« 2021年12月 | トップページ | 2022年2月 »

2022年1月

2022/01/31

■節子への挽歌5283:久しぶりにSFを読むことにしました

節子

昨日、岡和田さんから送られてきた本のことを書きました。
その本を少しだけ読んだところで、少し考えが変わりました。

私も若いころはかなりSFを読んでいましたが、最近は読めなくなってきています。おそらく思考が硬直してきているのではないかと思います。
それで時々、再度、挑戦してみようと思うことがあります。

10日ほど前に、図書館でスタニスワフ・レムの「地球の平和」という新刊を見つけました。レムと言えば、2回も映画化された「ソラリス」という作品があります。この作品がSFマガジンで紹介されだした頃が、私がそれまでのミステリーからSFへと関心を移したころです。
節子が旅立った後、2回目の映画を繰り返し見た記憶があります。
それを思い出して、がんばって読もうと思ったのですが、やはりだめでした。

諦めて図書館に替えそうと思っていたちょうど、その日に、岡和田晃さんから「いかに終わるか」という、つい引き込まれそうなタイトルの本が送られてきたのです。
岡和田さんのこういうお仕事にはいつも敬服していますが、よりによってこのタイミングに私のところに送ってくださったのが、偶然とはとても思えない。まるで、私の心境が見透かされているような気がしてきました。

岡和田さんからは、この本は短編なので私にも読めるでしょうと言ってきてくれましたので、すぐにいくつかの作品を読んでみました。
読んでいるうちに、なんとなくあの頃の、つまり10代から20代の頃の気持ちが少し戻ってきた気がします。そして、もしかしたら、レムの「地球の平和」も読めるかもしれない。そんな気がしだしました。

そこで図書館に返却はせずに、岡和田さんの本の前に、まずは「地球の平和」を読むことにしました。まあどうでもいい話ですが、こうして公言してしまうと、もう読まないわけにはいきません。

さて、今週は、自分の感性テストです。
「X電車で行こう」も含めて、3冊の本を読もうと思います。

| | コメント (0)

■第2回「はじまり場サロン」報告

第2回「はじまり場サロン」では3人の方が「こんなことをやりたい」と発表してくれました。すでに、案内の時にも書きましたが、次の3つのプロジェクトです。

〔1〕子ども中心とした「まちなかの学び舎」設立(かわさきあつこさん)
国籍問わず老若男女がこの場所に来れば関わる方々が、成長実感ができる学び舎を作りたいと思っています。ワクワクしながら、一緒に作ってくださる方を大募集します。

〔2〕「食材ソムリエ」民間資格制度の立ち上げ(平山典彦さん)
民間資格「食材ソムリエ」としての知識を確立し、有機栽培就農者と連携して頂き、農産物の品質保証をすることと消費者の健康増進に貢献出来ればと構想しております。

〔3〕視覚的媒体を活用したコミュニケーション研究会(仲谷透さん)
視覚的媒体等の言葉以外の媒体を用いる対話のやり取りの可能性と方法を探るための研究会を立ち上げて、新しいワークショップ方式を開発したい。

こうしたプロジェクトに関心を持った人が、6人、参加してくれました。終了近くに新たに2人が参加しましたが、話し合いには入れませんでした。
プロジェクト内容はここではとても説明しきれないので省略しますが、いずれもどこかでつながっているものを感じました。
また提案者と参加者の中で、具体的な実践につながる話も出てきました。

〔1〕(「まちなかの学び舎」)と〔「食材ソムリエ」〕は、いずれもすでにそれに向けての活動を始めているので、改めて、それぞれサロンをしてもらい、更に仲間を広げていければと思います。

〔3〕(視覚的媒体を活用したコミュニケーション研究会)については、研究会の内容がやや抽象的だったので、以前から関心を持っていた方と改めて内容を育てあげて、また提案してもらおうことになりました。私が感じたのは、コミュニケーションなどと言わずに、たとえば「共感力を育てる」というように、研究会で何を目指すのかをもう少し具体的にしたほうがいいような気がしました。そういうように、やりたいことが整理されるのも、はじまり場サロンの役割にできればと思います。

いずれにしろ、少なくとも2つは動きを加速させるのではないかと楽しみです。
今回も、私には実現に向けてかなりの手ごたえがあったサロンでした。
それぞれの呼びかけにもし関心を持たれた方がいたら、ご連絡ください。発表者につなげるようにします。

なおこういうプロジェクトを、「生活事業」と位置づけ、2月から、その実現に向けて学び合う研究会を別途開催していきます。いつものサロンとはちょっと違いますが、なにか事業・プロジェクトを実現したいという方はご参加ください。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2022/01/post-2df302.html

なにか夢を語りたい、やりたいことを発表したいという方がいたら、ご連絡ください。みんなの前で発表すると、実現に向けて動き出しやすくなるかもしれません。
発表者が3人集まったら、また「はじまり場」サロン」を開催します。

Hajimari20221030

| | コメント (0)

■1月オープンサロン報告

今年初めてのオープンサロンは、なんと半数がサロン初参加者でした。
オミクロン変異体の大流行のせいか、オープンサロンの常連のみなさんは今回参加されませんでした。

初参加の人たちは、生活に直結している市民活動を実践している人が多かったので、最近の社会の状況に関する生々しい話も多く、いつもとはかなり違った雰囲気のオープンサロンでした。

また参加者の多くは、これから新しい活動に取り組みたいと動き出している人も多かったので、まるで「はじまり場サロン」のような感じの話も少なくありませんでした。
コロナ騒ぎで活動をやめている人も多いですが、逆にコロナ禍だからこそ動こうと言う人も少なくないようです。それにも元気づけられました。

ところで今回、私の記憶に残ったのは、ある人が紹介してくれた、最近のテレビドラマ「ミステリーと言う勿れ」の中に出てくるセリフです。
主人公がいじめに関してこんなことを言うのです(かなり不正確ですが)。
「どうしていじめられる方が逃げなきゃいけないんでしょう」
「日本では被害者にみんな関心を向けて逃げさせる。でも海外では加害者の方が病んでいると考えて治療させる。」

実は、私もこのドラマを見ましたが、とても共感したセリフでした。
というか、私もいつもそう思っているのです。
別にいじめにこだわりません。殺人事件でも、詐欺事件でもそうですが、被害者と加害者の扱い方にどうも違和感があるのです。
社会を住みやすくしていくためには、加害者の視点から問題を把握し、対策を打つべきではないかと思っているのですが、どうもそうはなっていない、そして、被害者はどんどん増えてきているような気がします。

つい最近、電車内でタバコを吸っている人に注意したら大けがをさせられて高校生の事件が話題になりましたが、あの報道の仕方もどうも私には違和感がある。なんだかみんな問題から逃げようとしているような気がするのです。サロンでもこれも話題になりました。

こうした問題は、いつかきちんとテーマ設定し、サロンをしたいと思っていますが、まだ私にはどう整理していいかわからないのです。でもそんな話が少しできたのは、私にはとても刺激的でした。
こういう身近な話をもっとサロンではしていきたい気がします。

もちろん話は他にもいろいろありました。
海外に仕事に行っていたのに、ホテルでの隔離が終わって、さあ活動と思っていたら、オミクロン変異体大流行の兆しで、急きょ、日本に呼び戻されたという人も参加してくれたので、その様子をも話してくれました。マスコミで報道されている話も、こうして実際に体験した人の話を聞くと、実感が出てきます。

オープンサロンは、いつも以上に、私はボーっと聞いていますので、いろんな示唆に富む話が出たのですが、思い出せません。
困ったものですが、でも初めて参加してくださった人たちが、楽しかったと言ってくださいました。その人たちそれぞれの活動も魅力的で、いつかサロンをお願いしたいと思いますが、現場で活動している人たちの話は、実に示唆に富むことが多く、面白いと改めて実感しました。

報告になっていませんが、ともかくいろいろと考えるヒントをもらったサロンでした。
みなさんにも、ぜひオープンサロンの面白さを体験していただきたいと思います。
なにしろどんな話が出てくるか、全くわかりませんので。

| | コメント (0)

2022/01/30

■節子への挽歌5282:友人が本を贈ってきてくれました

節子

私のまわりには、私にはなかなか理解できない生き方をしている人が少なくありません。
理解できない割に、なぜかすごく気になるのです。
その一人が、文芸評論家の岡和田晃さんです。

岡和田さんから新著が送られてきました。
「いかに終わるか」という、とても気になる題名の本です。
山野浩一発掘小説集とありますが、山野浩一さんの単行本未収録作品を集めた本です。
岡和田さんはこういう仕事を、前からいろいろと取り組まれています。

山野浩一さんは、私にもしっかりと記憶に残っている作家です。
と言っても、私が読んだのは「X電車で行こう」の一冊だけなのですが、なぜかお名前はしっかりと残っています。
そればかりではありません。
たまたま先週、書棚を整理していて(蔵書の半減計画の3回目を進めています)、その「X電車で行こう」が見つかったのですが、迷ったうえに「残す方」に仕分けしたところです。まだ読みなおしていませんでしたが。

それがきっかけになり、またSFを読んでみようかという気になり、図書館からスタニスワフ・レムの「地球の平和」を借りてきて読みだしのですが、これは読みだしてすぐ挫折しました。
そんな時に、岡和田さんからこの本が送られてきたのです。

ちなみに、SFというと、私がかつて読んでいた頃は「空想科学小説」と訳されていましたが、最近では思弁小説(スペキュラティブ・フィクション)と言ったほうがいいかもしれません。そのほうがピンときますが、その「思弁能力」が今の私にはあまりないのです。困ったものですが.

幸いに、本書は長編ではないので、たぶん読めるでしょう。
でも最近は、お腹の具合があまりよくなく、したがって思考力が大きく低下しているので、もう少し元気になってから読もうと思います。

しかし、まるで今の私の心境をお見通しのように、岡和田さんがこの本を送ってきたのが、とても不思議な気がします。
岡和田さんは、時々、贈ってきてくれるのです。
それも自著ばかりではなく、わざわざ購入して送ってきてくれる。
そこにもとても関心があります。

若い岡和田さんから、私は先導されているような気もします。
年齢などは、実に瑣末なことなのかもしれません。

 

| | コメント (0)

2022/01/29

■節子への挽歌5281:がっかりすることがありましたが

節子

今日はかなり残念なことがわかった1日でした。
サロンに参加するメンバーも制約したくなったほどです。
いまのところ、サロンは誰に対しても開いています。
来る者は拒まず、去る者は追わずという方針は、節子と一緒にやっていた時からの方針です。

しかし、今日はサロンの参加者が別の参加者に送ったメールがある人に転送されたのを教えてもらいました。読んでみていささかがっかりしました。
その参加者は、別の参加者を誹謗中傷したメールをサロンで彼と対立した人に送っていたのです。そこには私の悪口も含まれていました。
表向きは何も言わずに、陰でそうやってサロン参加者の仲を裂くような陰湿な行為に触れるととても嫌な気持ちになります。
彼がどうしてそんなことをするのかもわかっているのですが、まさかそこまでやっているとはがっかりです。

もうひとつは私も知っているあるNPOの人が、人を道具として扱っていることを改めて思い知らされたことです。
その人がNPOを立ち上げる時に私もささやかに応援させてもらったのですが、その後、その人の本音が見えてきたので、距離を置いてきたのですが、そこまでやるのかという感じが実証されたのです。
人間のいやな面を見せられてしまった気がして、改めてがっかりしました。

しかも、私が信頼している友人もその道具に使われているようで、それにもいささか寂しい気がしました。もちろんその友人は、善意しかない人なので、自分が道具にされているとは思いもしていないでしょう。だからこそますます哀しい思いにさせられたのです。

しかし、今日はサロンに新しい人が3人参加してくれました。
その人たちと話していて、心が通じ合う気持ちがしたのです。
おかげで、めげかけていた気持ちが軽くなりました。
現場で裏表なく生きている人と付き合うのは気持ちがいいものです。

そんなわけで、今日は結果的には気持ちのいい1日になったのですが、でもまあ、ちょっとサロンのやる気がそがれてしまったことは否定できません。
誰とも分け隔てなく付き合うのは、とても難しいです。

| | コメント (0)

2022/01/28

■節子への挽歌5280:「何かお困りごとなどあれば気楽のご連絡ください」

節子

自治会の会長を引き受けてから、1~2か月に1回、「自治会活動報告」を作成し、全世帯に回覧しています。
前に会長を引き受けた時にもやっていましたが、その時は、節子のがんの再発で途中で活動が十分にできなくなり、途中で頓挫してしまいました。
今回はしっかりとやろうと思っていたのですが、今度はコロナ騒ぎで活動そのものの制約があって、報告する内容もすくなくなってしまいました。

