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2021/12/18

■節子への挽歌5226:久しぶりの大久保さん

節子

節子も知っている地中海文明に詳しい大久保さんが、久しぶりに湯島に来ました。
もう20年ぶりくらいでしょうか。
節子と一緒にやっていた湯島のサロンの常連の一人でした。

いまフェイスブックのCWSコモンズのカバー写真にむかしのサロンの写真を使っていますが、そこにも写っています。
ちなみにそこには、黒岩さんや節子も写っていますが、いまのサロンの参加者は一変していて、当時の人はめったに来ません。
大久保さんは、万葉集サロンに参加したのですが、他の参加者にはだれ一人大久保さんを知らないでしょう。

当時、新鋭気鋭の研究者のように見えた大久保さんも歳をとりました。
雰囲気は当時とあまり変わりませんが、時間を実感しました。
最近は、上智大学ソフィア会のソフィア文化芸術ネットワークの講演会企画をやったり、美術展の内覧会に行って美術展の紹介などもしているそうです。大久保さんらしい活動です。

サロンが終わった後、少し話しました。
古代ローマに詳しかった小林雅夫さんの話になりました。
小林さんにも頼まれて、早稲田大学でも話をしたそうですが、その小林さんも亡くなってしまいました。
そこから大久保さんの記憶に残っている人たちの話になりました。
話していて気付いたのですが、大久保さんと私との共通の友人たちももうかなり旅立ってしまった。
どうも私は逝きそこなっているのかもしれません。

大久保さんと別れて、帰路の電車の中では、そんな思いがどっと沸きあがってきてしまいました。
はやく旅立ったほうが幸せだなという、いつもの思いがまたでてきてしまいました。
そうなると、何かとても気が萎えてくるのです。
いろんなことが反転して見えてくる。
サロンや地域活動などしている場合ではないだろうという気になってしまうと、私が取り組んでいるすべての活動、つまり今の生き方が、どうしてもネガティブに思えてくるのです。

冬は、とても哀しい季節です。
いつからこうなってしまったのでしょうか。

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