■第12回益田サロン「生物の自己複製/変異と自発性」報告
今回の益田サロンは、「生物の自己複製と自発性」がテーマでした。
自己複製における遺伝子の異常は自発的に生ずるのか、外部環境の働きかけがあるからなのかという問題から始まりました。
すべての多細胞生物は、一個の受精卵から生まれます。最初は、受精卵の単純な自己複製ですが、次第に多様なものを創り出していきます。それはそれ自体、自己プログラム化されているわけですが、複製すべてが完全に同じとは言えません。
ちょっとした異同が発生しますが、そうした異同(それによって環境との関係が変わるほどの異同が「変異」だと益田さんは説明してくれました)がなぜ生ずるのかが、私の関心事だったので、しつこく質問したために、話がなかなか先に進みませんでした。
しかし繰り返し質問したおかげで、私はかなりすっきりしましたが、参加されていたみなさんには退屈だったかもしれません。
もし当初からのプログラムに基づいて、複製時に異同が生じるとしたら、そしてそれが「変異」につながるとしたら、自己は環境を克服しうることになります。その論を進めれば、環境さえもが自己のサブシステムになりかねない。
またもしプログラムが環境と無関係に「ミス」を起こすことがあるのであれば、そのミスを起こす主体は誰(何)なのか。もし主体がないのであれば、すべてがつながっていると思っている私の世界観(自然観)が壊れてしまいます。
この問題は、益田サロンの大きなテーマである、自己と非自己、あるいは自己と環境との関係にも深くつながっているので、おろそかにはしたくなかったのです。
そもそも自己を複製するという行為は「環境」に大きな影響を与えます。益田さんは、その時の環境と、異同を生じさせることも含めて、複製行為における「環境」とは別のものだと言います。
たしかに2つの「環境」は次元が違うのかもしれません。「空間的な環境」と「時間的な環境」と言っていいかもしれません。
これまで、このサロンでは、「地と図」とか同心円構造で、自己と環境をイメージしてきたため、どうもそのイメージに制約されすぎているのかもしれません。私自身、理解していたようで、微妙な認識のずれがあったようです。これは「比喩の落とし穴」かもしれません。
サロンでは、量子生物学やホロニック論の話も少し出ましたが、今回は深入りしませんでした。
また話の途中で、毒素を抱え込んでいないジフテリア菌の話が出ました。
この話はこれまでも何回か出てきていますが、議論が進んでくると、それが示唆することの理解も深まります。ウイルスと宿主の関係も、さまざまなことを気づかせてくれ、最近のコロナウイルスの状況も、ちょっと理解ができるような気がします。
まあそうやって、いろんな問題を考えるヒントが得られるのが、益田サロンの面白さかもしれません。
今回はせっかく「自己複製」をテーマにしながら、なかなかそこに話が行きませんでしたが、次回、もう一度、自己複製をテーマにサロンをしてもらえることになりました。
できれば、今回私が気づかせてもらった「自己の寛容性」も話題にしてもらおうと思います。
私は毎回参加させてもらっているおかげで、かなり理解が深まってくるとともに、毎回、さまざまな刺激をもらえます。その面白さが、報告ではお伝えできないのが残念です。
今回初めて益田サロンに参加してくださった方がいます。その方には話し合いをどう感じたか心配ですが、最後に面白かったと言ってくださったので安堵しました。
この方は秋田からの参加なので、滅多には参加できませんが、一度参加してくださると何となくサロンの雰囲気がわかってもらえるのではないかと思います。
益田サロンの報告は、難しいのです。
まだ参加されたことのない方は、ぜひ一度ご参加ください。
これからも続きますので。
益田さんにこんな話をして盛りたいという要望があればそれも聞かせてもらえれば、できるだけご希望に沿うようにさせてもらいます。
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