1月の報告を今日、作成したのですが、いろんなイベントが中止になったり、行政とのミーティングもできないまま、報告することがあまりなく、空白ができそうなので、ついついまた余計なことを書いてしまいました。
こんな文章です。

コロナ騒ぎで生活も何かと制約を受け、困っている方も少なくないと思います。
もし何かお困りごとなどあれば、気楽のご連絡ください。
お役に立てるかどうかはわかりませんが、話し合えばなにか知恵が出るかもしれませんので。

実は今回、会長役を引き受けるにあたって、できれば地域の支え合い活動のようなものの種をまきたかったのですが、コロナと私の怠惰さで実現できずにいます。
そういうこともあって、こんな文章を今回いれてしまったのです。
もし相談が出てきたら大丈夫でしょうか。
節子がいたらもちろん大丈夫ですが、私一人ではいささか心もとない気もします。

人は、一人ではなにかと不安ですが、自分を信頼してくれる人が一人でもいると、
元気が出てきます。最近、それがよくわかってきました。
もっともこれは人によって違うでしょうから、あくまでも私の場合です。

結局、何もできないままに、今回も自治会の会長役を次に引き継ぐことになりそうです。
いささか忸怩たるものがありますが。

| | コメント (0)

2022/01/27

■節子への挽歌5279:食生活がどうもくずれてきています

節子

そもそものはじまりは、牛乳余剰問題への協力からです。
好きでもない牛乳を毎日かなり飲むようにしてしまったのです。
つづいて、テレビで知った朝、たんぱく質を摂取することのお勧めに従って、毎朝、ウインナや卵を私にしてはいささか多く食べるようにしたことです。

そしてさらに、夕食をほとんど食べないようにしてしまったのです。
その結果、胃腸の具合が悪くなり、なかなか治らなくなってしまいました。
食欲もなくなり、ますますおかしくなったのです。
回復するまでに2週間ほどかかりました。
いまも何となく不安感があるほどです。

朝食は一変して、軽くなってしまいました。
それまで毎日食べていた海藻類も何となく食べられなくなり、以前よりも軽食になってしまいました。
一時は珈琲も飲めなくなってしまいました。

最近はまたコーヒーは復活しましたが、牛乳はもうやめました。
幸いに牛乳廃棄は避けられたようですし。

食事が安定しないと、どうも元気が出てこない。
みかんを毎日、かなり食べるようになっているのですが、みかんもあまり胃によくないと言われて最近は控え目にしています。
ともかくほどほどがいいのですが、私はついついその気になるとつい行きすぎてしまう。
困ったものです。

しかし、食はすべての基本だということを改めて感じます。
早く新しい食のスタイルを安定させたいと思います。

| | コメント (0)

2022/01/26

■節子への挽歌5278:思い出はただただ哀しいだけ

節子

今日も寒いです。寒いとどうも心身が委縮してしまう気がします。
加えて我孫子でも新型コロナの陽性者が連日多く、昨日は120人を超す陽性者がでたそうです。こういう時には、それなりに注意しなければいけないので、今日も外出はやめて自宅で過ごしました。

と言っても、やることがない。
まあ「やらなければいけないこと」はたくさんあるのですが、すぐにやらなければいけないわけでもないので、今日はやめました。

図書館から「ホメロス」も借りてきているので、「イリアス」でも読もうかと思っていたら、大学時代の友人から、前に頼んでおいた「イリアス」の朗誦が収録されたUSBが届きました。あまりの偶然に、これはもうイリアスを聴くしかないと思いました。

朗誦しているのは、明神さんです。
私が以前、古代ギリシアの愛好家の会「パウサニアス・ジャパン」の事務局長をやっていた時に、最初にお願いしてギリシアに行ってもらったことから交流が始まりました。
明神さんは、イリアスを古代ギリシア語で朗誦する世界でただ一人の人でした。

以前一度書いたことがある気がしますが、会では、明神さんにお願いして、朗誦会を開催しました。
節子も参加しました。
みんなで明神さんの朗誦を静かに聴いたのです。
もちろん内容は全くわからない。にもかかわらずなんとなくとても贅沢な気分になったことを覚えています。

会としては正式に収録することも考えましたが、予算の関係や明神山の意向もあって実現しませんでしたが、会では時に朗誦をしてもらっていて、そのたまたまの記録を友人が探してくれたのです。
今日はそのほんの一部を聴きました。

当時のいろんなことが思い出されて、ちょっとしんみりしてしまいました。
そういえば明神さんも亡くなってしまいました。

ギリシアに関する節子との思い出もたくさんあります。
一番に思い出されるのは、荒木一郎の「ギリシアの歌」です。
ふたりでよく聴いたものです。

というように、いろいろと思いだしていくと、懐かしいというよりも、むしろ哀しくなる。
節子は「思い出づくり」が好きでしたが、私は「思い出」があまり好きではありません。

思い出は、ただただ哀しいだけですから。

| | コメント (0)

2022/01/25

■湯島サロン「日本列島はどのように形成されたのか?」報告

今回のサロンは、「日本列島はどのように形成されたのか」という壮大なテーマでした。

参加者には簡単な宿題が課せられていましたが、参加者全員がきちんとそれに応えていました。私も予習をして参加しましたが、予習していることによって、関心が一段と深まり広がることを改めて体験しました。
それにしても、日本列島はおもしろい。
予想以上にたくさんのことを学ばせてもらいました。

山森さんは、いつものように、この大きなテーマに関して情報を整理し、図表をふんだんにいれた資料をつくってきてくれました。その資料集を見ているだけでも面白いですが、今回は参加者からの事前の質問も受けて、幅広い参考資料まで作成して配布してくださいました。そこには、たとえば、「日本の山岳信仰と修験道」とか「山神としてのニホンザル」とか、「日本人の大地に対する思い」とか、それだけでもサロンをやってほしいような資料も含まれていました。

山森さんはまず、日本列島の成り立ちを、プレートテクトニクスとさらにそれを動かしているプルームテクトニクス仮説から説明してくれました。つづいて、そうしたことによって生まれた日本海についてわかりやすく説明してくれました。

私が一番関心を持ったのは、日本海が、その構造上、世界の海のミニチュア版と言われていて、これからの地球環境を考えていく上でとても重要な意味をもっているということです。
日本海について、もう少し調べてみたくなりました。

山森さんが配布された資料はかなり大部のものですが、関心のある方はご連絡ください。山森さんにお願いして、お届けできるかもしれません。

話し合いもとても面白かったですが、書き出すときりがありません。
最近噴火したトンガの火山の話から古代のアトランティス大陸の話、あるいは地軸の変化や無磁場の話、さらには万葉集の話まで、話題は山のようにあり、とても1回のサロンにはおさまらないような内容でした。折を見て、いつかまたどこかに焦点を絞って、山森さんにサロンをやってもらえればと思っています。
知れば知るほど、知らないことが広がってくる。そういう意味では、今回は日本列島サロンの入門編と言ってもいいかもしれません。
話し合いサロンもいいですが、学び合いサロンも、これからも随時開催していこうと思います。

山森さんのお話にも感心しましたが、参加者みなさんのお持ちの情報(特に体験知)にも感心しました。そういう意味でも大きな刺激をもらったサロンでした。
「知らないこと」がどんどん増えていくことは、人生を楽しくさせてくれることを改めて実感させてもらいました。

山森さんはじめ、参加者のみなさん、ありがとうございました。

Nihon220123

| | コメント (0)

■「民主主義において権力は、資本という特殊な「主権者」によって占められている」

イタリア生まれの社会学者マウリツィオ・ラッツァラートの本は私には難解過ぎてなかなか消化できません。何となく気になって時々挑戦しますが、いつも途中で投げ出してしまいます。昨年末に翻訳出版された「資本はすべての人間を嫌悪する」(法政大学出版局)もやはりだめでした。
ただとても気になる指摘に出会いました。昨日、投稿した「資本主義と民主主義」に関わるものです。それは、「民主主義において権力は、資本という特殊な〈主権者〉によって占められている」という指摘です。私はまだ十分に咀嚼できていないのですが、なんとなく納得してしまっています。

ラッツァラートは別の著書で、「資本主義とは、資本が民衆に対して永久戦争を仕掛ける体制運動である」とも書いていますが、現在展開されているコロナ騒動を見ていると、この指摘にも納得してしまいたくなります。
それに抗っての「革命」を呼びかけているラッツァラートは、本書には多分そのためのヒントが書き込まれているはずですが、なかなかそれが読み取れません。元気な時にもう一度、再挑戦しようと思いますが、どなたかヒントをいただけるとうれしいです。

| | コメント (0)

■「進む辺野古移設 市民にうんざり感」(朝日新聞2022年1月25日朝刊)

今朝の朝日新聞に掲載されていた、辺野古でのフィールドワークを20年近く続けている熊本博之さんの指摘をぜひ多くの人に読んでほしいと思います。
ついでに天声人語も。

■進む辺野古移設 市民にうんざり感(朝日新聞2022125日朝刊)

名護市長選の結果から、何を読み取ればいいのか。辺野古でのフィールドワークを20年近く続ける熊本博之・明星大教授に聞いた。

名護市民は、渡具知市政の継続を選んだ。しかし、市民が「決定権なき決定者」であることを忘れてはなりません。25年にもわたって、市民は「辺野古移設についての態度を示せ」と言われ続けてきました。しかし、どんな決定をしても辺野古の計画は止まらない。市民がノーと言っても、ブレーキとして機能しないのです。政府に意向をくみ取られるのは、移設を容認した時だけです。

未来について複数の選択肢があるように見えながら、実際にはひとつの方向にしか流れていかない。ならば、少しでも生活を安定させようと考えて政府に協調的な候補者に投票する、というのはそれほど不思議な選択ではありません。

コロナ感染が広がっていることが原因かもしれませんが、選挙戦は以前に比ベれば静かでした。何をやっても政府の方針にあらがえない。どうしようもない。そんなうんざり感です。

市民をそう追い込んでいるのは、直接的には政権であり、さらにはそれを支えている国民です。2019年の県民投票で沖縄が「反対」と示しても、安倍政権は一顧だにしませんでした。でも支持率はほぼ下がらなかった。かじをにぎっているのは本土の側です。
名護市民だけに責任を押しつけてはいけません。

いま政府は、自分にとって都合のいい決定をした自治体の意見だけを聞いています。その結果、国が求める役割を先回りしようとする人が現れ、「国に貢献するのは当たり前だ」という空気が広がっています。沖縄で起きている問題は、沖縄だけの問題ではないのです。(聞き手=編集委員・谷津憲郎)

 

| | コメント (0)

■節子への挽歌5277:再びの結い構想

節子

昨夜はいろんなことが気になってまた眠れませんでした。
起きて早速に、その思いを問いかけるサロンをやろうと思い立ち、案内を出しました。
この時評編にあるサロンです。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2022/01/post-9d6bc4.html

サロンの案内にも書きましたが、先日サロンに参加してくれたある人が風邪をひいてしまいました。当日の湯島サロンにも参加する予定だったのですが、風邪で参加できなくなったという連絡をもらったので、気になっていました。それで彼のフェイスブックで様子をフォローしていて、彼が独り住まいで苦労していることを知りました。
私はこれまで独り住まいをした経験が皆無です。いつも誰かが私と一緒でした。だから独り住まいのことがわからないでいます。
昨夜はそれを考えていたのです。

というのも、私のまわりには独り住まいしている人が多いのです。
そういう人の強さにはいつも敬意を感じていましたが、別に強いがゆえにそうしているわけではなく、大変なこともあるのだろうなと思い至ったのです。

実はそう思いだしたことの最初は、独り住まいしていた小学校時代の同級生ががんになって余命宣告を受けてやって来た時です。明らかに彼は動転していました。
その時に、独り住まいしている人の不安さを感じ、何かをしなければいけないと感じました。彼をあたたかな人の思いやりの中で見送った後、正直、少し疲れてしまい、その問題から逃げ出していました。それで大いなる「結い構想」はまた挫折していたのです。
でももう一度、それについて考えようと思い出したのです。

何ができるのかまだわかりません。
改めて資金を少し残しておけばよかったと思うのですが、いまはもう私の貯金は40万円を切ってしまいました。友人が遺産をあげると提案してくれた時にもらっておけばよかったと思ったりしますが、そうすればまたいろんな制約を受けざるを得ません。やはりお金はなしで取り組むのがいい。そうなるとやはり知恵が必要になる。

