■節子への挽歌5209:マスクでだれかわかりません
節子
最近はみんなマスクを話せなくなっているようです。
私自身は道を歩く時には基本的にはマスクは外していますが、まだそういう人は少ないのです。
駅から帰宅する道で、通りすがりの人に挨拶されました。
よく見たら、近くのYさんでした。
あわてて挨拶を返しました。
あやうく気付かずに通り過ぎるところでした。
「あ!Yさん、最近はみんなマスクをしているので気づきませんでした」と付け加えましたが、家の近くだったら、なんとなくわかるのですが、離れたところだとマスク姿の人にはなかなか声をかけられません。
男性の場合はなんとなくわかるのですが、女性は特にわからない。
たぶん気づかずに通り過ぎていることもあるのでしょうね。
私はマスクなしの上に、いつもサンダルですので、比較的に見分けがつきやすい。
でも私にはみんなが見分けにくい。
困ったものです。
しかしいつになったらみんなマスクをはずしだすのでしょうか。
はずしたいのだけれど、みんなに不安を与えるといけないのでという人もいるでしょう。
そういう状況から抜け出すのは難しい。
節子だったらどうしていたでしょうか。
私の考えを問い質すうえで、節子の生き方や私へのコメントはとても大きな存在でした。
いまでも時々、節子だったらどういうかなと思うことはあるのですが、それがなくなってからどうも私自身の言動を相対化できずにいます。
自分の言動を問い直す基準がないと、なかなか自分は見えてこないものです。
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