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2021年12月

2021/12/31

■節子への挽歌5252:節子不在の人生にも慣れてきました

節子

この挽歌は、節子が旅立ってから基本的に毎日書くことにしていますので、番号と節子がいなくなってからの日数は一致するようになっています。しかし、時々、書けなくなる時期があるので、時々、それがずれてしまうことがあります。
実は最近大きくずれていたので、年内に挽回して、両者を一致させて新年を迎えたいと思っていました。しかし、あまりにずれが大きくなっていたので、無理だろうなと思っていたのですが、この数日がんばったおかげで、奇跡的に一致させることができました。

つまり今日は節子が旅立ってから5252日目だということです。
言い換えれば節子がいない人生を、私は5252日、生きてきたわけです。
節子が知ったらどういうでしょうか。
「節子がいない人生は考えられない」と私は言っていましたが、それが嘘だったじゃないかと笑われそうです。

しかし、ある意味ではそれはもちろん嘘ではありません。
人生の意味が全く変わってしまったのです。

それはそれとして、今年は改めて、その「変わった人生」を考え直す余裕ができてきたように思います。
そのきっかけは、娘家族と同居したことで過去のものを捨てることになったことです。
惰性的に生きている、いまの生き方はもうできなくなったのです。

節子との人生も、大きく見直すことになりました。
節子不在の人生に慣れてきたといえるかもしれません。
いや慣れなければいけなくなったと言うべきでしょうか。
そのおかげで逆に現世へのこだわりはすっかりなくなりつつあります。

来年はさらに変われるかもしれません。
いつ節子が迎えに来てもいいようぬ、来年はさらに身の回りの整理をしようと思います。

そろそろ今年も終わります。
年を超えることの意味も、最近はほとんど感慨ないものになってきています。

淡々と生きる。
来年はそういう生き方に移れそうです。

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■節子への挽歌5251:両親への挨拶

節子

今日は大忙しの日になりました。
「みんなごくろうさん会」を終えた後、少し休んでいたら、近くに住んでいる兄から電話がありました。
特にどうという電話ではなく、まあ元気の確認電話だったのですが、ユカがせっかくなので年末の挨拶に行こうと言い出しました。
予定では年始に挨拶に行く予定だったのですが、年始はお互いにいろいろとあるだろうからというのです。

そこで思い切って、ユカと一緒に、両親への挨拶も含めて訪問することにしました。
挨拶と言っても、両親はもちろんもう亡くなっています。

両親の仏壇を兄夫婦に守ってもらっているのです。
まあこれにもいろんないきさつがあるのですが、それはともかく、時々、挨拶に行っているのですが、今年はコロナの関係もあって、一度しか行っていませんから、せめて年末にもう一度と思ったのです。

兄夫婦は2人とも元気で、いまも兄は松戸市の学校に教えに行っているし、姉は趣味のダンスの指導をやっているのです。
しかし2人ともやはり歳には克てません。
姉は先日急に倒れてしまい、大騒ぎを起こしましたし。兄はがんと付き合っているので定期的に検査入院を繰り返しています。
かくいう私も元気とはいえ、いつどうなるかわかりません。
だから定期的にあっておかないと、お互いに悔いを残しかねないのです。

ユカは、とてもやしい人ですから、兄夫婦にも好かれていますし、彼らもユカにとは付き合いやすいのです。
私と兄だけだといつも喧嘩になりそうですが、ユカが入ると平和に付き合えます。
ユカのおかげで、兄夫婦との付き合いは助かっています。

久しぶりだったので、仏壇に挨拶したらすぐ失礼する予定が、話が弾んでしまい、ちょっと長居をしてしまいました。
みんな誰かと話したいのです。
ユカに付き合ってもらってよかったです。

まあ今年はお互いに無事年を超えられそうです。
兄夫婦の娘たちは少し遠くに住んでいるのですが、正月には戻ってくるそうです。
私は常時娘たとと同居していますが、時々戻ってくるのもいいものでしょう。
しかし高齢になるとやはり同居している私がうらやましいようです。
それを知っているので、兄夫婦にもユカにも、私と同じように頼みを聞いてやってくれと言っています。
だから兄夫婦にとっても、ユカはありがたい存在なのです。

こういう関係が昔はもっとあったはずです。
その文化を少しでも残せるのは、私にはうれしいことなのです。

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■節子への挽歌5249:年末お疲れさま会

節子

今年はユカの提案で、みんなでの年末お疲れさま会をお寿司にしました。
最近は近くにお寿司屋さんもなくなったので、大手チェーン店の銀の皿から届けてもらいました。

節子がいなくなってからも、お寿司事情は大きく変わっています。
両親と同居していたころのお寿司と言えば、まだ回転ずしなどもなく、きちんとしたお寿司で、ちょっとした晴れ気分を味わえました。
しかし、両親が亡くなってから節子が主役になると、次第になにかあると手巻き寿司パーティになりました。
節子はいろいろと道具もそろえ、具もたくさんありました。
その文化は節子がいなくなってからも続きましたが、経済的な理由で具の種類は減りだしました。
それにわが家の家族はみんなあまり大食ではなく、小食なのです。

そこで今年は、久しぶりの年末のお寿司です。
しかし近くにお店がないので、全国チェーンの銀のさらに頼んでしまいました。
孫ににこもお寿司が大好きなので、きちんと一人前を食べるのです。
にこもこんなに大きな容器にお寿司が並んでいるのは初めてなので大喜びでした。

今年は娘の連れ合いの峰行にとっては大変な年でした。
コロナの関係で、イタリアンのエヴィーバがいろいろと制約を受けたのです。
なんとか危機を乗り越えたのですが、心労も多かったことでしょう。
しかもまだ苦労は続いているようで、お店を手伝ってくれる人がなかなか集まらないようです。いまは何とか回していますが、先行きが心配のようです。

峰行ほどではないとしても、今年はみんないろいろと苦労の多い年だった気もします。
娘たちもそれぞれに苦労がありましたし、私もなかったとは言えません。
それでまあ「みんなごくろうさん会」になったわけです。

今日のために、私はワインを用意しておいたのですが、年末に中途半端な片付けをしてしまったために、どこにしまったのかわからなくなってしまい、結局、会食には間に合いませんでした。
本来なら昨日から冷やしておくべきだったのですが、それもすっかり忘れてしまっていました。
幸いにユカが、峰行用の、ちょっと珍しいビールを用意していたので、何とか間に合いましたが。

お寿司はおいしかったのですが、やはり手巻きずしの方が楽しいですね。

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■節子への挽歌5249:大みそかのお墓参り

節子

みんなでお墓の掃除に行きました。
毎年恒例の行事です。
孫も一緒です。

掃除を終え、花を替え、お線香を上がましたが、般若心経を唱えだしたらうまく出てこないのです。
最近、毎朝の読経を「ギャーテイギャーテイ ハーラ ギャーテイ」と最後の真言だけで省略していることがたたったようです。
やはり手を抜いてはいけません。

思い出せないので、今年はお墓でも省略版の読経で済ませてしまいました。
来年からはまた心を入れ替えて、きちんと読経することにします。

お墓掃除を終えた後、本堂にまわり、みんなでお礼をしました。
わが家のお墓のある宝蔵院は、真言宗豊山派のお寺ですが、むかしの久寺家城の後の高台にあります。昔は「久寺家」も「久寿家」とも書かれていたようです。

コロナ騒ぎで、去年も今年も、除夜の鐘をみんなでつくのは中止です。
以前はお寺の近くに住んでいたので、みんなで鐘つきに来たものですが、駅の反対側に転居してからは来たことはありません。
でも大みそかの夜に除夜の鐘をつくのもいいものです。

まだ節子と結婚する前ですが、一度、京都の知恩院の除夜の鐘をついたことがあります。
あの時は、知恩院を皮切りにいろんなところを回りました。
あの頃の京都はまだ、さほど観光産業化されていなくて、親しみもありました。
どこの寺社も、予約などしなくても簡単に行けました。

気のせいか例年よりもお墓掃除に来ている人は少なかったような気もしますが、こういう文化がまだ残っているのはうれしいことです。

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■節子への挽歌5248:今年最後のミスでした

節子

いそいでサイゼリアに駆けつけたのですが、なぜかまだ開店していませんでした。
そこでやっと気がついたのですが、約束の時間を1時間間違っていました。
今年最後のミスです。たぶん。

なにかしないと悔しいので、朝の手賀沼の写真を撮ってきました。
ついでに家の写真も。

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それにしても今年もまたミスの多い1年でした。
ユカからは、もっと丁寧に生きろ、とよく言われます。

そういえば、節子からも同じようなことを言われたこともあります。
なににしても、時間ギリギリだったら、粗雑にやりすぎると言われたことは何回もあります。
まあ、そういう節子もかなりミスの多い人でしたから、お互いさまでしたが。

しかし例えば年賀状にしても、節子は1枚ずつ丁寧に時間をかけて書いていました。
節子が1枚を仕上げる間に私は10枚以上を仕上げていました。
それで節子は、私の年賀状には気持ちが入っていないと言っていました。
私としては、それなりにその人を思い出して一言書き込むくらいのことはしていたのですが。
でもまあ今にして思えば、節子の言う通りです。

時間の約束を守ることにはかなり気を付けていますが、その基礎である、時間を間違えたりすることも少なくないのです。
たしかにもっと丁寧に生きたほうがいいです。
来年からは少し気をつけようと思います。

さて今度は間違いありません。
そろそろ出なければいけません。

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■節子への挽歌5247:今年最後の相談を受けに行ってきます

節子

何と今日まで相談を受けることになりました。
大みそかではあるのですが、相談があると言われると断れないのが私の弱いところです。
お墓の掃除に行かないといけないので、11時以降は時間が全く取れないので、その前に近くのサイゼリアで会うことにしました。

さてどんな相談でしょうか。
ある程度話は聞いているのですが、何が問題なのかがまだ理解できずにいます。

相談に来る人は少なくないのですが、だいたいにおいて相談するポイントが整理されていないことが多いのです。というよりも、何が問題なのかを整理するためにやってくる人が多いのです。それにだいたいの場合、相談の答は自分で何となくわかっているケースが多い。ただ話したいだけではないかということが多いのです。
今回はどうでしょうか。

と思っていたら、今度は別の人から電話です
その人と話し出すといつも長電話になるので、できるだけ挑発に乗らないようにしようと思ったのですが、ついついまた余計な発言をしてしまい、長くなってしまいました。
そんなわけで、暇なはずの大みそかがなにやらいささか気ぜわしくなってきました。

のんびりと挽歌を書いている場合ではありません。
そろそろ支度をしないと間に合わなくなってきました。
ひげも剃っていないし、いささかのんびりしすぎてしまいました。
でもこれで何となく大みそかの気分になれそうです。

これから急いで出かける準備です。
こういう、間に合うか間に合わないかの緊張感が、私は好きなのですが。

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■節子への挽歌5246:大みそかの朝に暇に任せて想うこと

節子

大みそかの今朝も、5時前に目が覚めてしまいました。
以前は大みそかと言えば、てんてこ舞いの大忙しさでしたが、節子がいなくなってからは、なぜかそういう生活から卒業しました。
年末と言っても、年賀状も書かなくなりましたし、最近はホームページの更新も中断してしまっています。
大掃除も今年は、娘たちとの同居で生活空間が半分になったので、ユカ任せですし、仕事らしい仕事も最近はしていないので、やらなければいけないことはほとんどないのです。

しかし考えてみると、以前はなんであんなに忙しかったのでしょうか。
会社時代、よく正月休みにはゆっくりとして本でも読もうと思うとかいう人がいましたが、私の場合は正月休みは普段に増して忙しかった。
会社時代には、正月休みには役員向けのレポートを書いていたり、やり残した仕事を持って帰ってやっていたり、仕事人間だったこともあります。
記憶に残っているのは、懸賞論文で当時まだ会社にもなかったワープロを賞品でもらい、それを使って、会社の基本方針を変える提案の役員向けレポートをつくり、年明けに全役員に配布したらそれが話題になったことです。そしてそれが大きなプロジェクトになって、私は人生を変えてしまった。
あの頃は、なんとか会社を変えようと頑張っていました。

家族でもよく出歩きました。来客もあり、三が日は近くの神社やお寺への初詣でしたが、成田山に行って大変な目にあったりしたこともありました。
いつも忙しい年末年始でしたが、最近はやることがないほど退屈な時もあります。
コロナもあって新年の来客は全くありませんし、私も出かけない。
コロナは日本の文化をかなり壊しているような気もします。

今朝も早起きしましたが、とりわけやることもない。
まあ「積み残したこと」は、山のようにあるので、その気になればやることはたくさんあるのですが、その気にならないのです。

最近、本も購入していないので、読む本もない。
昨夜は昔読んだ大化の改新や壬申の乱の関係の本を5~6冊引っ張り出して、ベッドで読んだのですが、一度読んだ本なので1時間もあればすべて読んでしまえる。もちろんポイントだけしか読まないような粗雑な読み方ですが、なんとなく思い出せて、また新しい物語が組み立てられるのです。まあ私の最近の読者スタイルはそんな感じなので、1日に10冊くらいは読めてしまう。テーマがあればですが。

というわけで、早く起きたのにやることがないのです。
困ったものです。

人生のパートナーがいないとこんなにも退屈なのかと不思議に思います。
そういう生き方に、私はなってしまったのです。
一人で生きていくことができなくなってしまった。

一昨日のサロンで、40代の引きこもり体験者から「佐藤さんは孤立とか孤独を感じたことはないのですか」と問われました。
思い返したのですが、そういう感覚に陥ったことは私の場合はないのです。
というか、孤立とか孤独とかということが、そもそも感覚的にわからない。
ある意味では、サロンでみんなとにぎやかに話していても、誰も私のことなどわかってはいないだろうなという感覚はあるのですが、それが孤立や孤独とは思えない。
そもそも人は分かり合えるはずもないと学生の頃から思っているからです。

でも節子は違っていた。
節子を伴侶に選んだ時に、これからは2人で生きていこうと決めたからです。
彼女には私のすべてをシェアしてもらおうと頑張った時期もあり、やはりそれができないなと思った時期もありますが、結果的には私の半分は節子に乗っ取られることに成功した気がします。

だから、節子がいなくなった後は生きるのがやっとになってしまった。
いや、実はもう生きていないのかもしれません。
そんな気さえする。

まだ外は真っ暗です。
やることもないのに、早く起きすぎました。
やり残していたことをやろうかと思います。あまり気が進みませんが。
ほんとうはやることはやまほどあるのですから。

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2021/12/30

■節子への挽歌5245:年末の訃報はがきが今年は少なかった

節子

毎年、12月には訃報のお知らせはがきが届きます。
しかし、今年はいつもよりとても少なく、5通ほどでした。
例年だと時に10通を超えていたような気がしますが。

年賀状をやめたことも影響しているのかもしれませんが、交流関係が減ってきたのかもしれません。
実際には、友人知人の訃報は今年も決して減ってはいません。
訃報のはがきは来ませんが、訃報の知らせも少なくありません。

年賀状はやめましたが、むしろ訃報をもらった友人には手紙を書きたい気分になっています。しかし、実際にはがきを出して書こうと思うと何を書いていいかわからず、まだ書けていません。

出そうと思ったのは、会社時代の後輩です。もう30年近く会っていませんが、毎年、私が出さないのに年賀状が届いていたのです。彼女はメールをやっていないので、手紙を出すしかありません。パソコンだとすらすら出てくるのですが、最近は手紙を書いていないので、なかなか書きだせないのです。困ったものです。
年を越しそうです。

年を越すと言えば、年内と思っていたいくつかのことは年を越してしまいました。
自治会の関係も地域活動の関係も、いくつかかなり重要なことを年越しさせてしまいました。
そんなこともあって、ますます年越しの実感が出ないのかもしれません。

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■節子への挽歌5244:花かご会に若い仲間ができそうです

節子

先日、花かご会のことをフェイスブックに書いたら、早速に30代の女性から花かご会に関心があるという連絡をもらいました。
それで代表の山田さんにお引き合わせしました。
もしかしたら後継者になってくれるかもしれません。

また節子もよく知っている人が、花かご会の活動に感謝しているとコメントを寄せてくれました。
知らない人からもいくつかコメントがありました。
私がうれしがることもないのですが、なんだか少しうれしい気分でした。

ある人がコメントをくれましたが、市民活動は世代を超えて継承していくのが難しいです。節子の場合は、山田さんという人がいたので、幸せでした。改めてそう思います。
私の場合、コムケア活動は見事に失敗しました。
まあいささか構想が大きすぎましたし、それにしてはチームワークになっていませんでした。いまにして思えば、いろいろと反省点が少なくありません。

今年はどうも年末気分が出てこなくて、今日も普段通りに過ごしました。
一応、表面的な片付けはほぼ終わりましたが、要するにどこかに隠すような片付けなので、問題はあまり解決していないのです。
湯島の片付けも中途半端になっています。
だんだん物を持っていることのマイナス面が強くなってきているのは事実です。
来年こそは思い切って一層の整理に取り組もうと思います。