まあそんなことを考えていたら、昨夜もまた眠れなくなりました。
いつも気づくのが遅いのです。
社会の動きに関しては、かなり早く気付くのに、自分のことになるとあまりに気づくのが遅い。
さらに現世在住計画を延ばさざるを得ない。
本当に困ったものです。

| | コメント (0)

■湯島サロン「私たちに欠けているもの」のご案内

サロンにも来てくれたことのある人が、風邪にかかってしまいました。
フェイスブックでそのことを知ったのですが、その人は独り住まいなので、発熱して休んでいる中を、食事も自分で作らなければいけないので大変そうでした。
幸いに今は、フェイスブックがありますから、独り住まいでも状況をみんなとシェアできますので、その人の投稿記事に関してたくさんのコメントがいつもありました。もしかしたら、その人にとっての一番の支えは、そうした「人のつながり」かもしれないと思いました。

その一方で、その人のように友人が多い人はいいですが、友人がいない人はどうでしょうか。あるいはフェイスブックもやっていない人は、状況をシェアさえできない。
そんなことが気になりだしました。

かつて日本人はそれぞれに帰属場所をもち、その中にいる限り、他者からの気配りを受けることができていました。それが窮屈だという声もありましたが、ある意味での安心感を与えていたことも間違いありません。しかし、その後、個人として自立することが目指され、むしろ家庭や会社や地域社会などから飛び出してきた結果が今の社会かもしれません。

3.11の後、「絆」という言葉が盛んに言われていた頃、被災地の方から「絆」という言葉への否定的な話を聞いたことがあります。その前から、私は「重荷を背負い合うこと」こそがコミュニティの基本と考えての活動にささやかに取り組んでいたのですが、そうした私の考えを問い質す契機になりました。
しかし最近また、やはり「絆」には価値があるのではないかという気がしだしています。

長々と書いてしまいましたが、そんなことを少し話させてもらったうえで、いまの私たちに欠けているものは何なのだろうか。どうしたらもっとみんなが安心して生きていけるようになるのだろうか、というような話をしたくなりました。
もしそんなことに関心をお持ちの方がいたら、ご参加ください。

このサロンを皮切りにして、今年は改めて「コモンズ」をテーマにしたサロンを時々開いていこうと思います。いつのまにか、コモンとかコモンズが時代のキーワードになってきているようですので。

〇日時:2022年2月9日(水曜日)午後1時~3時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇話題提供者:佐藤修(CWSコモンズ村村長)
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

| | コメント (0)

2022/01/24

■節子への挽歌5276:人の付き合いは実に難しい

節子

ちょっと寂しいメールが来ました。
サロンに時々参加してくれる女性が、1年ほど前に突然、夫から離婚を申しだされていたのですが、ついに調停で離婚が決まったというメールです。
女性から離婚を申しだされた事例は何人か知っていますが、男性からの離婚申し出は私のまわりではそう多くはありません。
私には、そもそも離婚ということが全く理解できませんが、最近は離婚も増えているようです。
なんだかとても寂しい気がします。

さびしいと言えば、今朝、来ていたメールの一つが、やはりさびしい内容のものでした。
前に少し書きましたが、引きこもりの若者を抱えていた家族の相談に長く乗っていた友人からのものです。
私には逆恨みとさえ思えるのですが、その家族から友人が誹謗されてきていたため、友人がかなり参ってしまっていました。それで私もとりあえず距離を取ったらと伝えていたのですが、彼は優しい人なので、突然縁を切るのではなく、きちんと話し合って関係を終わらせたいと言ってきました。
その話し合いが昨日行われたのですが、結局、話し合った結果、さらに相手からの誹謗がネット上で書かれてしまったようです。
とても寂しい話です。

実はもう一つありました。
これは昨夜届いていたメールです。
湯島のサロンで、ある時、ある人がある人に軽い冗談であることを発言しました。

そのことに関して、発言された人が、その言葉に傷ついた、発言者を許せないと、その発言者にメールを送って来たそうです。もう2年以上前の話なので、発言した人も忘れてしまっていて、心当たりがないのだがとメールしてきたのです。たまたま私はその時のやりとりを覚えていました。なぜなら、そういうやりとりを許したことで、私も当時、発言を受けた人から抗議の激しいメールをもらっていたからです。彼からはもう佐藤さんにも会いたくない、縁を切るというメールでした。
その時の寂しさを思い出しました。

よかれと思ったことが、相手を深く傷つけることがある。
人の付き合いは実に難しい。

そんなこんなで、今日はちょっと元気の出ない1日でした。

 

| | コメント (0)

■生活事業研究会のお誘い

昨年末に予告させてもらいましたが、今年から、継続的な研究会として「生活事業研究会」を立ち上げることにしました。

これまでのサロンとは違い、継続開催で有料制(1回1000円)、そして話し合うだけではなく、参加者それぞれが実際に行動を起こし、構想した事業(プロジェクト)を実現するのが目的です。
会員登録制を取りますが、ゆるやかに開かれた形で開催しますので、会員以外の人の参加も可能なようなスタイルを取ります。しかし、毎回参加を基本に進めていきます。

はじまり場サロンでも、参加者がこんなプロジェクトに取り組みたいという思いを発表してもらっていますが、それを実際に実現していくことを目指していこうというのが、この研究会の目的です。

毎月1回(2回目以降は原則として第2土曜日)開催していく予定です。
参加ご希望の方は必ず事前に申し込みください。その際、自分はどんな事業(プロジェクト)を実現したいという内容をあわせてご連絡ください。漠然としたもので結構です。

1回目は、「生活事業とは何か」をテーマにし、研究会の概要と進め方について私からお話をし、つづいて参加者それぞれが取り組みたいプロジェクトを発表、それを構想にまとめる準備作業をしたいと思います。
2回目以降、実際に各自の事業に即して、話し合う形で進めていきます。
1期は7月までの6回を想定しています。
研究会に参加したからと言って、事業(プロジェクト)が実現するわけではありませんが、ともかく何かが動き出すことを目指したいと思います。

具体的な取り組みたい事業(プロジェクト)のある方の参加をお待ちしています。

〇日時:2022年2月11日(金曜日)午後1時~3時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇参加費:1000円(領収書を発行します)
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

 

 

| | コメント (0)

■コロナ恐怖症候群の脅威

アメリカ軍普天間基地の移設計画への対応が争点となった沖縄県名護市の市長選挙は、自公推薦の現職の渡具知さんが、移設計画の中止を訴えた岸本さんを破って当選しました。
投票率は前回よりも1割近く低かったようです。
やはりお金の力は大きい。

コロナ騒ぎのなかで、どんどん日本という国家が崩れていっているようです。
コロナコロナと騒いでいる時ではないような気がしますが、今回は何もしなかった自分を悔いています。
コロナの恐ろしさを改めて実感しました。

新型コロナ感染症は、私には脅威ではありませんが、コロナ恐怖症候群は脅威です。

 

| | コメント (0)

2022/01/23

■節子への挽歌5275:政治について話し合ったことを思いだします

節子

昨日は予定されていたイベントが中止になったので時間が空いてしまいました。
やろうと思えばやらなければいけないことや別のイベントへの参加も考えたのですが、昨日はゆっくりと本を読むことにしました。

実は先日、書籍の整理をしていて、気になる本が出て来たからです。
それは、「文部省著作教科書 民主主義」です。戦後、中高生に対して「民主主義」を教えるために作られた副読本や教科書の解説書などは読んでいますが、復刊された教科書そのものは読んでいないからです。
もしかしたら購入した時に一部を読んだのかもしれませんが、完読はしていないのは間違いありません。というか、購入したことさえも覚えていなかったのです。
書籍を整理しているとこういうことはよく起こります。

1948年から49年にかけて、上下巻で出版されていますが、復刊は1995年です。
内容などに関しては、改めて時評編で書こうと思いますが、挽歌編でこのことを書こうと思った理由は、この頃は、よく節子と日本の政治などを語り合っていたことを思いだしたからです。

1989年に私は会社を辞め、それまでの専業主婦だった節子を誘って湯島のサロンをはじめました。
最初、節子はとても嫌がっていたのですが、そのうちに少しずつ、会話にも耳を傾けるようになり、サロンの翌日、話題になった話を2人で話し合ったことも少なくありません。
節子はほとんどその分野の知識はありませんでしたし、私の考え方はいささか常識的ではなかったので、最初はかなり戸惑ったはずです。
しかしだんだん私に同調してきたような気がします。

「文部省著作教科書 民主主義」を見ながら、そんなことを思い出してしまったのです。
いまはもうそんな話をする相手もいません。

| | コメント (0)

■「新しい資本主義」と「新しい民主主義」

最近、少し気になっている言葉に、「新しい資本主義」と「新しい民主主義」があります。

「新しい資本主義」はいうまでもなく、岸田政権が言い出している言葉です。
どういう「新しさ」が出てくるのか期待していましたが、いまのところは完全に肩すかしです。
私自身は、資本主義は「金銭が主役で人間を道具(手段)にする考え」と捉えていますので、そもそも「新しい資本主義」という概念には懐疑的ですが、ソーシャル・キャピタルとか社会共通資本という考えもありますので、人間を手段にしないような資本主義がないとも言えません。

一方、「新しい民主主義」は、昨年、先崎彰容さんの「国家の尊厳」という本で出会った言葉です。先崎さんからは以前、ナショナリズムに関しての新しい示唆をもらったことがあるので、関心を持ったのですが、残念ながら「新しい民主主義政治」のことであって、「新しい民主主義」ではありませんでした。世代が違うと「民主主義」の捉え方が違うのかもしれません。私自身はあまりにもみんな「民主主義」と「民主主義政治」を混同しているのが気になっています。

昨日、地元のあるイベントがコロナで中止になりました。朝からまる1日、その実行委員の一人として作業する予定だったのですが、それがなくなり時間ができたので、久しぶりに、「文部省著作教科書 民主主義」を読み直しました。
1948年から1953年にかけて、教科書として使われたものが、25年ほど前に復刊されたのです。
中学生向きの副読本もありますが、それとは違い、こちらは「民主主義の本質」から始まって、上下巻のかなりの大部のものです。私自身はこれで学んだ記憶はありませんが、ここに書かれている内容はしっかりと学校で学んだように思います。まだその教えが残っていたのです。

しかし、私よりも若い世代は、どうもここに書かれているようなことを学んでいないのではないかといつも思います。湯島のサロンで、時々、民主主義のテーマを取り上げますが、なかなか伝わらないからです。

改めて読むと、とてもわかりやすく、読みやすい。ぜひ多くの人に読んでほしいと思います。たしか、文庫化もされているはずです。
最初の部分だけを引用させてもらいます。ここだけでもぜひ読んでいただき、戦後の日本人たちが「民主主義」をどう受け止めようとしていたかを知ってほしいと思います。

多くの人々は、民主主義とは単なる政治上の制度だと考えている。民主主義とは民主政治のことであり、それ以外の何ものでもないと思っている。しかし、政治の面からだけ見ていたのでは、民主主義をほんとうに理解することはできない。政治上の制度としての民主主義ももとよりたいせつであるが、それよりももっとたいせつなのは、民主主義の精神をつかむことである。なぜならば、民主主義の根本は、精神的な態度にほかならないからである。それでは、民主主義の根本精神はなんであろうか、それは、つまり、人間の尊重ということにほかならない。

民主主義は、決して個人を無視したり、軽んじたりしない。それは、個人の価値と尊厳とに対    する深い尊敬をその根本としている。(中略)民主主義は、国民を個人として尊重する。

昨今は、世界的にも「民主主義」はあまり共感されていないようですが、いま求められているのは、「新しい民主主義」ではなく、民主主義への理解を深めることではないかと思っています。
「個人の尊厳」を起点に発想すれば、もしかしたら「新しい資本主義」も見えてくるかもしれません。

Img030

| | コメント (0)

2022/01/22

■湯島サロン「ワクチンについてもっと知ろうパート2」のご案内

1月5日に、「新型コロナワクチンについてもっと知ろう」という緊急サロンを開催しましたが、時間的制約などから十分な理解が得にくかったとのご意見がありました。特に、基本的なワクチンの特性、成分、作られ方や、遺伝子学的が作用機序や免疫学的応答についての情報が参加者の間で共有化されていないため、従来型ワクチンと比較して有効性や安全性等の違いなどについて十分な理解に至りにくかったのかもしれません。
また、参加人数も絞ったため、お断りした方も出てしまいました。

そこで、改めて、参加者がワクチン有効性や安全性に問題がないかの判断ができるように、基本的な関連情報をわかりやすく説明してもらい、随時、不明な点につきご質問ができるようなスタイルでの講座型サロンを開催することにしました。
講師役は前回も参加してくださった山森さんです。

