようなどと思っているのではなく、私の身体を心配してくれているのがわかっているので、まあ今は調子がいいので、とやんわりと回避。
遠藤さんも、副作用で歯茎をやられると悪いしね、と同意して、今回も平和裏に降圧剤だけをもらいました。

それにしても血圧はどうも正常値に戻っているようです。
まあ自宅では全く測らなくなっているのですが、脳神経外科で名戸ヶ谷病院に行って測ると、いまもまだ結構高いのですが、なぜか遠藤さんでは低く出るようです。
血圧も、その時々で大きく変わるようです。

明日の準備はまあ何とかなると思って、気を抜いていたら、実行委員長の紫崎さんから電話があり、明日の準備についていろいろと報告がありました。
私が最年長なので、みんな報告してくれるのでしょうか。
しかもその最後に、話し合いのセッションは佐藤さんに任せているので、といわれてしまいました。
やはりきちんと準備しないといけなさそうです。

しかし問題は、着ていく服がないことです。
スラックスを出してみたら、油のシミがある。
ジャケットはいささか夏物っぽい。
これから買いに行くわけにもいかず、ユカからなんでもっと早く準備しておかないのと怒られました。
節子がいたら、こういうことにはならないのにと思いましたが、いやそうでもないかという気もします。

スラックスを洗濯してもらいましたが、あまりに大きな油のシミなのできれいになりません。だからといってスーツはおかしいので、やはり恥を忍んで、シミつきスラックスで出かけることにしました。
9月か11月だったら、きちんと着ていく服があったのですが、これは不覚でした。

衣服ももう少し気を使わないといけません。
困ったものです。

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■節子への挽歌5166:大きな地震に気づかずに寝ていました

節子

昨夜、大きな地震がありました。
午後1041分です。震度5強の大きな地震だったようです。
ところが、私はちょうど寝付いたところだったようで、まったく気づきませんでした。
朝、テレビを見てはじめて知りました。
メールを開いたら、地震お見舞いのメールまで届いていました。
電話も何人かからかかってきました。

まあ我が家は、たぶん何事もなかったのですが、それよりも問題は、そんな大きな地震にもかかわらず、まったく気づかずに寝ていたことです。
そういえば、半分夢のような感じですが、外で何か防災放送がされていたような記憶が残っています。
ちなみに、わが家で地震に気づかなかったのは、私と5歳のにこだけでした。
幸せというべきか、困ったというべきか。

昨日は、寝る直前までいろんなことがありました。
もちろん地震とは全く関係のない、しかし人間関係の地震のような話がいくつか重なって、どう対処していいか悩ましい1日でした。
でもまあ何とかそれらも対応して、安堵しながら眠ったのですが、それでめずらしく熟睡していたのかもしれません。

不謹慎ですが、もし昨日の地震でベッドに接しておいてある書棚が倒れてきたらどうなっただろうかとふと考えました。
娘家族との同居のため、書庫と書斎と寝室を一つにまとめてしまったので、今はベッドのすぐ後ろに書棚を置いています。倒れないようにする工事をしていないので、いささか危険かもしれません。その書庫の後ろには、天井までの書庫を重ねていくつかおいています。
これまであった備え付けのお気に入りの書棚はすべて壊してしまい、そこにあった書籍の多くをその書棚に詰め込んでいます。かなり整理したのですが、なかなか廃棄できずに、まだかなりの本が残っていますので、その書籍に圧殺される可能性はないわけではありません。

もしそうなったらどうでしょうか。
節子がいたら、私らしい死に方だと笑うかもしれません。
突然の災害で、眠ったまま死んでしまう。自分にとっては幸せかもしれませんが、遺される人にとっては迷惑この上もないでしょう。
やはり書籍は早く整理しないといけません。でもなかなか別れがたい本がたくさんある。
とても不思議なのですが、時々、埋もれた書棚の名から、ある本が呼び掛けてくるような気がするのです。

それにしても、昨日のような大きな地震にも気づかずに寝ているということは、何を意味するのでしょうか。
そんなことはこれまでなかったことです。

最近いろんなことを深く考えてしまう傾向が出てきています。
これもまた意味があるのかもしれません。

明日は、地元でイベントがありますが、その準備が全くできていない。
それに考えてみたら、さすがにいつものような格好で参加するわけにはいかないことに気づきました。
靴や服はあるでしょうか。
さすがにいつものような格好は憚られます。
着る物がなければ買いに行かなくてはいけません。
明日の準備どころではなく、忙しい1日になりそうです。

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■湯島サロン「好奇心は人を変えるか」のご案内

最近、「生きるとは何か」を大きなテーマにしたサロンを続けていますが、今回は「好奇心」を取り上げることにしました。
というのも、数年前から大学院に通いだしていた、私の長年の友人(経営コンサルタント)が、博士課程に入った今年から「好奇心」にテーマを絞って、興味・関心、好奇心が人をどう変えていくのかに取り組みだしていることを知ったからです。

その友人は、もともと好奇心も旺盛だったし、その好奇心が構想する世界もとても豊かなものだったのですが、その彼が改めて「好奇心と自己変容」に取り組みだしたということは、まさに私の「好奇心」を揺さぶったのです。

その友人、加藤誠也さん(()ダイナアーツ・インターディベロップメント代表)は、長年、企業変革の分野で活動を続けていますが、「なぜ人と組織は変わらないのか」というのが、加藤さんの根底にある「問い」だそうです。
おそらく加藤さんは、これまでもさまざまな変革事例に出合っているはずですが、たぶんそうした事例に出合えば出合うほど、この「問い」は深まるような気がします。
時代環境のなかで生きている人や組織であれば、当然、自律的に変化していくはずですが、なぜか逆に変化に抗ったり、守りに入ってしまう。
これは自分の生き方を顧みても、思い当たることではないかと思います。

