■節子への挽歌5194:ゆっくり回る走馬灯
節子
にこによると、私ももうじき死ぬようですが、それで気づいたのですが、私が最近見ている夢は、私の過去を思い出す走馬灯のようなところがあります。
よく「死の直前には走馬灯のように過去の記憶がよみがえる」と言われますが、最近の夢は後で考えるとどうも私の過去を再現しているようなものが多いのです。
登場人物も実に様々で、もうすっかり忘れていた懐かしい人が登場することもあります。
夢の内容は起きるとすぐに忘れてしまいますが、起きた瞬間には、なにやら懐かしさとか充実感とか苦々しさと、過去の記憶につながっている気がします。
昨夜見た夢は、あるイベントを行うかどうかを仲間に説得している状況でしたが、以前実際にあったこととかなり重なっている気がします。
メンバーも懐かしいメンバーで、もうこの数年会ったこともない人たちです。
まあこうやって「ゆっくりと回る走馬灯」を見ているのかもしれません。
もちろんだからと言って死期が近いというわけでもないでしょう。
でもその一方で、死期はすでに決まっているという思いを私は強く持っていますので、近いのかもしれません。
それを知っているのは死神しかいない。
昨日も私よりもかなり上の高齢者おふたりから電話をもらいました。
お互いの無事を確認する意味でも、高齢者になると電話をしたくなるのかもしれません。
しかし私はどうも逆で、今も気になる人が一人いますが、電話をする気にはなれません。
それにまだその人は、ゆっくり回る走馬灯には登場しませんので。
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