山森さんが、当日説明を予定していることの概要を、日程などの案内の後に詳しく紹介させてもらいますので、関心のある方はお読み下さい。
山森さんは、ここに記載していない内容についても事前に事務局(佐藤修)宛にご連絡頂ければ、調べて当日、分かる範囲で説明すると言ってくださっていますので、質問などあれば、私宛(qzy00757@nifty.com)ご連絡ください。

よく理解できないままに、ワクチン接種がどんどん進んでいる最近の状況に、私は大きな不安を感じていますが、山森さんのおかげでこういう場がまた得られることに感謝します。
せっかくの機会なので、サロンの時間も1時間延長して3時間とさせてもらいました。
参加される方は、必ず事前に申し込みをお願いします。

〇日時:2022年2月13日(日曜日)午後1時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「ワクチンについてもっと知ろうパート2」
〇話題提供者:山森俊治さん(遺伝子と詩吟を愛する理学博士)
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

〔山森さんが当日説明を予定されている項目〕

  • mRNA(メッセンジャーRNA)ワクチン、組み換えウイルスワクチン、DNAプラスミドワクチンと遺伝子組み換え蛋白ワクチン、従来の不活化ワクチンなどとの違いについて。
  • 新型コロナワクチン(mRNAワクチン:ファイザー社、モデルナ社)や組み換えウイルスワクチン(アストラゼネカ社)のその有効成分{(遺伝子部分:mRNAおよびmRNAから翻訳されるスパイク蛋白(トゲトゲ部分)の性質と添加成分について。
  • ワクチン由来mRNAの細胞内での分解の度合いと新型コロナウイルス感染由来mRNAの長期残留(可能性)について
  • ワクチン由来mRNAから合成されたスパイク蛋白の細胞膜への移動プロセスと新型コロナウイルス由来mRNAから合成されたウイルス粒子の細胞内挙動の違いについて。
    (感染の場合は、長いmRNAから合成された幾つかの蛋白が自然免疫等を抑制する方向に感染細胞内プロセスが働くとともに最終的に大量の成熟したウイルス粒子が細胞外に放出される。一方、ワクチン由来のスパイク蛋白は小胞体シグナルという部分を介して細胞膜と融合し、細胞外に突き出されるように設計されているため、細胞外には分泌されにくい。さらに細胞膜に突き出た部分が強い中和抗体を誘導できるように抗原性の強い部分が突き出るように工夫されている。)
  • 自然免疫と獲得免疫(細胞性免疫)について。(粘膜免疫についても触れる予定。)細胞膜に突き出たワクチン由来スパイク蛋白は、体をパトロールしている樹状細胞等に認識され、貪食(飲み込まれる)され、この樹状細胞等がこれまでに見たことのない抗原と接触したとの警告を発し、リンパ節に移動し、抗原提示を行い、適切な T 細胞(細胞性免疫)と B 細胞(抗体産生)を見つけて活性化する。
  • 中和抗体、ADE(抗体依存性免疫増強)および感染によるサイトカイン・ストームについて。新型コロナウイルス感染による肺以外の臓器(心臓、腎臓、腸管など)で多臓器不全がおこる理由。ワクチン接種後の免疫低下(抑制)はおこるのか?
  • ウイルス感染由来スパイク蛋白による血管内皮細胞炎にともなう心筋炎や血栓形成との関連について。接種後作られたワクチン蛋白は血小板凝集や血栓形成と関連性はあるのか?新型コロナワクチンに関連する現象(心筋炎や血栓症など)と抗イディオタイプ抗体(Ab2)との関連の可能性について。
  • ブースター接種は有効性があるのか?
    (突然変異によりウイルスの株の抗原性が変化し、オミクロン株などの新株に対する中和抗体の効果が下がっており、頻繁なワクチン接種で免疫を強めるのは困難だと言う学者も多い。一方で、3回目接種を終えた神戸大病院の医師65人を対象にした調査で、全員がオミクロン株に対しても感染や発症を抑える「中和抗体」を持っていたとの報告もある。)両方の意見紹介。
  • 新型コロナウイルスmRNAは逆転写によりDNAになる可能性があるという仮説(LINEレトロトランスポジション機構)について。仮説の肯定および否定に関する論文要旨紹介。
  • 接種後のワクチン粒子の筋肉、筋肉外での動きについて。血流に乗った粒子の移動は?

 

 

| | コメント (0)

2022/01/21

■節子への挽歌5273:寄り添ってくれる人がいない人生ではない

節子

精神障害の支援にまつわる活動はとても難しいです。
実際にやってみるとわかりますが、よかれと思ったことが逆効果だったり、相手の障害の状況が変わると関係も一変してしまうこともあったりするからです。

引きこもり家族の支援にも関わっている友人がいます。
あまり書くと誰かわかってしまいかねないのですが、彼はテレビでも取り上げられたこともある、とても誠実な、親身になっての活動をしてきています。
そのため、時に自らもひどいメンタルダウンを起こし、当事者以上に危険な状況になることがあります。私もそれに似た体験は何回かしていますので、よくわかりますが、相手のメンタルストレスを過剰に引き受けてしまうのです。
相手は、おそらくそれに気づかないですし、それは相手にとっても必ずしもいいことではありません。でもそういう理性を超えてしまった、はまり込んでしまうのです。

行政はもちろんですが、対価を得てそうした活動をしている人や支援活動をしている組織に属している人は、そういうことを避けなければ、活動を維持していけなくなる恐れがあります。
言い換えれば、障害者支援をビジネス(事業)にしてしまうと、マニュアルにしたがった福祉活動に陥ってしまいますが、そこにはいわゆる「産業のジレンマ」が発生してしまうのです。このあたりは以前、時評編やホームページなどに書いていますが、私の生き方の根底にある大きなテーマなのです。

横道にそれてしまいましたが、その人が最近、2つの問題に直面し、身の振り方も含めて大きく悩んでいるようです。
私も2回ほど、彼に会って話を聞きましたが、いささか気になる状況です。私ならいずれの問題への対応策は明確ですが、彼のやさしさから決断ができずにいました。
いずれの問題も、仲間に話して、仲間と一緒に辞任すれば、相手も自らの不条理や身勝手さに気づくはずですが、仲間を道連れにしないというのも彼のやさしさでしょう。
これも私の体験に重なりますが、不条理な相手に処するにはそうしたいと思いながらも、道連れにしてしまうことに躊躇するのもよくわかります。

私も気になって、この数日は、彼のことが頭から離れません。
それでメールを時々していたのですが、めずらしくいつもは返信があまりないのにこの数日は毎回返信があります。彼が悩んでいるのが伝わってきました。
このままでは心配なので、踏み込んでのアドバイスをしてしまいました。
しかし、それもまた気になって、追伸追伸とメールを送ってしまった。

3日ほどたって、彼は決断しました。
そうなると、今度は私自身の責任を改めて実感し、私自身もまた彼のように悩みだしてしまった。アドバイスした以上、リスクもシェアしなければいけません。
それを知ってか、彼から夜、電話がありました。
私は、夜は電話に出ないのですが、今回だけは出てしまいました。

話して、お互いに少し心が静まった。
電話の最後に彼が、こういいました。
「寄り添う」ということの意味がわかった、と。

彼は「寄り添いネット」という構想を持っていて、実際にそれに取り組んでいます。ちなみにこの「寄り添いネット」は、たぶん私の言葉がヒントになっているはずです。私も一時、「寄り添いサロン」を構想したことがあるのです。
しかし、その後、私は「寄り添う」という言葉の難しさがわかってきた。

最近もある人から、佐藤さんにはもっと寄り添ってほしいと言われたことがあります。
私は、即座に「他者に寄り添うことなど私にはできない」と答えました。
福祉関係者はよく「寄り添う」という言葉を使いますが、そんなに簡単に寄り添うことなどできないことを身をもって実感してきていますから、いまの私は誰かに寄り添うなどとはそう簡単には言えません。

でも結果的に、誰かから「寄り添ってもらえて安心でした」と言ってもらえることは、うれしいものです。
もちろん今回は、とても寄り添ったなどとは言えないのですが、いま寄り添っている人がいると少しでも相手の人が思えてくれたのならば、それでいい。それに気づかせてもらいました。

寄り添ってくれている人がいなくなってから、もう15年近くたちます。
でも、人生すべてには寄り添えなくても、寄り添ってくれている人はたくさんいる。
そんなことにも少し気づかせてもらった1週間でした。

| | コメント (0)

2022/01/20

■節子への挽歌5272:言葉遣いに注意しようと思います

節子

今日は大いに反省しました。
特に何かがあったわけではないのですが。

私はあまり「空気を読む」のが得手ではありません。
相手に話を合わせるのもそううまくない。
さらに悪いことに、時に相手を傷つける言葉を言ってしまうことがある。
特に、節子がいなくなってから、そういう傾向が強まった気がします。

そういえば、湯島からの帰りに、時々、私の言葉遣いを注意してくれていました。
ということは、むかしから私の言葉は、相手の気持ちを気にせずに発せられていたのかもしれません。
私は、それが相手にもいいことだと思いながら、なのだったと思います。

湯島のサロンで、最近、私の言葉が相手を傷つけると何回か言われていますが、昨日、小学校時代の同級生がこんなメールをくれたのです。

苦言を一つ言いたい。
最近、「歳のせい」「老人」「高齢者」という言葉を何度聞いたことか。
いけません。言は事だから、そう言ってると本当にそうなってしまう。
思考や行動が萎えてしまう。イヤだ。
(以下省略)

これは相手を傷つけている言葉ではないかもしれませんが、まさかこんなように受け止めている人がいるとは思ってもいませんでした。

1週間前には、これも節子がよく知っている友人から、「頭が悪いねえ」という冗談は俺にはいいけど、他の人には言ってはいけない、と言われました。いうまでもなく、私にとって、「頭が悪いねえ」というのは、彼への親近感の現れで、一種の「誉め言葉」なのですが、彼が言うには、他の人にはそう通じないというのです。
たしかにそうかもしれません。

言葉には気をつけなければいけない。
節子がいなくなったいまも、こうして私に注意してくれる友人がいることに感謝しなければいけません。

| | コメント (0)

2022/01/19

■第2回「はじまり場サロン」での提案プロジェクトの紹介

ご案内の通り、1月30日に湯島で第2回「はじまり場サロン」を開催いたします。
早速に3人の方からプロジェクト構想の話をしたいと申し出がありました。
今回はこの3つを中心にしたいと思いますので、ご関心のある方はぜひご参加ください。

発表のプロジェクトが3つになりましたので、サロンの時間も1時間延ばしました。
なおこれ以外のお話もできる時間を最後に30分ほど設ける予定です。

今回の発表プロジェクトは次の3つです。

〔1〕子ども中心とした「まちなかの学び舎」設立妄想(かわさきあつこさん)
アフリカの古くからの教えである「It takes a village to raise a child.」よりも、むしろ「To Make a nice village, need to raise good person.」。こんな考えをベースに、国籍問わず老若男女がこの場所に来れば関わる方々が、成長実感ができる学び舎を作りたいと思っています。ワクワクしながら、一緒に作ってくださる方を大募集します。

〔2〕「食材ソムリエ」民間資格制度の立ち上げ(平山典彦さん)
民間資格「食材ソムリエ」としての知識を確立し、有機栽培就農者と連携して頂き、農産物の品質保証をすることと消費者の健康増進に貢献出来ればと構想しております。

〔3〕視覚的媒体を活用したコミュニケーション研究会(仲谷透さん)
視覚的媒体等の言葉以外の媒体を用いる対話のやり取りの可能性と方法を探るための研究会を立ち上げて、新しいワークショップ方式を開発したい。研究会では「何を目標とするか」「定めた目標に進むためのやり方」「そのためにどの様な人々と繋がるべきか」を検討課題にしたい。

いずれかのテーマに関心のある人もない人も、ぜひ気楽にご参加ください。

〇日時:2022年1月30日(日曜日)午後1時~4時(1時間延ばしました)
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

| | コメント (0)

■節子への挽歌5271:忘れずにいてくれる人からの連絡

節子

覚えているでしょうか。
佐世保のSさんとHさんを。
長崎に行った翌日、佐世保に立ち寄った時にお会いし、いろいろとお世話になりました。ハステンボスでも一泊しましたが、あの旅は節子にもいろいろな思い出を残したはずです。

Sさんは佐世保の企業に勤めていましたが、いまは定年退職し、観光関係の仕事をされているようです。Hさんは市役所の職員でしたが、やはりもう退職しています。当時は2人ともとても溌剌とした若者でした。
2人のおかげで、いろんな方と出合わせてもらいました。懐かしい記憶が山のようにあります。

当然のことですが、みんな歳をとり、生き方も変わっていますが、当時のイメージが今もそのまま残っています。

そういえば、一昨日、湯島に行ったら湯島に一冊の小冊子が届いていました。
送り主を見たら岐阜県庁の職員のOさんでした。
今は岐阜県のある市の副市長だそうです。

彼女に会ったのは、彼女が出向でソフト化経済センターに来ていた時です。その時に、研究会で何回かお会いしました。行政職員らしからない自由な発想が印象的でした。
送られてきたのは、岐阜新聞に連載していたコラムが掲載された小冊子でしたが、添えられていた手紙にこんな文章がありました。

機を見てお礼を申し上げることができればと思っておりました。

こうして忘れずにいてくれる人がいることが、一番うれしい。
長いことご無沙汰にしていた人から、こうした連絡が突然来ることが時々ある。
とてもうれしいことです。
人生において意味ある出会いをした人は、決して忘れないものです。

地域の仕事をしていたころ交流のあった若者たちがみんな大きな仕事をしてきている。
それを知るのもとてもうれしいことです。
節子が元気だったら、そういう場所を回るつもりだったのですが、その夢は消えてしまいました。
でも時々、こういう連絡が届くので、もう十分です。
もちろんできればまた会いたいですが。

| | コメント (0)

2022/01/18

■節子への挽歌5270:私の身体に痛みを与えているのはやはり私?