いささか小難しいことを書いてしまいましたが、今回は加藤さんがなぜ大学院に入ってまで、改めて組織心理学を学び、好奇心の問題に取り組んだのかという、個人の物語も含めて、「好奇心と生き方」について、問題提起していただき、みんなで話し合えればと思っています。

また敷居が高くなるような案内文になってしまいましたが、いつものように気楽なサロンですので、好奇心への好奇心のある方はもとより、好奇心が最近は衰えたなという方も、ぜひ気楽にご参加ください。

〇日時:2021年11月7日(日曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇講師:加藤誠也さん(()ダイナアーツ・インターディベロップメント代表)
〇テーマ:「好奇心は人を変えるかーなぜ人と組織は変わらないのか」
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

 

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2021/10/07

■節子への挽歌5165:「今日という日のめぐりあわせも感じずにはいられません」

節子

今日もまた、何か大きな意図を感じた日でした。
といっても私自身のことではありません。
若い友人と会う約束をしていたので、湯島に出かけました。
話は思ってもいなかった方向に行きました。
彼の家族関係の話です。

彼は、そんな話をしに来たのではなかったのですが、彼の最近の生き方に私はちょっと違和感があったので、その話がピンときました。
仕事と家庭の両立に関わる話です。

私のことではないのであまり深く書くわけにはいきませんが、仕事とは何かにも関わる話で、今朝、時評編に書いたことにもつながります。
仕事は本来楽しいものでなければいけない。だから仕事は独占すべきではない、というようなことを彼に話しました。
その言葉が彼の心に響いたようです。

彼は生き方を変えようと決めたようです。
ところが、そう決めたとたんに、家庭も職場も、彼が思ってもいなかった方向に転じたのです。
彼と別れて1時間後に、家族のことでの連絡があり、その1時間後に職場のことでの連絡がありました。
彼からこんなメールが来ました。

自分一人ではない人生、とても難しいものです。
しかし、今日という日のめぐりあわせも感じずにはいられません。

まあこう書いても、いったい何のことかわからないでしょうが、彼は家庭でも仕事でも、今日、大きな転機に立ってしまったのです。
まさに私と会った日に。
私までもが気分的に巻き込まれてしまった気さえします。

彼はまだ30代だと思いますので、うまく乗り切るでしょう。
外からはとても恵まれた幸せの家族です。
でも私にはちょっと気になることがありました。
注意しないと袋小路にはまってしまう。
それが今日、会う気になった一因です。

延び延びになっていたのですが、今日、ようやく会えました。
今日、彼に会えたことに運命を感じます。
こういうことが時々起こります。

やはりお天道様はすべての人を見ているようです。

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■ストーリーテリング協会主催のワークショップのご案内

今回は湯島サロンではなく、ストーリーテリング協会主催のワークショップのご案内です。
時間帯や参加費などはサロンと違いますので、ご注意ください。
また定員制ですので、参加者は必ず事前にお申し込みください。
以下、案内です。

〈仲間と物語りを創るワークショップのご案内〉

ストーリーテリング協会主催の「物語りを共創するワークショップ」を湯島で開催します。

ストーリーテリング(story-telling)とは物語り、また物語りを語ることを指します。
テレビドラマの水戸黄門は、水戸光圀を主人と仰ぐ助さんと格さんがご老公を支えながら諸国を巡り、悪者を退治する勧善懲悪の物語りです。
毎回、ほぼ同じパターンでストーリーは展開しますが、視聴者は飽きることなく40年以上に渡ってドラマを見続けました。

一つの起承転結のパターンであっても人々が視聴を続ける背景には物語りという手法が持つ不思議なパワーがあります。私たちは、そのパワーを6つに要約してみました。
アリス効果、フェイバー効果、ムービー効果、浸透効果、メモリー効果、トランセンド効果です。
この6つの特性を持つ物語りという手法を利用して、人と人との関係を変えることをストーリーテリング協会の目標と定め、試行錯誤を重ねてきました。
そして協会設立から数年の活動を経て、職場や地域のメンバーである個人の物語りを、ある試験管に入れて触媒を加え、私たちの物語りに転化させる一連のプロセスを見つけました。

「私の物語り」は、それ自体が個人の日常の出来事の紹介に過ぎませんが、「私たちの物語り」に昇華することで個人の出来事や体験が、組織やグループの新しい展開や活性化に役立ち、そして時には大きな改革をもたらします。
今回は「マイストーリー(私の物語り)をアワストーリー(私たちの物語り)に」と題して3時間のワークショップを開催します。

チームビルディング、ファシリテーション、組織改革・・・といったキーワードに関心をお持ちの方にお勧めですが、この度、紹介するストーリーピラミッドという玩具を使って何か楽しい遊びが出来るかも・・・とお考えの方にもお勧めします。

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なおワークショップでは写真の玩具を使うので参加者数を8名までとさせていただきます。時間も通常のサロンは2時間のところを3時間と長く設定しています。
皆様方のご参加をお待ちしています。

〇日時:2021116日(土曜日)午後1時~4
★途中参加はワークショップの流れに乗れませんので5分前にお集まりください。
〇会場:コンセプトワークショップ湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇ファシリテーター:吉本精樹(ストーリーテリング協会代表)
〇照会・申込先:yosimotoseiki@gmail.com(吉本)
〇参加費:1000円(詳細資料代を含みます)

 

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■「今日の仕事は楽しみですか」

今朝のテレビで、ある企業が品川駅の構内に出したメッセージ広告に関して、ネット上で炎上し、1日でその広告が片付けられたということを知りました。

問題になった広告は
「今日の仕事は楽しみですか」
というメッセージです。

私には、なじめるメッセージですが、多くの人にはあまり気分のいいメッセージではなかったようです。たしかに、受け手の気持ちに寄り添っていない、目線の高いメッセージですから、不快になる人が多いでしょう。