今年もあと1日。
まだどうも実感はできませんが。

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■今年最後のオープンサロン報告

今年最後の湯島のサロンは、10人の参加者がありました。
今年一番若い4歳の参加者もいました。
最初に集まった5人のうち偶然にも4人が寅年生まれでした。
それも30代、40代、70代と多世代の寅年生まれです。
これも何かの意味があると私はつい考えてしまいます。

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話はオープンサロンらしくさまざまで、アニメやゲームの話、日本文学の話、あるいは台湾問題や国内政治問題など、実に多様でした。
政治から経済、そして文化へと話がどんどん飛び交うのが、サロンの面白さです。

予定では4時に終わるつもりが、一向に終わる気配もなく、だんだん人数は減っていきましたが、終わったのは5時半過ぎです。
しかも最後はまたサロン主宰者の私の性格の悪さが問題になりました。
このテーマになるとなぜかみんな燃え上がります。困ったものです。
しかし、主宰者が批判されるのはいいことです。
私も少しは成長しなければいけません。

来年は18日にオープンサロンをやる予定です。
今年はたくさんの気づきをいただきました。
ありがとうございました。

 

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■正月休みにもしできれば読んでほしい本の紹介

来年からいよいよ改憲論議が国会でも具体的に動き出しそうです。

私は、すでに法治国家ではなくなった日本において、憲法意識があまりに軽くなっていることこそが問題ではないかと思っていますし、その意味では、護憲派も改憲派も同じように見えてしまうのですが、しかし無関心ではいられません。

私の憲法観からすれば、憲法条文の問題ではなく、私が住んでいるこの国をどういう国にするかという議論こそが、憲法論議だと思うのですが、多くの人は「まずは〇〇条から検討しよう」などと、私には小賢しく思えることしか言いません。

また憲法は、自分の生活意図は縁がないと思っている人も少なくないように思います。
しかし昭和時代を思い出せば、憲法こそが私たちの生活を規定していることは明らかです。いまの私の生活は、間違いなく日本国憲法に支えられています。
でもその憲法が、今や改憲派はもちろん護憲派によっても踏みにじられようとしている。

そこで、もしお正月に時間があって、何か本でも読もうかと思っている人に、ぜひ読んでほしい本があります。
最近出版された内田樹さんの「戦後民主主義に僕から一票」です。SBクリエイティブから出ている新書です。とても読みやすい本です。
特に、その第3章「憲法」のなかの「憲法について」を読んでほしいと思います。その部分であれば、新書版40頁ですので、30分もあれば読めるでしょう。

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もしそれを読んで、少し共感することがあったら、ぜひその前後も読んでください。
そして、もしできれば、そこからお正月の休みの間に、憲法や日本の今の政治状況に、少し思いをはせてもらえればと思います。そういう人が一人でも増えれば、私の生きやすい社会に一歩近づくと私は確信しているからです。

もしその本を読んで話したくなったら、ぜひ湯島に来てください。
憲法サロンは毎年5月の上旬に行っていますが、今年はそれ以前にもまた「憲法サロン」をやりたいなと思っています。憲法サロンをやろうという方がいたら、ぜひご連絡ください。すぐにでも企画しますので。

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2021/12/29

■節子への挽歌5242:また若い人たちに話し方が悪いと注意されました

節子

今日は今年最後のオープンサロンでした。
今年は毎月7回前後のサロンをやったので、かなりの回数になりました。
一番参加回数が多かったのは、たぶん鈴木さんで、71回だそうです。

今回も10人の参加がありました。
体調があまりよくないはずなのに渕野さんも来ましたし、年末で忙しいだろうに鷹取さもきました。我孫子の林さんは4歳の娘さんも連れてやってきました。

オープンサロンは気兼ねなく何でも話せるからテーマサロンよりもいいという2人の若い世代の人も2人来ました。
この2人は今年後半のサロンにはよくやってきました。
たぶん自分の生き方探しの意味もあると思いますが、その関係で、私にもかなり激しくぶつかってきます。もちろん私も激しく言い返しますが、彼らはある事情を抱えていることを私にわかってほしいというのです。

5年前の私なら、素直にその要請を受けたでしょうが、いまは受けません。
相手が口にする個人の事情はあえて無視するのが最近の私の対応です。
口にしたことの後ろが、最近は私には感じられるようになってきた気がするからです。
だから一見、厳しく否定的に受け取られるようですが、そんな軽い付き合いは私の趣味ではありません。どうせ付き合うなら、いつでも真剣に誠実に付き合いたのです。

まあこういう生き方だから、これまでも失敗してきたのでしょうが、その傾向が年とともにますます強まってきているような気もします。
困ったものではありますが。

サロンは3時間の予定で、一度終わりそうになったのですが、そこからさらに1時間半、またまた私がやり玉に挙げられたようなサロンが続きました。
サロンでの私の話し方も批判されましたが、私の言葉はどうもきついようです。
ユカからも言われていることですが、節子もきっとそう思っていたのでしょう。

そういえば、節子は私のことを、神と鬼が同居しているようだといっていました。
でもまあ、鬼も神も私には同じ存在ですので、節子は私をしっかり理解してくれていたのだろうと思います。

しかし来年は少し話し方には気をつけようと思います。
あまりできるとは思いませんが。

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■節子への挽歌5241:今年最後の自治会作業

節子

最近、自治会の活動をさぼっていました。
そのため、かなりの書類がたまっていました。

昨日、社会福祉協議会の坂巻さんが「社協だより」をまたどさっと持ってきてくれたので、どうしようか迷ったのですが、年内に消化しようと思い立ち、これまでのものを整理しました。
作業などが必要なものは一応対応しているのですが、まあいろいろとあります。
年内に回覧に回そうかどうか迷ったのですが、回覧係に確認したら、年内でもいいと言うので、今朝は朝一番で今月の活動報告を回覧用にまとめてコピーしました。

いささか急ぎにやっつけ仕事的ですが、一応、いま終えて、気分的にすっきりと新年を迎えられそうです。
でもまあこういう事務作業は本当に苦手です。
困ったものですが。

自治会活動は、前回は節子の発病で、また今回はコロナの再流行で、いずれも思うようにできませんでしたが、これは言い訳でしかありません。
今回は、やればいろいろとできたのでしょうが、いささか時流に乗りすぎてしまいました。最初の時の思いは持続しなかったというわけです。

それでも自治会会長を引き受けたおかげで、いろいろなことに触れることができました。
新しい知人もできましたし、地域でのあいさつも増えました。
毎年自治会の会長が変わるのもよくないなと思いながらも、それを変えるような提案をしようというところまでに至りません。地域活動は、地は知的な住民活動とは違い、みんなの組織活動ですから、提案した以上は大きな責任が発生します。その重さに耐える自信は今は皆無です。困ったものですが。

今日は湯島で最後のサロンです。ついでに掃除もしないといけません。
いつも掃除の途中で誰かがやって来て中断させられるので、今日は早めに行って一人でやろうと思いましたが、自治会の作業ですっかり出遅れた上に、相談したいという人が現れて、今日も中途半端な掃除に終わるでしょう。

それにしても年末らしさの気分が出ない年末です。

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2021/12/28

■節子への挽歌5240:早く逝くべきはやはり父親ですね

節子

正月の買い物にユカに付き合いました。
すでに一度もう行っているのですが、今日はその補足と花が中心です。
それで最近開店した手賀沼対岸の道の駅に行きました。
開店日に来たのですが、あまりの込み具合に、お店に入らずに帰ってしまったのです。

道の駅だけあって、野菜が豊富です。
同じ野菜も農家ごとに出しているので、たくさんあります。
花や加工品もあります。

節子だったら、いろいろと買うことでしょう。
しかし最近のわが家の家計はかなり厳しいので、節子がいたら買うだろうなと話しながらスルーしてしまいました。
節子も知っている杉野さんは、花も含めていろいろと出品していました。
残念ながら花はお正月用のものではなかったので、別の人の花を買ってしまいましたが。

野菜と花などを購入してからいつものスーパーにも立ち寄りました。
今日はシニアデーと言って、高齢者の私が同行すると5%引きになるのです。
したがって毎週、この日は私は駆り出されるのですが、私が行くと余計なものを購入するので結果的には支払額は増えるのですが、買うほうはなんだか得をした気分になるのです。うまくできています。

お店で越岡さんに声をかけられました。
最近はみんなマスクなので私は気づかないことが多いのですが、よく声をかけられます。
買い物かごを持たずにぶらぶらしているので目立つのでしょうか。
あるいは女性は人を見分ける力が男性よりも強いのかもしれません。
越岡さんとは昨年知り合いましたが、今年は連れ合いを見送り大変だったはずです。
でもその後も、集まりなどにも時々来てくれています。

正月の料理も花も、年々、地味になってきました。
節子がいた頃の華やかさはなくなってきました。
父親と娘というのは結構むずかしいものがあります。
やはり残るべきは私ではなく節子であった方がよかったといつも思います。
だんだん私も娘たちには邪魔な存在になっていくような気がしてなりません。

妻よりも早くいった友人が、ある意味うらやましい気もします。

 

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■湯島サロン「世の中にもっと増えればよいと思うもの」報告

今年最後のテーマサロンは、鈴木さんの「世の中に増えるとよいと思うもの」でした。副題に「コロナ禍の「湯島巡礼」で感じたこと」とあるように、鈴木さんはコロナのためにこの2年、サンチアゴ巡礼に行けなかった代わりに湯島のサロンに今年だけでも70回以上参加し、その中でいろいろと考えたことを話してくれました。

驚いたことに参加者が15人。今年のサロンで一番、参加者が多くなりました。
鈴木さんはいつもサロンでは聴き手にまわってくれているので、その鈴木さんがサロンから何を感じているのかはとても興味のあるところなのかもしれません。

湯島のサロンでは、「生きにくさ・生きやすさ」が大きなテーマになっていますが、鈴木さんは「こういうものがもっと増えれば、もう少し生きやすい社会になるのではないだろうか」という視点で、5つのことをあげてくれました。
それは「聞いてくれる人、聞ける人」「好意的な関心」「否定されない場」「議論よりも対話(ダイアローグ)」「弱く多様なつながり」でした。
そしてそれぞれに関して、鈴木さんの個人的な体験も含めながら、その意味を話してくれました。

それらはサンチアゴ巡礼で体験してきたことであり、湯島のサロンにもそういう要素があると感じているそうです。
鈴木さんは最後に、「湯島のサロンは巡礼宿(アルベルゲ)」とおまけをつけてくれましたが、サンチアゴ巡礼者からそういってもらえるのはうれしい話です。

その後、話し合いにはいりました。
私は、これ以外にも「もっと増えればいい」と思っていることはないかと参加者に問いかけましたが、他にはあんまり出てこなかったばかりか、参加者はみんなこの5項目にとても共感したようです。

もしそうであれば、その実現はとても簡単です。
その気になれば、誰にでもできます。
たとえば、「他者の話を聞こうと心がける」「好意的な関心を持つようにする」「自分では他者を否定しない」「議論よりも対話しようと心がける」「弱いつながりを生み出すために誰かに会ったら挨拶をする」。こうしたことは、だれにでもできることです。だからこの5つは、今日からでも自分で増やしていけることではないかとみんなに問いかけました。

でもなぜかそうならない。すぐに否定と議論が返ってきました。
やはり鈴木さんが言うように、実際にはこの5つはあまり存在しないのかもしれません。

いいかえれば、これらはまさに「世の中にもっと増えればよいもの」ですが、結局、誰もがそれを自分では増やそうとはしていない。
こう書いてしまうと身もふたもないのですが、「青い鳥」のように、本当は自分の近くにあるにもかかわらず、みんなそれに気づいていないだけかもしれません。

鈴木さんの評価に反して、湯島サロンの主宰者として今回は、あえて私も相手の言葉を否定し、聞くよりも話すことを優先して議論を挑んでしまいました。巡礼宿の主人としてはあるまじき態度です。
しかし私は、6番目に、そういう「忌憚なく異論反論をぶつけ合う場」も、もっと増えたほうがいいのではないかと思っているのです。

湯島では時にかなり激しい議論がありますが、終わったらお互いにさっぱりして、何のわだかまりも残さない(残す人もいますが)。これはサンチアゴ巡礼宿には多分ないことでしょう。
言い換えれば、感情を素直に出しても、しこりを残さないし、遠慮もされない。そういう思い切り素直に振る舞える場もまた、もっと増えてもいい。
しかし、こればかりは自分だけではつくれないかもしれませんが。

最近は、お互いに関係を壊さないようにと、過剰に相手に気づかいし、本音をださずに、儀礼的な言葉だけで話すことが多くなっているようです。だからそもそも、鈴木さんがいうような場が生まれてこないのかもしれません。
その反面、匿名でのネットの場では、過剰なほどの本音が飛び交い、しかしそこでは感情(怒り)は発せられても、噛み合うことはない。独り舞台でしかありません。

ところで、「世の中にもっと増えればよい」ということを考えていくと、その反面の「なくなればよいもの」とつながっていきます。「増やす」のは大変でも「減らす」のは簡単かもしれません。自分の言動を少し注意するだけで、鈴木さんの提案に沿えるかもしれません。それならもっと取り組みやすそうです。
そう考えていくと、「世の中にもっと増えればよい」ことを考えるのは自らの生き方を問い直すことかもしれません。

今年最後のテーマサロンとして、とてもいいサロンでした。

今回も私はだいぶ「いじられて」しまいました。困ったものです。来年は私ももう少しみんなに好かれる生き方をしようと思いますが、それはハードルが高いので、せめてあまり嫌われないように、少しだけ自重しようかと思います。
湯島のサロンも、鈴木さんが言ってくれた巡礼宿の精神をもう少し意識しようと思います。しかし、6番目の要素もできれば増やしていきたいと思います。

来年は鈴木さんがサンチアゴに行けるといいのですが。

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■湯島サロン「日本列島はどのように形成されたのか?」のご案内

山森さんの科学技術関連のサロンがしばらく開催されていませんが、今回はこれまでとちょっと流れを変えての番外編です。
テーマは「日本列島はどのように形成されたのか?」。
スタイルも少しいつもとは違い、ちょっとゼミ型スタイルです。

内容に関して、山森さんからの案内文をお読みください。

日本では巨大地震や津波、地滑り、台風、火山、そして洪水のような自然災害が頻繁に起こる。日本人はつねに、こうした大きな自然災害と歩んできており、まさにこうした災害と「共生している」。日本では凄まじい迫力を有する自然に対し、恐怖、あるいは、畏怖の念を持たれている一方、日本の自然は恐ろしいものかもしれないが、日本人にとって深い敬意を表わすほど大事であることは間違いない。それは、自然が日本の芸術やライフスタイル、文化、信念などにしみこんでいることを考えれば明らかである。

 このような日本の自然をもたらしている日本列島や日本海が地質学的にどのように形成され、日本人に影響を及ぼしているかについて関心を持つ人は意外に少ないように思います。 

  地球科学(地質学等)の進歩により地球内部のマントルの動き、プレートの動き、ナウマンが発見したフォッサマグナ(大きな溝)の研究および中央構造線の地質研究から日本列島の基本的な形の誕生の謎が明らかになりつつある。

 今回のサロンでは日本列島や日本海がどのようにできたかをフォッサマグナの形成とともに考えてみたい。また、わずか8000年前まで生物の棲めない死の海だった日本海が生命の宝庫へと変貌した背景やその日本海が日本列島にもたらすさまざまなその恩恵についても考えたい。

以上が内容ですが、サロンをより面白いものにするために、参加者のみなさんに下記課題のいずれか一つを予め簡単に調べてきてもらい、サロンの自己紹介に併せて、その結果の主要点を2~3分で話してほしいと言っています。
その後、山森さんが3040分で日本列島形成の概略説明を行い、それから、みんなでいろいろ話し合おうというスタイルです。
山森さんとしては、日本の文化、地政学的な特徴、気候変動や地震との関連、資源の問題などを話し合いのテーマ候補に考えているそうです。

いつもとは違い「学習型」のサロンですが、みなさんの気楽な参加をお待ちしています。
ただし課題は忘れませんように。

〈山森さんからの課題〉

質問1.フォッサマグナ(大きな溝)について、1つで構いませんが、調べてください。(例:誰が発見した。→ナウマンが発見。 形成にかかわったプレート名:4つ)

質問2.日本列島はなぜ弓形をしているのか?

質問3.日本列島を横切る中央構造線はいつ出来たか? XXX年前

質問4.ホットプルーム(プルームテクトニクス)とはなにか?

質問5.日本海はなぜ風呂桶と表現されることがあるのか?

質問6.日本海の深層水の特徴について(溶存酸素など)。

質問7. 日本海はなぜ世界の海のミニチュア版と言われるのか?