節子

今日は好調の出だしだったのですが、やはり朝食を食べた後にまたお腹が痛くなりました。
どうも胃腸が弱くなったようです。困ったものです。
心当たりと言えば、最近、朝にたんぱく質を摂取するのがいいというテレビの影響で、毎朝ウインナを3本食べているのがよくないのかもしれません。
加えて、毎朝、メカブをワンケース食べていますが、これもあまりよくないようです。
またこの3日ほど、レタスが切れていたのもよくない。
明日から自重しようと思います。

午後、出かけたのですが、途中でまたお腹が痛くなり、帰宅して横になりたくなるほどでした。
横になりながら、ふと思ったことがあります。
この痛みを「与えている」のは誰なのか、仮に原因が食べたものにあったとしても、その食べ物に反応して「痛み」を起こしているのは、やはり私なのではないか。

だとしたら、なぜ、私が私にこんな苦痛を与えるのか。
何か意味があるはずだ。

そんなことを考えていたら、痛みよりもその問いかけのほうが気になりだしました。
そんなうちに何とか痛みは解消しました。

うまく書けませんが、実は最近、そういうことをよく考えます。
私を見ている私、という風に、私は決して一人ではありません。
たくさんの「私」が、この私をつくっている。
そういうことがとても実感できるようになっているのですが、最近は、その私は必ずしも私の身体の中にだけいるわけではないのではないかという感覚も、最近強まってきています。
私がどんどん広がっている。
そんな気がしないのでもありません。

それはそれとして、しばらくは食生活に注意しようと思います。
たしかに最近ちょっと乱れてきています。

 

| | コメント (0)

2022/01/17

■節子への挽歌5269:クロンダイク占い(2022年1月17日)

節子

最近、また時間の合間にトランプのクロンダイクを1回だけやっています。
いまはソリティアというらしいです。私にとっては子供の頃からの占いのようなものです。
しかし、最近は上がったことがないのです。

今日もだらだら生活していたのですが、昼食後、クロンダイクをやってみました。
ところが、いつもと全く違った展開になりました。
最初にセットした途端に、カードが動き出したのです。
なんとそのまま半分以上のカードが開き、その上、すべての1もでてしまいました。

驚くほどの運のよさ。こんなことは私の記憶には全くありません。
新しいカードを開くとそれがまた面白いほどにたくさんのカードを動かし、一巡ですべてが開いてしまったのです。
こんなことは生れて始めてです。

今日はとても運の良い日なのです。
ジャンボ宝くじを買いに行こうと思ったら、いまは発売していないとのこと。
特等が当たったら仕事がたくさんできるのにと残念です。

それ以外の策が考えつきません。
もしかしたらこれからとんでもない朗報が届くかもしれません。
しかしこれまでの人生、ほとんどすべての「幸運」を見過ごしてきたので、今回もきっと横を通り過ぎていくのでしょう。それもまた良しです。

でも、なんだか今日は幸せに包まれたような気分で1日を過ごせそうです。
少なくとも、明日からは元気が回復するでしょう。

いやその前に今日はもう元気になって、中断していた屋根裏部屋の掃除を再開しました。
節子が残したものがたくさん出てきました。
さてさてどうするべきか。
私も残すものが内容に今年は大整理の年にしようと思います。

ちなみに今朝から牛乳をやめてコーヒーに戻しました。
朝のテレビ体操も再開。
心身のだるさも消え去りました。

| | コメント (0)

■クイズは楽しいのに入学テストはなぜ楽しくないのか

大学入学共通テストの日本史Bをやってみました。
新聞に載っていたものでやったのですが、字が小さいので大変で、途中でやめてしまいました。後日、改めてチャレンジするつもりです。

毎年ではないですし、科目も毎年違いますが、これまでも時々やっています。
いま学校教育ではどんな試験が行われているのかを知りたいからです。
まあ1~2科目やったところでわかるはずもありませんが、感ずることはいろいろあります。
私が学校教育に違和感を高めているのは、まあそういう中途半端な体験知のせいかもしれません。一言で言えば、なんでこんな形で学力を評価するのかという疑問を毎年強めています。

私が試みるのは国語や歴史が多いのですが(英語や数学や自然科学は歯が立ちません)、毎年、点数は下がってきています。
今年は1科目、それもまだ途中ですが、辛うじて60点台。これでは不合格でしょう。
問題は年々、頭をかしげるようなおかしな問い方が増えている気がします。
ともかくやっていて楽しくない。何か瑣末な問いしかなされていない気がするのです。
でもいろんなことに気づかされます。

お暇な方は、ぜひトライしてみてください。点数などはどうでもいいので、ただどんな試験が行われているのかを知ることができますから。
学校教育や大学の位置づけが何となくわかるような気もしますし、文科省の使命もわかるような気がします。
私のように、いつか、学歴主義の意味が反転し、‟educated incapability”という考え方が見直されるかもしれないという懸念まで生まれてくるかもしれません。

クイズやテストが、こんなにはやっているのに、どうして学校教育の世界ではテストが楽しくないのでしょうか。
学ぶことの楽しさが、戻ってくるといいのですが。

 

| | コメント (0)

■第19回万葉集サロン「あらためて万葉集を読むためにーこれまでのまとめの講座」のご案内

万葉集サロンも4年目に入ります。そこで前回の報告時にご案内の通り、今回は、「あらためて万葉集を読むためにーこれまでのまとめの講座」と題して、これまでのサロンの流れを振りかえるとともに、万葉集を読んでいく上での基本的なことの復習をしたいと思います。

升田さんからの案内文を下記致します。

約千三百年昔の歌集『万葉集』には、漢字ばかりで書かれた(まだひら仮名がなかったため)歌が約4500首収載されています。

額田王、柿本人麻呂、山部赤人、山上憶良、大伴家持など、約100年の時空の中で多様性に満ちた個性が縦横に活躍するのを見る歌集は他にはありません。中でも、作者不明歌の多さは群を抜いています。

作者不明歌群の歌には文字で表記する以前の口承時代の痕跡が色濃く残っていて、言葉、謳、音の形跡を担う「序詞・枕詞」などの表現様式を通して、まだ個人意識のない生命体「た()」のなかに融合共生していた「わ」と「な」がそれぞれを「相手()」と認識しやがてそこから「わ」の覚醒と意識が生まれてくるのを見ることができます。

飛鳥・白鳳・天平へと怒涛のように変化を遂げてゆく古代日本の、人々の歴史を、「文学」の方から語る万葉集。

今回はこれまでの話をまとめます。さらに万葉集を読んでゆくための入門編ですが、万葉集理解のための基になってほしいと思っています。

以上が、升田さんからの呼びかけです。

升田万葉集サロンは、ただ歌を読むだけではない大きなテーマがあるのですが、今回のお話で、これまでの流れが概略理解できるはずです。
また、万葉集に関する「いまさら訊けない質問」も気楽に質問できるような質問タイムもつくりますので、万葉集をこれまで読んだことのない方も気楽にご参加ください。

なお、これまでの万葉集サロンの報告をPDFにまとめました。ご希望の方はご連絡いただければ、データで送りますので、ご連絡ください。

今回から始まりが1時間繰り上がりましたのでご注意ください。また、今回は質問時間もしっかり取りたいので、3時間にさせてもらいました。

〇日時:2022年2月19日(土曜日)午後1時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇講師:升田淑子さん(万葉集大好き研究者/元昭和女子大学教授)
〇テーマ:「あらためて万葉集を読むためにーこれまでのまとめの講座」
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

| | コメント (0)

2022/01/16

■節子への挽歌5268:そろそろ牛乳をやめようかと思います

節子

最近、あまり珈琲を飲んでいません。
朝は牛乳を飲まないといけないので、朝の珈琲をやめてしまったので、1日の珈琲はせいぜいが2杯になってしまいました。
牛乳廃棄のニュースが最近は放映されないので、そろそろ牛乳生活はやめてもいいかもしれません。
牛乳生活がもしかしたら最近の体調に出ているのかもしれません。
いつもは牛乳を全く飲んでいなかったのですから。

最近、私の食生活は大きく変化しています。
朝食はさほど変わってはいないのですが、それでも野菜果物中心から少しだけ蛋白質をとるようにしていて、ウインナや卵がメニューに加わりました。

昼食と夕食はいずれもできるだけ軽く済ますようにしています。
お米はいずれか一方だけ。代わりにたんぱく質重視ですが、量は腹七分が目標。
残念ながら間食はなかなか減りませんが、駄菓子類は極力買わないようにしています。
水分は一時期、かなり摂取するように心がけましたが、いまはまたあまり飲まなくなっています。

というわけで、全体的に見たら、炭水化物はかなり減少したのですが、まだその成果は現れてきていません。
計っていないのでわかりませんが、血圧は下がっているかもしれません。
食生活を大きく変えつつあるので、体調があまりすっきりしていないのかもしれません。

でもそろそろ朝の牛乳はやめようと思います。
もう十分に過剰牛乳消化に協力しましたので。

| | コメント (0)

■湯島サロン「この2年で変わったこと」報告

この2年間の、コロナ騒動で私たちの生活は大きな影響を受けていますが、どう変わったのかを振り返りながら、自らの生き方を問い直そうというサロンでしたが、意外と参加者は少なく、集まったのは私を含めて7人でした。

この2年間で何が変わったか、先行きも含めて気になることは何かなどをそれぞれに語ってもらい、そこから話し合いを広げていくというスタイルを取りました。
あまりコロナ騒ぎに振り回されていない参加者が多かったように思いますが、それでもいろんな影響を受けていると同時に、いろんな気づきを得ているようです。

自分の生き方や考え方で変わったことに関しては、たとえば私の場合、外出の機会が減り生活は不規則になり、怠惰になったことがあげられます。社会のなかで生きていると、変わりたくなくても変わらざるを得ない。その結果、身心の調子はあまりよくない2年でした。まあこれはコロナのせいではなく、歳のせいかもしれませんが。でも周辺でも、身心の調子を崩した人は少なくありません。

また、やりたくないことは「コロナのせい」にして断ったりさぼったりするという自らの性格の悪さにも気づかされましたし、自分はマスクに批判的なのに、混雑している食品スーパーなどでマスクをしていない人を見るとつい冷たい目で見てしまうという「同調性」に陥っている自分の弱さにも気づかされました。

つまり、「地の自分」の気づき、「気づきたくない自分」と出合いさせられ、自己嫌悪にさえ陥りがちですが、そういう私の話に大きな異論がなかったことからすれば、多かれ少なかれ、そういう面はみんなにもあるのかもしれません。
これはいいことか悪いことか、わかりませんが、でもまあ実際の自分を知ることは次の行動につながるでしょう。

同じことは社会にも言えます。社会の実相やさまざまな制度の実態が可視化されてきているような気がします。たとえば、人のつながりが自己中心的になり、いろんな制度から平等性という建前の虚構が露呈され、弱者切り捨ての進行が勢いを増しているのが見えてきた。分断と対立が進み、追い込められた人たちの持って行き場のないイライラが暴発することも増えている。そんな社会が見えてきている。