ただ、そのメッセージには、続きがあるのだそうです。
テレビの画像からは、どこに書いてあったのかわかりませんが、テレビ報道によれば、次のような言葉で始まる文章がついていたようです。

今日の仕事が楽しみだと、
思える仕事が増えたら、
この社会はもっと豊かになるはず。

これにはそう異論はないでしょうが、この文章は宛先がありませんから、メッセージにはなりません。それに、私には文章としてもおかしいような気がします。
2行目は「思える人が増えたら」でしょう。
それに「豊かになる」とはどういうことか、もよくわからない。
広告を出した経営者の善意は疑いませんが、管理者目線の独りよがりにはちょっと違和感があります。

私が以前、企業変革に取り組んでいた頃、みんなで議論して、自分たちの会社を「月曜が楽しい会社」にしようと決めた会社があります。
その会社の将来に大きな期待を持っていましたが、残念ながら経済環境の激変から、その会社は倒産してしまいました。
私は、せっかくの理念を活かせば倒産は免れたと今でも思っていますが、この会社の理念と今回の品川駅での広告メッセージを比較すると、大きな違いがあります。

というわけで、今度、湯島のサロンで、この話題を取り上げようと思います。
ちょっと表現を変えて、「あなたは仕事が楽しいですか」。
どなたか問題提起したいという方がいたら、ご連絡ください。

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2021/10/06

■自国民ファーストの「国民国家」洗脳から解放されたい

気象学者の真鍋さんがノーベル物理学賞を受賞したことはうれしいニュースです。
しかし、私は「日本人がノーベル賞をもらったこと」にうれしさは感じません。
というよりも、この時期になると、日本人は受賞するかどうかが話題になりますが、とても違和感があります。
娘に、どうして日本人がノーベル賞をもらうとみんな喜ぶのかと訊いてみましたが、納得できる答えは得られないどころか、そう考えることがおかしい、とまた変わり者扱いされました。

ノーベル賞に限りません。
オリパラでも、日本人が金メダルを取るとみんな喜ぶ。
私には全く理解できない。
というよりも、国同士で競い合うことに全く意味を感じない。
それに選手だって、時々、所属国家を変えることもあるのですから、もう国単位で考えるのではなく、個人で考えたい。
個人の競い合いには意味を感じますが、国単位というのが理解できない。
日本人だから、日本だから、とどうしてみんな自分とアイデンティファイできるのでしょうか。

念のために言えば、私は日本が大好きで、ここで生まれ暮らしていることに満足しています。それに、日本人であるという自覚もあるつもりです。
でもだからといって、日本人がノーベル賞をもらったからといってどうしてうれしいのか。私にとっては、どうしても「日本人」は「私たち」にはならない。困ったものです。
気象学者の真鍋さんが受賞したことは、心から祝いたいですが。

自国民ファーストの「国民国家」幻想の実体はもう露呈されてきているにもかかわらず、相変わらず多くの人が、「日本人ファースト」から抜け出せないのが、どうも気になる。
真鍋さんの研究は、国家に呪縛されている時代は終わったと言っているように思います。

そういう研究者が受賞したのが、私はとてもうれしいのです。

でも、「日本人がこれで何人ノーベル賞を受賞した」などという報道に触れると、いやな感じがしてしまいます。
明日はまた「文学賞」でみんな大騒ぎになるのでしょうか。

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■節子への挽歌5164:最近メダカが泳いでいません

節子

秋晴れの気持ちのいい日です。
最近なにやら精神的にあわただしい毎日なのですが、何とか先が見えてきました。
実際にはそんなに忙しくはないのですが、なんだか「やらなければいけない」という気持ちが身心を覆っているのです。
この心境は何なのでしょうか。

いまちょっと一息ついているところなのですが、最近、気づいたことがあります。
家の水槽のメダカが、あまり泳がなくなっているのです。
というか、水槽に入れた石の陰に隠れて出てこない。
しかもメダカが死んでしまい、今や2匹しか残っていないのです。
いやもしかしたら1匹かもしれません。
何しろ出てこないからよくわかりません。
こんなことはメダカを飼いだしてから初めてのことです。

水槽に異変が生じたのは、前にも書きましたが、美観のためにきれいな砂利を入れてからです。普通の砂利ではなく、赤や白のきれいな砂利です。
これを入れてからメダカがおかしくなりだした。

その一方で、貝がますます元気になり増えています。
貝がこれほど元気に動くものだと思いませんでしたが、しかも貝は死んだメダカの遺体の処理までしてくれるようです。
もしかしたら、貝とメダカのバランスが崩れてしまったのかもしれません。
なぜか水草も元気がない。

メダカが泳いでいるのを見ていると心が落ち着きますが、メダカの泳いでいない水槽はちょっとさびしいです。
魚と話せないのが残念です。

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■湯島サロン「贈り物はもらうほうが幸せですか、あげる方が幸せですか(「贈与」を考える)」のご案内

最近の湯島サロンの大きなテーマのひとつは、「幸せ」です。
それは、「生きるとは何だろうか」にもつながっています。
そういう大きなテーマで話し合っていると、次々と新しいテーマに出合います。これまでも取り上げたことがありますが、今回は改めて「贈与」の問題を取り上げることにしました。先日の、オメラスのサロンでも、「贈り物」は話題になりました。

みなさんは、贈り物はもらうほうが幸せですか、あげる方が幸せですか。
もらうほうが好きだとついつい考えてしまいがちですが、そうでしょうか。

言葉を替えて、では「介護するほうと介護される方はどちらがうれしいですか」と問われたらどうでしょう。介護と贈り物は違うだろうという人がいるかもしれませんが、介護もある意味では、「贈与行為」といってもいいでしょう。
と考えていくと、贈り物とは何だろうかということも気になってきます。
同じものでも、買ったものと贈られたものは、ちょっと価値が違うような気もしますが、それはなぜでしょうか。