〇日時:2022年1月23日(日曜日)午後1時~3時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「日本列島はどのように形成されたのか?」
〇話題提供者:山森俊治さん(遺伝子と詩吟を愛する理学博士)
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

 

 

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■戦時体験を後世に伝えたいという高林さんの熱い思い

高林さんからメールが届きました。
高林さんは今90歳ですが、長年取り組んでいた認知症予防ゲームの普及活動を昨年引退され、最後のご自身の活動に取り組まれています。
その活動とは、ご自分の戦時体験を後世に伝えていきたいという思いです。
いろいろなところでお話をする一方、話した内容を文字起こしし、小冊子にして、関心を思ってくれそうな人に配布しているのです。費用も含めてすべてご自分おひとりでの取り組みです。

つい最近はその4番目の小冊子を送ってきてくれました。
そして今日、メールが届きました。

お陰様で衆参両院議員への発送も、出版社の手で、年内に完了する事が出来ました。
私が名簿を探した時点では、700人丁度でしたが、出版社の調べでは708人と聞きました。中には落選議員の名が残っていたり、衆参所属のミスもあった由で、国会の名簿管理が即日体制でなく、杜撰な発表なのかなと、不思議に思いました。(中略)ここまで来ることが出来まして、何だかほっとしています。

想えば、高林さんにお会いしたのはもう30年近く前のことです。
私が取り組んでいた「コムケア活動」の一環での大阪でNPO関係の集まりでした。
高林さんは「ある夢」を持っていると私に話してくれました。
誰の夢であろうと、夢に付き合いたくなるのが、その頃の私でした。
昨日、紹介した東尋坊の茂さんの夢にもお付き合いしましたが、高林さんの「夢」にもお付き合いしました。そして高林さんは見事に実現しました。

その後、高林さんはまだやりたいことがあると言って、別の取り組みを開始しました。
その一つの成果は私のところにも届きましたが、高林さんが元気なうちにはそれは私どまりにしてほしいと言われたので、手元に残したままです。
次に取り組んだのが、戦時体験をまとめ後世に伝える活動です。
その4作目ができたのですが、今回、高林さんが選んだのが国会議員の送ることでした。
費用を集める協力をしようかと相談したら、自費でやりたいというのです。700人の宛名書きもたぶん高林さんは自力でやったのでしょう。
いかにも高林さんらしいスタイルです。

これだけの熱い思いを持っていることを、小冊子を受け取った国会議員の一人でも、受け止めてくれればうれしいのですが、果たしてどうでしょうか。

高林さんには、来年はぜひ湯島のサロンに話に来るようにお願いしました。
あの急な階段はご無理でしょうか、その時には駅までお迎えに行く予定です。コロナがおさまってくれるといいのですが。

戦時体験や戦争体験を話したいという方がいたらご連絡ください。

湯島で話をする場をつくりたいです。

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2021/12/27

■節子への挽歌5239:東尋坊のお餅

節子
今年も東尋坊からお餅が届きました。

お礼の電話をしたら、まさに今も餅つきの最中でした。
茂さんも川越さんもお元気そうでした。

東尋坊で長年、見回り活動をしている茂さんたちは、今年も大変だったようです。
コロナ騒ぎは、マスコミからは伝わってきにくい、いろいろな問題を起こしています。
コロナ感染を心配するのはもちろん大切なことですが、コロナのために、見えないところでさまざまな問題が起きていることへの想像力も高めていきたいものです。

茂さんによれば、今年は今日現在で45人の人に声をかけ、全員が再出発を果たしているそうです。若い人も増えてきていて、今年は中高生が4人いたそうです。
以前紹介させてもらいましたが、今年は、自殺を考え岩場でたたずむ人の姿を声掛けする前に写真撮影し、承諾を得て写真集にした「蘇る」の写真集を出版し、NHKやヤフ一などで取り上げられ話題になりましたが、そんなことも書かれた新聞記事も同封されていました。

送られてきたお餅は、茂さんや川越さんたちが、東尋坊で遭遇した自殺企図者だった人たちと一緒に、感謝の気持ちを込めてついてくださったものです。
私は大好きです。

今年は湯島ではサロンは開けませんでしたが、来年はぜひ自殺がなぜまた増えているのかを話し合ってみたいと思っています。
誰もが自殺に追い込まれない社会ネットワークの活動はほぼ休眠していますが、いまは私も個人としてできることに取り組んでいます。来年はもう少し開かれた活動ができればと思っています。

東尋坊は節子のおかげでかかわることになりました。
だから忘れられない活動の一つなのです。

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■節子への挽歌5238:なつかしい手紙

節子

昨日、オフィスの資料を整理していたら、また古い手紙が出てきました。
1通は年賀状です。
台湾の高徳明さんからの年賀状です。
節子と一緒に留学生のたまり場を毎月開いていた時にやって来てくれた若者です。
あまり記憶が鮮明ではないのですが、お正月にわが家にも来てくれたことがあるような気もします。
そういう記憶が、節子が亡くなった後、ほぼすべてが消えてしまったために、私の記憶の世界はどこかでかなりあやふやになってしまっています。
メールアドレスが書かれているので、出してみようと思います。
繋がるといいのですが。

もう一通は歌人の黛まどかさんです。
いまはもうお付き合いはありませんが、黛さんは一度、湯島でサンチャゴ巡礼の映画製作のサロンをやってもらったことがあるのです。
彼女がその映画製作がなかなかうまくいかずにいた頃です。
その手紙によれば、「佐藤さんにお目にかかって再び希望の光を取り戻しました」とあります。その後、映画は完成しましたが、その頃、節子が発病。ほぼすべての付き合いがとまってしまいました。
節子は、黛さんの話を聞いて、サンチアゴに関心を持ち出していましたので、もし節子が元気だったら交流は続いていたかもしれません。

先月だったと思いますが、北九州の友人から黛さんが講演をしに来ると言うメールが来ました。それで私も思い出していたのですが、その友人は当時私がブログか何かに書いていた記事を黛さんに見せたそうです。
そんな話があった直後だったので、これもまた何かの縁を感じました。

他にも意外な人からのはがきが出てきました。
どうも私の記憶はかなりとんでしまっているようです。

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■東尋坊から今年もお餅が届きました

東尋坊で長年、見回り活動をしている茂さんたちは、今年も大変だったようです。

コロナ騒ぎは、マスコミからは伝わってきにくい、いろいろな問題を起こしています。
コロナ感染を心配するのはもちろん大切なことですが、コロナのために、見えないところでさまざまな問題が起きていることへの想像力も高めていきたいものです。

茂さんによれば、今年は今日現在で45人の人に声をかけ、全員が再出発を果たしているそうです。若い人も増えてきていて、今年は中高生が4人いたそうです。
以前紹介させてもらいましたが、今年は、自殺を考え岩場でたたずむ人の姿を声掛けする前に写真撮影し、承諾を得て写真集にした「蘇る」の写真集を出版し、NHKやヤフ一などで取り上げられ話題になりましたが、そんな報告も書かれた新聞記事も同封されていました。

送られてきたお餅は、茂さんや川越さんたちが、東尋坊で遭遇した自殺企図者だった人たちと一緒に、感謝の気持ちを込めてついてくださったものです。
早速、みなさんにもおすそ分けさせてもらいました。
私は大好きなので、その前に一ついただいてしまいましたが。

今年は湯島ではサロンは開けませんでしたが、来年はぜひ自殺がなぜまた増えているのかを話し合ってみたいと思っています。
写真集は湯島にもありますので、声をかけてくれたらご覧いただけます。

誰もが自殺に追い込まれない社会ネットワークの活動はほぼ休眠していますが、いまは私も個人としてできることに取り組んでいます。来年はもう少し開かれた活動ができればと思っています。

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■節子への挽歌5237:湯島のサロンは巡礼宿?

節子

昨日は鈴木章弘さんが「世の中に増えるとよいと思うもの」というサロンをやってくれました。
鈴木さんは今年70回以上、サロンに参加してくれたそうです。サロン主宰者の私でさえ驚くほどの回数です。
副題に「コロナ禍の湯島巡礼で感じたこと」とありますが、コロナで鈴木さんはこの2年、サンチアゴ巡礼に出かけられずにいるのです。
サロンの報告は時評編で行いますが、鈴木さんは話の最後に、「湯島のサロンは巡礼宿(アルベルゲ)」と言いました。私はアルベルゲのオスピタレロというわけです。

その是非はともかく、たしかに湯島のサロンを主宰していると、さまざまな「旅人」に出会います。以前よりも最近はメンバーが固定されがちですが、それでも様々な人と出会う場になっています。
動く巡礼者と待ち受けるオスピタレロとは、いずれも巡礼者と言ってもいいでしょう。
その実感は私にもありますが、鈴木さんはそれを実感してくれている数少ないサロン参加者なのです。

ちなみにオスピタレロは巡礼宿で巡礼者の世話をする人ですが、ホスピタリティにつながっています。ですからサービスではなく、同じ仲間として扱うのが基本なのです。私もホスピタリティの姿勢を大事にしています。

ですから湯島のサロンでは、すべての人が同じ立場です。仲間として扱うのが基本です。
なかに時々、他者を「〇〇くん」と呼ぶ人がいますが、私には大きな違和感があります。「さん」づけと「くん」づけを使い分ける人は、他者を評価し差別していると思っていますので、そういう人には来てほしくないのですが、常連の中にもそういう人が何人かいます。私には異物が紛れ込んでいるようで、とても不快なのですが、しかしそれでも受け入れるのがホスピタリティだと思っているので、仕方ありません。

呼び方以外でも、人を「評価」する人がいます。大体他者を評価する人は、自らのことを物語っていることが多いのですが、そうは思うもののあまり気持ちのいいものではありません。しかし、私もまた時に、同じ過ちを犯しているのではないかと時々反省します。
まあそんなことも含めて、サロンは私には多いなる学びの場です。

サロンの話になるといささか私はむきになる傾向がります。
昨日もだいぶ自己主張してしまいました。
そういう意味では、鈴木さんからはオスピタレロ失格と言われそうです。
でもまあ来客が絶えない限り、サロンは続けたいとは思っています。

時々、止めたくなることもあるのですが、必ずまた、つづけたくなるような良い出会いがあるのです。

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■来年のサロンの予定のお知らせです

今年もたくさんのサロンが開けました。
サロンをしてくださった方、参加してくださった方、報告を読んでくださった方、ありがとうございました。私もさまざまな気付きと元気をいただきました。

来年も、少しだけ時間やスタイルを変えてサロンは続行する予定です。
時間は原則として午後1時からにします。食事時間との関係で、12時半には会場に入れるようにしますので、コンビニで軽食など購入して湯島で軽食していただいて結構です。ただし入室は12時半以降に厳守してください。

スタイルはそうは変わりませんが、研究会的なものをはじめます。
すでにストーリーテリング協会の吉本さんが試行していますが、あんな感じで、セミ会員の有料制で、何か実際にプロジェクトにつながっていくようなものです。
その最初は、社会事業の起業実践講座的なものを予定しています。
話し合う場から、何かが始まる場へと、少しだけ重点を戻したいと思います。

1月のサロンは今、次の予定が決まっています。
詳しい案内は明日以降、ご案内します。

1月5日  「ワクチンの賛否を問う」(すでに定員に達しているため受付終了)
1月8日  オープンサロン
1月23日  「日本列島はどのように形成されたのか?」
1月30日  第2回はじまり場サロン

ちなみに、案内は最初に次のところにいつもアップします。
https://www.facebook.com/groups/557493344392535/events

またこれまでのサロンの報告は次のところにあります。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/cat24203974/index.html

このサロンは一部のものを除き、誰にでも開かれています。
また話したい方がいたら基本的には話す場としても公開しています。
ただし、参加者を限定する集まりの場合は、事前にご相談ください。

場所の管理費のために、参加された方や場所を使用された方にはワンコイン(以上)をボックスに入れてもらうようにしていますが、場所の維持や機材なども数名の方の支援で成り立っています。その集まり方で、この場が求められている度合いがわかりますが、いまは継続が求められていると判断しています。もっともっと、みんなで支えているサロンになっていけばいいと思っていますが、最近はコロナもあって、ちょっと参加者が限定されてきているのが残念です。

サロンの前後に、もし個人的に何か相談したいという方がいれば、事前に連絡をいただければできるだけ時間をとるようにしていますので、これも気楽のご連絡ください。

なおサロンに参加した方を対象にしたメーリングリストもありますので、もしサロンに参加したことがある方で、未登録の方はご連絡いただければ登録します。また登録者で配信を止めたい方はご自分でもできますが、ご連絡いただければ削除しますので気楽にご連絡ください。サロンの報告は、いつも長いので、迷惑されている方もいると思いますので。

来年もまたサロンでお会いできるのを楽しみにしています。

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2021/12/26

■節子への挽歌5236:大きな三浦大根

節子

今日はサロンだったのですが、三浦市にお住いの中嶋さんが三浦大根を持ってきてくれました。
寒さを経ると甘みが増すそうで、もうおいしくなっているとわざわざ持ってきてくれたのです。中嶋さんは前には三浦ミカンを持ってきてくれて、サロンでいただきましたが、今回は大根なので私がもらうことで自宅に持って帰りました。
ともかく大きいのです。持って帰るのが大変でした。

帰宅して、早速にこに見せたら驚いていました。
にこと比べるとその大きさがわかると思います。
重くて持ち上げるのが大変です。

Miura2

早速、ユカに紅白なますとお味噌汁。葉っぱもたくさんついていたので、葉っぱもジャコなどと甘辛く炒めてもらいました。
とてもおいしかったです。
次はフロフキ大根がおでんをつくろうとユカがいってくれています。
明日もまた大根三昧かもしれません。

サロンもテーマありサロンは今日が最後で、サンチャゴ巡礼にこの2年いけていない鈴木さんが話をしてくれました。鈴木さんの人柄もあって、何と14人の参加者がありました。その報告はまた時評編でさせてもらいますが、にぎやかなサロンになりました。

年内はもう一度、テーマのないオープンサロンを開くことになっています。
あっという間の1年。
今年ももう数日です。そんな気分は全くないのですが。

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■湯島サロン「2021年を振り返るサロン」報告

今年もグラフィックデザイナーの林さんによる「1年を振り返るサロン」を開催しました。7人が参加しました。

昨年と同じように、月ごとに林さんが気になった事件や話題などを表にしてくれて、それを追いながら、特に林さんが気になったことを紹介し、それ以外でも誰かがちょっと気になる項目があれば、それを詳しく林さんが解説してくれるという感じで、まずは1年を振り返りました。
大きな話題を呼んだものも、林さんの関心を呼ばなかったものは全く出てこない一方、誰も知らなかった小さな話を、林さんが詳しく解説してくれることもありました。
私の関心分野でありながら、私が全く知らなかった騒ぎがネットでは展開されていたようなこともあり、自分が見ている世界がいかに小さいかに、今回も気づかされました。

話を聞きながら、人によってこの表は全く違ってくるだろうなと思いました。
自分だったら何を思い出すだろうかとも考えましたが、1年の話なのに、意外と思い出せないものです。こうやって年に一度くらい、どんなことがあったかを振り返ってみるのは大切なことかもしれません。

それにつづいて、林さんの家族に起こったことをこれも時系列で紹介、併せて、林さんが観た映画や読んだ本、出かけた展示会やイベントなどの紹介もありました。
今年の林家は、かなり大きなことが起こっていますが、それはどうも社会の動きとはあまりつながっていないようです。しかし社会とつながっていない生活はないはずですので、もう少し話し合っているとつながりが見えてくるかもしれません。

林さんが紹介してくれた作品は、ほとんど私は知らないものでしたが、参加者にはなじみのものも多く、私がいかに時代から外れてしまっているかも思い知らされました。

まあこういう話でも予定の時間を超えて、3時間。
テーマありサロンやオープンサロンとはまた違った雰囲気のサロンでした。

来年は、参加者それぞれが記憶に残る事件3つと自分の生活に影響を与えた事件3つをそれぞれ持ち寄って、話し合うのも面白いかもしれません。

2021hurikaeri 

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2021/12/25

■節子への挽歌5235:みんなでケーキを食べました

節子

節子がいなくなってからわが家のクリスマスは何となく寂しいものになってしまっています。
ユカが一度、楽しくしようとみんなにプレゼントを買ってくれたりしたのですが、なかなか元には戻らずにただケーキを食べたりするだけになってしまった気がします。
元々私自身がクリスマスとか、そういうのがあ好きではないからかもしれませんが、度も気が乗りません。
それにもうみんなはしゃぐ歳でもありませんし。

にこが生まれてからは、それでも少しにぎやかになりました。
少なくともにこへのプレゼントは用意しますので。
しかし今年は、直前のユカの風邪騒ぎで、ユカはマスクをしながらの参加で、いつも以上に静かなクリスマスでした。
もっともにこは、親子3人でのパーティや友達とのパーティで、昨日は大はしゃぎだったようですが。

今年のプレゼントは、にこによって各自に指定がありました。
いま、にこはリカちゃんにはまっているようで、私には前にも書きましたがプリンセスルームの指定がありました。
私の趣味にはまったく会いませんが、まあ仕方なく今年は従いました。
ユカの指定はやはりリカちゃん関連でしたが、せっかくユカが勝っていたのに、別の人から似たようなものがプレゼントされてしまったようで、要請の取り消しがなされたようです。取り消しというよりも、6歳になったらもらうというようなことらしいです。
そのあたりは子供の感覚はよくわかりません。

でもまあせっかくなので、ユカも一緒にプレゼントを持っていきましたが、開いたら6歳まで待つという決意は揺らいだようで、お正月のプレゼントになったようです。
私が用意したプリンセスハウスは待ちに待ったものだったようで、もうそれに夢中になってしまい、そこに付き合えない私は、「おさむさんはもう帰っていいけど、ユカさんは残って」と指示があり、私は解放されました。

