■第18回万葉集サロン「宮廷歌人の苦悩-吉野讃歌を中心に」報告
白鳳から天平にかけての6人の歌人の吉野讃歌を通して、宮廷歌人の苦悩に触れながら、その背後にある大きな政治状況や人々の意識の変化をみていこうというのが今回のテーマでした。
升田さんは、「吉野賛歌」という表現から話し出しました。
たしかに、最初の柿本人麿の歌は「賛歌」と言えるでしょうが、そこからかなり後にうたわれた旅人や家持の歌、あるいは金村や千年の歌も「賛歌」と言っていいのか。また、なぜ吉野賛歌と言われるような歌が、時代を超えてうたわれたのか。
持統天皇は在任中に31回も吉野に行幸しています。なぜなのか。
升田さんは、最初に、日本書紀や古事記にある神武天皇の吉野入りの記事を紹介してくれました。吉野は大和朝廷の始まりの場所なのです。当時の感覚から言えば、神とつながる地ともいえるでしょう。
つづけて吉野盟約の話もしてくれました。天武天皇は、後の持統天皇である皇后と皇子たちを集め、次の天皇を決めるルールを決める「吉野盟約」を開き、これからの国のかたちを決めましたが、吉野はその場所でもあります。
日本書紀によれば、「天皇」という称号を最初に使ったのは天武天皇であるとされています。それを制度として固定させたのは持統天皇だとも言われていますが、そのために、吉野宮は重要な意味をもっていたのです。
いずれにしろ持統天皇による度重なる吉野への行幸は、たぶん宮廷人や民も巻き込んでの、国のかたちを決める重要な政治的意味をもっていたようです。
神と自然と民とが一体になって輝かせていた吉野を現実に見ながらうたい上げた柿本人麿の吉野賛歌は、まさに「賛歌」です。にぎやかな音や輝くような光に直接触れて、まるで持統の神がかった思いが乗り移ったかのように、自然と身心が反応して生まれた力強い賛歌になっているように感じます。
人麿の歌もまた、その輝きに荷担したはずで、多くに人にうたわれたことでしょう。
しかし、持統がいなくなってから再開された吉野行幸では、状況が違います。
歌人たちは「生きた現場」を直接に体感することなく、人麿の賛歌を踏まえながら、現実の吉野宮(離宮)の向こうにある過去、持統帝の思いを歌わなければならい。当然、意志や意識が優位に立っての歌になっていく。そんな中で、彼らは形式としての賛歌儀礼をどのような気持ちで詠んだのでしょうか。
天平の時代になると、宮廷では漢詩も盛んになってきます。「懐風藻」にも吉野行幸にまつわる詩があります。万葉の歌人たちも、そうした漢詩の影響と無縁だったわけがない。
そもそも万葉の歌は口誦されていましたが、漢詩は、漢字で書くことで成り立っていた。
つまり万葉の歌は「言葉の世界」で生まれ、漢詩は「文字の世界」で生まれました。
よく言われるように、言葉は個人の思いを発するためのものであるのに対して、文字は思いを伝えあうものとして広がった。伝えあうためには、文字の意味はあまり冗長であってはいけません。私的な感情を盛り込みにくい。だから漢詩は感激のない美辞麗句を連ねることになっていく。
白鳳から天平にかけて、歌の世界も「言葉の世界から文字の世界へ」と大きく変わっていったのでしょう。それが6人の吉野賛歌からも読み取れる。
万葉集は、口誦されていた歌を、万葉仮名を使って書き留めていくことで成立しました。
口誦の時には、人によって少しずつ差異があったかもしれませんが、書き留める段階で、当然推敲されていく。万葉集に似たような歌が収録されている理由はそこからもわかります。そうなると詠み人知らずとか逆に詠み手の名前の意味も、考え直す必要があるのかもしれません。
以上は、升田さんの話を聞きながら、勝手にまとめたものです。
升田さんの意に反しているかもしれません。
ちなみに升田さんは、こういう話を、いくつかの神話や歴史的事実などを織り込みながらていねいに話してくれたのですが、私の関心に任せて、その一部を勝手に読み取って紹介してしまいました。
ところで肝心の6人の吉野賛歌ですが、背景の歴史の話がたくさん出て来て、今回もまた金村や千年の歌を詠むまでに至りませんでした。それほど万葉の歌の後ろには、たくさんのドラマがある。そういえば、今回は久しぶりに若いころ学んだ歴史を思い出して楽しかったという参加者が複数いました。
それでも最後に、升田さんが急ぎ足で2人の歌を詠んでくれました。聞いているだけでもたしかに人麿の歌とは違っているのが感じられます。
言葉の歌から文字の歌へ。湧き上がる歌から創られる歌へ。
それと並行して日本の社会が大きく変わっていく。
神との距離も、人と人との関係も変わっていく。人も変わった。
そんなことに関心を向けすぎて、肝心の歌そのものの話や宮廷歌人の悩みという本来のテーマを私は聞き逃してしまったような気もします。あまりに偏った報告ですみません。
ちなみに今回は、地中海文明に詳しい方が参加したおかげで、最後に少しホメロスのイリアスと万葉集の異同が話題になりました。
いずれも元々は口誦文化から生まれてきたものです。暗誦できるように、韻を踏みながら、同じ言葉が繰り返し出てくる。同じようなものに、アイヌ神謡(ユーカラ)がありますが、そうした口誦文化と文字文化について、いつかサロンが開けたらなと思っています。
ちなみ次回の万葉集サロンは、ちょっと個々の歌から離れて、これまでの話から抽出されてきたいくつかの論点を整理して話してもらうことになりました。
「升田万葉集サロン」の改めの入門サロンです。
お楽しみに。
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