贈与には返礼がついているとよく言われます。
でも返礼を引き起こす贈与は、交換とどう違うのでしょうか。
みなさんは、誰かに何か贈り物をするときに、お返しを期待するでしょうか。

というように、改めて「贈与」とは何なのかを話し合いたいと思います。
昨今は、お金で何でも手にはいると言われますが、本当にそうなのか。
購買行為と贈与行為は何が違うのか。
社会にとって、贈与とはどういう意味があるのか。
そもそも贈与は経済成長とどうかかわっているのか。

話し合いたいことはたくさんありますが、できれば、今回は私たちの生活のあり方や幸せにつなげて話し合えればと思います。
できるだけ、自らの体験的なところに焦点を合わせて。

いろんな「贈与論」や「幸せ論」が出てくるといいなと思っています。
みなさんの気楽なご参加をお待ちします。

〇日時:2021年10月24日(日曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:贈り物はもらうほうが幸せですか、する方が幸せですか(「贈与」を考える)
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修  qzy00757@nifty.com

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■岸田政権のスタートは予想以上に好評な気がします

岸田政権のスタートは、私が予想していた以上に好調のようです。

今朝の朝日新聞に岸田内閣支持率が45%とありましたが、これも私が思っていた以上に低かったです。これは私には「好調」と思える材料の一つです。

なぜ支持率が低いのが「好調」なのか。
それは低い評価からスタートすれば、むしろ良いところが見つけやすくなるからです。

新しい内閣が成立した時の多くの人の評価は、マスコミの情報に大きな影響を受けています。マスコミの傾向は、現体制に一見批判的で(実質的には迎合的だと思いますが)、新しい体制には好意的な報道をしがちです。ですから新政権成立当初は新政権には(一見でも)迎合的な報道が多いような気がします。ですからほとんど政権の政治行動に関する生情報に触れることのない多くの人はマスコミに操られます。

高い支持率を受けた政権が、次第に支持率を落としていくことは少なくありませんが、私はこうした傾向に社会の未成熟度を感じます。いわゆる「化けの皮」がはがれていく政治状況は、未成熟としか思えません。そこには統治者と被治者の間に「共創関係」はありません。信頼関係がなければ、民主政治は実現しません。

私にとっては、支持と期待は全く違います。
言葉だけでは、期待はできても支持はできません。
支持は実績から生まれます。

このままだと、政権交代は難しいかもしれません。
もちろんまだあきらめてはいませんが。

あきらめたとたんにすべては終わりますから。

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2021/10/05

■湯島サロン「他人の写真で自己発見・ 自己覚知 ~ 写真の解読も何かに役立つ?」

仲谷さんによるワークショップ形式の対話型鑑賞サロンは7人が参加しました。
いわゆる対話型鑑賞サロンとはちょっと違い、仲谷さん独自の工夫を加えた相互理解や自己認識を深めるコミュニケーション型サロンでした。
コミュニケーション分野で、さまざまな活動をされている参加者も数名いたこともあって、こうしたワークショップの可能性を確認する上でも、興味あるサロンになったような気がします。

今回の題材は写真でした。
仲谷さんは、まず参加者一人ひとりに、「撮る」「見る」「撮られる」という3つの切り口で、写真との関わりを紹介する形での自己紹介を促しました。
参加者は全員、私はよく知っているはずの人たちでしたが、写真との関わりの話を改めて聴くことで、それぞれの新しい側面に触れさせてもらいました。
加えて、私自身も、写真との関わりを話すことで、忘れていたことをいろいろと思いだすことができました。
仲谷さんが、ワークショップの題材に「写真」を選んだ意味が理解できたような気がします。

参加者全員の自己紹介が一巡した後、仲谷さんはまず軽めからと言って、8枚の組写真を示して、そこからワークショップに入っていきました。
その組写真を題材に、仲谷さんはいろいろな問いかけをし、参加者はそれに一人ひとり応えて、それを材料に話し合うという感じです。
それで少しみんな慣れたころ合いを見計らって、仲谷さんは別の10枚の組写真で、ワークショップを進めました。最初のとは違い、かなり想像的・創造的な思考が要求されるばかりか、それぞれの受け止め方の違いを話し合える仕組みになっていました。
ワークショップの進め方や内容は、仲谷さんの様々な知見が含まれているでしょうから、私から中途半端な紹介をするのは控えたいと思いますが、体験させてもらって、さまざまな可能性を感じました。

組写真を使ったワークショップの後、参加者一人ひとりが、感想や気づきを話しましたが、これもまた相互理解と自己確認のためにとても有益だった気がします。
たとえば、自分の思考がネガティブなのに対して、ポジティブに受け止める人がいることを確認できたとか、同じ写真を見ても真反対に受け止める人がいることがわかったとか、写真を見ているとその向こうが見えてくる、とか、いろんな感想が出されました。それ自体も、私にはとても面白かったです。

今回は、仲谷さんもある意味では実験的なワークショップに挑戦されたと思いますが、できれば類似ワークショップとの連携も視野に入れて、仲谷スタイルの独自の対話型ワークショップを磨きあげていくと様々な分野で活用できるのではないかと思いました。
できれば仲谷さんにはまたワークショップをお願いしたいと思っています。

ちなみに、私は、自分が思っている以上に、人間中心主義から離れだしていることに気づかされました。組写真に出てきた鳥や馬に親近感を強く感じました。
まあどうでもいい蛇足ですが。