言い換えれば、みんなが苦労して守ってきた「安心できる社会」が壊れだしている。そんな不安感を私は持っていますが、今回のサロンではどうもこうした認識は私だけではないようです。みなさんからの話も、こうした状況につながるものだったと思います。

でてきたキーワードをいくつか紹介すれば、「信頼のない従属」「寛容性の低下と攻撃性の高まり」「好みの合う仲間意識ごとの分断」「見えない圧力の高まりのなかでの不安と恐怖」「与えられる情報への身売り」「与えられる情報の中での思考停止」「マスメディアの公共性の喪失」…。

それぞれに関して、示唆に富む話し合いがいろいろとありましたが、聞いていて、あるいは話していて、なんだか気が重くなるような内容でした。
ある人は、日本の政治も経済もメディアもあまりに劣化し、このままだと「頼りになる成熟国家」ではなく「よぼよぼの老いぼれ国家」になりかねないと嘆きましたが、たしかにそれに向かって進んでいるような気もします。

極めて具体的な話もありました。
コロナ騒ぎの中で積極的な学童保育に関わっている参加者からは、かなり生々しい子ども社会の話がありました。理由はさまざまですが、学校に行けなくなっている子どもが増えているとか、子どもの行方不明が増えているとか、これまたいずれも重い話です。
子どもたちに今、いったい何が起きているのかは、社会の未来を大きく決めていきますが、それがなかなか見えてこないのはとても気になります。

しかし、話し合いの中では、こうした状況であればこそ、新しい動きもあるし、新しい可能性も見えてきているという話もありました。
たとえば、コロナのために在宅時間が増えたおかげで、一旦クールダウンして、これまで走り続けて人生を問い質す動きもあるというのです。

また前にも同じような体験をした人がサロンをしてくれましたが、コロナのニュースのおかしさに違和感をもって、自分で情報を海外も含めて広くとるようになったおかげで、マスコミ情報がすべてではないことに気づいたという人もいました。知ってしまうと動かないわけにはいかないというわけで、その人は今自らの判断で流れに抗うような活動もやっているのですが、そういう動きが少しずつ広がっているのかもしれません。

ブラック・ライブズ・マターやアジアン・ヘイトという動きが起こる一方で、そういう動きへの批判も起こっていて、問題を顕在化させ、多くの人の知ることになり、解決の動きにつながることもある。そういう話も出ました。

そう考えると、コロナによって起こっている社会の変化を、どういう方向に向かわせるかは、まさにそこで生きている私たちの思いと行動次第なのです。
流れに身を任すのではなく、流れを活かしていかなくてはいけない。
それが今回のサロンの結論の一つだったように思います。

サロンが終わった後、私は米国の神学者ラインホールド・ニーバーの祈りの言葉を思い出しました。

神よ
変えることのできるものについて
それを変えるだけの勇気を与えたまえ
変えることのできないものについては
それを受け入れるだけの冷静さを与えたまえ
そして
変えることのできるものと変えることのできないものとを
見分ける知恵を与えたまえ

これは私の好きな言葉でしたが、そもそも変えることができないものなどあるのか。
すべて在るものは変わるのではないか。
そういう根本的な疑問が生まれてしまいました。
困ったものです。

Kawatta220115

| | コメント (0)

2022/01/15

■節子への挽歌5267:厭世観よりも自己嫌悪

節子

時評編でまた報告しますが、今日は湯島で「コロナ騒ぎで変わったこと」をテーマにサロンをしました。
意外と参加者は少なく私を含めて7人でしたが、話はとても面白かったです。
私も話していて、改めてこの間に変わってきている自分にも気づいた気がします。

たとえば、会食を誘われると、相手があまり付き合って楽しくない人の場合は、コロナを理由にお断りする。参加したくない集まりもそうです。
地元の活動でももっと集まりをやりたい時期であれば、コロナなど気にせずに呼びかけたでしょうが、最近、いささか地元の活動に失望してきたこともあって、コロナ理由に集まりにも消極的でした。

もっと自己嫌悪になりそうなのは、マスク風潮には異論を持ちながらも、つい電車で隣に座った人がマスクをせずに席をしたりすると席を移りたくなる自分にも気づきました。批判しているはずの同調性に、自分もいつの間にか陥っている。

まあサロンでそんな話をしながら、改めてまた自己嫌悪に陥ってしまった。
これこそがコロナ騒ぎの罠なのでしょうが、わかっていながらそこに陥っている。
困ったものです。

どうもまだまだ元気が出ない。

| | コメント (0)

■1月オープンサロンのご案内

今年も、毎月1回の予定で、テーマなしのオープンサロンを開催します。
曜日は月によって変わります。

1月は土曜日にさせてもらいました。
いつものようにテーマはなく、出入り自由な気楽なサロンです。
基本的には、いわゆる「スモークトーク」のやりとりですので、どなたでも気楽に「話し」に来てください。もちろん「聞き」に来ていただくのも歓迎です。

〇日時:2022年1月29日(土曜日)午後1時~3時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

 

 

| | コメント (0)

2022/01/14

■節子への挽歌5266:多くの人に支えられていたのがよくわかる

節子

年が明けてからもう2週間。
今年はどうも心身共に調子がよくありません。
困ったものです。

外出機会も減り、生活がかなり不規則化しているのも一因でしょう。
正直、かなり生活がだらしなくなってきているのは間違いありません。
生活がだらしなくなると身体もおかしくなる。
心と身体は本当につながっています。

節子がいなくなってからの数年は、いまから考えると本当に危うい数年だったのでしょう。
よくまあ何事もなく(とも言えませんが)、乗り越えることができました。
周りの人たちのおかげでしょう。
感謝しなければいけません。
でもまあ乗り越えたことがよかったのかどうかはよくわかりませんが。

このころ、当時のことを思い出して、改めて怖くなることがあります。
あの数年は、おかしかった。
周りの人は判っていたのでしょうね。
多くの人に支えられていたのが、いまにして思えば、よくわかる。

そんなことも元気が出ない理由でしょうか。

| | コメント (0)

■第13回益田サロン「寛容性から自己・非自己を考える」のご案内

細菌学者の益田さんのサロンも13回目を迎えました。

このところ「自己複製」や「変異」が大きなテーマになってきていますが、今回は「寛容性」という切り口から、改めて「自己・非自己」という問題を考えてみたいと思います。そこから「進化」「変異」「免疫」「感染」などのテーマにもたぶんつながっていくでしょう。
とても大きな問題なので、できれば今回は「生物にとって寛容性とは何か」をまずは理解することに焦点を合わせたいと思います。いわば「生命現象における寛容性総論」です。

機械にも、いわゆる「遊び」と言われるものがあって、それが重要な役割を果たしていると言われます。機械における「遊び」はあくまでも「受動的な寛容性」だと思いますが、生命体の場合は、能動的な寛容性も見られ、それが失敗して身を亡ぼすようなこともあるようです。

いずれにしろ、どこに焦点を当てるかで議論はかなり変わってくるような気もしますが、今回もいつものように、益田さんの最初のお話と問いかけを受けて、参加者のみなさんの関心に任せて話を展開させていきます。テーマが「寛容性」なので、社会の寛容性というところまで視野を広げて、議論も「寛容」に広げていければと思います。

いつも以上に、話がどう展開するかわかりませんが、参加者の関心事と益田さんの関心事が共振すれば面白い展開になるでしょう。
これまで益田サロンに参加したことのない人も歓迎です。わからない用語が出てきたら、質問すれば益田さんが解説してくれますので。

〇日時:2022年2月5日(土曜日)午後1時~3時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「寛容性から自己・非自己を考える」
〇話題提供者:益田昭吾さん(細菌学者/慈恵医大名誉教授)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

| | コメント (0)

2022/01/13

■節子への挽歌5265:今日はまた在宅でした

節子

寒さが続いています。そのせいかあまり元気が出ません。
今日は一日中、在宅でした。

自宅にいてもそれなりに人はやってきます。
社会福祉協議会の資料を障害のある人がわざわざ届けてくれたり、交番のおまわりさんが交番だよりを届けてくれたりと、それなりになにかとあるのです。
おまわりさんは昨年末に担当が代わったのですが、以前の松戸さんが届けてくれました。
あれ勤務先が代わったんじゃないのと訊いたら、今日はたまたま駅前の交番にいたので、佐藤さんのところに届けると言うので私が持って来たんですと言うことでした。こういうのは、何となくうれしい話です。
そこから立ち話で、巡査の階級の話になりました。後任の人は警部補なのだそうですが、警部補になるための試験は大変そうです。
次にまた松戸さんに会ったら、試験どうでしたか、と訊こうと思います。

私の理想は、いろんな人が「名前」で呼び合える関係を育てていくということです。
だから書類などを届けてくれる方には、まずは名前を聞きます。
そのおかげで、向こうも私を名前で呼んでくれるようになります。
そこからなんとなく親しみを持てる関係になっていくような気がします。
これは自治会会長をさせてもらったおかげですが、来年度からはなくなるかと思うとちょっと寂しい気もします。

しかしまたオミクロンウイルスが広がっています。
今年度もコロナ騒ぎで実際に集まりは2回しかできませんでしたし、いろんなイベントもほとんどすべて中止になっていました。
来週は福祉協議会の福祉フェスティバルが予定されているのですが、これも開催が危ぶまれます。
そんなわけで、自治会会長だったにもかかわらず、さほど人のつながりを増やせなかったのがちょっと残念な気もします。

| | コメント (0)

■医療関係者によるワクチン賛否議論を聞きたいものです(2022年1月13日)

オミクロン株の流行のニュースが多いですが、どうも意味がよくわかりません。
ワクチンのリスクの報道も増えていますが、これもよくわからない。
知識が増えれば増えるほど、わからなくなる。困ったものです。

テレビの専門家の話を聞いていても、私にはほとんど何も語っていないようにしか聞こえてこない。また、ワクチンによる死者の数が増えてきたと聞いても、その評価ができません。薬や医療行為によって死者が出ることは当たり前だからです。死者だけ語っても意味もなく、それによって救われた命と一緒に語ってもらわなければ私には意味がわからない。

その上、いまや日本の官庁や「公的機関」が作成するデータは私には全くと言っていいほど意味がない。改ざんや捏造があってもきちんと説明や謝罪もないような状況を放置しているシステムには信頼性が置けないからです。データに信頼が置けない国家は実に居心地が悪い。しかし、ワクチン賛成派はもちろん、ワクチン反対派も、そうしたデータに基づいて議論していることが多く、どうも私には聞く耳を持ちにくい。

医療関係者によるワクチン反対論や新型コロナ「風邪」説などもかなりありますが、そういう疑問や意見があるのであれば、医療関係者によるきちんとした話し合いの場があってもいいと思うのですが、それがあまり行われていないような気がする。
テレビでは毎日、同じような医療専門家による同じような解説が行われていますが、そんなことより、反対意見と賛成意見をしっかりと話し合うような番組がなぜないのか、不思議です。

ちなみに私は、オミクロンウイルス感染症もインフルエンザも脳梗塞もみんな同じように危険なので、罹患しないように可能な範囲で注意していますが、人生においてもっと大切なことが多いので、コロナ騒ぎで自分の行動を変えることはできるだけ避けています。
コロナ感染が心配で、会いたい人に会えないような生き方はしたくないからです。

 

| | コメント (0)

2022/01/12

■節子への挽歌5264:久しぶりに友人との会食

節子

久しぶりに武田さんと川本さんと会食しました。
2人とも、最近は湯島には来ていませんが、それは話し合いよりも人生の最後に新しい政治運動を始めたい、具体的には「政党」をつくりたいと言ってその準備をしているのです。
引きこもって論文だけ書いていても、何も始まらないあと思う私としては、見ていて違うよなあと思ってはいますが、まあ人にはそれぞれ考えがあります。

節子は武田さんのことはよく知っていますが、川本さんはあまり知らないかもしれません。川本さんは高校の先生をやりながら、ずっと民主主義や平和の問題を考え続けてきた自称「思想家」です。

2人の「構想」はまった異質です。
川本さんは、理念による政治活動であり、まずは共感して一緒に行動する人を探そうとしています。また武田さんは制度による政治活動で、現在の野党の政治家に声をかけようとしています。

2人とも、私は長い付き合いなので、それぞれが書いた数冊の本や論文はほぼすべて読んでいますが、私の考えとは基本的に違いが大きいので仲間にはなれません。
いずれも私をその気にさせる強いパワーを感じないからです。
でも私として、何かできないかを考えているわけです。

今日もあった途端に、川本さんがどうして応援してくるのかというような問いかけをしてきたのですが、理由など全くありません。そこに何かやろうと言う人がいたら、できる範囲で手を貸そうとするのは人の常でしょう。

