■節子への挽歌5190:自宅でサロンのできないわけ
節子
昨日は道路関係の話で市役所の職員が3人やってきました。
ある問題を投げかけていたので、その説明に来てくれたのです。
最近、市役所の人たちはよくわが家に来てくれます。
しかし基本的には玄関先で対応しています。
以前は、そういう場合も自宅に入ってもらい、お話を聞いていたのですが、昨年娘家族と同居した後、1階は娘家族に譲ったので、そういう気楽に入ってもらって話をする場所がなくなってしまいました。
今回は来るのがわかっていたので、2階で対応しようと思い、延ばし延ばしになっていた掃除を思い切って推し進めました。
それで何とかお客さん対応の空間に近づきました。
まあこれで何とか対応できると思っていたのですが、3人も来るとは思ってもいませんでした。それに、玄関先でいいというのとコロナ問題もあるのでということで、結局、玄関先で済ませてしましました。
したがってあまり余計な話は出来ない結果になりました。
これは私の本意ではありません。
人は無駄話をするから関係が育つのですから。
せっかく珈琲まで淹れていたのが無駄になってしまいました。
今の家をつくる時に、リビングでは10人ほどは集まれる場所にしようと思っていました。節子も協力してくれましたが、大きなテーブルやイスなどを探しているうちに節子は病気になり、計画は挫折しました。以前も書きましたが、「未完のプラン」に終わってしまったのです。
それでも以前、自治会長を引き受けた時には、10人ほどの集まりも自宅でやりましたし、我孫子まちづくり編集会議の最初の数回の集まりも自宅でやりました。広さだけはあったのです。
しかし、今はその部屋は娘家族に譲り渡しましたので、2階にはせいぜい2~3人しか受け入れられる部屋しかないのです。
これはとても残念なことですが、
私の人生設計は、大きく変わってしまったわけです。
本当は湯島ではなく、自宅で毎日、サロンだったのですが。
節子が残していた資金を使えば、そういうオープンな場をつくれたはずですが、その資金は残念ながらあることですべて失ってしまいました。
今から思えば、もう少し資金をためておけばよかったとも思いますが、もう対価をいただく仕事は15年以上ほとんどやっていないので、自分の生活を支える資金にさえ、最近は事欠くほどです。
困ったものですが、でもまあ何とかなっているのが不思議なくらいです。
節子がいたら、私の日々の過ごし方は全く違ったものになっていたことでしょう。
そう思うこの頃です。
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