Nakaya10032

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■節子への挽歌5163:ワトソン夫妻の再会

節子

だいぶ前に話題になったライアル・ワトソンの「エレファントム」を読みました。
とても不思議な、幻の象(エレファントム)とワトソンの交流の本ですが、その「あとがき」にワトソンと交流のあった人が、ワトソン夫妻の散骨の話を書いています。

ワトソン夫人はアメリカ・サンタフェで亡くなりましたが、その遺骨はワトソンの手でハワイ沖に散骨されました。夫人の遺骨を魚の餌に混ぜ、2人がよく一緒に潜りに行った海に撒いたのです。「そうすると、魚に食べられて、いろいろな所に行けるから」。

そして5年後、ワトソンはオーストラリアで脳梗塞で亡くなりました。ワトソンの弟のアンドリューさんがワトソンさんの遺骨を散骨しようと海岸に出ると、沖合にはザトウクジラの小さな群れが来ていたそうです。その時期、ザトウクジラが回遊してくるのは珍しいのだそうです。
散骨を済ませると、ザトウクジラたちは東に向かって泳いで行ったそうです。ワトソンさんの遺骨を「食べた」ザトウクジラたちは、南太平洋を渡ってペルーに向かい、そこを経由して最終的にハワイ沖に向かったはずだとアンドリューさんは言います。
ワトソン夫妻は、そこで5年ぶりに再会している。

この話を読んだら、この本を読みたくなりました。
ライアル・ワトソンの著書はそれなりに読んだつもりでしたが、まだ読んでいない本がたくさんあります。改めてまた読んでみようと思います。

ちなみに、「エレファントム」には幽霊の話が出てきます。
幽霊は実在する。生物体から散乱した細胞がそれを構成しているというのですが、納得してしまいました。
私のワトソンの読み込みが表層的だったようです。

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■第17回万葉集サロン「宮廷歌人の苦悩 - 笠金村」のご案内

案内が遅れましたが、10月16日の第17回万葉集サロンは、笠金村の歌を中心にして、宮廷歌人の歌の変容から、時代の流れや人々の意識の変化に触れたいと思います。
これまで読んできた歌人と違い、笠金村は私たちにはあまりなじみがありませんが、

升田さんの案内をお読みください。

山部赤人、笠金村、車持千年は聖武天皇朝の宮廷歌人として行幸従駕歌を残している。
3人の中では柿本人麻呂を継承する赤人がもっとも優れた歌人と評されており、金村・千年の歌には宮廷歌人としての意識の微妙なずれがあって、言葉や表現に統一された全体感が薄く宮廷従駕歌の終焉を予感させる。

しかしそれはまた、新しい表現の世界を拓くことにつながるのであって、山上憶良、大伴旅人、大伴家持らの万葉集の頂上へと続く、白鳳万葉から天平万葉への転換期としての重要な意味をもっている。

今回は、特に笠金村の「志貴皇子挽歌(2-230232)」から入って宮廷歌人の変容を追ってみたい。
前回見た、「問答歌」の応酬による「意識」の発揚とも関係し、「意識」の世界はやがて虚構の物語を生み出してゆく。長歌の終焉から平安時代の物語文学誕生への、長い道のりが待っている。

以上が升田さんからの案内ですが、「白鳳万葉から天平万葉へ」とか「意識の世界から虚構の物語へ」とか、あるいは「宮廷歌人の苦悩」とか、また新しい世界を楽しませてもらえそうです。

初めての方ももちろん、「万葉集」を読んだこともない方も歓迎です。
資料はいつも升田さんが用意してくれますので、気楽にご参加ください。

〇日時:2021年10月16日(土曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇講師:升田淑子さん(万葉集大好き研究者/元昭和女子大学教授)
〇テーマ:「宮廷歌人の苦悩 - 笠金村」
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

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2021/10/04

■岸田内閣人事への感想

岸田内閣が発足に向けて、組閣人事が発表されました。
思っていたよりも、私にとっては期待度の高まる人事でした。
そういうとまた非難されそうですが、自民党政権を支持しているわけではありません。
少しでも生きやすい社会にしたいからです。
批判と期待とは矛盾しません。期待が背景にない批判は、単なる愚痴か非難でしかありません。

個々の人事に関しては、顔も見たくない人も何人かいますが、内閣は全体でパワーを発揮するものだと思っていますので、ある意味で、岸田さんの考えが実現しやすく工夫されているような印象です。
まあ1か月足らずの内閣でしょうが、岸田さんの言動には注目していきたいと思っています。

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■監視カメラ映像の管理者はだれなのか

名古屋出入国在留管理局で3月、スリランカ人女性ウィシュマ・サンダマリさんが死亡した問題で、被害者家族の要求や署名運動を受けて、ようやく収容中の監視カメラ映像が全面開示されることになりました。

そんな当然のことが、どうして実施されるまでにこんなに時間がかかるのか、不思議でなりません。この国では、国家政府につながっている人たちは、異常に保護されていることが、こうしたところにも明らかです。
こうした日本の実態がいろんな形で露呈してきたことはいいことだと思いますが、気になることもあります。

これだけ開示までに時間がかかるのであれば、ディープフェイク映像技術による映像の改竄もあるのではないかということです。
むしろそのためにこんなに開示が遅れたのではないかとさえ思ってしまう。
もちろんそんなことはないでしょうが、そういう疑念を持ってしまう。
40年ほど前に、私は非情報化社会論を書いたことがありますが、まさにいまや情報が現実と乖離してしまい、現実がどんどん消去していく不安を感じます。

その一方で、「監視資本主義」(ショシャナ・ズボフ)はますます広がっています。
先日も私たちの自治会で、防犯カメラの増設を話題にしたことがありますが、意外だったのは増設に対してあまりみんな抵抗がないというか、むしろ安心のよりどころにしていることでした。