人形遊びのどこがおもしろいのかわかりませんが、見ていると服を着替えさせて、ハンガーにかけたり、靴を履かせたり、こうやって生活のしかたを覚えていくのかもしれません。でもまあ女の子どもの遊びにはやはりついていけません。

ユカの風邪はひどくならずに済みました。
ホッとしました。

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■節子への挽歌5234:冬が枯らすのは草木だけではないのかもしれません

節子

昨日は大変でしたが、コロナ騒動に巻き込まれずによかったです。
でもまあ年末にユカがダウンだと買い物をはじめなにかと大変です。
今日、買い物リストをもらいましたが、さてさてうまくいくかどうか。

こういう時、いつもわが家だけカレンダーを1週間延ばすのはどうだろうかと思います。
年末年始を1週間延ばしてもそう不都合は起きないでしょう。
しかしこれはまだ一度もやったことはありません。

もっとも実際には、年末の掃除を途中であきらめたり、年なにやろうと決めていたことを諦めたり、結局はそうなっていることも少なくありません。
困ったものです。

今年もやり残したことのなんと多いことか。
この分だと結局たくさんのやり残しを残したまま現世を終わりそうです。
まあ人はみんなそんなものかもしれません。

今日は朝、友人から元気のないメールが届きました。
そのメールに同調してしまい、私もちょっと元気を削がれてしまいました。
その友人は一人住まいですが、一人暮らしの強さにはいつも感心しています。
私にはとてもできそうもありませんが、そういう人もときに元気がなくなるのでしょう。
その時に、どうするのか。
その人を元気づけるために会おうかとも思いましたが、いまの私は逆効果かもしれません。私自身もたぶんかなり元気を失っているのです。

冬が枯らすのは、草木だけではないのかもしれません。
枯れてしまわないように、注意しなければいけません。
今日も寒い日です。

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■第18回万葉集サロン「宮廷歌人の苦悩-吉野讃歌を中心に」報告

白鳳から天平にかけての6人の歌人の吉野讃歌を通して、宮廷歌人の苦悩に触れながら、その背後にある大きな政治状況や人々の意識の変化をみていこうというのが今回のテーマでした。

升田さんは、「吉野賛歌」という表現から話し出しました。
たしかに、最初の柿本人麿の歌は「賛歌」と言えるでしょうが、そこからかなり後にうたわれた旅人や家持の歌、あるいは金村や千年の歌も「賛歌」と言っていいのか。また、なぜ吉野賛歌と言われるような歌が、時代を超えてうたわれたのか。

持統天皇は在任中に31回も吉野に行幸しています。なぜなのか。
升田さんは、最初に、日本書紀や古事記にある神武天皇の吉野入りの記事を紹介してくれました。吉野は大和朝廷の始まりの場所なのです。当時の感覚から言えば、神とつながる地ともいえるでしょう。

つづけて吉野盟約の話もしてくれました。天武天皇は、後の持統天皇である皇后と皇子たちを集め、次の天皇を決めるルールを決める「吉野盟約」を開き、これからの国のかたちを決めましたが、吉野はその場所でもあります。

日本書紀によれば、「天皇」という称号を最初に使ったのは天武天皇であるとされています。それを制度として固定させたのは持統天皇だとも言われていますが、そのために、吉野宮は重要な意味をもっていたのです。
いずれにしろ持統天皇による度重なる吉野への行幸は、たぶん宮廷人や民も巻き込んでの、国のかたちを決める重要な政治的意味をもっていたようです。

神と自然と民とが一体になって輝かせていた吉野を現実に見ながらうたい上げた柿本人麿の吉野賛歌は、まさに「賛歌」です。にぎやかな音や輝くような光に直接触れて、まるで持統の神がかった思いが乗り移ったかのように、自然と身心が反応して生まれた力強い賛歌になっているように感じます。
人麿の歌もまた、その輝きに荷担したはずで、多くに人にうたわれたことでしょう。

しかし、持統がいなくなってから再開された吉野行幸では、状況が違います。
歌人たちは「生きた現場」を直接に体感することなく、人麿の賛歌を踏まえながら、現実の吉野宮(離宮)の向こうにある過去、持統帝の思いを歌わなければならい。当然、意志や意識が優位に立っての歌になっていく。そんな中で、彼らは形式としての賛歌儀礼をどのような気持ちで詠んだのでしょうか。

天平の時代になると、宮廷では漢詩も盛んになってきます。「懐風藻」にも吉野行幸にまつわる詩があります。万葉の歌人たちも、そうした漢詩の影響と無縁だったわけがない。

そもそも万葉の歌は口誦されていましたが、漢詩は、漢字で書くことで成り立っていた。
つまり万葉の歌は「言葉の世界」で生まれ、漢詩は「文字の世界」で生まれました。
よく言われるように、言葉は個人の思いを発するためのものであるのに対して、文字は思いを伝えあうものとして広がった。伝えあうためには、文字の意味はあまり冗長であってはいけません。私的な感情を盛り込みにくい。だから漢詩は感激のない美辞麗句を連ねることになっていく。

白鳳から天平にかけて、歌の世界も「言葉の世界から文字の世界へ」と大きく変わっていったのでしょう。それが6人の吉野賛歌からも読み取れる。
万葉集は、口誦されていた歌を、万葉仮名を使って書き留めていくことで成立しました。

口誦の時には、人によって少しずつ差異があったかもしれませんが、書き留める段階で、当然推敲されていく。万葉集に似たような歌が収録されている理由はそこからもわかります。そうなると詠み人知らずとか逆に詠み手の名前の意味も、考え直す必要があるのかもしれません。

以上は、升田さんの話を聞きながら、勝手にまとめたものです。
升田さんの意に反しているかもしれません。
ちなみに升田さんは、こういう話を、いくつかの神話や歴史的事実などを織り込みながらていねいに話してくれたのですが、私の関心に任せて、その一部を勝手に読み取って紹介してしまいました。

ところで肝心の6人の吉野賛歌ですが、背景の歴史の話がたくさん出て来て、今回もまた金村や千年の歌を詠むまでに至りませんでした。それほど万葉の歌の後ろには、たくさんのドラマがある。そういえば、今回は久しぶりに若いころ学んだ歴史を思い出して楽しかったという参加者が複数いました。
それでも最後に、升田さんが急ぎ足で2人の歌を詠んでくれました。聞いているだけでもたしかに人麿の歌とは違っているのが感じられます。

言葉の歌から文字の歌へ。湧き上がる歌から創られる歌へ。
それと並行して日本の社会が大きく変わっていく。
神との距離も、人と人との関係も変わっていく。人も変わった。
そんなことに関心を向けすぎて、肝心の歌そのものの話や宮廷歌人の悩みという本来のテーマを私は聞き逃してしまったような気もします。あまりに偏った報告ですみません。

ちなみに今回は、地中海文明に詳しい方が参加したおかげで、最後に少しホメロスのイリアスと万葉集の異同が話題になりました。
いずれも元々は口誦文化から生まれてきたものです。暗誦できるように、韻を踏みながら、同じ言葉が繰り返し出てくる。同じようなものに、アイヌ神謡(ユーカラ)がありますが、そうした口誦文化と文字文化について、いつかサロンが開けたらなと思っています。

ちなみ次回の万葉集サロンは、ちょっと個々の歌から離れて、これまでの話から抽出されてきたいくつかの論点を整理して話してもらうことになりました。
「升田万葉集サロン」の改めの入門サロンです。
お楽しみに。

Manyou18

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2021/12/24

■節子への挽歌5233:コロナ疑い騒ぎ

節子

大変な1日になりました。
と言っても私自身はただ家にいただけですが。

昨夜、ユカが発熱したのです。
朝になっても熱が下がらない。

それで名戸ヶ谷病院に行ったら、通院している慈恵医大に行った方がいいと勧められ、そこからCT検査やレントゲン検査があり、あげくの果てにはPCR検査。
結果的にはコロナは陰性だったのですが、持病を抱えているので、肺炎も含めていろいろと心配させられました。

結果がわかるまで8時間。
落ち着かない1日になってしまいました。
もし陽性になれば、私も隔離されるでしょうし、ジュン家族にも影響を与えます。
そんなわけで、在宅でしたが、なにやら落ち着かない1日でした。

結局、ユカは風邪だったのですが、今どきは風邪もひけません。
ユカが病院に行ったのは、肺炎になりやすい状況にあるからですが、そのほうも大丈夫だったようで、安心しました。

わが家は年末には、よく問題が起きるのです。
私も2年続きで眩暈がおさまらず緊急病院に行きましたし、ユカも急性肺炎で入院したこともあります。
年末は注意しないといけません。

ユカはまだ熱は下がっていないようですが、明日のクリスマスは何とか一緒にケーキを食べられるでしょう。
まあ私はクリスマスはあんまり好きではないのですが。

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2021/12/23

■節子への挽歌5232:サロンで1年を振り返りました

節子

胃腸痛は回復しましたが、今日また普通に食事をしたら、やはりどうも調子がよくありません。
胃腸がかなり弱っている可能性があります。
少し気をつけなければいけません。
胃腸が元気でないと思考力も意欲も出てこないことに気づきました。
胃腸もまた脳と同じように、身心全体を動かしているのがよくわかります。

昨日はそんなわけで、自宅で休養していました。
おかげでほぼ平常に戻りました。

今日は1年を振り返るサロンでした。
話を聞いていて、今年はあまり内容のない1年だったなという気もしますが、私にとっては大きな変化があった1年でした。
娘家族と同居を始めたほか、筑波山登山で自らの体力の限界を思い知らされました。
書籍や書類の思い切った整理にも取り組みだしましたが、「明日のために」という発想をなくしていく姿勢がだいぶ身についてきました。

来年はきっといろんなことが大きく変わる年になるでしょう。

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2021/12/22

■節子への挽歌5231:花かご会は来年で20年目だそうです

節子

花かご会代表の山田さんが、今年も手作りカレンダーを届けてくれました。
JR我孫子駅南口広場の花壇整備に取り組む「花かご会」も来年で20年になるそうです。
グループ設立から20年も経過するとメンバーも高齢化し、活動も難しくなった人もいるそうです。節子と一緒に立ち上げた時のメンバーもだいぶ減っているようです。

新しいメンバーがもっと入ってくれるといいのだけれどと山田さんは話していたので、少し協力することにしました。
フェイスブックで仲間を求めていることを紹介しました。
また次回の我孫子での「はじまり場サロン」に山田さんを誘うと思います。

ところで、今年は20周年記念いうことで、カレンダーの図柄にはこれまでのメンバー写真も載っています。そこに節子も登場しています。
節子が、今度はどんな花を植えようかと考えた頃のことを思い出しました。
花かご会の仲間は、本当にいい人たちでした。
私と同じく、節子も友人知人にめぐまれていました。

最近は作業日に駅前に行くことが少なくなり、みなさんに会う機会もなくなっています。
年明けに作業日に、一度、顔を出そうかなと思います。
仲間も増えるといいのですが。

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■節子への挽歌5230:イリアスの朗誦はもう聴くことはできません

節子

胃痛がほぼおさまったので、今日は湯島に出かけました。
ある人たちから相談を受けていて、その約束をしていたためです。
別の人とのランチはキャンセルさせてもらいましたし、夕方の約束は先方の都合で延期になったので、一件だけの用事でした。
それで時間があるので、またまた湯島の書類整理に取り組みました。
キャビネなどにある書類を大量に出してテーブルに並べたとたんに、電話がかかってきました。

新潟の金田さんです。
自宅に電話したら不在だったので、もしかしたらと思い、湯島に電話してきてくれたのです。
新潟は今週末また大雪のようです。

特に用事はないのですが、金田さんは私の声を聴くと少し元気になれるのだそうです。
5分ほどいいですか、と言われて、もちろんいいですと答えたのですが、やはり金田さんの電話は長く、なかか終わりません。
でもまあそれで金田さんが元気になればいいですし、私からも訊きたいこともあったので、やはり長い電話になってしましました。

私が聞きたかったのは、前に古代ギリシアの会をやっていた時に活動を支援させてもらったイリアスの吟唱者の明神さんの最近の連絡先です。
最近私は全く付き合いが途切れていたのですが、急にまたイリアスを聴きたくなったのです。
ところが残念ながら明神さんは数年前に亡くなられてそうです。
やはり連絡が途絶えた人のことを知ろうと思うのはやめた方がいいようです。

明神さんの朗誦するイリアスは、節子も聴いたことがあります。
あの時、録音しておけばよかったなと思います。

電話が終わって時計を見たら、相談者たちが来る時間に迫っています。
あわててテーブルを片付けだしましたが、あまりにたくさん出してしまったたために、そう簡単には片付かず、そのうちに来客が来てしまいました。

まずすべてを出してしまい、それから片付けだすという私のやり方は、やはりあんまりよくないのかもしれません。
ユカからはいつも、片付けるというよりも散らかすのではないかといつも叱られています。
困ったものです。

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■この2週間、牛乳をよく飲んでいます

昨日の岸田首相の記者会見でも話されていましたが、コロナ騒ぎの影響もあって、いま、牛乳や乳製品の原料となる生乳の供給過剰で年末年始に大量廃棄される懸念が出てきています。岸田さんも「年末年始に牛乳をいつもより一杯多く飲み、料理に乳製品を活用してほしい」と述べていました。

生乳の大量廃棄の懸念は、2週間ほど前に、私はテレビで知りました。
私は、あまり牛乳が好きではなく、普段は全くと言っていいほど、飲みません。
しかし、そのニュースをテレビで観た翌日から、娘に頼んでいつもの倍以上の牛乳を買ってきてもらい、毎朝、マグカップ一杯の牛乳を飲み、日中もできるだけ飲むように心がけています。
以前もこんなことがあったような記憶がありますが、その時も好きでない牛乳を飲んでいました。似たような話では、キャベツが余って大量廃棄されるとかイワシが大量廃棄されるとか言うニュースを見たら、好きでなくともできるだけ飲食するようにしています。

一人での消費増はわずかですが、みんながそうしたらたぶん大量廃棄は起こらないでしょうし、極端な値下がりも起きないでしょう。
ともかく、食材が大量廃棄される映像を見たくないのです。
並んで牛乳を飲んでいる政治家のわざとらしい姿もテレビでは見たくないですが。

需給関係によって生ずる価格変動によって、需給関係は調整されるのが市場の働きの一つですが、私たちのちょっとした行動変化で、その働きをさらに高めることができます。
そうはいっても、嫌いな牛乳を飲むのは嫌だと言う人もいるでしょうが、嫌いなものも飲食できるようにする調理方法も、いまはいろいろとあるでしょう。

牛乳問題に限りませんが、毎日、テレビ報道を見ながら、私は自らの行動で何か問題を緩和できることはないかと考えます。そのために、毎朝、テレビを見ると言ってもいいかもしれません。まあ、できることはいずれも本当に「些細なこと」でしかありませんが。
そういう人は少なくないでしょう。大阪のクリニック放火事件の現場に、花束を供えに行く人たちも、ニュースで知らされる事件は他人事ではないと思うからでしょう。
どんなニュースも、全くの他人事ではないはずだと、私はいつも思います。

さてそれはいいのですが、実は一昨日、急激な胃腸痛に襲われました。
たまたま予定がたくさんあった日だったのですが、すべてをキャンセルして、自宅養生していました。いままで体験したことのない、胃腸痛でした。
痛いというよりも奇妙な違和感に、1日中、悩まされました。
牛乳が原因だとは思いませんが、それを知ったある人からは、牛乳もほどほどにと言われました。

さすがに昨日は怖くて牛乳は飲めませんでした。
昨日もあんまり調子はよくなかったのですが、夕方にはほぼ正常に戻りました。
今朝から牛乳復活ですが、今日は娘に頼んでコーンスープにしてもらおうと思います。それ以外にもまあいろいろとあるでしょう。

自然食材に関していえば、消費に合わせて生産に取り組むのではなく、生産に合わせて消費を考えるようにして、「豊作」を素直に喜べる経済であってほしいと思いますが、なかなかそうはならないようです。

私たちの生き方のどこかに、何か問題があるような気がしてなりません。

 

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2021/12/21

■節子への挽歌5229:孫へのクリスマスプレゼント

節子

昨日はずっと休んでいたので、胃腸の痛みはなくなりました。
今日は予定通り、湯島にも行けそうです。

それにしても、昨日の朝の胃痛は何だったのでしょうか。
昨日は、ほぼ1日、ソファーとベッドで過ごしました。
いろいろ考えることもありました。
もしかしたら、私に考える時間を与えてくれた胃痛だったのかもしれません。
久しぶりに昨夜は「強い記憶を引き起こす」夢も見ませんでした。

いろんなことをやっていると、ついつい時間を忘れます。
昨日は、今年ももう10日ほどしかないことに気づきました。
孫のにこから頼まれていたクリスマスプレゼントを買うのも忘れていました。
ユカに手伝ってもらって、幸いにネットで購入できましたが、あやうく売り切れになるところでした。
私がプレゼントしたいものではなかったので、こにに昨年のように「なんでもプレゼント券」をあげるので、それで好きなものを買うようにしたらどうかと提案したのですが、にこからは「じゃあ、それで〇〇を買って」と即答がありました。
聞いていたユカは、にこのほうが一枚上手だねといいます。

