■節子への挽歌5215:夢の存在が大きくなっている気がします
節子
この頃、夢の中で大働きしているので、起きた時にはもう休みたいと思うほどです。
以前も書いた「胡蝶の舞」のように、夢と現実が逆転してもおかしくない感じなほど、夢の中では大活躍しています。
しかも最近、その夢と現実が奇妙にリンクしだしているのです。
たとえば、先日、夢の中でわが家の前に行列ができている夢を見ました。
出ていくとみんな私への相談事なのです。
最初の相談者は、息子さんが事故で足を失い、松葉づえが使いにくいという相談でした。
その松葉づえは、金属でできていて、奇妙な突起が出ていました。
細かなやりとりは忘れてしまいましたが、話しているうちになぜか松葉づえが車いすになっていました。
まあ夢の中ではそうした不連続な展開はよくあります。
夢の中では、そういういろんな相談のためにわが家でサロンを開くことになったという感じでしたが、そこで目が覚めてパソコンを開いたら、我孫子在住の友人から、そういうちょっとした相談を話し合えるような場がつくれないかというメールが来ていました。なんだか夢が続いているような気がしました。
昨日の夢は、合宿の夢で、私が知らない人たちばかりでしたが、なにやら新しいプロジェクト起こしの相談でした。私は、そこでは一番の若い世代で、下働きのような感じで、動き回るというよりも、話し回っていました。
内容は全く思い出せないのですが、みんなを説得するのに疲れきったところで目が覚めました。
まあこれ以外にもいろんな夢を見ます。
そのいくつかには、思ってもいなかった人が登場しますが、全く知らない人も登場します。知らない人の場合も、とても具体的なのです。それがいつも不思議です。
たとえば一昨日は「章五郎」という名前の人と話していました。
目が覚めて思わずネットで、章五郎という名前を調べてみましたが、心当たりは見つけられませんでした。
いまはもう忘れてしまい思い出せませんが、昨日の朝、章五郎を調べた時には、もうひとつ何かキーワードがあった気がします。出なければネットで調べようなどとは思わないでしょう。しかし、不思議なことに今はそのキーワードがまったく思い出せません。
たしか誰かの親戚筋に当たったような気がしますので、苗字も覚えていたのかもしれません。
いずれにしろ夢の存在がどんどん大きくなっている。
もしかしたら、いつかの時点で、夢の世界と現実の世界が反転する。
それが「死」ということかもしれない。
最近そんな気がしてきています。
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