しかし映像はいかようにも改竄できる時代において、映像を特定の人が独占的に管理できる方式にはどうしても不信感があります。
ちなみに今の私の属する自治会においては、防犯カメラの映像を見ることができるのは、会長である私だけなのです。これを知ってから、自治会での防犯カメラには私は否定的になりました。

名古屋出入国在留管理局で収録しているカメラ映像を管理するのが、入管当局であるとしたら、私にはそれは全く信じられないものに思えます。
誰がその種のカメラの管理するのかがしっかりと議論される必要があるように思います。
誰が誰を、何のために、どういう時間にカメラで記録するのか。
無闇に監視カメラを増やすのではなく、むしろそうした基本的なことをみんなで考えたいものです。

それにしても、サンダマリさんの事件は、私には恐ろしい事件です。
無関心ではいられません。

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■節子への挽歌5162:お腹の調子が悪い

節子

やはりソフトクリームの影響はありました。
夜中にトイレに行かざるを得なくなった。
朝起きてからも何かおかしく、食欲がないばかりがお腹が張っている。
久しぶりの肉もよくなかった。
せめてハンバーグにしておけばよかったのですが。

そんなわけで、今日はやることがいろいろとあるのですが、やる気もなく、朝からボーっとしていま-した。
午後になってやっとお腹の違和感も少なくなり、ちょっと元気が出てきましたが、やるべきことをやる気はまだ起きません。
まあ人生の先行きはさほどないとしても、まあ今日1日くらい何もしなくても大丈夫でしょう。
今日はなかったことにしようと思います。

ちょうど岸田内閣の顔ぶれが決まりました。
なかなかよく考えられているような気がします。
思った以上に岸田さんはしたたかなのかもしれません。
世評とはかなり違うような気がします。
これでは「野党」はまた勝てそうもない。
今度の総選挙は別にして、残念ながら政権交代はまた先に延びてしまいそうです。

ところでもうすっかり秋です。
風が全く違いますし、空が秋になっている。
2階のリビングから見える日の出の一もだいぶ右に寄ってきて、もうじき直接の日の出が見えるようになるでしょう。
今年は秋を楽しめるでしょうか。

久しぶりに秋風の中でうっかり寝てしまいました。
こういう「空白の日」も、時にはいいものです。

でもそろそろ元気が出てきたので、これから少したまっているサロンの案内や報告などを書こうかと思っています。
今日、思いついたのが、「贈り物をもらうのが好きですか、贈り物をするのが好きですか」というテーマでのサロンです。これこそ「幸せ」につながるなと昨夜、夜中に思いついたのです。

最近、ようやく「幸せ」について考える気が起きてきたのです。
節子と共に、去っていった概念だったのですが、節子のことを思い出すうちにまた、戻ってきたのです。

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2021/10/03

■節子への挽歌5161:ソフトクリーム騒動

節子

今日はにこの運動会でした。
コロナ感染症対策で、家族は両親だけが参加可能です。
節子がいたらどうしたでしょうか。

にこは運動は好きで、走るのも得意。今回も一等だったそうです。
そのお疲れ会も兼ねて、加えて、緊急事態宣言も解除されたので、1年半ぶりに家族で夜の食事に行きました。昔、節子も行ったこともある南柏の「あさくま」です。
「あさくま」では、自分でソフトクリームを作るコーナーがありますが、にこがそこで作るのを喜ぶだろうというのが、「あさくま」が選ばれました。

ところが…。
食事を終えた後、にこだけではなく、みんながソフトクリームを作ってきたので、私も作って食べることにしました。
出遅れたので一人で行って、容器を置いてソフトクリームを作りだしたのですが、自動で止まるのかと思っていたら、止まらない。容器からはみ出さないように慌てて止め方を探しましたが、その時はもうパニックです。
容器からあふれん出す直前に何とか止められたのですが、落ちこぼれそうなソフトクリームを、誰にも気付かれないように席に持ち帰るのに苦労しました。
私の持ち帰ったソフトクリームを見たとたん、にこまでも大笑い。
まったく生活力や常識がないのだから、とまたみんなからバカにされました。

むかしディズニーが制作した「ファンタジア」という映画に「魔法使いの弟子」というチャプターがありましたが、魔法使いの弟子のミッキーが、仕事をさぼろうと箒に風呂への水くみをさせるのですが、その止め方がわからずに家じゅう水浸しになるという話です。
まさにそれを思い出す事件でした。実はにこと先日、その映画を観たところなのです。

さて問題は、席に持ち帰ったソフトクリームの処理です。
サラダバーのところには、食べ残さないようにしてくださいという注意書きが書かれていたので、残すわけにはいきません。
にこも含めて、みんなすでに自分が食べたい分は食べていますので、手伝ってくれるはずがない。時間をかければ融けるでしょうが、このお店は8時閉店なので、もう時間はない。

というわけで、がんばって食べました。普通の量の3倍ほど。閉店1分間に完食しましたが、おかげでせっかくその前に食べた料理の記憶はなくなり、ただただ苦しい食事の印象だけが残ったのです。
帰りの車の中で気持ち悪くなりそうでしたが、何とか帰宅。
いまもお腹が苦しい。

せっかくの会食がひどいことになってしまいました。
夜中におかしくならなければいいのですが。

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■湯島サロン「オメラスとヘイルシャム(「幸せ」を考える)」報告

私が7年前に書いた小文「オメラスとヘイルシャムの話」を読んで「幸せ」について話し合うサロンは、あまり参加者はいないだろうなと思っていました。というのも、その小論が意外と長いので、読む人はあまりいないだろうなと思ったのです。