まあその〇〇を買いたくないための策だったのですが、今年は通用しませんでした。
困ったものです。

それにしてももう年末。
時間が経つのは本当に早い。
身の回りの整理も急がなければいけません。

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2021/12/20

■節子への挽歌5228:急な胃痛に襲われました

節子

腰痛は何とかひどくならずにだいぶ回復しました。
ところが、です。

今朝、朝食を食べ終わった直後、急に胃のあたりが痛くなってきました。
胃というよりも胃腸かもしれませんが、ともかくこれまで体験したことのない激しい痛みです。激しいというのはいささか過剰表現かもしれませんが、ともかくとても嫌な痛みなのです。
胃腸薬を飲んで、横になって休みましたが、一向に治らない。
ともかく今日の予定はすべてキャンセルしました。
お昼ごろには、痛みはかなり和らぎましたが、何もやる気がなく、ともかく奇妙な違和感があるのです。

それにしても、腰痛にしろ、今日の胃腸通にしろ、これまであまり体験したことがありません。やはり体力が落ちてきているのでしょう。
困ったものです。

4時ころになっても一向に状況は変わらない。
何となく窓辺の水槽を観ていたら、あたたかなお昼ごろは盛んに泳ぎ回っていたメダカが動かなくなっています。
それを見ていて、そうか身体をあたためると回復力は高まるかもしれないと、思いつき、お風呂を沸かしてもらい30分も湯船につかっていました。
胃痛はだいぶ落ち着きましたが、今度は蝶がどうも痛さを増してきた。

となると、これは食事のせいかもしれません。
しかし、朝食は特に変わったものを食べたわけではなく、いつもと同じでした。

どうも原因がわからない。
今日は昼食の約束をしていたのですが、それもキャンセルし、お昼はうどんにしてもらいましたが、夕食は抜くことにしました。
痛みはかなり軽くなってきましたが、何もする気の起きない1日でした。

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■「第3回我孫子はじまり場サロン」の報告

昨日、我孫子はじまり場サロンの3回目を開催しました。

この会は、自分たちが住んでいるところで、地域をもっと楽しくしていくためにこんなことをしたいという視点で気楽に話し合おうという集まりです。
もちろん誰が参加してもいいという、開かれた、ゆるやかな場です。
一緒に取り組む仲間や、一緒にやってみたいテーマと出合える場になればと思っています。

今回は7歳から80歳まで、12人の人が参加しました。
いろんな話題が出ました。
7歳のメンバーからも発言(提案)もありました。
前回までに話題になったいくつかのテーマの報告もありました。
新しいテーマもいくつかぼんやりと姿を現しだしました。
他の地域で展開されている事例の報告もありました。

そういう話を少しずつプロジェクトに向けて育てていって、4月頃には、まちづくり編集会議主催の呼びかけ発表会も考えていく方向で進めていくことになりました。
来年も2~3か月に1回、開催していく予定です。

この活動は、基本的には「楽しい活動」に目を向けていますが、行政や地場の経済にも少しでも役立つことにつながっていけばと思っています。

 

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2021/12/19

■節子への挽歌5227:地域活動のわずらわしさ

節子

今日は我孫子でのサロンだったのですが、開かれたサロンの場合は、いろんな人が参加するので、面白い一方、大変なこともあります。
犬猿の仲の人が同席する場合もあれば、思考が真逆な人も参加する。
集まりが終わった後、それぞれから連絡がある場合もあるのです。
それは結構疲れますし、自分のうちにとどめておくことが不得手な者は、ついついそれを他言してしまいたくなる。
困ったものです。

それに私の思いが伝わらず、できるだけ距離を置こうと思っているの、いろいろと意見を言ってくる人もいます。
実に煩わしいですが、そのわずらわしさを厭っていたら、地域活動はなかなか進まない。
私と同じ考えの人たちだけでグループをつくっていけば楽なのですが、それではこれまでの住民活動の域を出ない。
わざわざ私がかかわることもありません。
節子の活動は同じ考えの人たちだけでしたので、節子はさぞかし楽しかったでしょう。

楽しさだけを追求するのがいいかもしれません。
いささか迷うところです。

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2021/12/18

■節子への挽歌5226:久しぶりの大久保さん

節子

節子も知っている地中海文明に詳しい大久保さんが、久しぶりに湯島に来ました。
もう20年ぶりくらいでしょうか。
節子と一緒にやっていた湯島のサロンの常連の一人でした。

いまフェイスブックのCWSコモンズのカバー写真にむかしのサロンの写真を使っていますが、そこにも写っています。
ちなみにそこには、黒岩さんや節子も写っていますが、いまのサロンの参加者は一変していて、当時の人はめったに来ません。
大久保さんは、万葉集サロンに参加したのですが、他の参加者にはだれ一人大久保さんを知らないでしょう。

当時、新鋭気鋭の研究者のように見えた大久保さんも歳をとりました。
雰囲気は当時とあまり変わりませんが、時間を実感しました。
最近は、上智大学ソフィア会のソフィア文化芸術ネットワークの講演会企画をやったり、美術展の内覧会に行って美術展の紹介などもしているそうです。大久保さんらしい活動です。

サロンが終わった後、少し話しました。
古代ローマに詳しかった小林雅夫さんの話になりました。
小林さんにも頼まれて、早稲田大学でも話をしたそうですが、その小林さんも亡くなってしまいました。
そこから大久保さんの記憶に残っている人たちの話になりました。
話していて気付いたのですが、大久保さんと私との共通の友人たちももうかなり旅立ってしまった。
どうも私は逝きそこなっているのかもしれません。

大久保さんと別れて、帰路の電車の中では、そんな思いがどっと沸きあがってきてしまいました。
はやく旅立ったほうが幸せだなという、いつもの思いがまたでてきてしまいました。
そうなると、何かとても気が萎えてくるのです。
いろんなことが反転して見えてくる。
サロンや地域活動などしている場合ではないだろうという気になってしまうと、私が取り組んでいるすべての活動、つまり今の生き方が、どうしてもネガティブに思えてくるのです。

冬は、とても哀しい季節です。
いつからこうなってしまったのでしょうか。

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2021/12/17

■節子への挽歌5225:問題からの逃避に向かいがちな最近です

節子

高齢になると、やはり志向の柔軟性は低下していくような気がします。
長い時間の積み重ねを通して、意識しないままに自分の思考の癖がかたまってきているのかもしれません。

しかし、その一方で、自分の思考の限界を何回も体験していますので、自分の思考を相対化しようという意識もまた強くなっているのです。
この両者のせめぎ合いが、うまく調和してくれるといいのですが、実際にはそのいずれかに偏って言動してしまうことが多いのです。

だから時に、自分の言動を顧みては自己嫌悪に陥ってしまうこともある。
今まさにそうした自己嫌悪の穴に落ち込んでいます。

こうしたことは、自分に関してだけではありません。
同時に、他者への理解意識と反発感情が同時に起こりやすくなっているのです。
自分に対しても、他者に対しても、こうした矛盾した気持ちが入れ替わり浮かんでくるので、たまったものではありません。
こういうストレスが、腰痛につながっているのかもしれません。
少し前までは、こういうことが行動につながったのですが、最近は心身の気力が衰えたせいか、問題からの逃避に向かいがちです。

そんなことを昨夜は少し考えていたのです、目が覚めてパソコンを開いたら、ますますそんな気がしてきました。
何でいつも、自分から悩ましい問題に呼び込んでしまうのでしょうか。
困ったものです。

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2021/12/16

■節子への挽歌5224:「道の駅しょうなん」が改装開店

節子

手賀沼沿いの「道の駅しょうなん」が改装開店しました。
節子が元気だったころは時々行っていましたが、節子がいなくなってからは、ほとんど行かなくなっていますが、今日、ユカに連れて行ってもらいました。
というのも、最近、座り続ける生活が増えて腰痛になってしまったための対策で、今日も歩こうと思ったのです。
しかし、ちょっと遠いので、ユカに自動車で連れて行ってもらったわけです。

着いてみて驚きました。
ともかく人が多くて、お店は入場制限で、長い行列ができていました。
行列に並ぶ趣味は全くないので、外観だけを見るだけにとどめて、帰ってきてしまいました。
あんまり歩く目的は達しませんでしたが、歩くよりは、まず外出。座っているだけの生活からは少しずつ脱しなければいけません。

節子がいた頃は、近くになにか新しい施設ができると、ともかく行ってみるようにしていましたが、娘はなかなか付き合ってくれないので、最近はその習慣もなくなっています。
しばらくはユカの外出に付き合って、座る生活から抜け出ようと思います。

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■久しぶりに予算委員会の実況を見ました

久しぶりに国会中継での予算委員会の立憲民主党の白眞勲さんの質問の実況を見ました。
菅さんや安倍さんの時とは全く雰囲気が違う気がします。
これまでと違い、噛み合わせようとしている雰囲気が少しですが双方から伝わってきます。
こういう方向で進んでいくことを期待したいです。

また見ようという気になりました。
ぜひ多くの人に視聴してほしいと思います。
報道バラエティのような番組にあまり毒されないためにも。

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■今年最後の年末オープンサロンのご案内

今年もたくさんのサロンを開催させてもらいました。
ご支援に感謝します。

例年、年末年始にオープンサロンを開催していますが、今年最後の年末サロンは、1229日の午後1~4時を予定しています。いつものように出入り自由です。

新年のサロンは、ちょっと遅くなりますが、8日(土曜日)を予定しています。ただ来年のことなので、まだ確定ではありません。確定したらまた案内させてもらいます。

なお、来年からサロンの時間を1時間繰り上げて、午後1~3時を基本にすることにしました。いつも延びがちで、遅くなってしまいますが、延びても4時前には終了したいと思っています。

〇日時:2021年12月29日(水曜日)午後1時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

 

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2021/12/15

■節子への挽歌5223:腰痛対策でいろんなお店を回ってきました

節子

今日は椅子の生活から抜け出るために、ユカに付き合って、出かけました。
まず行ったのが、近くのリサイクルショップです。
整理して廃棄することになった一人用のこたつなどを引き取ってもらおうと思ったのです。まあほとんど使用していなかったのです。
残念ながら引き取ってはもらえませんでした。使ってはいなかったのですが、製造年が6年前だったためです。

ついでにお店を見て歩きましたが、さまざまなものがたくさんあるので驚きました。
最近、購入したような家具まで置いてありました。
電気機器もたくさんありますし、服まで豊富にあります。
それも極めて安い。驚きました。

つづいていったのは、柏のショッピングモール・アリオです。
私の着ているカーデガンの肘に穴があいたので、それを買い替えようということになったのです。
ところが先ほどのリサイクルショップのお店を見たせいか、どうも買う気が起きてこない。別に理由はないのですが、なんとまあ今の日本は物が有り余っているのだなと思ったら、どうも新たに買う気がしなくなったのです。私も探したらまだいろいろと出てきそうだからです。

続いて食品売り場に。
アリオにはタカマル鮮魚店というのがあって、魚がたくさんあって、しかも食事までできるのです。しかし混んでいるので並んでまで食べる文化は私にはないので諦めて、次は孫から頼まれているおもちゃ屋へ。
孫から頼まれているのは、リカちゃんハウスなのですが、どうもこれも買う気がしない。
はやく買わないと売り切れるよと言われていますが、いずれにしろ現物を確認。

というわけで、それからも数か所を回って帰宅しました。
だいぶ歩いたはずなのですが、腰の痛みは一向に直らない。
付け焼刃の腰痛対策は、やはり効果がありません。

困ったものです。

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■節子への挽歌5222:文字と言葉は全く違う世界を創り出す

節子

太陽が戻ってきました。
今日はいい天気です。

相変わらず腰の痛みは続いています。
今日はできるだけ動こうと思います。
でもそういうときに限って、何かと問題が起こる。
今朝は朝早くからパソコンとにらめっこで、いろんな人にメールを送っています。
でもまあ何とか先が見えてきました。
ひとまず解放です。

窓際の水槽を見ているとよくわかるのですが、水槽のメダカも寒いと動きません。岩陰に隠れていて見えなくなります。
しかしあったかくなると動き回ります。
生き物と環境はつながっているのがよくわかります。

高校時代の同級生の益田さんが、隔月で湯島で細菌学ベースのサロンをやってくれています。そこでは私と益田さんのやりとりが基軸になりがちですが、議論がかみ合わないことが多いのです。しかし、かみ合わないようで実はお互いに違いは理解し合え、おかげで世界をそれぞれ広げているような気がします。

そこでのテーマのひとつは、生命と環境なのですが、言葉では違いが大きいのですが、なんとなく相手の言い分が理解されてくると、そうした違いを超えて同じことを違う言葉で言っているだけではないかという気がしてきます。
まあ私たちのやりとりを聞いている人はそうは思ってもらえていないかもしれませんが、言葉のコミュニケーションとは実に面白いものです。
文字にしてしまうと、思いは死んでしまいかねません。

最近、むかし読んだ「ホメロスの世界」という文庫本が出てきたので、少し読み直してみました。
文字がなかったからこそ、あれだけ膨大な物語をホメロスは創作できたと書かれていました。
文字と言葉は、全く違う世界を創り出すような気がします。

この挽歌は、文字で書かれていますが、思いはなかなか記録できません。
言葉で語りかけたいと思いますが、もうしばらくはそれは無理のようです。
まあずっと無理かもしれませんが。

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2021/12/14

■湯島サロン「住んでいるまちを楽しくしよう」報告

「住んでいるまちを楽しくしよう」というと抽象的な感じがしますが、案内にも書いたとおり、このサロンは竹形さんが取り組んでいる実際のプロジェクトがテーマの実践的なサロンでした。まちづくりに実際に取り組んでる人や取り組みたいと思っている人たちも含めて、10人の参加者がありました。

竹形さんは、いま進めている「STREET LIFE PROJECT」をまとめたパンフレットをもとに、構想の全体像とポイントを簡潔に説明してくれました。
竹形さんの構想は、高齢社会の真の問題は「不安」だという認識から出発しています。

そうした「不安」を引き起こす背景にはいろんな問題がありますが、それらを個別に解決していくのは難しい。そこでさまざまな問題を組み合わせて解決していこうと考えたのです。それだけではありません。問題解決を通して、逆に住んでいる街を楽しくする仕組みができるのではないかと考えているのです。

そのめざす仕組みは、「やりたいことができる〈場所〉と〈仲間〉がみつかる街のプラットフォーム」で、それを実現していくのが、STREET LIFE PROJECTなのです。
STREET LIFE PROJECTは、「高齢者でも簡単に使える地域SNS」「地域のことがよくわ換えるポータルサイト」「助け合いの潤滑油としての自由通貨」「誰かと話せるコミュニティサロン」の4つから成り立っています。このそれぞれに竹形さん独自の工夫がこめられていて、しかもそれがいまどんどん「進化」しているのです。
こうしたモデルをいくつかの地点でまず実現し、それを全国に広げていくというのが、竹形構想です。

STREET LIFE PROJECT構想の詳しい説明は、次のサイトをご覧ください。この構想はどんどん進化していますが、このサイトも時々アップデートされています。
https://www.facebook.com/groups/2708308336165204/posts/3017477415248293/

参加者の中には、この構想に共感して、すでに取り組みの準備を始めている人もいますし、すでに取り組んでいる活動とつなげられないかと実践的に考えている人もいましたので、実践的な話し合いも行われ、具体的なアイデアもいくつか出されました。
竹形さんはいろいろなところで、この構想を紹介していますが、そうやって構想がどんどん豊かになっていくのでしょう。そういう取り組み方もとても共感できます。

示唆に富む話もいろいろありましたが、そうしたものをしっかりと実践につなげていくことが竹形さんの関心事ですので、個別の話の紹介はやめておきます。

私は話を聴いていて、オランダで広がったビュルトゾルフを思い出していました。
湯島のサロンでも時々話題になりますが、ビュルトゾルフ(オランダ語で「コミュニティケア」を意味します)は2006年にオランダの地域ケアの取り組んでいた看護師が仲間と一緒に始めた在宅ケア(訪問看護・介護)組織ですが、いまやオランダ全国に広がっているばかりか、日本も含めて、世界的にも新しい「共生保障システム」として注目されています。
もしかしたら竹形モデルは、それを超えるソーシャル・イノベーションを起こすかもしれません。なにしろ主役が、私たち生活者ですから。

ちなみに、竹形さんは話の最初に4つの問いかけを参加者にしました。
みなさんはいかがでしょうか。
・あなたが住んでいる街は楽しいですか?
・「家には寝に帰るだけ」という人が多数、あなたは?
・街にワクワクするものはありますか?
・ワクワクすることを一緒にできる仲間はいますか?

