■湯島サロン「人の本質は善か悪か」報告
参加申込が直前まであまりなかったので、みんなあまり関心がないのかなあと思っていましたが、なんと10人を超える参加者があり、意見が飛び交うにぎやかなサロンになりました。フェイスブックで見たと言って、新しい人も2人参加してくれました。写真を撮りそこない、その様子を紹介できないのが残念です。
テーマは、人の本性は善か悪か。
最初に、紹介文にも書いたブレグマンの新著「希望の歴史」の冒頭に出ている問いかけをさせてもらいました。こういう問いかけです。
飛行機が緊急着陸して、機体が破壊され炎上しだした。早く脱出しなければならない。
〈惑星A〉では、乗客は、近くの席の人々に大丈夫ですかと尋ね、助けが必要な人から機外に助け出される。乗客たちは望んで自分の命を犠牲にしようとする。たとえ相手が、見ず知らずの他人であっても。性善説の世界。
〈惑星B〉では、誰もが自分のことしか考えず、パニックが起きる。押したり、突いたり、たいへんな騒ぎとなり、子どもや老人や障害者は、倒され、踏みつけられる。性悪説の世界。
さて、あなたはどちらの惑星に住んでいるのだろうか?
AかBかを紙に書いて一斉に出してもらった後、各人からその理由を説明してもらいました。予想に反して、〈惑星B〉を選んだのは3人だけでした。多くの人は性善説だったのです。しかもその理由も、自分の生活体験から語る人も少なくなかったのです。
次に、では自分自身はAかBか、つまりこういう状況でどう行動するかを聞きました。保留条件を付けた人はいますが、全員がAでした。自己認識はみんな「善い人」。
そこで、この世界は惑星Bだと答えながら自分はA的に行動するという人に、なぜ自分は性善なのに他者は性悪だと思うのかと訊くところから話し合いがはじまりました。
話し合いはにぎやかでしたが、途中で、参加者から「そもそも善と悪とはどう区別するのか」という問いかけがありました。
もしかしたらそれこそが本当の問いなのかもしれません。
いうまでもなく、善悪の判断基準は人によって違いますし、○×の問題ではなく、状況によって善悪が反転することもあるでしょう。それに「善い人」もいつも「善い」だけではなく、時と場合によっては「悪い人」に転ずることもある。人はみんな「善い面」も「悪い面」も持っているはずです。
善悪よりも、利己的か利他的かと置き換えたほうがわかりやすいという指摘もありました。たしかにそのほうがわかりやすい。しかしそうなると今度は「己」とはどこまでの範囲なのかが問題になる。
「希望の歴史」には、人は仲間(広義の己)とそれ以外とでは全く違った反応をするという事例がたくさん出てきます。
仲間意識を持つことが、個々の存在としてはむしろ賢く強かったネアンデルタール人に打ち克ってホモ・サピエンスが生き残った理由だとも言われます。しかし、逆にその仲間意識が、仲間以外のよそ者には厳しく当たることになる。時にホローコスト(大量虐殺)さえ起こってしまう。
つまり利己(性悪)と利他(性善)はコインの裏表でもあるのです。
これは話し合いのほんの一例ですが、ともかくいろんな話題が出ました。
最近起こった京浜急行車内での事件やいじめやDVの話。留守の時に家に鍵をけることの意味なども話題になりました。
戦場のクリスマスの話も出ました。たとえ戦っている者同士も、前線で直接出合うと実際には銃も撃てなくなるという話も「希望の歴史」には紹介されています。
人は相手のことを知ってつながりが生まれると、「性悪」にはなりにくくなり、性善的な面が出やすくなる。とすれば、人が直接に出会うことこそが大切ではないか。それを阻害しかねないコロナ騒ぎやマスクは問題ではないか。こんな話も出ました。
性悪説は権力者にとっては都合がよいという指摘もありました。
被災者支援の活動に取り組んでいる人も参加していたので、災害ユートピアやその反動の話も少し出ましたが、これはいつかきちんと話題にしたいと思っています。
マスコミは、幸せな話よりも凶悪事件や悪い人の話を報道しがちなので、それに浸っている私たちは、いつの間にか人は性悪だと思わされているのではないかという話もありました。たしかに殺傷事件は減少しているのに、その目立ち方はむしろ増えているため、物騒な社会になってきたと思っている人は少なくないでしょう。
逆にちょっとした「性善的な行為」、たとえばコンビニで買い物をした時に、レジの人に「ありがとう」と声をかけるような小さな行為の積み重ねで、人間観は変わっていくのではないかという提案もありました。
まあこんな話が2時間半、続いたのです。みんなそれぞれに考えたことは違うかもしれませんが、いろんな気づきもあったのではないかと思います。
最後に、人は本来善い人であるとしても、なぜ今の社会は「信頼感」も「安心感」もない社会になっているのか、という問いかけもありました。
それはやはり社会のあり方にある。知らない人も含めて社会が大きくなっていくとピラミッド型の組織が生まれ権力者が生まれ、私的所有が生まれ、お金が生まれる。
そのために本来性善な存在だったのにみんな自己防衛的に性悪になってしまう。
どうしたらそういう状況を変えて、みんな気持ちよく暮らせる社会を作り出せるか。それが課題なのです。
ちなみに、自分のまわりに「性悪な人はいますか」という問いかけもしましたが、いるという人はたぶんそうはいないでしょう。でもなぜかその外には「性悪な人」を想像してしまう。不思議な話です。
報道から与えられる情報によって、私たちの人間観や社会観は大きな影響を受けます。
それに振り回されることなく、まずは実際の自分の周りの人との関係の中から、しっかりと自分の人間観や社会観を育てていきたいものです。そういう意味でも、こんな話し合いを時々していきたいと思います。
長い報告のわりには、話し合いの内容をほとんど紹介できなかったのが残念です。
しかし、他者もみんな自分と同じように「善い人」だと思えば、人生はとても生きやすくなる。時に裏切られることもないとは言えませんが、それには多分理由があるのでしょう。好き好んで人を裏切る人はそうはいないでしょう。それに、みんなから「善い人」だと思われていることがわかれば、多くの人は「善い人」になるでしょう。
ブレグマンは「希望の歴史」を次のような文章で締めくくっています。
「私たちは、本当は惑星Aに住んでいて、そこにいる人々は、互いに対して善良でありたいと心の底から思っているのだ。だから、自分の本性に忠実になり、他者を信頼しよう。最初のうちあなたは、だまされやすい非常識な人、と見なされるかもしれない。だが、今日の非常識は明日の常識になりえるのだ」。
そしてこうも書いています。
「わたしたちが、大半の人は親切で寛大だと考えるようになれば、全てが変わるはずだ」。
ブレグマンの「希望の歴史」を読むと元気が出てきます。
もしお時間があればぜひお読みください。
そしてまずはコンビニで買い物をしたら「ありがとう」と言ってみませんか。
何かが変わりだすかもしれません。
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