久しぶりに本音をぶつけ合う政治論争になるはずでしたが、久しぶりに会ったせいか、激しい論争にはならずに、仲良し議論になってしまった感があります。

武田さんは、おいしいステーキ屋さんがあるのでと言って予約してくれていたのですが、私は肉が苦手なので、武田さんが注文してくれていたのに、肉ではない魚の料理を頼んでしまいました。
久しぶりだったこともあって、ふたりとも上機嫌でした。

2人とも今日は上機嫌でしたが、新党はどうもできそうもありません。
しかし、新党づくりの目標があれば、元気を維持できるでしょう。
まあ私たちは、そんな歳になってしまったということかもしれません。

| | コメント (0)

2022/01/11

■節子への挽歌5263:今日もまた眠ってしまいました

節子

今日もまだ眠いのです。
やはり疲れがいろいろとたまっていたのでしょう。
人の身体は実に素直です。

午前中は気分転換に雨のなかをユカの買い物に付き添って買い物に行きました。なにしろ食欲が全くないので、何か食べたくなるものはないかと期待していったのですが、見つかりません。買ってきたのはシュークリームとかっぱえびせん。こんなものを食べては、さらにお腹の調子は悪くなりそうな気もしますが、食べてしまいました。

午後またあまりやる気がないので、また寝てみようかと思い立ち、寝てみたら、またまた眠れたのです。2時間も寝てしまった。
やはり疲労の蓄積だったのでしょうか。それにしてもよく眠れるものです。

起きてパソコンを開いたら、いろんなメールが届いていました。
残念ながら楽しいメールは少なく、いささか悩ましいメールが多い。
早速に3人にかなり長々と返信。

体調不良でこの3日間は、フェイスブックに書き込みをしていません。
書かないとコメントも少なくなりますが、何か書こうかと思ったものの書く材料がない。
でもタイで頑張っている友人もいれば、新しいチャレンジをしている友人もいる。

フェイスブックを見ていると、こんな寝ているばかりの生活をしているのがさびしくなる。
明日からはまた少し動き出しましょう。

 

| | コメント (0)

2022/01/10

■節子への挽歌5262:今日こそよく寝ました

節子

昨夜は10時間近く寝ていました。
と言っても途中で目が覚めてしまい、あまり熟睡したという感じは持てないですが。
でもまあそのおおかげで、お腹の痛みはなくなりました。やはりただ食の乱れのせいでしょうか。そうならよいのですが。まあとりあえずそういうことにしておくことにしました。

しかし今日は在宅にしました。
家族はみんなそれぞれに出かけていますので、今日は家にひとりです。
ユカはどうせやることがないのだから寝ているのがいいと言いますが、明るい時に眠るのは私の性に合わないのです。

それで午前中は、テレビで映画を観ていました。
クリムゾン・リバーの2作品です。
いずれも猟奇殺人事件ものですし、画面も暗いので、こういう気分の時に見るような映画ではないのですが、たまたま手元にあったのです。
1作目は以前にもみていますが、2作目は初めてです。
やはり暗い。もっと明るい作品を観るのがよかったです。

午後、帰宅したユカから中途半端なことをしていないで、寝ていたらどうかとまた叱られました。
それで軽食を食べてから(食欲がない)、仕方なく寝ることにしました。
どうせ眠れないだろうからと思って、本を読みだしたのですが、何と直ぐ眠くなり、そのまま5時すぎまで4時間以上寝てしまいました。
自分ながら驚きました。

もしかしたら、疲れがたまっていたのでしょうか。
まだまだ眠れそうです。

でもまあ、相撲の遠藤が気になって起きて来てテレビをつけたら、まさに遠藤の取り組み。しかしあっけなく敗退。また眠りたくなりましたが、お腹も少し減ってきたのでやめました。お腹が減ってきたというのは回復した証拠でしょう。

疲れがたまった理由がわからないのですが、これだけ寝てもまだ眠いのはやはりどこかに間違いがあるのでしょう。睡眠時間が十分だったらいいというものではないでしょうから。少し生き方を変えなければいけません。

| | コメント (0)

2022/01/09

■節子への挽歌5261:ダウンしてしまいました

節子
ついにダウンです。

今年はどうも調子がよくない。
今日は外出の予定だったのですが、なんとなく違和感があり、やめました。
ところが昼食を食べた後、お腹がどうも重くなってだんだん痛みさえでてきた。
といってもそんなにひどくはないのです。
でも何となくおかしい。

何となく熱っぽいので体温を計っても熱はない。
風邪ではなさそうです。
しかしちょっと気になるのは、今年は、どうも胃腸の調子がよくないのです。
1で回復するので医者に行くほどもない。
しかし、治ったと思うとまた同じような状況が起こる。
こういう状況だと、もうそろそろ身体を使い切ったのかもしれないと思いたくなる。
まああんまり大事に使ってはこなかったので平均よりも劣化が激しいとしても納得できます。
しかし、今年1年は元気で現世生活を続ける予定で、みんなにもそういっているので、そう簡単に終わる訳にも行きません。
困ったものです。

体調は悪いものの寝るほどではない。
こたつがあればそこにもぐってうつらうつらできるのですが、エアコンではそれもできない。やはり私にはエアコンよりもこたつが向いていたのです。

メールを見たら、メーリングリストに不快なメールが届いていました。
いつもならかわすのですが、気分転換に反論を書いてしまいました。
そこにまた余計なことまで書いてしまった。
節子が読んだらきっと怒るでしょう。

そういえば、節子が元気だったころは、時々、私のブログの内容にチェックが入っていました。いまはその節子の役を、ユカが時々やっていますが。
でもメールまではチェックの目は届きません。
自重しなければいけません。

さて今日はもう寝ることにしましょう。
明日は治るといいのですが。
もしかしたら、メンタルのダウンかもしれません。
そういえば、最近はめずらしくストレスを感ずることが少なくありません。
むかしはこんなことはなかったのですが。
節子がいないせいでしょうか。

| | コメント (0)

■新年オープンサロン報告

今年最初のオープンサロンは例年よりちょっと遅れてしまいましたが、10人の参加者がありました。

Sinnen20222

新型コロナのオミクロン変異体が急速に広がっているというニュースで新年が始まりましたので、「密な場」のサロンへの参加者はだんだん固定化されてきています。でもまあコロナ騒ぎに巻き込まれることなく、サロンは継続していくことにしました。こういう時期であればこそ、サロンの意味は高まっていくように思います。茶色の朝の社会化には、断固抗わないといけません。

それはともかく、オープンサロンはそんなに肩に力を入れる必要のない、個々人のスモールトークのサロンです。まあたわいない話が多いのですが、今回の話題の基調は日本の社会は良くなっているのかどうかでした。
悪くなっているようで良くなっているのか、良くなっているようで悪くなっているのか、というような話だったような気がします。つまり時間軸の取り方によって、変わって見えてくる。
しかし少なくともマスコミは、社会は悪くなっていると言い続けながら、みんなの目を肝心の問題から逸らすように動いているような気がします。

そこから最近、ジャック・アタリの「メディアの未来」を読んだ坪田さんから、メディア論やデジタルポピュリズムの話題が出て、話はそちらの方に引き寄せられました。
この話は、改めてまた坪田さんにサロンをやってもらえればと思います。

重ねて数名の人からこんなサロンをやりたいという提案がありました。
今年もどうもサロンの回数はまた多くなりそうです。困ったものです。

今年もよろしくお願いします。

| | コメント (0)

2022/01/08

■緊急サロン「新型コロナワクチンについてもっと知ろう」報告

新型コロナワクチンの賛否を、反対派と支持派とで話し合うサロンは、いささか無謀な試みと思っていましたが、初の試みとしては、先行きの可能性を感ずる手ごたえのあるものとなりました。同時に、異論をぶつけあう話し合いから何かを生み出していくことの難しさも改めて思い知らされました。

Vaccine2

今回はいつもと違い、1時間延長し、最初にワクチン接種反対派、賛成派からそれぞれ2人ずつ話をしてもらい、その後、少しのやりとりをした後、中立の立場の人に問題を整理してもらってから、話し合いに入る予定でした。
双方にはあらかじめできるだけデータをベースにわかりやすい言葉で説明してもらうようにお願いすると共に、話し合いの論点を絞るために事前に意見や情報のやりとりをしてもらっておきました。さらにその一部は、参加者にもシェアしてもらうようにしました。

しかしなかなかルール通りにはいかず、双方とも予定の時間を超えてのプレゼンテーションになってしまったにもかかわらず、論点をかみ合わすことは難しかったです。
基本的な認識(例えばデータは絶対的なものではない、情報操作は存在する、さらには悲惨な副作用の事例はあるといった認識)はシェアできていたと思っていましたが、そこへの言及も多く、話し合いの基盤づくりが不十分だったことを反省しました。反対派や賛成派の人が話し合う場が少なく、お互いにあまり相手のことを信頼できていないことも話し合いを難しくしたのかもしれません。それぞれが相手側の人をどう捉えているかが、そうしたところにも現れているような気がします。

いずれとも付き合いのある私にとっては、ワクチン反対派も賛成派も、多くの共通点を持っていますし、データや情報操作に関しても大きな認識の違いはないように思います。しかも、いずれも生命を守りみんなが安心して暮らせる社会を目指すということでは共通しています。そうした共通点から話し合えば、新しい合意点が得られるはずです。

ワクチンは是か非か、というような対立型の議論にしてしまったのがよくなかったようです。
賛成派もワクチンの副反応のリスクや強制接種の動きには多かれ少なかれ違和感をもっていますし、ワクチンがだれにもいいと言っている人はたぶんいないでしょう。問題の立て方を間違えてしまったのは、企画者の私のミスでした。せめて「ワクチンのリスクと効用を話し合おう」とすべきでした。

反対派からは、副反応リスクの大きさやコロナでの死者数よりもワクチンでの死者数が多いことなど、ワクチンの危険性に加えて、ワクチンが違法に打たれていることが指摘されたほか、ワクチンにまつわる情報操作やワクチンパスポートのおかしさなどが指摘されました。

それを受けて、賛成側は、疫学に関する基本知識や医療におけるエビデンスの意味、さらに臨床試験や論文がどういう審査を経て成り立っているかを説明してくれ、データや論文の信頼性の根拠を説明してくれた後、ワクチンに関する明らかなデマを、その理由付きで紹介するとともに、ワクチンの限界と効用を話してくれました。

反対派の立場からは公開されているデータや情報の信憑性に関して疑問が出されていましたが、にもかかわらずそういうデータを論拠に使わざるを得ないという難しさがありますし、賛成派のほうは、ワクチンの「効用」を総合的に立証する難しさがあります。
ですからどうしても、双方とも個別事象の問題になりがちで、これも話し合いを難しくした理由の一つです。

薬に危険性はつきものですので、反対・賛成と言っても、厳密に言えばプラスマイナスのバランスの問題になってしまいますが、その判断は人によって違ってきます。
また、「在る」ことを証明するのとちがい「無い」ことを証明するのは難しく、よく「悪魔の証明」と言われますが、それと同じように薬の弊害を証明するのに比べて薬の効用を証明するのは至難です。今回も「プラセボ対照試験」の話も出ましたが、実際にはデータでのエビデンスも、基準の置き方や解釈で、評価は反転しかねません。

さらに大きな問題があります。
ワクチンの効用とリスクと言っても、新型コロナウイルスそのものへの捉え方によって、その意味合いもまったく違ってきます。そもそもコロナ感染症は本当に危険なものなのかという話です。その危険度との関係でワクチンリスクの許容度は変わってくるでしょう。新型コロナへの不安の高まりがワクチン接種を加速させていることは否定できませんが、その不安が人為的なものだとしたら、ワクチンリスクの評価は全く違ってきます。

つまりワクチンだけでは判断できない面が大きいのです。反対派は、そこにも焦点を当ててきました。さらに製薬会社の問題にまで入ると、議論はさらにややこしくなる。医療問題や科学技術の問題を超えて、政治経済や権力構の要素が入ってきてします。
そういう問題とワクチンの問題は切り離したいと思っていましたが、どうもそれは難しいようです。いやむしろそこにこそ、問題の本質があるのかもしれません。

私自身は、パンデミック騒動やワクチン問題から可視化されてきたことにこそ関心があります。いずれも「医療問題」ではないと考えています。だから、ワクチンの背後に何があるのかがわかれば、問題は解きやすくなると思っています。
今回は新型コロナウイルス感染症(たとえそれが人為的に流行させられたものであれ)から私たちが身を守るためにワクチンをどう評価するかをテーマにしたのですが、やはりそこだけの議論ではおさまらないことがよくわかりました。

