■節子への挽歌5185:誰と共に生きるかで全く違った人生になる
節子
体調はもうほとんど戻りました。
もっとも前回の筑波山事件以来、身体の老いと脆さに関しては、意識するようになりました。もうあまり無理は出来ないでしょうが、無理を封ずるわけにも行きません。無理のない人生は、あまり生きるに値しないと思いますので。
先の選挙結果を材料に、湯島でサロンを何回かやろうと思います。
1回目は大学生が話題提供者ですが、2回目には節子もよく知っている我孫子の佐藤祐子さんにお願いしました。
祐子さんと節子は、私が知っていた以上にかかわりがあったようですね。
彼女のメールからそれを知りました。
一緒に生活していた伴侶とはいえ、知らないことは多いものです。
いまもし節子が元気だったら、私の生き方はおそらくかなり違ったものになっていたでしょう。どんな生き方になっていたかは、予想もつきませんが、少なくとも今のような生き方にはなっていないでしょう。
節子と一緒にサロンをやっていたころに湯島に来ていた人たちと会うと、やはり昔の生き方を少し思い出します。
昨日、お会いした2人は、いずれもその頃のサロンの常連でした。
しかもいずれも節子にも強烈な印象を与えた人です。
あの頃のサロンと最近のサロンは全く雰囲気が違います。
人は自分一人では生きていません。
誰と共に生きるかで、全く違った人生になる。
節子と一緒に40年ほど暮らして、そう思います。
それがいい人生だったかどうかはわかりませんが、今となっては、それ以外の人生は考えられないことは事実です。
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