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2021/12/01

■節子への挽歌5202:夜が明けません

節子

今年ももう12月です。
その12月は、激しい雨の日で始まりました。
5時に目が覚めたのですが、まだ空は真っ暗。

いまはもう7時近くになっていますが、まだ夜はあけていない感じです。
いつもであれば、東に太陽が顔を出して陽光が射し込んできているのですが、今日はまだ薄暗く、強い雨の音が聞こえています。
雨のせいなのでしょうが、それにしても夜明け感がまったくなく、不気味な感じの朝です。まるでだれかが時間を止めているような気がします。気のせいでしょうか。

最近、どうもよく眠れません。
生活リズムが全く変わってしまったからかもしれません。
自分でも信じられないのですが、夜に何かをやる気が全くなくなってしまいました。
はやい時には8時過ぎにはベッドに入る日さえあります。

もちろんそのまますぐ寝るわけではなく、ベッドで本を読むのです。
毎日、むかし読んだ本や読まなかったままの本を、書棚から5冊ほど選んで、それに目を通し、面白ければ読むのですが、面白い本に出合わないときには、すぐに眠くなって眠ってしまうこともある。

あまりに早く眠ると12時前に目が覚めることもあります。
目が覚めるとまた本を選んで適当なページを開いて数ページ読む。
そこに考えたくなるような指摘があれば、本を閉じて、その指摘を自分ながらに考える。
そうすると眠れる時もありますが、目がさえてきて、眠れなくなることもある。
5時過ぎに目が覚めたらそのまま起きるようにしています。
それまでは目が覚めても、ベッドに留まって、何かについて考えを巡らしているのです。

こういう習慣に陥っているため、どうも熟睡感がありません。
決して寝不足ではないとは思いますが、しかし何となく朝はすっきりせずに、お昼過ぎになると眠くなる。困ったものです。

今日は5時に起きて、本を読んでいました。
先月、集中的にマルクスの資本論を読んだのですが、あまりに集中してしまったため、その後、じっくりと本を読む気が起きなかったのですが、何とかまた読めるようになりました。

もうじき7時ですが、まだ外は暗く、夜明けを感じません。
気のせいではなく、自然は何かをメッセージしているのではないか、そんな気がしてなりません。
今月からもう少しきちんと生きようと思い直しています。
最近いかにも無為に過ごしていましたから。

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