■湯島サロン「能力主義社会をどう考えますか」報告
「能力主義の社会は生きにくい」という23歳の渡邊さんに問題提起してもらって話し合うサロンは、20代の若者4人、引きこもり体験を公開している人4人と、いつもとはちょっと違ったメンバーのサロンになりました。若い世代の人たちが、生きにくさを強く感じていることの現れかもしれません。
それぞれの自己紹介の後、渡邊さんが、なぜ「能力社会が生きにくいと思ったか」を、自分の体験談として生々しく語ってくれました。そして、参加者に「能力」をどう捉えているかを問うところから話し合いがはじまりました。
それに呼応する形で、若者たちはそれぞれが自らの体験談を語ったのと対照的に、高齢世代は考えや体験談を「言葉」や「知識」で語ったような気がします。世代間の交流ができたかどうかは心配ですが、今回の話し合いの発言の主役はやはり若い世代でした。
若者たちの話は、生々しく、それこそ家族を含めたプライバシーにかかわることも多く、その内容はさすがに書きにくいので、省略します。オフレコであればこそ、自由に話し合えることもありますから、お許しください。
代わって、私の感想や気づきを紹介させてもらうことにします。
渡邊さんから能力主義社会という言葉を聞いた時、その対語として思い浮かんだのは、「身分制社会」でした。能力主義社会は本来、身分制社会や階級社会とは違い、個々人のさまざまな能力が活かされる生きやすい社会ではないのかという思いを、問い質される問いかけでした。
案内にも書きましたが、私が大学を卒業したころ翻訳されたマイクル・ヤングの「メリトクラシーの法則」には、能力主義の行き着く先の2033年の社会は新しい身分制社会になっていると予想されていました。しかし当時の日本では、身分や階級を超えて、個々人の能力で生き方が決められる自由な社会が能力社会ではないかという捉え方が多く、ましてや若い世代の私は、そこに大きな可能性を感じていましたから、暗いイメージを予測する「メリトクラシーの法則」には、違和感をもっていたのです。
今から振り返れば、ヤングの不安は見事すぎるほどに的中しています。
ただし、「能力」をどう捉えるかによって、能力社会のイメージは全く違ってきます。
能力は個々人の中に多様に存在し、それを活かし合うのが能力社会だと捉えれば、明るいイメージが開けます。逆に、「能力」の尺度が単一になってしまうと、それによって上下関係が生み出され、排除される人が出て来てしまいます。
問題は、「能力」をどう捉えるかなのです。たぶん、渡邊さんが生きづらいと思う能力社会は後者なのです。
渡邊さんもまた、親や世間の常識から、「いい大学に入りいい組織に入り、高収入を得る」という視点での能力に呪縛されていたようです。それが彼が生きにくいと思い、引きこもりがちになった理由の一つです。
しかし、最近、世界を少し広げ、さまざまな人に会うなかで、それとは全く違う能力があることに気づかされ、自分の能力にも気づきだしたおかげで、渡邊さんは生きやすくなってきたそうです。
そこで、渡邊さんは「能力」とは何だろうかと考え始めた。そして今回のサロンでも、最初にみんなにそれを問うたのだろうと思います。
問題は、「能力主義社会」ではなく、「能力の捉え方」だったのです。
能力をどう捉えるかで、世界は全く違って見えてきます。
能力の評価軸はさまざまです。にもかかわらず、最近の多くの人は、能力を金銭軸で捉える発想に浸りきっている。
最近の日本は、スポーツ能力も芸術関係の能力も、ともかくすべての能力が、金銭につなげられてしまうような社会ですから、そうなってもおかしくはありません。
能力評価軸が一つになれば、当然その評価軸を基準に上下関係が生まれ、新しい身分社会が生まれてしまう。誰もがそれぞれに能力を持っているはずなのに、なぜか能力を持っている人もっていない人というようなおかしな考えにみんな疑問を持たなくなってしまう。同じ「能力」という言葉でも、その意味は全く違います。
「自分ができることが能力」と考えるのではなく、「自分には不得手な能力」ばかりを気にして、「ない能力」を口実に自分の「身分」を決め込んで引きこもっていくわけです。それは、すでに今の社会の風潮に呑み込まれてしまっていて、私からすれば、「能力社会の真反対の身分制社会」に生きていることになる。
それにしても多くの人がテレビやネットや本から与えられた社会像を真に受けて、それに呪縛されて、何とかそれに合わせて生きようとしている状況がここまで進んでいるのかと驚きました。私の若いころは、知は新しい世界を拓くための力と言われていましたが、今や知は「監獄」への誘い水になっている。
そういう社会をつくってきたのは私たち世代なのでしょう。
若い世代に閉塞感を与えているのは、たぶん、子どもたちを育ててきた私たち世代の生き方なのではないか。もしそうなら、今日からでも生き方を変えるべきではないか。
ちなみに、私は今回のサロンで悲観的になったわけではありません。
むしろ逆です。20代の若者たちの発言に、改めて大きな光を感じたからです。
新しい世代が育ち始めている。
私たちも、彼らに見習って、生き方を変えたいものです。
そんな思いを強く受けました。
そして、誰もが持っている「自らの独自の能力」を認め合い、活かし合うような社会をつくっていければと思います。
今回のサロンに参加した若い世代からは、またそんな理想論を言うなと批判されそうですが(今回、私はかなり批判されました)、めげずに言い続けたいと思います。
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