■節子への挽歌5230:イリアスの朗誦はもう聴くことはできません
節子
胃痛がほぼおさまったので、今日は湯島に出かけました。
ある人たちから相談を受けていて、その約束をしていたためです。
別の人とのランチはキャンセルさせてもらいましたし、夕方の約束は先方の都合で延期になったので、一件だけの用事でした。
それで時間があるので、またまた湯島の書類整理に取り組みました。
キャビネなどにある書類を大量に出してテーブルに並べたとたんに、電話がかかってきました。
新潟の金田さんです。
自宅に電話したら不在だったので、もしかしたらと思い、湯島に電話してきてくれたのです。
新潟は今週末また大雪のようです。
特に用事はないのですが、金田さんは私の声を聴くと少し元気になれるのだそうです。
5分ほどいいですか、と言われて、もちろんいいですと答えたのですが、やはり金田さんの電話は長く、なかか終わりません。
でもまあそれで金田さんが元気になればいいですし、私からも訊きたいこともあったので、やはり長い電話になってしましました。
私が聞きたかったのは、前に古代ギリシアの会をやっていた時に活動を支援させてもらったイリアスの吟唱者の明神さんの最近の連絡先です。
最近私は全く付き合いが途切れていたのですが、急にまたイリアスを聴きたくなったのです。
ところが残念ながら明神さんは数年前に亡くなられてそうです。
やはり連絡が途絶えた人のことを知ろうと思うのはやめた方がいいようです。
明神さんの朗誦するイリアスは、節子も聴いたことがあります。
あの時、録音しておけばよかったなと思います。
電話が終わって時計を見たら、相談者たちが来る時間に迫っています。
あわててテーブルを片付けだしましたが、あまりにたくさん出してしまったたために、そう簡単には片付かず、そのうちに来客が来てしまいました。
まずすべてを出してしまい、それから片付けだすという私のやり方は、やはりあんまりよくないのかもしれません。
ユカからはいつも、片付けるというよりも散らかすのではないかといつも叱られています。
困ったものです。
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