■第3回本間神道サロン「日本の聖母いろいろ」報告
日本では数少ない聖母研究者の本間浩さんのサロンの3回目は、「日本の聖母いろいろ」と題して、これまで話してきた神功皇后信仰や媽祖信仰以外の日本の聖母信仰がテーマでした。言い換えれば、「聖母信仰とは何か」を考える材料を話題にしてくれました。
実は、神功皇后と聖母が、私の中ではなかなかつながらずにいたのですが、それが今回、ようやくつながってきたような気がします。と同時に、視界が開け、聖母信仰にまつわるさまざまな意味が少し解けてきたようにも思います。
本間さんはまずこれまでの2回の話を簡潔にまとめてくださり、そこから話を始めてくれました。八幡神社との関係も復習してくれました。
その上で、「聖母」とは「聖女」とはちがい、「聖なる者の母」ということから「聖なる母」とされていること、したがって母と子を一対で祀る「母子神」信仰でもあることを説明してくれました。
関連して、欧米での聖母につながる言葉を紹介してくれました。
聖母と言えばマリア信仰をまずイメージしますが、聖母、処女、我らが貴婦人(例えばフランス語では「ノートル・ダム」)、神の母とかいろいろな言葉がある。そういう広がりのなかで、聖母信仰を捉えると、人類の基層文化である母性信仰、生み出す力や育てる力、豊饒への祈り、さらには太陽信仰にまでつながっていることに気づかされます。
日本には、「聖母」の、より古い言い方として、「大帯姫」(おおたらしひめ)という言葉があり、「子どもを育てる偉大な女性」という意味だったそうです。
菅原道真が「天神」を象徴するようになったように、一般名詞が特定の事物を「独占」していった事例はいろいろとありますが、それと同じように、神功皇后が次第に「大帯姫」や「聖母」概念を独占していったが、神功皇后以外にも「聖母信仰」につながる存在はいろいろとあると本間さんは説明してくれました。
視界がまた一挙に広がった気がします。
「聖なる者の母」とは言い換えれば「神の子を産む母=聖母」となりますが、聖母である証の一つは「処女懐胎」です。処女が子を産むことは人間には不可能なことであり、それは神の出現の奇跡を示しています。
神功皇后の場合は、その変形としての異常出産で応神天皇を生んだとされています。応神天皇は、諡号に「神」の文字が使われているように、特別の存在とされている天皇の一人であり、「聖なる者」といってもいいでしょう。であれば、その母である神功皇后はまさに「聖母」だったわけです。
しかし、聖母は神功皇后だけだったわけではありません。
処女懐胎や異常出産をした女性は古事記や日本書紀などには数名登場します。本間さんは、木花之開耶姫(このはなさくやひめ)、玉依日賣(たまよりひめ)、加えて、かぐや姫や金太郎、菅原道真にもそうした処女懐胎のヴァリエーションが語られていることを紹介してくれました。さらに話は貴種流離譚や異類婚姻譚にまで広がりました。
日本神話とか、寺社縁起の話などにはこのように、聖母信仰がたくさんみられるわけで、
それが日本の文化や私たちの生き方にもつながっているというわけです。
私は、今までとても狭い視野で「神功皇后=聖母」観を捉えていましたが、こうして視野を広げると、いろんなことに気づかされます。
そしていろんな疑問も生まれてくる。
どうして「聖女」「聖母」や「魔女」という言葉はあるのに、「聖男」「聖父」「魔男」という言葉はないのか。
イスラム世界における「聖母信仰」とはどのようなものなのだろうか。
また、「処女懐胎」や「異常出産」が「聖なる者」を生み出すことの意味も考えていくと未来(AI世界)に向けての想像の世界は際限なく広がっていきます。
本間さんの話は、まだまだ続きます。
最初の「聖母サロン」の時に、本間さんが「今回はプロローグです」といった意味がようやくわかってきました。
本間さんの「聖母サロン」はこれからも続きます。
ぜひ多くの人に参加してほしいと、改めて思いました。
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