昨日は午前中は地元での集まりがあり、それが少し延びたため、私が湯島に着いたのは開始時間の15分ほど前でした。もしかしたら待たしているかもしれないと思っていたら、部屋はすでに開いており、4人の人が私を待っていました。そういえば、この部屋はコモンズ空間なので誰もが入れる部屋なのです(いつもとは限りません)。
みんな私が途中で倒れたのではないかと楽しみ?にしていたようですが、息せき切って到着した私に、まずは休んでと声をかけてもらいました。
というわけで、なんだかいつもとは違うサロンの始まりになってしまいました、
すでに話が弾んでいたのです。

ところで、「オメラス」と「ヘイルシャム」は、いずれも小説に出てくる場所ですが、その小説は、私たちの幸せの陰にはだれかの犠牲がある、自らの幸せのために誰かを犠牲にしていいのか、という問いかけを私にしてきました。それで今回も、みんな「幸せ」をどう捉えているのかなあ、というのが私の関心事でした。
私自身は、あまり幸せとか不幸とか考えたことはなく、むしろその2つは同じものかもしれない、ただ捉え方の違いだけと感じているのです。

もうひとつの関心は、もし幸せとか喜びとかがあるとして、それは「与えられるもの」なのか「自分で実現するもの」なのかということです。
これに関しては、私は今回改めて確信できました。
私は後者の考えですが、幸せは、その気になれば誰もがすぐに手に入れられるということです。
「与えられる幸せ」は、入手は難しいかもしれませんが。

サロンの終わりごろに参加者の一人が、トルストイの「愛のあることころに神あり」という商品を紹介してくれました。帰宅して書棚から探してすぐ読みました。
それは「窓の一つしかない地下室の小部屋」で生活している靴職人の話でした。
オメラスのこどもを思い出す状況設定です。
同じ地下室生活でも、両者には大きな違いがある。
その違いに問題のすべてが含意されているような気がしました。

サロンは出だしがあまりにもゆるかったので最後までゆるい感じでした。
時々、ところで本題に戻してと、私が言う場面が何回もありました。
でもなぜかみんな自らの過去の話(それも極めて私的な内面的な話)を語りだすのです。
それを聴いていて、そうか自らを語ることこそが幸せなのかもしれないと思いました。
つまり幸せはいつも過去にある。

オメラスにキリストを感じた人もいますし、王様を感じた人もいる。
私は宗教(信仰)に大きな価値を感じていますが、それも今回、話し合いたかったことの一つですが、今回はそこまで議論を進められませんでした。
でもトルストイが語る靴職人もキリストと共に生きている。

他者に対して道具(手段)として接するか愛(目的)で接するかという問題や、ゼロサム社会とプラスサム社会という話題も出ました。まあよくある切り口ですが、今回は当事者が自分の生々しい問題として語ってくれたので、言葉だけの議論にはならなかったような気もします。
私が期待していた話し合いにはあまりならなかったような気もしますが、逆に後で考えるといろんな示唆をもらった気もします。正面から話し合うのがいいとは限らないのです。

サロンでの話し合いの報告には全くなっていませんが、もしお時間があれば、ぜひ小論をお読みください
http://cws.c.ooco.jp/heilsham.htm
そしてぜひ感想を話に湯島に来てください。できるだけ時間を調整しますので。

Omerus

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2021/10/02

■節子への挽歌5160:お腹が減りすぎると思考力は動きません

節子

今日は午前・午後と集まりが続きました。

午前は、水の館で、9日に予定している将門関係の講演会の実行委員会でした。
これは芦崎さんが実行委員長としてプロデュースしてくれていますので、安心ですが、芦崎さんは私と違って誠実で几帳面なので、横から見ていて過労死するのではないかと思うくらいです。
私のいい加減なスタイルは芦崎さんの邪魔になるかなとも思いますが、いささか心配です。
当日の進行役の一部を引き受けさせてもらいました。誠実な芦崎さんから頼まれれば断ることはできません。さてさて当日着る服があるといいのですが。靴も必要です。

我孫子での集まりが予定よりも遅れたので、午後湯島に着くのがサロン開催時の直前になってしまいました。
もしかしたら誰かを待たせているかもしれないと思い、昼食も抜きで急いでいったのですが、なんと部屋はもう開いていて、4人の人が待っていました。
そういえば、湯島の部屋はコモンズ空間を目指しているので、基本的にはだれでも入れるようになっているのです。

サロンの報告は時評編で書きましたが、お腹が空いて帰路につく元気がありませんでした。幸いに鈴木さんが、いつもの大きな大福をお土産に持ってきてくれたので、それを食べて元気を取り戻し、なんとか帰れました。
サロンの途中に食べれば、サロンでももう少し元気が出たかもしれません。
今日は急いで途中の58段の階段を上ったので、それを思い出すこともできないほど、疲れていたのです。

筑波山登山は大丈夫でしょうか。
準備として少し歩こうと思っていましたが、3日坊主ならぬ2日坊主で終わってしまっています。
困ったものです。

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2021/10/01

■行政と住民の不信感

自治会会長を半年やらせてもらって、行政に関して、いろいろと思うことがあります。
これまでの体験から、勝手なことばかり言う住民もいることを知っていますので、行政に対しては、できるだけ協力しようと思っています。
地元で、市民として活動するときも、行政頼みにしたり、行政に異を唱えたりする活動には常に距離を取ってきました。だからといって、行政と無縁だったわけではなく、行政には定期的に活動を伝えたり、対等の立場で意見交換したりしています。

