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2021/10/18

■第17回万葉集サロン「宮廷歌人の苦悩-笠金村」報告

万葉集サロンも、私たちが慣れ親しんでいる柿本人麻呂など誰でも知っている歌人から離れて、今回は笠金村が主役でした。
私のようにあまり万葉集に親しんでいない者にとっては、どこかで名前を聞いたことがあるような気はするものの、歌は思い出せないという人も少なくないでしょう。
しかし、笠金村は万葉集に45首の歌を残している、宮廷歌人の一人なのです。

升田さんの案内にありましたが、白鳳万葉から天平万葉への、宮廷歌人の歌の変容から、時代の流れや人々の意識の変化に触れるというのが、今回の主旨でしたが、それを象徴する「吉野賛歌」に入る前に、まず、笠金村の「志貴皇子挽歌(2-230232)」を読んでくれました。ところが、これがとても興味深く、話が尽きず、今回は升田さんが用意してくれた資料の半分も進まないうちに時間切れになってしまいました。
したがって、肝心の「宮廷歌人の苦悩」に迫るところまで今回は行きませんでしたが、次回、もう一度、そこを中心に話してくれることになりました。

笠金村の「志貴皇子挽歌」には、すでに白鳳万葉から天平万葉への変容と、そこから生まれつつある新しい世界がしっかりと示唆されています。升田さんは、笠金村の「志貴皇子挽歌」に併せて、いくつかの歌も紹介してくれましたので、それがよくわかりました。

たとえば、柿本人麻呂の草壁皇子への挽歌を読んで、金村の挽歌との序詞の違いや「生と死」の捉え方の違い、また、「懐風藻」にある大津皇子が死に臨んで遺した漢詩と万葉和歌の違い、さらには山上憶良の「世間之道(よのなかのみち)」で終わる、わが子を見送る日々を詠った長歌に感ずる「物語性」など、さまざまな歌を対比させながら、万葉集のなかで歌がどう変化していったかを話してくれました。

書き出したら際限がなくなりそうなのでやめますが、そうした変化の背景には、「ことばの霊力」が消えていき、それに代わるさまざまな「もの」(例えば祭器、織物、仏像など)が生まれてきたということがある。同時に、それは神への依存から人が自律していく過程だったのかもしれません。そこには、仏教の伝来や西域との交流も影響していたというような話も、(確か)ちょっと出てきたような気がします。
それに伴って、歌の意味合いも、スタイルも変わってきた。
そして、意識から意思も生まれ、「人が創る物語」も生まれる機運が生じた。
もちろん人と人のつながりも大きく変わってきたはずです。

そんな大きな流れを、笠金村の志貴皇子挽歌を軸に、升田さんは解説してくれたのです。
万葉集サロンでずっと話題になってきている「た」と「な」と「わ(あ)」の関係も、ようやく見えてきた気がしますが、それはたぶん次回の大きなテーマになるでしょう。

以上はかなり私の勝手な解釈なので、升田さんからは叱られるかもしれませんが、今回はいろんな想像を巡らせることのできる、たくさんの示唆があったような気がします。

今回のサロンで私は、万葉集の歌は最初の頃のものと最後の頃のものとが、全く別物だということを改めて実感しました。
飛鳥・白鳳の歌は神に向けてうたわれ、天平の歌は人に向けてうたわれた。
「た」(多・他)から「な」(他人・相手)が生まれだした。
飛鳥の歌は耳にひびき(身体で受け)、天平の歌は文字で読んだ(理解した)。
だから、万葉集サロンの最初に升田さんが、万葉の歌は目で読むのではなく、声に出して読むのがいいと言った意味が、ようやくわかりました。

ちなみにサロンでは、参加者からもいろんな指摘や問いかけがあり、それもとても面白かったです。ちょっとした疑問が話し合えるサロンの面白さを今回も楽しませてもらいました。

次回の万葉集サロンは1218日の予定です。
最初に簡単な復習をしてもらう予定ですので、今回参加できなかった方もぜひご参加ください。

Manyou17

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