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2021/11/25

■寄付と外食とどこが違うのか

先月31日に選挙で選ばれた議員がたった1日だけの在職なのに1か月分の文通費100万円をもらったことが話題になっていますが、それへの対応として、もらった文通費を寄付することで問題が解決されたというような風潮が気になっています。
使用使途や領収証が問題になっていますが、ここでも政治団体などに寄付して、寄付の証明書をもらえばいいだろうという主張をする政党もありますが、これもとても違和感があります。

あるいは、辞職した都議会議員だった木下さんが、仕事をせずに得た報酬を「寄付」したから問題はないだろうというような態度の記者会見を見ると、寄付ってそんな意味なのかと思ってしまいます。

私は「寄付」と「外食支出」とどこが違うのか理解できません。
「寄付行為」は、何か公的な行為と考えがちですが、「寄付」も「私的な私財支出」であることには何の違いもありません。違いは、単に支出によって得る結果だけです。外食は自らの空腹を満たし、栄養を獲得できますが、寄付は自らの気持ちを満たし、他者からの感謝を獲得できます。要するにいずれも「我欲のための行為」であることには変わりません。
木下さんも某政党も、それが全くわかっていないのではないかと思います。

そもそも「寄付」は、自らの私財の処分方法の一つです。
「寄付」ができるということは、寄付するお金や物を自らが自由に処分できるものとして私有したということですから、寄付をしようが外食でぜいたくな料理を食べようが、同じことなのではないかと思います。
むしろ「寄付」のほうが、外部を巻き込むだけ、我欲要素は大きいと思います。外食は自分のお腹の中で完結しますが、寄付は社会的な影響力を持つからです。

たった1日の在職なのに、あるいは犯罪を起こして仕事をできないような状況にしてしまって仕事をしなかったにもかかわらず、文通費や報酬を受け取ったことが問題になっているにもかかわらず、「寄付をしたからいいだろう」というような開き直りは、私には理解できません。
寄付ではなく返却や受取辞退すればいいだけの話をなぜ勝手に処分してしまうのか。

それにしても、「寄付」とは何かをもっとしっかりと考えてほしいものです。
「寄付」が美徳化され、あまりに安直に行われている最近の風潮には大きな違和感があります。

私もかつては経団連が呼びかけていた個人の1%クラブに入っていたことがありますが(当時私は5%基準でした)、今も一応その精神をつづけています。
もっとも最近は年金以外の収入はゼロに近いので、お金の寄付はなかなか難しいのですが、時間の寄付はできないことはありません。

しかし、そもそも「寄付」という発想は今はもうありません。社会を維持していくには、できる範囲で何かできることをやることは、自然なことですから。

 

 

 

 

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