しかし、今回、改めて感ずるのは、行政と住民との不信感の広がりです。

たとえば、こんなことがありました。
自治会内のあるグループが、近くにいる飼い主のいない猫の不妊手術活動をしたいと行政に相談したら、自治会長の了解を得てきてほしいと言われたそうです。
また自治会地域内にある桜の老木を伐採するので住民に知らせてほしいと市役所から連絡がありました。翌日は、今度は道路工事で通行禁止にするのでこれまた全戸に知らせてほしいというのです。まあこれは極端な例ですが、こういうお知らせ通知もいろんなところからくる。
相変わらず日本の行政は、自治会を自らの使い勝手のいい端末機関と考えているのではないか、とも思いますが、しかしそれも住民側に原因があるのかもしれません。

行政批判と勘違いされそうですが、私が残念に思うのは、そうしたことの背景にあるだろう住民と行政との不信関係です。
市役所の職員は、自治会会長のわが家にはよく来ますが、基本的にいつも2人で来ます。
最初はよほど暇なのかなと思ったのですが、そうではないのです。
関係者に訊いたら、住民とのトラブルを避けるために、基本的に2人で行動するようにしているらしいのです。たしかに信頼関係ができて、トラブルは起きようがないことがはっきりしているときには一人で来ます。

私自身は、住民と行政とのミニタウンミーティング的なものを企画したいと持っていますが、コロナ騒ぎで実現できていません。
我孫子でも、行政主導のタウンミーティング的なものは各地区で開催されていますし、大きな工事などに関しては住民説明会もよく開かれています。それはいいのですが、そもそもタウンミーティングは住民から呼びかけるのがいいのではないかという気がします。
以前、2つの自治体で、そうしたプロジェクトに取り組んで頓挫した経験があるので、あまり口にする資格はないのですが、今回、改めて住民発の活動の大切さを感じています。

コロナがおさまりだしているので、あきらめずにもう一度、やってみようと思っています。
準備もしていないので、うまくいくかどうか不安ではありますが。
住民と行政との信頼関係が育てば、我孫子市はもっと豊かになり、行政職員も働きやすくなるでしょう。

この数日の政府の動きに関して、どうしてみんな、いいところを探して共創しようとするのではなく、悪いところを探して非難ばかりするのか、実に残念です。
やはりみんな、根っからの「臣民根性」に陥っているからなのでしょうか。
それと同じような構造が、自治体にもあるような気がして、とても悲しい気がします。

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■節子への挽歌5159:みんな他者に教えたがっている

節子

今日は台風で朝から雨です。
昨日畑に行っておいてよかったです。
なにしろ1日行かないと野草は10センチ伸びるのです。

自民党総裁が決まって、新しい内閣人事が進んでいます。
これに関しては、フェイスブックに私見をいろいろと書いていますが、それへのコメントが面白い。唯我独尊の「知識」人が多いのです。
まあ私も同じ穴の狢かもしれませんが。

それとみんな私にいろいろと教えてくれるのです。
政治だけではありません。
先日の山登りへのコメントはまだ続いていて、靴に関しての蘊蓄をいろいろと語ってくれるのですが、これほどみんなが山登りをしているとは思いませんでした。
しかし多くは単なる「知識の押し売り」だけのような気もします。
言い換えれば、みんな他者に教えたがっているのです。

考えてみると、私はたくさんの人の親切に取り囲まれてきました。
それがあればこその、いまの私です。
にも拘わらず、私はその親切にきちんと応えてこなかった気もします。
たくさんの人に愛され大事にされてきたのに、感謝の気持ちがあまりなかったような気がします。
この歳になってもう遅いのですが、両親に対する感謝の気持ちもあまり意識したことがなく、ましてや態度で表すことはありませんでした。最近、それを悔やむ気持ちが出てきました。考えてみれば、親不孝の生き方だった。

しかし、それがあればこそ、恩送りの気持ちが強くなる。
恩送りは人間の本性の一つかもしれません。もしかしたら、フェイスブックに書き込んでくれる人たちも、そういう思いからなのかもしれません。
正直、私にはそんな一般論は役に立たないよと思うものが多いのですが、やはりここはきちんと感謝しながら受け止めるべきなのかもしれません。
そうは思うのですが、あまりにも内容が陳腐で独りよがりなので、ときどきつい嫌みを書いてしまうこともあります。

困ったものです。

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■岸田人事再考

岸田人事が気になって、昨夜はあまり眠れませんでした。
なにしろ私のこれから生きていく社会に大きな影響を与えることだからです。

昨日はいささかがっかりしたと書いてしまいましたが、いささか短絡的な感想だった気もします。私も、岸田さんにあまり期待していないせいかもしれません。困ったものです。

昨日発表されたのは、内閣人事ではなく、自民党人事がほとんどでした。
そう思って考え直すと、ややこしい人たちはみんな自民党に押し込めたとも思えます。
今度の総選挙では自民党は苦戦するでしょうから、その対策や責任主体に彼らをつなげたのかもしれません。
それに、自民党の政調会長の役割を、私はやや過大に評価してしまったのですが、考えてみれば政策を方向付けるほどの立場ではないでしょう。
自民党の改革は、そう一筋縄でいきませんが、しかし、そこに福田さんをぶち込んだ。これで(私には内容が全くないと思える)小泉さんの力はこれから大きく削がれていくでしょう。福田さんは小泉さんと違い、足が地についているような気がします。

さてそうして自民党改革の基盤づくりをしたうえで、組閣メンバーが選ばれていくわけです。3Aはみんな等に押し込められた、とまではいいませんが、組閣人事は比較的自由にできるのではないか。そんな気がしてきました。

「野党」は気楽に批判しますが、目的を達成するためには、時に交替したり仮面をかぶることも必要です。継続的な閉じた組織(政党)のトップの総裁と次元的な開かれた組織(内閣)のトップの総理はできることは違うでしょう。
昨夜は、そんなことを考えていました。

さて一夜あけて、動きはどうなっているでしょうか。
まだテレビはつけていませんが、これを書き上げたら、テレビと新聞を見てみようと思います。期待が膨らむといいのですが。

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