私の体験では、まちづくりは、ヘトヘトになるか、ワクワクするかのいずれかです。
でもヘトヘトの先にはワクワクがある。

ワクワクが生まれる環境を一緒に作りましょうという竹形さんの呼びかけに、よかったらぜひ応じてみてください。
竹形さんは来春には実際に動き出す予定で準備を進めていますが、自分の地域でも取り組みたいという方がいたら竹形さんにコンタクトしてみてください。
フェイスブックのグループもありますので、ぜひご覧ください。
https://www.facebook.com/groups/2708308336165204

竹形さんにお願いして、また湯島でもその後の動きの報告サロンをやってもらいたいと思っています。
このテーマは、湯島サロンが始まった契機にもつながっていますので。

Takegata

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■節子への挽歌5221:急に腰痛がやってきた

節子

今日も寒い日でした。
寒いこともあって、最近はますます怠惰になってしまい、在宅の日はほとんどリビングの椅子に座って、テレビを観たりパソコンをやったり、本を読んだりしています。

毎朝やっていたテレビ体操もさぼり気味ですし、ともかく動かない。
そのせいだと思いますが、今日の午後、急に腰痛がやってきました。

最初は軽く考えていたのですが、もしかしたらこれは「高齢に伴う腰痛」のはじまりかもしれません。
これまで全くこんなことはなかったのですが。

腰が痛いと前かがみがちに歩いてしまいます。
いわゆる高齢者の歩き方になってくる。
別に腰痛でなくても、どうしても姿勢が前かがみになりがちですが、腰が痛いとそれがもっとひどくなり、猿の惑星に出てくるコーネリアスのようになる。
困ったものです。
あわてて録画しているテレビ体操を観ながらテレビ体操をやってみましたが、そんなことで治るはずもない。

入浴して身体をあたためたらと思い、30分も湯船に入っていたらついつい寝てしまいました。お風呂で死んでしまう高齢者も多いと聞いていますが、あまりに静かだったのでユカは心配していたようです。
しかし腰痛は一向に良くならない。
どうも本格的に腰痛かもしれません。

直接の心当たりはないのですが、要するに椅子に座る時間が多すぎたのが理由かもしれません。
そういえば、椅子もクッションのいい椅子に最近買えたのも一因かもしれません。
まあこうやって理由を探しだすと、まあそれなりに見つかるものですが、要は高齢で身体機能が弱っているだけのことでしょう。
さてさてやはり長生きはするものではありません。

身の回りの整理を急がなければいけません。

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2021/12/13

■節子への挽歌5220:片付けとは改めて人生を振り返ること

節子

少しずつですが、片づけをつづけています。
今日は長年使っていたデスクとチェストを分解して廃棄することにしました。
いささか感慨深いものがあります。

段ボール箱もまた2つ開いてみました。
何とそこにむかし家族みんなで行った北海道ツアー旅行の集合写真のファイルが紛れ込んでいました。
私には全く記憶がないのですが、そこに全員がアイヌの服装をした写真がありました。
娘に聞いたら、覚えていましたが、私には完全に記憶がありません。

この旅行で覚えているのは、阿寒湖近くのホテルで、会社(当時はまだ会社勤務でした)の上司に会ったことです。
上司と言っても職場の上司ではなく、監査役で、会社の長老のおひとりです。
その人は私が入社したころから私を知ってくれていました。
私が新入社員として書いた新入社員教育の感想で、いささか過激なことを書いてしまったようで、それが問題になっていたようなのですが、それであるときに私に声をかけてくれたのです。しかも、その人は節子の友人と縁のある方だったので、なんとなく記憶に残ったのでしょう。

かなりの皮肉屋でしたが、以来、長年、愛情を持った皮肉で私に時々声をかけてくださったのです。
阿寒湖近くのホテルで会ったために、私が家族旅行をしたことは社内でも広がってしまいました。私もかなり冷やかされましたので、今も記憶に残っています。

片付けていると、こうしたいろんな過去が浮き上がってきます。
片付けとは、改めて人生を振り返ることのようです。
まだまだ片づけは続きそうです。
間に合うといいのですが。

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■節子への挽歌5219:面倒な問題に巻き込まれたときには身辺整理がいい

節子

ここにきていろんな面倒な問題に巻き込まれだしそうです。
昨日は2つのことでいささか気が滅入りました。
いずれも「やらなくてもいい」ことですが、いつものようについつい取り組みだしてしまったのです。
いずれも他者の問題に絡んでいるので、さすがにここには書けませんが、懲りもせずになんでこういうことを繰り返すのか、我ながら呆れます。

しかしそういう生き方しか、私にはできないのでしょう。
困ったものです。

それよりももっと自分の問題に取り組むべきですが、どうも自分の問題は先へ先へと伸ばしてしまう。
これまた困ったものですが、これもまた変えられずにいます。

とはいえ、少しずつですが、身辺整理は取り組みだしています。
昨日は湯島の整理を始めました。
まずは書籍や資料の廃棄ですが、書籍はいろんな人が持ってきて置いているものもあるので、勝手には廃棄できませんが、資料はその気になれば一気に廃棄できます。
しかしそうはいっても、全国のNPOの関連情報もたくさんあるので、捨て方は難しい。
まあ世間とかかわりながら生きてくると、自分だけでは処理できないことも少なくないのです。

身辺整理は自分の人生を振り返ることでもあります。
そんなことを考えながらの整理ですので、ゆっくりとしか進みません。

面倒な問題に巻き込まれたときには身辺整理がいいかもしれない。
そんな気がします。
今日は在宅の予定なので、片づけの続きです。

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2021/12/12

■節子への挽歌5218:古いノート

節子

書類や資料が詰まっている段ボール箱が数箱あります。
昨年のリフォーム時に、ともかく書庫と書斎をなくすために、そこにあったものをすべて引っ越し用に@譚バール箱に詰めてしまったのですが、その一部がまだそのままになっているのです。

昨日、坂谷さんと食事をした時に、段ボール箱からまず出さないと言われたのを思い出して、昨夜ひと箱をあけてみたのです。
たまたまなのですが、そこにはノート類が入っていました。

むかし、私はノートが大好きで、20冊くらいのノートにタイトルをつけてテーマごとに書き記すようにしていた時期があります。
そういうノートが出てきたのですが、いずれも最初の数ページしか書き込みがないのです。つまり飽きっぽく、テーマがどんどん変わっていったというわけです。

その一部に、節子のノートも出てきました。
節子も同じような習性があり、どこかに行くと何かを書く癖がありました。
旅日記のようなものですが、これも私と同じで、一冊に書けばいいのに、いろいろと書き散らしています。
私との違いは、私は同じノートを使っていますが、節子は手帳も含めていろんな大きさやスタイルのものに書いています。
ここに性格の違いが出てきています。

私は中学の頃からそうでしたが、気に入ったノートがあるとまとめて購入し、それを使うタイプでした。
ですから、数学も英語も国語も、全部同じノートでした。
そのため、国語も横書きで書いていて、先生に注意されたことがあります。

まとめて最初に購入するので、使わずに残ってしまうこともあります。
いまから思えば無駄な話です。
今回もまったく書かれていないノートも数冊出てきました。
困ったものです。

一番驚きは、なんと大学時代のノートまで出てきたのです。
私の記憶では、大学時代にノートをしっかりととったのは2つだけでした。
「憲法」と「行政学」でした。
この2科目のノートは卒業後も廃棄せずに残していたのですが、そのうちの「行政学」のノートが出てきたのです。
なんとまあ几帳面に書かれています。
いまの私には想像もできません。
当時の授業も何となく覚えています。

さて今回こそは思い切って廃棄するつもりですが、こうしたものの中に私の過去や節子の過去は残っているわけです。
そうした過去を少しずつ捨てていかないと、なかなか次への出発はできないでしょう。

そういえば節子の日記もたくさん残っています。
一時、読んでみようかと思っていましたが、いまはもう読もうとは思いません。
たぶんすでにすべてを知っているような気がするからです。
もちろん私たちがまだ会っていなかった以前のことも、です。

私の性格を受け継いだ娘たちも、たぶん読むことはないでしょう。
私が元気なうちにすべてを廃棄するのがいいかもしれません。

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2021/12/11

■近くの北星神社を案内してもらいました

今日、我孫子の友人と食事をしたのですが、その帰りに前から気になっていた北星神社に立ち寄りました。ここはその友人が子供の頃から遊び場にしていたところのようで、食事の時に相馬氏や平将門の話が出た延長で、案内してもらったのです。

http://www.komainu.org/chiba/abikosi/HokuseiDaida/hokusei.html

社殿や鳥居などは40年ほど前に新築されていますが、もともとは中世にこのあたりをおさめていた相馬の根戸城主が妙見菩薩を勧請奉祀したのが始まりで、その後、地元住民が集落の鎮守「妙見宮」として祀ってきたそうです。
妙見菩薩の神使は北の守護神の玄武とされていて、いまも社殿の前には狛犬とは別に亀(玄武)が置かれています。新築の時に亀も新しくされたそうですが、江戸時代からの亀も横に置かれていました。

明治維新後の廃仏毀釈に伴い明治9年北星神社と改称、近隣の8社を合祀したのですが、その8社の祠も並んでいます。
さらに昔からあったであろう、入り口の石柱には「伊勢大々記念」とあって、伊勢神宮ともつながりがあるようです。

案内してくれた友人から一度きちんとレクチャーを受けたいと思っていますが、このあたりの歴史もきちんと調べていくと面白そうです。

他にも気になっている神社があるのですが、来年は少しきちんと回ってみようと思っています。

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■節子への挽歌5217:最近外で声をかけられることが増えてきました

節子

昨日もまた危うく知り合いをスルーするところでした。
マスクをしているとついつい気づかないままで通り過ぎてしまいかねません。

道を歩いていたら、向かい側から来た自転車が目の前で止まり、「佐藤さん」と声をかけられました。
よく見ると近くの人です。
あやうく気付かないところでした。
「最近、体調はどうですか」と訊かれました。
最近私とあまりで会っていないので心配してくれていたようです。

自分ではあまり意識していないのですが、そういわれると確かに私の外出は減っています。それが足にも来ています。
私はマスクをしていても、いつも同じ服装でサンダル履きですから、それなりに目立つのです。

最近、こんな形で外で声をかけられることが増えてきました。
以前は逆で私から声をかけていたような気がしますが、最近は気づかずに、気づかれることが増えたということでしょう。
困ったものです。

それにしてもマスク文化は性に合いません。
最近は「顔パンツ」という言葉までできているようです。
昨年から一部の人は予想していましたが、まさにその予想が当たってしまったようです。
顔を見せることが恥ずかしいことになってきてしまった。
イスラム世界に近づきました。

これが進歩なのか逮捕なのか、私にはわかりませんが、少なくとも私自身はできるだけ余計なものを身につけたくないというタイプなので、マスク文化はかなりに苦痛です。
しかし、まだマスクを外す勇気は戻ってきません。
電車やお店ではついついマスクをしてしまいます。
だいぶ世間に同調するようになってきたのかもしれません。

まあ残り少ない現世生活ですので、たぶん何とか我慢はできるでしょうが、マスクやひげで顔を隠す文化は私の性には合いません。
困ったものです。

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2021/12/10

■節子への挽歌5216:死別は悲しさよりも彼岸への親しみをもたらしてくれます

節子

節子も知っている小学校時代の同級生が肺炎で亡くなりました。
昨年に続き、2人目です。
白血病と診断されていたのですが、肺炎になって免疫力の弱さから急逝したのです。
コロナで死亡と言われる場合も、こうした事例は少なくないのでしょう。

今回も家族葬だったのですが、小学校時代の仲間にも是非参列してほしいということで、声も節子も知っている友人と一緒に2人で参列しました。
亡くなった友人は、同じ小学校時代の仲間同士で結婚したので、パートナーも同級生仲間なのです。

幸いなことに苦しむこともなく、冗談を言いながらの最後だったようです。
遺影には、スマホで電話をしている写真が使われていました。
とてもいい写真で、まるで彼岸からも電話してくるのではないかと思わせるような写真でした。
これは彼ではなく、伴侶の彼女が選んだのだそうです。

久しぶりに小学校時代の話も含めて3人で話しました。
まあいろいろ思い出もあります。

小学校時代の仲間が集まるミニ同窓会を一時期、湯島でやっていましたが、集まるのは女性が多いので、最近はあまりやっていません。
男性に比べて女性は元気なのです。
男性は次々と亡くなり、私が一番よく一緒に遊んでいた2人はもう10年以上前に亡くなりました。
その後、付き合いが復活した4人組もすでに半分の2人だけになってしまいました。
まあこうやってみんな彼岸へと引っ越していくのでしょう。

この歳になると、しかし、同世代の人がなくなっても悲しさは全くと言っていいほど出てきません。
薄情なのかもしれませんが、悲しさよりも、彼岸への親しみのほうが強くなってきています。
いずれにしろまた間もなく会えるでしょうから、これまでとそうは違わない気がしています。
私自身も少しづつ引っ越しが進んでいるのかもしれません。

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■節子への挽歌5215:夢の存在が大きくなっている気がします

節子

この頃、夢の中で大働きしているので、起きた時にはもう休みたいと思うほどです。
以前も書いた「胡蝶の舞」のように、夢と現実が逆転してもおかしくない感じなほど、夢の中では大活躍しています。
しかも最近、その夢と現実が奇妙にリンクしだしているのです。

たとえば、先日、夢の中でわが家の前に行列ができている夢を見ました。
出ていくとみんな私への相談事なのです。

最初の相談者は、息子さんが事故で足を失い、松葉づえが使いにくいという相談でした。
その松葉づえは、金属でできていて、奇妙な突起が出ていました。
細かなやりとりは忘れてしまいましたが、話しているうちになぜか松葉づえが車いすになっていました。
まあ夢の中ではそうした不連続な展開はよくあります。

夢の中では、そういういろんな相談のためにわが家でサロンを開くことになったという感じでしたが、そこで目が覚めてパソコンを開いたら、我孫子在住の友人から、そういうちょっとした相談を話し合えるような場がつくれないかというメールが来ていました。なんだか夢が続いているような気がしました。

昨日の夢は、合宿の夢で、私が知らない人たちばかりでしたが、なにやら新しいプロジェクト起こしの相談でした。私は、そこでは一番の若い世代で、下働きのような感じで、動き回るというよりも、話し回っていました。
内容は全く思い出せないのですが、みんなを説得するのに疲れきったところで目が覚めました。

まあこれ以外にもいろんな夢を見ます。
そのいくつかには、思ってもいなかった人が登場しますが、全く知らない人も登場します。知らない人の場合も、とても具体的なのです。それがいつも不思議です。

たとえば一昨日は「章五郎」という名前の人と話していました。
目が覚めて思わずネットで、章五郎という名前を調べてみましたが、心当たりは見つけられませんでした。
いまはもう忘れてしまい思い出せませんが、昨日の朝、章五郎を調べた時には、もうひとつ何かキーワードがあった気がします。出なければネットで調べようなどとは思わないでしょう。しかし、不思議なことに今はそのキーワードがまったく思い出せません。
たしか誰かの親戚筋に当たったような気がしますので、苗字も覚えていたのかもしれません。

いずれにしろ夢の存在がどんどん大きくなっている。
もしかしたら、いつかの時点で、夢の世界と現実の世界が反転する。
それが「死」ということかもしれない。

最近そんな気がしてきています。

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2021/12/09

■節子への挽歌5214:リビングを来客対応可能にしました

節子

2階のリビングのテーブルを一回り大きなものに代えました。
先日、来客があった時に迎え入れる部屋がないことに気づいたので、来客対応もできるようにしたのです。
しかしそうなると部屋全体を少し整理しなければいけません。
それで結果的に、私の寝室も模様替えすることにしました。

しかし模様替えするにもともかく狭いので大きなレイアウトは変えようがないのです。
ベッドの横のデスクに、パソコンなどの一式を置いているのですが、最近はそれを一切使わずに、ノートパソコンやスキャナーもリビングでやっていたのですが、そうなるとそれに付随した書類や文具などもそこに置きたくなり、結局、いつも散らかっていたのです。さらに書棚まで一つ置くようにしていました。

今日はその書棚も廃棄し、代わりにちょっとしたものが置けるような棚に置き換えました。それに伴い、また書籍の廃棄が必要になりました。
まだ捨てきれてはいないのですが。
でもまあ何とか対応可能になってきました。

この家に転居してきたときに、10人くらいは集まれるように1階を設定していたのですが、いまは孫の遊び部屋になっています。
転居後、間もなく節子は発病したので、節子との夢は実現できませんでした。
私の生活シナリオも、そのために一変してしまいました。
この家を新築するときに、家族全員、まさかこうなるとは思ってもいませんでした。

人生の未来は自分でもわからないものです。

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■節子への挽歌5213:歳をとると何が起こるかわかりません

節子

朝、兄から電話があり、姉が目が回って起き上がれないのでこれから病院に行くと連絡がありました。
ユカに行ってもらい、病院まで送ってもらうことにしました。

幸いに持病の心臓とは関係なく、耳からくるメニエール病だったので、入院せずに帰宅できました。
兄の子供たちは遠方なので、何かあるとユカががんばってくれています。
今回は大ごとにならずによかったです。

先日、兄と会食した時に、兄は私が娘たちと同居していることがいかに恵まれていることなのかを盛んに話していました。
たしかにそうでしょう。
もし節子がいなかくなった後、私一人だったら、たぶんこんなには長生きはしていなかったでしょう。
そういう意味では娘たちには感謝しています。

私はこれまで寮生活は別として、一人で生活したことがありません。
だから食事なども自分で作ったことがなければ、洗濯もやったことがありません。
そういう意味では、とても恵まれていたとも言えます。
いわゆる生きるための労働は、一切したことがないのですから。

