■節子への挽歌5169:ムクドリたち
節子
またムクドリがにぎやかです。
夕方の我孫子駅はとても騒々しいのですが、今朝はわが家のまわりでも朝早くからムクドリがにぎやかでした。
鳥というと思い出すのが、節子が残した言葉です。
もう声が出なくなった時に、苦労して神にメモした言葉が「また鳥や花になってちょいちょい戻ってくる」というものでした。
その時には、なんで「鳥」なのかと思ったのですが(私はあまり鳥が好きではないのです)、前にも書きましたが、その後、とても納得しました。
鳥は、霊をあの世からこの世に運ぶものなのだそうです。
白川静さんの本で前に知ったことですが、中国の昔の甲骨文には鳥がよく出て来て、「鳥形霊(ちょうけいれい)」という考えがあるそうです。
たしかに鳥は遠くに飛び立っていくとともに、渡り鳥のように、また戻ってくる。
それに、鳥によって遠くの植物の種がやってくることもある。これはまさに生命を運んでくると言っていい。
私たち人間よりも、空間的な次元は一つ上のようにも考えられますから、次元を超えた存在とも言える。
彼岸と此岸をつなぐ存在と考えても不思議はない。
節子が、あのメモを書いたとき、節子はすでにそうした鳥の姿を見ていたのかもしれません。そうでなければ、あえて「鳥」とは言わなかったように思います。「花や蝶」というのが自然です。
しかし不思議なもので、最近は鳥嫌いではなくなってきました。
鳩は相変わらず苦手ですが、ムクドリは許せる。
騒々しい鳴き声も苦にならない。
私も間もなくお世話になるからかもしれません。
朝、うるさいほどに騒いでいたムクドリも、昼間はいなくなり、今は鳴き声も聞こえません。
彼岸に行っているのでしょうか。
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