■節子への挽歌5225:問題からの逃避に向かいがちな最近です
節子
高齢になると、やはり志向の柔軟性は低下していくような気がします。
長い時間の積み重ねを通して、意識しないままに自分の思考の癖がかたまってきているのかもしれません。
しかし、その一方で、自分の思考の限界を何回も体験していますので、自分の思考を相対化しようという意識もまた強くなっているのです。
この両者のせめぎ合いが、うまく調和してくれるといいのですが、実際にはそのいずれかに偏って言動してしまうことが多いのです。
だから時に、自分の言動を顧みては自己嫌悪に陥ってしまうこともある。
今まさにそうした自己嫌悪の穴に落ち込んでいます。
こうしたことは、自分に関してだけではありません。
同時に、他者への理解意識と反発感情が同時に起こりやすくなっているのです。
自分に対しても、他者に対しても、こうした矛盾した気持ちが入れ替わり浮かんでくるので、たまったものではありません。
こういうストレスが、腰痛につながっているのかもしれません。
少し前までは、こういうことが行動につながったのですが、最近は心身の気力が衰えたせいか、問題からの逃避に向かいがちです。
そんなことを昨夜は少し考えていたのです、目が覚めてパソコンを開いたら、ますますそんな気がしてきました。
何でいつも、自分から悩ましい問題に呼び込んでしまうのでしょうか。
困ったものです。
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