■節子への挽歌5203:久しぶりの満員通勤電車で考えたこと
節子
久しぶりに通勤時の電車に乗りました。
もうすっかりコロナ前に戻っているような気がするほどの混み具合でした。
全員がマスクをしている風景は違っていましたが。
私が中央線や池袋西武線で会社通勤していたころは、しかし、もっと混んでいました。
当時に比べれば、状況はかなりよくなっているのでしょう。
しかし車内を見ていて、毎日こういう状況から1日が始まる生活を繰り返していたことで、私の考え方も大きな影響を受けていたのだろうなと思いました。
今回のコロナ騒ぎで、毎日会社に行くことに抵抗を持ち出した人がいると聞いたことがあります。
何の疑いもなく、受け入れていた「常識」や「生活」を、問い直す動きがいろいろなところで出ているとも聞いたことがあります。
今朝の電車を見ていて、しかし、やはり変わらないのだろうなという気がしました。
むかし誰かがある雑誌に、朝、たまにはいつもと逆の方向の電車に乗ってみようと書いていたのを読んだことがあります。俵萌子さんだったような気がしますが。
それがとても気にいっていましたが、会社勤務時代はそれが実現できませんでした。
そして30年ほど前、乗る方向ではなく、そもそも毎朝、電車に乗るのをやめてしまいました。
会社を辞めたのです。
おかげで人生が全くおかしくなってしまいましたが、退屈はしなくなりました。
会社を辞めた後、講演の仕事であるホテルに泊まりました。
翌朝、次の用事で東京に戻る予定だったのですが、バス停で待っていたら、反対方向行きのバスが来たので、むかし気にいっていた言葉を思い出して乗ってしまいました。
ところが終点で降りたら戻れなくなって、その日の用事に大幅に遅れてしまったことがあります。
節子がもう逝ってしまった後の話です。
以来、予定の方向に乗る生活を堅持しています。
そういう几帳面な生活をしているせいか、最近は少し退屈しがちです。
またいまの生活から降りるか、朝、電車に乗る方向を変えるか、考える時期に来ているのかもしれません。
満員電車の中で、そんなことを考えていました。
| 固定リンク
「妻への挽歌20」カテゴリの記事
- ■節子への挽歌5354:「畑に行かない券」のプレゼント(2022.05.30)
- ■節子への挽歌5353:81歳まできてしまいました(2022.05.30)
- ■節子への挽歌5352:落ちてきたひな鳥(2022.05.27)
- ■節子への挽歌5351:畑に2回も行きました(2022.05.26)
- ■節子への挽歌5350:元気がだいぶ戻りました(2022.05.25)
コメント