まあそれはそれとして、姉のような症状は、私はかつて2回ほど体験しました。
いずれも節子がいなくなってからですが、年末だったので、2階とも緊急病院に駆けつけてMRIをとりました。2回目は45日寝ていましたが、幸いに最近はその症状は出ていません。
代わりに先日、筑波山に行ったときに倒れたような症状は時々出るようになりました。
まあ歳をとるとはそういうことなのでしょう。

あまり無茶は避けなければいけませんが、どうも自分の体力を正しく評価するのは難しいものです。

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2021/12/08

■節子への挽歌5212:書籍を少し廃棄できました

節子

本や雑誌などの整理がなかなか進まないでいるのですが、今日は思い切って、書棚をひとつ壊すことにしました。収納場所をなくせば、書籍は減らさざるを得ないからです。
併せて整理せずにおいていた機関誌や雑誌などを処分することにしました。

雑誌はすでにほぼ廃棄していますが、2種類の雑誌が捨てられずにいます。
一つは経営関係の雑誌で、ハーバードビジネスレビューで、これは25年間分が全冊そろっているので、何となく捨てられないでいます。

実はもうひとつ、捨てられずにいるのが若いころ購読していた「SFマガジン」です。
購読し始めたのは大学生の頃からですが、残しだしたのは会社に入社したころからですので、今残っているのは8年分ほどなのですが、どうにも捨てられずにいました。
当時は日本のSF作家がどんどん登場していた時期で、いまでも話題になっている作品がこの雑誌から登場しているのです。
数回、映画化もされている「ソラリス」も、この雑誌で最初に紹介されたのですが、初めて読んだ時には衝撃的でした。
他にも記憶に残っている作品の多くが、この雑誌で登場していたのです。

小説だけではありません。
コラム記事や関連記事も、印象的なものが多く、また表紙も印象的なものが少なくないのです。
読者が投稿したショートショートも毎月紹介されていたことがあり、私も掲載させてもらったことがあります。
そんなこともあって、なかなか捨てられなかったのです。
しかし、今回、思い切って廃棄することにしました。
ただし毎年の臨時増刊号はやはり残すことにしました。まあ次回の整理の時に廃棄されることになるのでしょうが。

もうひとつ廃棄することにしたのが、世界文学全集です。
私が若い頃は、こうした文学全集や「日本の歴史」「世界の歴史」といった全集スタイルのものが多く、なんとなく私も購読していたのです。
そういう全集もいろいろとあるのですが、これもなかなか捨てられない。
世界文学全集は今回廃棄しましたが、たとえ世界SF全集はまだ捨てられずにいます。
時々、思い出したように読むことがないわけではありませんが、まあ今では読みたくなったら図書館で借りて読めばいいのですが、なんとなくこれも捨てられない。

書籍は読むだけのためにあるわけではなく、やはり手元にあるだけで何となくうれしくなるのです。こういう意識が残っている限り、書籍や資料の整理はなかなか進まないでしょう。
困ったものです。

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2021/12/07

■節子への挽歌5211:縁から始まる人のつながり

節子

先日、書きましたが、32年前の写真が出てきたので、それをフェイスブックに一部掲載したら、いろいろとコメントがありました。
ある人は、たまたまそこに写っていた人を見て、○〇さんがいなければ私は佐藤さんと会うことがなかった、というようなことを書いてきてくれました。
たしかにそういうことはいろいろとあります。

人のつながりは不思議です。
思わぬところにつながっていく。
そしてつながった先との縁が深まっていく一方で、つなげてくれた人との縁が消えていく。いいかえれば、縁ができても、それで終わる関係もあれば、そこから始まる関係もある。

サンチアゴ巡礼によく行く鈴木さんが言うには、巡礼でのほんの短い触れ合いなのに、その後、ずっと続いている人がいるそうです。
たぶん人のつながりは、時間の問題ではなく、もしかしたら定まっているのかもしれません。そう思えることが私にも何人かいます。

前世や来世で、きっと深いつながりを持つことになるのでしょう。

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2021/12/06

■節子への挽歌5210:こたつとは縁を切る

節子

寒くなりました。
今年は私の好きなこたつをやめることにしました。
さすがに今日は寒くて、エアコンを入れました。

最近、朝食のメニューを変えました。
というのは先日テレビの「がってん!」で、朝きちんと蛋白質を摂らないと筋力の低下が早いという番組を見たからです。
私は、節子もよく知っているように、こういう分野では影響を受けやすいのです。

まずレタスを食べることから始まることは変わりませんが、いつも飲んでいた珈琲を牛乳に変えたのです。
食後にはコーヒーを飲みますが、その量は半分になりました。
加えてウインナか卵料理を、できれば双方とも食べることにしました。
メカブなどの海藻類とトーストは今まで通りです。

メニューを変えてからもう2週間近くたちますが、筋力が回復した実感はまだ出てきません。歩く時間が少なくなったことも一因かもしれませんが、最近は湯島のオフィスに行く途中の58段の急階段がつらくなってきました。
困ったものです。

体力低下を感ずるとできるだけ楽をしようと思ってしまいます。
それが悪循環をもたらす懸念もあります。
意識してできるだけ体を動かし、蛋白源を摂取しなければいけません。
頭ではわかっていますが、これが結構面倒なのです。

寒くなるとますます動かなくなりそうです。
こたつでも立てたら1日中、そこに巣篭ってしまいかねません。
せめてそうならないように、今年からこたつとは縁を切ろうと思ったのです。
しかし、今日のように寒い日は、やはりこたつがほしいです。
復活させないように、早く廃棄しようと思います。

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■第12回益田サロン「生物の自己複製/変異と自発性」報告

今回の益田サロンは、「生物の自己複製と自発性」がテーマでした。
自己複製における遺伝子の異常は自発的に生ずるのか、外部環境の働きかけがあるからなのかという問題から始まりました。

すべての多細胞生物は、一個の受精卵から生まれます。最初は、受精卵の単純な自己複製ですが、次第に多様なものを創り出していきます。それはそれ自体、自己プログラム化されているわけですが、複製すべてが完全に同じとは言えません。
ちょっとした異同が発生しますが、そうした異同(それによって環境との関係が変わるほどの異同が「変異」だと益田さんは説明してくれました)がなぜ生ずるのかが、私の関心事だったので、しつこく質問したために、話がなかなか先に進みませんでした。
しかし繰り返し質問したおかげで、私はかなりすっきりしましたが、参加されていたみなさんには退屈だったかもしれません。

もし当初からのプログラムに基づいて、複製時に異同が生じるとしたら、そしてそれが「変異」につながるとしたら、自己は環境を克服しうることになります。その論を進めれば、環境さえもが自己のサブシステムになりかねない。

またもしプログラムが環境と無関係に「ミス」を起こすことがあるのであれば、そのミスを起こす主体は誰(何)なのか。もし主体がないのであれば、すべてがつながっていると思っている私の世界観(自然観)が壊れてしまいます。

この問題は、益田サロンの大きなテーマである、自己と非自己、あるいは自己と環境との関係にも深くつながっているので、おろそかにはしたくなかったのです。

そもそも自己を複製するという行為は「環境」に大きな影響を与えます。益田さんは、その時の環境と、異同を生じさせることも含めて、複製行為における「環境」とは別のものだと言います。
たしかに2つの「環境」は次元が違うのかもしれません。「空間的な環境」と「時間的な環境」と言っていいかもしれません。

これまで、このサロンでは、「地と図」とか同心円構造で、自己と環境をイメージしてきたため、どうもそのイメージに制約されすぎているのかもしれません。私自身、理解していたようで、微妙な認識のずれがあったようです。これは「比喩の落とし穴」かもしれません。
サロンでは、量子生物学やホロニック論の話も少し出ましたが、今回は深入りしませんでした。

また話の途中で、毒素を抱え込んでいないジフテリア菌の話が出ました。
この話はこれまでも何回か出てきていますが、議論が進んでくると、それが示唆することの理解も深まります。ウイルスと宿主の関係も、さまざまなことを気づかせてくれ、最近のコロナウイルスの状況も、ちょっと理解ができるような気がします。
まあそうやって、いろんな問題を考えるヒントが得られるのが、益田サロンの面白さかもしれません。

今回はせっかく「自己複製」をテーマにしながら、なかなかそこに話が行きませんでしたが、次回、もう一度、自己複製をテーマにサロンをしてもらえることになりました。
できれば、今回私が気づかせてもらった「自己の寛容性」も話題にしてもらおうと思います。

私は毎回参加させてもらっているおかげで、かなり理解が深まってくるとともに、毎回、さまざまな刺激をもらえます。その面白さが、報告ではお伝えできないのが残念です。
今回初めて益田サロンに参加してくださった方がいます。その方には話し合いをどう感じたか心配ですが、最後に面白かったと言ってくださったので安堵しました。
この方は秋田からの参加なので、滅多には参加できませんが、一度参加してくださると何となくサロンの雰囲気がわかってもらえるのではないかと思います。

益田サロンの報告は、難しいのです。
まだ参加されたことのない方は、ぜひ一度ご参加ください。
これからも続きますので。

益田さんにこんな話をして盛りたいという要望があればそれも聞かせてもらえれば、できるだけご希望に沿うようにさせてもらいます。

Masuda121

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■「いいニュース」

今朝の新聞にGoogleが一面広告で、「いいニュースって、なんだろう?」と呼びかけています。こう書いてありました。

ニュースを読むことは、世界の今日を考えることにつながる。
それは、未来をよくすることに、きっとつながる。

いいニュースを読んだら動き出したくなる。それが私にとっての「いいニュース」です。

膨大なニュースが毎日飛び交っていますが、メディアに載っているニュースを選ぶ目がどこにあるかが気になります。Googleも、それをもっと開かれた透明性のあるものにしたら、「いいニュース」の発信源になるでしょう。もし本気で、未来を(みんなにとって)善くしたいのなら、ですが。

仕事で多くの新聞を毎日読んでいる人とちょうど一昨日話したところですが、複数の新聞を読んでいると、その違いがよくわかり、特定の一紙だけを読んでいると世界を見違えかねないと、その人は言っていました。

新聞にしろテレビとネットにしろ、媒体によっていずれもかなりの偏りがありますので、それを受け取る自分の世界をできるだけ現実に立脚して広くしようと私は心がけています。どんなニュースも、受け手によって、その意味(与えるメッセージ)は違ってくるからです。書き手の意図とは真反対に解釈することも、時にあります。

ニュースに関しては、とても共感できる本を最近読みました。
石戸諭さんの「ニュースの未来」(光文社新書)です。

石戸さんは、「インターネット時代の良いニュースとは、事実に基づき、社会的なイシュー(論点、争点)について、読んだ人に新しい気づきを与え、かつ読まれるものである」と定義しています。そして、良いニュースを成立させている5大要素として、「謎」「驚き」「批評」「個性」「思考」をあげています。
私の感覚にぴったり合っています。
私は、多くの場合、ニュースを読んで「何かを知る」のではなく、「何かを考える」「行動につなげる」ようにしています。知っただけでは意味がない。そこから自分事を考えるのが私の姿勢です。

ニュースの「ニュー」の新しいことに関して、石戸さんは「知らないことを知ること=新しいこと」だと書いています。それを読んで、私の新聞の読み方はちょっと変わりました。最近の新聞には「ニュース」が少ないなと思っていましたが、それは私の読み方の問題だったことに気づかされました。もうすでに知っていることに関する情報が、私にとってのニュースになることも少なくありません。知っていると思っていたことが、実は何も知ってはいなかったことに気づかされることもあります。

マスコミが毎日送り込んでくる情報に埋没してしまうと、しかし、何も考えずに与えられた情報に振り回されかねません。そうならないように、ましてや支配されないように、自分で世界を見つけていくようにしたいと思っています。

石戸さんの「ニュースの未来」はお薦めです。

 

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2021/12/05

■節子への挽歌5209:マスクでだれかわかりません

節子

最近はみんなマスクを話せなくなっているようです。
私自身は道を歩く時には基本的にはマスクは外していますが、まだそういう人は少ないのです。

駅から帰宅する道で、通りすがりの人に挨拶されました。
よく見たら、近くのYさんでした。
あわてて挨拶を返しました。
あやうく気付かずに通り過ぎるところでした。  
「あ!Yさん、最近はみんなマスクをしているので気づきませんでした」と付け加えましたが、家の近くだったら、なんとなくわかるのですが、離れたところだとマスク姿の人にはなかなか声をかけられません。
男性の場合はなんとなくわかるのですが、女性は特にわからない。
たぶん気づかずに通り過ぎていることもあるのでしょうね。

私はマスクなしの上に、いつもサンダルですので、比較的に見分けがつきやすい。
でも私にはみんなが見分けにくい。
困ったものです。

しかしいつになったらみんなマスクをはずしだすのでしょうか。
はずしたいのだけれど、みんなに不安を与えるといけないのでという人もいるでしょう。
そういう状況から抜け出すのは難しい。

節子だったらどうしていたでしょうか。
私の考えを問い質すうえで、節子の生き方や私へのコメントはとても大きな存在でした。
いまでも時々、節子だったらどういうかなと思うことはあるのですが、それがなくなってからどうも私自身の言動を相対化できずにいます。
自分の言動を問い直す基準がないと、なかなか自分は見えてこないものです。

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■節子への挽歌5208:32年前の写真が出てきました

節子

少しずつ、本当に少しずつですが、書籍や資料の整理に取り組んでいます。
今日は、湯島のオフィスを開いた時の写真が一部出てきました。
実に懐かしい人の顔もありますが、名前を思い出せない人も少なくありません。

オープンの日から1週間、オフィスを開放して、自由に来てもらっていたのですが、1週間で100人を超す人がやって来てくれました。
それが今もやっているサロンにつながってきたのですが、まさかあんなにいろんな人が来てくれるとは思っていませんでした。
花もたくさん届きました。
意外だったのは女優の加賀まりこさんから大きなブーゲンビリアが届きました。
加賀さんの事務所の人と知らずに付き合っていた人が送ってくれたのです。

他にも意外な人からの電話をもらいました。
いまも活躍されている中村桂子さんです。
特に交流があったわけではないのですが、東レ時代に一度お尋ねしたことがあったのです。仕事での取材だったともいますが、雑談の方が印象的で、それでたぶん退社の案内をしていたのでしょう。

湯島に来てくれた人もいろいろでした。
あの1週間で、私たちの生き方は少し変わったような気もします。

写真を見ても名前が思い出せない人が少なくありません。
それでフェイスブックで30年前の自分に会いに来ませんかと呼びかけることにしました。
懐かしい人がやってくるといいのですが。
もう今は鬼籍に入られた方も少なくないのが残念です。

それにしてもみんな若いです。
私ももちろんですが。
節子の写真がないのが残念です。

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■節子への挽歌5207:また一人逝きました

節子

小学校の時の同級生だった友人が亡くなりました。
節子も知っている人ですが、節子の葬儀の時にいささか不愉快な思いをして以来、彼には心理的に許せないところがあるので、複雑な心境です。
身近な人を亡くした時、人は精神的に少し不安定になり、ちょっとしたことに奇妙のこだわってしまうのかもしれません。
今から考えれば何ともないことかもしれませんが、その時のやりとりは、ぬぐえない心のきずを私に残してしまったのです。本人は全く気付いていないでしょうが、私自身には彼に会うたびに思い出すほどです。

しかしその彼も亡くなってしまった。
葬儀は家族葬のようですが、彼の伴侶も私の小学校の同級生で、彼と付き合いのあった友人からは、彼女が私に告別式に来てほしいと言っていると連絡が届きました。
ちょうどその時間は地元での社会福祉協議会の総会なのですが、どちらを選ぶか少し迷いましたが、告別式に行くことにしました。
行けば、必ずあの時の不快な思い出を思い出すでしょうから、本心では行きたくないのですが、迷う時には積極的な行動をという節子のアドバイスに従うことにしました。

私がそうだったように、伴侶を見送った人もまた精神が不安定になっていることでしょう。私自身、彼の二の舞にならないように、言葉に気を付けないといけません。

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2021/12/04

■節子への挽歌5206:他者を心配することの意味

節子

しばらく音信不通だった武田さんから電話が来ました。
まあ武田さんとは意見の食い違いから、時々、彼の方から音信断絶になるのですが、少し経つとまた電話がかかってくるのです。
しばらくの空白期間に少しは変化していると期待したいところですが、これまでの経験では全くそれは期待できません。
まあ数か月の空白期間は、電話の最初の1~2分で埋められてしまい、その後は、意見の食い違いの状況が全くと言っていいほど、変わることなく空白期間がなかったような関係になるのです。したがって、またしばらくしたら断絶関係になるでしょう。
困ったものです。

武田さんは今、これまでの活動の集大成に向かっています。
そのため、それ以外のことには巻き込まれたくないと言うので、私からは声をかけないようにしています。
今回の取り組みには賛成はしましたが、荷担はできないでしょう。
そのうちお互いに人生が終わりますから、まあ長い付き合いでしたが、一緒に何かを成し遂げることはできませんでした。
まあそれもいい。

音信不通の同世代の友人が何人かいます。
以前は気になると連絡を取ることもあったのですが、最近はそういうのを一切やめました。しかし、これも不思議なもので、私が思い出してどうしているだろうかと思うと、その数日後に連絡があることが多いのです。
やはり何か特別の見えないつながりというのがありそうです。

