■昨日はサロンで厳しく糾弾されました
昨日は「能力主義社会は生きにくい」というテーマのサロンでした。
若者の参加(20代が4人)が多く、その上、引きこもり体験者(現在もなおの人も)が4人も参加し、久しぶりに若者主導のサロンになりました。
サロンの報告はまた別途書く予定ですが、私はかなり厳しく糾弾されました。
一流大学を出て有名企業に入った佐藤さんの意見は、安住した立場で理想を述べているだけではないかというのです。
意外なのは、60代の参加者たちもそれに合意したことです。
しかし、「一流大学を出て有名企業に入った」ことで人を評価することこそ、罠に陥っているとしか思えません。それでは現実は何も見えてこない。そもそも「一流大学を出て有名企業に入った」ことに何の価値があるのか。そこには「個人の尊厳」を尊重する意識がまったくない。そういう人は、自分もまた見えないでしょう。多くの人がそういう状況にあるとすれば、もう人間の社会は終わったとしか言いようがない。しかし、そう思ってしまえば、私も今日の参加者の多くと同じになってしまいます。
私は、社会の常識や通説には極めて懐疑的に接していて、自分が見聞・体験したことを基本に社会像を組み立てている現実主義者だと思っていますので、いささかむきになって反論しましたが、多勢に無勢、流れをひっくり返せませんでした。
みんな与えられた情報でしか社会を見ていないのでしょう。
まさに昔書いた「非情報化社会」が実現しているようです。
「能力社会」の対語は「身分社会」と言ってもいいと思いますが、今の多くの人には、能力社会は新しい身分社会のように固定的に受け止められているのかもしれません。
ということは、自分の視点で考えなくなってきているということでしょう。
「できることが能力」と考えるのではなく、「ない能力」を口実に自分の「身分」を決め込んで引きこもっていくわけです。
それにしても多くの人がテレビやネットや本から与えられた社会像を真に受けて、それに呪縛されて、何とかそれに合わせて生きようとしている状況がここまで進んでいるのかと驚きました。知は今や「監獄」への誘い水になっている。
そういう社会をつくってきたのは私たち世代なのでしょう。
昨日のサロンでのやり取りの言葉は、岸田さんの手帳には、たぶん書かれていないでしょう。立憲民主党の党首選に出ている人たちにも、こういう生の声が飛び交う現場に足を運んでほしいものです。
もっとも表面的な発言を聞いているだけでは、何も聞こえてこないかもしれません。
サロンを長年やっているおかげで、発声される言葉と発声させている思いとには大きなずれがあることがようやく少しわかるようになった気がします。
サロンから気づかされることはたくさんあります。
こういう場がもっと増えるといいのですが。
ちなみに、私は昨日のサロンで悲観的になったわけではありません。
むしろ逆です。
20代の若者たちの発言に、改めて大きな光を感じたからです。
新しい世代が育ち始めている。
そんな思いを強く受けました。
サロンの報告をどう書けばいいか。
まあ今日は全く忘れて、明日以降に書こうと思います。
私には「つづき」をやりたいくらいのサロンでした。
参加者の数名は、サロンの後に二次会に行ったようですが、私は二次会が必要なようなサロンはやりたくないので、基本的にはいつも参加しません。
その点からだけでも、私の思いはあまり参加者には伝わっていないようです。
困ったものです。
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