昨日はもう一人、私より少し年上の人からも連絡がありました。
私よりも元気そうで、むしろ私のことを心配しているのかもしれません。
そういえば、武田さんも、私の健康状況と経済状況を心配していました。

他者を心配する。
これも生きる意味を与える要素かもしれません。
他者を心配する気持ちが消えてしまったら、自分の人生も多分消えるでしょう。
人は、他者のためではなく、自分のために他者のことを心配するのかもしれません。

私はまだいろいろと他者のことが気になりますので、もうしばらくは生き続けるようです。

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■緊急サロン「新型コロナワクチンについてもっと知ろう」のご案内

新型コロナ騒ぎもかなりおさまってきましたが、その一つの理由はワクチン接種が進んだからだと説明されています。すでに日本人の8割近い人がワクチン接種を終えているようです。
しかし、その一方で、ワクチン接種を忌避している人も少なくありません。ワクチンは危険だと呼びかけている人さえいます。ワクチン禍に関するネット情報も出回っていて、接種しようかどうか迷っている人もいるでしょう。

遠藤興佑さんは、ワクチンの危険性を多くの人に知ってもらいたいと言って、街頭での呼びかけ活動などをしています。しかし遠藤さんは、ただ反対を唱えるだけでなく、賛成の人とじっくり話し合いたいと思っているのですが、そういう機会が得られずに残念がっています。

ワクチン反対活動をしている人たちをカルト集団だという人もいますが、私が知っているかぎりでは、みんなとても誠実で視野も決して狭くありません。それにワクチン接種を妨害するようなこともありません。一方のワクチン支持者も、そもそもまだわからないことが多いですから、絶対などと思っている人はいないように思います。

日本では、異論を出し合って話し合う場があまりありません。ワクチン問題に関しても、反対派と賛成派それぞれがあまり接点を持たずに、わかり合おうとする関係が広がりません。
どんな異論にも、なにがしかの学ぶところがあると思っている私としては、とても残念なことです。そこで、遠藤さんと相談して、ワクチンに反対している人と賛成している人にお願いしてその根拠を話し合うサロンを企画しました。

問題は、ワクチン反対の意見もきちんと聴いてくれて、その上で、データなどできちんと反論し、ワクチンの効用を危険性も含めて説明してくれる人が参加してくれるかどうかでした。そこでFBやメーリングリストで呼びかけたら数名の方が手をあげてくださいました。何とか日程調整させてもらい、開催することになりました。
そんなわけで、日程が1月5日になってしまいました。

サロンでは、みなさんと相談して、次の3点を厳守してもらおうということになりました。
・自分の考えを強要しようとせずに、お互いの意見をきちんと聴き、理解しようとすること
・ワクチンに関する評価の意見を話すときには、その意見の背景にあるデータを示すこと
・相手の意見を聞けてよかったとみんなが思える会をめざすこと

ワクチン賛成派も反対派も、みんなの健康を守るという点では、思いは同じはずですから、コミュニケーションできないはずはありません。合意は無理かもしれませんが、その話し合いを聞いている参加者も含めて、それぞれに気づき合えることはあると思います。

繰り返しますが、このサロンは「持論を主張し合う場」ではなく、「異論に学ぶ場」にしたいと思いますので、くれぐれも誤解ありませんように。また言うまでもないですが、ここでの発言は参加者個人の見解であって、所属あるいは関係する組織などとは一切関係ありません。

進め方は、最初にワクチン反対の立場から40分、問題提起してもらい、それを受けて、賛成の立場の人が40分話をし、その話を踏まえて、参加者からの質問や疑問にも答えながら、1時間半ほど、話し合うというスタイルを考えています。
最初に話してもらう反対・賛成の立場の方には、専門知識のない私にもわかるように話してもらうようにお願いしています。
後半の話し合いには、専門的知識の少ない参加者も参加して、素朴な疑問をぶつけ合えればと思います。生活者の疑問こそが、大切だと思っていますので、それにそれぞれの視点から詳しい人が可能な範囲でアドバイスしてもらえればと思っています。

いつものサロンよりも1時間長い3時間のサロンにしました。
始まりも1時からですので、お気をつけください。
年初のサロンとしては、あまりふさわしくないかもしれませんが、よろしくお願いします。

なお会場の関係で、参加者は8人に限定させていただきます。
定員になり次第、申し込みを終了させてもらいますので、参加ご希望の方は必ず申し込んでください。

〇日時:2022年1月5日(水曜日)午後1時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「新型コロナワクチンについてもっと知ろう」
〇情報提供者
 反対の立場:遠藤興佑さん(ワクチンを打たせたくないと思っている家庭教師)
       宮庄宏明さん(FB「コロナの真実を伝える会」管理人)
賛成の立場:竹内文乃さん(疫学・統計学)
      山森俊治さん(臨床免疫学・遺伝学)
 *当日話す内容はすべて個人の見解であり所属組織や関係組織とは関係ありません。
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

 

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2021/12/03

■ジョニー・Dの独白

2020年制作のアメリカ映画「黒い司法(原題:Just Mercy)」を観ました。
https://eiga.com/movie/90684/
冤罪の死刑囚たちのために奮闘した弁護士ブライアンが、黒人への差別が根強い1980年代のアラバマで体験した実話に基づいた映画です。
冤罪の被告人ジョニーDの独白が印象的でした。

こんな独白です。

逮捕されたとき、軽く考えていた。
真実は明らかだと。すぐに誤解とわかって釈放されると。
だが、警察は俺を犯人と言い、白人の男も俺が殺すのを見たと言った。
判事も陪審も俺だと言った。俺は死刑囚だ。

2年、3年、4年……。友だちも子どもたちも足が遠のいた。
そのうちみなに疑われている気がしてきて、自分でもわからなくなった。
真実はぼやけていた。

ジョニーDは、冤罪に気づいたブライアンの再審請求の提案に最初は興味を持ちませんでした。みんなから「犯人」だと思われ、言われ続けているうちに、自分でもわからなくなったのです。それにみんなの「期待(評価)」は裏切れない。みんながそう言うのであれば、それが正しいのかもしれない。

冤罪事件ではないですが、私のまわりには、ジョニーDのような人は決して少なくないような気がします。それがいい方向に働いている人もいるかもしれませんが、自分を見失って、みんなの評価に合わせていくケースが多いように思います。

他者を評価するということは、そういうことも考えなければいけません。
私は他者を評価することは不得手なのですが、時にしているかもしれません。
しかしその評価はたぶん間違っているのでしょう。
他者を評価したつもりが自分を評価していることもよくありますし。

フェイスブックなどで私を「評価」してくれる人がいますが、私はそれを読んで、逆にその人のことだと思ってしまいます。
他者のことなどわかるはずもない。ましてや評価することなどできようもない。
そう思うのですが、いろんな人が私を評価してくれます。困ったものです。
私はその人のことがわかった気もしますが、私自身も少なからず影響を受けている可能性もあります。注意しなければいけません。
他者の評価に影響されて生きるのではなく、素直な自分を生きたいものです。

 ちなみに、これは自分のことだけではありません。
「人とは…」「社会は…」などについても、みんなの意見で決めつけている人も少なくありません。
どうしてみんな自分の体験の方を大切にしないのか不思議でなりません。

 

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■節子への挽歌5205:兄も元気です

節子

兄とランチを一緒しました。
まあお互いにいつどうなるかわからないこともあり、できるだけ会うことにしているのです。
最近も私たちより年上の従兄の訃報が届いたのですが、だんだん寂しくなっています。
しかし不思議なもので、あまり悲しい感情は起きないのです。

最近はコロナもあって葬儀にさえも行かないこともありますが、まあ自分よりも若いあ世代であれば、こうも行かないでしょう。
自分よりも年上の人の死は、悲しさというよりも、なぜかある意味での安堵感さえあるのです。天寿を全うしたという安堵感です。

兄は今でも松戸市のが小学校に頼まれて週数回通っています。
それが兄の健康を保持しているのでしょう。
長いことがんを患っていますので、年中、病院に通っていますが、私よりも歩く姿勢はよくて、元気なのです。

兄と会うといつも私はご馳走になります。
時には私がご馳走することもあるのですが、基本は兄が負担します。
これもおかしな話ですが、それが自然なのです。

それはともかく、兄も歳と共に、頑固さが強まっています。
困ったものです。
でも今日は、とてもいい会食になりました。
いささか食べ過ぎてしまいましたが。

しかし間もなくみんないなくなるのかと思うとなんだか奇妙な気持ちです。
兄と私とでは、私の方が先に逝くかなと思っていましたが、最近はちょっとわからなくなってきました。

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2021/12/02

■湯島サロン「世の中にもっと増えればよいと思うもの」のご案内

今年最後のテーマサロンを鈴木さんにお願いしました。

鈴木さんは、コロナ騒ぎがなければ、毎年、スペインのサンチアゴ巡礼に行くのですが、この2年はコロナのせいでサンチアゴには行けずに、巡礼先を湯島サロンに替えて、みんなの話し合いをいつも静かに聞いていてくれます。
しかもなんとこの2年で、湯島サロンの参加は100回を超えたそうです。
鈴木さんにそれを聞いて、サロンをそんなにやっているのかと驚きました。

100回もサロンに来ていると鈴木さんにはいろんなことが見えているだろうなと思います。この2年間は、「歩く巡礼」を休んで「聴く巡礼」をつづけていたと言ってもいいかもしれません。
そこで、鈴木さんに、サンチアゴ巡礼に行かなかったことで見えてきたこと、湯島サロンに100回も参加して見えてきたことなどを話してもらえないかとお願いしました。これからのサロンのあり方へのヒントも見つかりそうですから。

ところが鈴木さんからは、思ってもいなかったテーマの提案が届きました。
「(コロナ禍の湯島巡礼100回で感じた)世の中にもっと増えればよいと思うもの」。

なぜ思ってもいなかったかと言えば、鈴木さんは昔からのミニマリストなのです。
その鈴木さんが、増えればいいと思っているものとはいったい何なのか。
しかし、これは言い換えれば、「世の中に足りていないもの」ということでしょう。
満ち足りた充実感がある巡礼と足りないものに気づかされる湯島サロン。
そこで、ミニマリストに「もっと増えればよい」と思わせたものは何なのか。
そう考えるととても興味深い。

参加者それぞれが「もっと増えればよい」と思っているものも問われると思いますので、
自分にとって、もっと増えてほしいものはなんだろか、を考えるいい機会でもあります。
来年に向けて、どう生きるかのヒントが見つかるかもしれません。

年末押し迫ってのサロンですが、お時間が許せばご参加ください。
ある意味では、1年を総括するサロンにもなりますので。

〇日時:2021年12月26日(日曜日)午後1時~3時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「世の中にもっと増えればよいと思うもの」
〇話題提供者:鈴木章弘さん(巡礼者/ミニマリスト)
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

 

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2021/12/01

■節子への挽歌5204:悟れないと気づくことが、悟りなのかもしれません

節子

今日はちょっと難しい相談に乗っていました。
かなり微妙な問題なので、さすがにここには書けませんが、親子関係がかかわっている問題です。もっとも今回相談に来たのは、当の親子ではない人です。
当の親子には、それぞれまた近いうちに会いますが、もう長い子と付き合っている問題なのです。
私からすれば、解決策はもうわかっているのですが、当事者がその気にならなければ問題は解決しません。
大体、これまでの経験から言えば、当事者がその気になれば解決する問題は少なくありませんが、当事者の多くは、問題をそのまま残していきたいのではないかと思うほど、みんな「その気」にならないのです。

親子の問題は、必ず周辺にも影響します。
今回は、その最大の影響を受けるであろう人が相談に来てくれたのです。
当事者と第三者が見ている風景は全くと言っていいほど違うことが多いです。
当事者もまた、その立場によって違う世界を見ている。
みんなそれぞれお互いを気遣うあまりおかしなことが起こっていることも少なくないのです。

今日に限らず、いろんな人が相談というわけでもなく、湯島に話に来ます。
そういう話を聞く活動を20年以上続けていると、それなりに世間が見えてきます。
また人間も見えてきます。

午後は、オープンサロンだったのですが、4人の人が来ました。
なぜか話の中で、また私が問題になりました。
私が、他者の痛みをわかっていなくて、当事者に寄り添っていないというのです。
その割にその人はよくサロンに来るのですが、この言葉もいろんなことを示唆しています。
他者に寄り添うなどということはできるわけもなく、言葉だけの自己満足でしかないと私は思っていますが、私なりの寄り添い努力は誰に対してもしてきているつもりです。
しかし他者から見たらそうは思えていないのでしょう。

ひるがえって、節子との関係を思い返せば……、いろいろと反省させられることは多いのです。
あるいは、今現在の娘たちとの関係を思い返せば……、やはり反省させられることは多い。

私はたぶん永遠に悟りなど得られようもない。
いやもしかしたら、悟れないと気づくことが、悟りなのかもしれません。
他者からの批判は、いまだにあまり快くはないのですが、感謝の念は持てるようになってきました。

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■節子への挽歌5203:久しぶりの満員通勤電車で考えたこと

節子

久しぶりに通勤時の電車に乗りました。
もうすっかりコロナ前に戻っているような気がするほどの混み具合でした。
全員がマスクをしている風景は違っていましたが。

私が中央線や池袋西武線で会社通勤していたころは、しかし、もっと混んでいました。
当時に比べれば、状況はかなりよくなっているのでしょう。
しかし車内を見ていて、毎日こういう状況から1日が始まる生活を繰り返していたことで、私の考え方も大きな影響を受けていたのだろうなと思いました。

今回のコロナ騒ぎで、毎日会社に行くことに抵抗を持ち出した人がいると聞いたことがあります。
何の疑いもなく、受け入れていた「常識」や「生活」を、問い直す動きがいろいろなところで出ているとも聞いたことがあります。
今朝の電車を見ていて、しかし、やはり変わらないのだろうなという気がしました。

むかし誰かがある雑誌に、朝、たまにはいつもと逆の方向の電車に乗ってみようと書いていたのを読んだことがあります。俵萌子さんだったような気がしますが。
それがとても気にいっていましたが、会社勤務時代はそれが実現できませんでした。
そして30年ほど前、乗る方向ではなく、そもそも毎朝、電車に乗るのをやめてしまいました。
会社を辞めたのです。
おかげで人生が全くおかしくなってしまいましたが、退屈はしなくなりました。

会社を辞めた後、講演の仕事であるホテルに泊まりました。
翌朝、次の用事で東京に戻る予定だったのですが、バス停で待っていたら、反対方向行きのバスが来たので、むかし気にいっていた言葉を思い出して乗ってしまいました。
ところが終点で降りたら戻れなくなって、その日の用事に大幅に遅れてしまったことがあります。
節子がもう逝ってしまった後の話です。
以来、予定の方向に乗る生活を堅持しています。

そういう几帳面な生活をしているせいか、最近は少し退屈しがちです。
またいまの生活から降りるか、朝、電車に乗る方向を変えるか、考える時期に来ているのかもしれません。

満員電車の中で、そんなことを考えていました。

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■節子への挽歌5202:夜が明けません

節子

今年ももう12月です。
その12月は、激しい雨の日で始まりました。
5時に目が覚めたのですが、まだ空は真っ暗。

いまはもう7時近くになっていますが、まだ夜はあけていない感じです。
いつもであれば、東に太陽が顔を出して陽光が射し込んできているのですが、今日はまだ薄暗く、強い雨の音が聞こえています。
雨のせいなのでしょうが、それにしても夜明け感がまったくなく、不気味な感じの朝です。まるでだれかが時間を止めているような気がします。気のせいでしょうか。

最近、どうもよく眠れません。
生活リズムが全く変わってしまったからかもしれません。
自分でも信じられないのですが、夜に何かをやる気が全くなくなってしまいました。
はやい時には8時過ぎにはベッドに入る日さえあります。

もちろんそのまますぐ寝るわけではなく、ベッドで本を読むのです。
毎日、むかし読んだ本や読まなかったままの本を、書棚から5冊ほど選んで、それに目を通し、面白ければ読むのですが、面白い本に出合わないときには、すぐに眠くなって眠ってしまうこともある。

あまりに早く眠ると12時前に目が覚めることもあります。
目が覚めるとまた本を選んで適当なページを開いて数ページ読む。
そこに考えたくなるような指摘があれば、本を閉じて、その指摘を自分ながらに考える。
そうすると眠れる時もありますが、目がさえてきて、眠れなくなることもある。
5時過ぎに目が覚めたらそのまま起きるようにしています。
それまでは目が覚めても、ベッドに留まって、何かについて考えを巡らしているのです。

こういう習慣に陥っているため、どうも熟睡感がありません。
決して寝不足ではないとは思いますが、しかし何となく朝はすっきりせずに、お昼過ぎになると眠くなる。困ったものです。

今日は5時に起きて、本を読んでいました。
先月、集中的にマルクスの資本論を読んだのですが、あまりに集中してしまったため、その後、じっくりと本を読む気が起きなかったのですが、何とかまた読めるようになりました。

もうじき7時ですが、まだ外は暗く、夜明けを感じません。
気のせいではなく、自然は何かをメッセージしているのではないか、そんな気がしてなりません。
今月からもう少しきちんと生きようと思い直しています。
最近いかにも無為に過ごしていましたから。

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