これほど副反応が問題になっているにもかかわらず、急いで多くの人にワクチン接種させる風潮が生まれているのはいったいなぜなのか。ワクチンの副反応を知りながらも、急いで接種したがる人が多いのはなぜなのか。たぶん問題の本質はそこにある。
改めて、これはもうワクチンの安全性とか病理学的な効用の話ではなく、もっと大きな視野で話し合う必要があるテーマだと実感しました。

しかし生活者である私たちにとっては、いまここにある危機として、ワクチンを接種すべきかどうかが切実な問題です。にもかかわらず、ワクチンのリスクを真剣に考えもせずに接種している人がなんと多いことか。ワクチンのリスクをしっかりと理解しようというのが、反対派の人の呼びかけだとしたら、私は共感できます。しかし、いまの状況でただ「ワクチンに対する不安感を高める」ことになるのであれば、推進派と同じになってしまう。新型コロナ感染症で実際に大変な目にあった人がいることまでは否定できないように思います。

いずれにしろ、「ワクチンを接種するかコロナ感染症に苦しむか」という二者択一の問題設定にこそ問題がある。ここでも「問題の立て方」を問い直す必要がある。
いずれにしろ「わからないこと」が多すぎるのです。だからこそ、異論をぶつけ合うことが大切なのだと思います。

今回は、是か非か論にたどり着くまでには至らなかった気がしますが、それぞれの立場への理解を深める上では一歩進んだように思います。少なくとも、ワクチン接種を進めていくのであれば、反対派の問題提起に対してきちんと説明すべきです。そのためにも、ワクチン反対派の疑問をマスコミはもっと誠実に報道すべきであり、私たち接種対象者もそういう疑問やリスクをしっかりと知ろうとする姿勢を持つべきです。反対派の意見を信ずるかどうかは別にして、もっときちんと聴く必要がある。

同時に、反対派の人たちも、ワクチンに救いを求めている人たちの状況をもっと知ったうえで、全面否定ではなく推進派の気持ちにも耳を傾ける必要がある。

今回は、ミニサイズのテスト版でしたが、こういう話し合いの意味は大きいと思います。
一方的に情報発信している医療関係者は少なくないですが、立場の違う専門家が公開でワクチン議論をする場がもっとあってもいい。できれば、こうした話し合いの場を、公開で、しかもエンドレスで行えればと思いましたが、どなたか取り組まれませんか。

ちなみに、今回反対の立場で話してくださった宮庄さんたちは、フェイスブックでも「コロナの真実を伝える会」というグループを開いていますので、関心のある方はご覧ください。
ネットでは、賛成論反省論の情報がたくさん出ていますので、ぜひともテレビや新聞だけではなく、そういう情報にも接してもらえればと思います。
少なくとも与えられた情報をうのみにするのではなく、コロナ感染症やワクチン接種について、おかしいと思ったら、少し自分で調べてみるようにしたいと思います。

湯島では、これからもワクチンやコロナウイルスのサロンは開催していきます。
話したい人がいたら、ご連絡ください。
コロナやワクチンの背後にある問題に関しても、引き続き、サロンを開催していこうと思います。

 

| | コメント (0)

■節子への挽歌5260:久しぶりの金銭収入

節子

また今日は相談したいことがあると言うので、朝から湯島に出かけました。
少し心配していたのですが、思ったよりも元気そうでほっとしました。しかしやはり途中で一瞬ですが、彼の感情がバランスを崩しそうになったことがありました。言葉ではいくら平常を装っていても、そうしたところに事実が見えてきます。
きちんと対応しなければいけません。

彼はいろんな相談に乗ってきていて、みんなを元気づける活動を長年しています。
そういう活動が、当の本人の元気を奪ってしまい、時におかしくなることはよくあることです。
私も以前は、時々、そうなっていた。

いまでは気を抜くことを身につけたのでおかしくなることはなくなりましたが、でもまあ時に理由もなく気が沈むことはあります。
彼の場合は、なかなか気を抜くことができないので、大変なのです。
私が気を抜く存在にならなければいけません。

湯島は彼にとっても救いの場の一つです。
湯島のサロンに参加する機会は少ないですが、サロンが存在するだけでいいのです。
そういう人のためにこそ湯島はある。
改めてそう感じました。

ちなみになんと彼は、相談料だと言ってお金を置いていきました。
相談料をもらったのは、これで2人目です。1回目はもうかなり昔のことですが。

相談料は、対価や謝礼ではなく、相談する相手の存続を支えるものだと思いますので、遠慮なく受け取りました。要するにこれからも存在してほしいというメッセージです。
彼も相談料をもらっていますが、人からはそれが高いと言われているそうです。相談料は高いとか安いとかいう話ではありません。私が知る限り、彼の相談料はいわゆる相談料としてはとても安いのです。その中から私に相談料を置いていく。その気持ちがうれしいです。袋にお金が入っていなくてもいいと思っていましたが、入っていました。。

久しぶりの金銭収入です。

| | コメント (0)

2022/01/07

■節子への挽歌5259:しあわせのかたち

節子

この2日ほど、あまり体調がよくありません。
どことなく違和感があるのです。
のどの調子もよくない。
発熱もなく、頭痛などもないのですが、気が出てこない。
まさに病気。気が病んでいる。

そんなわけで、昨日も今日もほぼリビングに座ったままです。
ジュンとにこが庭で雪だるまをつくっていましたが、そこに出ていく元気もない。
こんなことをしているとまた腰痛になってしまうと心配ですが、風邪になってはいけないので、大事を取らないといけません。
しかしこういうときはやはりこたつが欲しい。

こたつに入って、みかんを食べながらテレビを見る。
これが節子がいた頃の私の「しあわせのかたち」でした。
いまはもう、節子もこたつもなくなってしまった。
みかんはよく食べるようになりましたが、みかんだけではしあわせは実感できません。

人にはみんな、それぞれの「しあわせのかたち」というのがあるのでしょう。
しかし最近は、そんなことを考えることもなくなってしまいました。

娘たちと同居できていることは、もう十分に「しあわせ」なのではないかと言われることがあります。たしかにそれは否定できません。
しかしやはりちょっと違うのです。これがしあわせだなどとは思えない。

お正月に子供や孫たちがたくさん集まったという話をフェイスブックでよく見ます。
正直、すごくうらやましい。
そういえば、まだ私が両親と同居していなかった頃、お正月には兄家族と私たち家族が両親の家に集まった。母親は、数日前から料理の準備で、お正月は普段とは違ったたくさんのご馳走をみんなで食べるのが習慣でした。
あの頃、両親はしあわせだったのかもしれません。もっともそれが「しあわせ」などとは考えたこともありませんでしたが。

よく言われるように、「ハレとケ」の差異が今はもうなくなってきてしまいました。
娘家族と同居していると、孫はいつも同じ屋根の下で暮らしている。だからみんなで集まるうれしさも特になくなってしまった。
あらためて「しあわせ」とは何だろうと考えると、わからなくなる。

まあそんなことをうだうだと考えていた1日でした。
体調はほぼ回復しました。

| | コメント (0)

2022/01/06

■節子への挽歌5258:ことつが欲しいです

節子

午後から雪が降りだしました。
冷え込んできていますので、それなりにつもるでしょう。
夕方には5センチほどになりました。
久しぶりの雪景色ですが、雪景色はなぜか心なごみます。

Img_20220106_153741

私は今日はあまり体調がよくないので、念のため雪かきは不参加。
どうもこの数日すっきりしませんが、どこかにオミクロン株のウイルス感染症に軽く罹ることを願っているせいかもしれません。
しかし万一、風邪でも引くと、先日のユカのように大ごとになりかねないので、自重しています。

昨日のコロナワクチン賛否のサロンは無事、みんな気持ちよく終わりました。
気づきもたくさんもらいました。
それで少しホッとしているのとこれで終わらせていいのだろうかという思いとが、交錯しているのですが、どうも前に進むモチベーションが起きてきません。

今日はサロンの報告を書く気にもなりません。
気が乗らないと何もやる気が出てこないのは、相変わらずです。

寒いのも一因です。
今年からこたつはなくしてエアコン頼りですが、どうもエアコンよりもこたつが落ち着きます。しかし、こたつは2台とも廃棄したので、もう復活できません。
こたつだとゆっくりと本も読めるのでしょうが、エアコンでは本も読む気がしない。

幸いなことに明日は用事がありません。
エアコン生活になれないといけません。
しかし、歳をとると、次第に座椅子よりも座布団のほうが休めます。こたつを捨てたのは少し早まってしまった気がします。

 

| | コメント (0)

■新年オープンサロンのご案内

予定だとだけご案内していた新年最初のオープンサロンの案内を忘れていました。
直前になってしまいましたが、下記のとおり開催します。
始まりの時間は午後1時からです。新年ですので、1時間延長し、終わりは4時です。
出入り自由ですので、気楽にお立ち寄りください。

今年もよろしくお願いします。

〇日時:2022年1月8日(土曜日)午後1時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

 

| | コメント (0)

2022/01/05

■節子への挽歌5257:湯島天神初詣

節子

今日から湯島です。いつものように、まずは湯島天神へのおまいりですが、例年と違い長い行列もなく、正面からお参りできました。今年は5日だったからかもしれませんが、予想以上にすいていました。

Img_20220105_101428
おまいりをすませ、境内を一巡し、部屋に戻って掃除。
年末最後のサロンがあまりにも延びたため、そのままにして帰宅していたのです。

湯島のメダカは元気でした。
片付けも少しだけですが、ともかく物を少なくしていかなければいけません。

節子がいた頃は、毎年、自動車で来て大片付けしていましたが、いまはその習慣も無くしました。
一度、ユカが来てくれたことがありますが、わざわざそうまでして片付けるほどのこともありません。
でもあの頃は、年始に2人で湯島に来て、天神様に初詣でするのがルールだったのです。
お参りの後、部屋で持ってきた軽食を食べました。
いまにして思えば、質素な暮らしでした。

お金があれば仕事ができますし、地方にも行ける。
残念ながら今はお金が無くなってしまい、仕事もなかなかできません。
地方にも行けない。

ちなみに私が初詣で祈るのは、いつも、なんとなく「みんなを守ってください」ということだけです。
例年は横からの投げ銭での祈りですが、今年は正面からいつもよりよりゆっくりと祈りました。きっとみんな守ってもらえるでしょう。

午後からは今年最初のサロンです。

| | コメント (0)

2022/01/04

■節子への挽歌5256:孫に追い抜かれました

節子

にこと一緒に本屋さんに行きました。
お正月のお年玉は、私はこれまでにこにあげたことはありません。
代わりに「何でも好きな本プレゼント券」だったのです。
今年は、もう5歳になったので初めてお年玉をあげました。
しかしどうもお金は私の趣味に合わないので、昨年同様、「何でも好きな本プレゼント券」も一緒に入れておいたのです。

それで今日、本屋さんに行こうと思ったのですが、ちょっと私自身があんまり体調がよくなかったので(昨日の寝不足のせいです)、娘に頼んで自動車で連れて行ってもらいました。娘たちもそれぞれの買い物があるでしょうから。

本屋さんには2人で行ったのですが、どうも私の好みの本のところには行きません。
相変わらずの「お姫様もの」のところでストップ。
しかし「何でも」と書いた以上仕方がありません。
それでではもう一冊買おうということにしました。
ところがまたまた「お姫様もの」。
「もう一冊」とも思ったのですが、また同じことになるといけないのでやめました。

本屋さんのあるイトーヨーカ堂のすぐ近くに回転寿司があります。
そこを見たらすいていました。
この回転寿司には久しく入ったことがありません。
そこで娘たちも一緒にそこでランチすることにしました。
ところでにこはよく食べる。私と同じくらい食べるのです。

食べた後、南路なく近くに住んでいる兄の家に寄ってみようということになりました。
今年はまだ私は訪問していないので、みんなで歩いていくことにしました。
そこでにこと競走することにしました。
ところが走り出すとすぐ追い抜かれてしまうのです。
困ったものです。

もう5歳の孫に、食欲も競走も追い抜かれてしまったようです。
さて孫に勝つにはなにがいいか。
まあ負けるほうが楽でいいのですが。

| | コメント (0)

2022/01/03

■節子への挽歌5255:地味なお正月でした

節子

今日は予定が変わり1日、テレビ三昧でした。
娘から外出を誘われましたが、なんとなく気分がのらなかったのです。
独りで在宅、朝から箱根駅伝の実況を見ていました。

箱根駅伝は往路よりも帰路に関心があります。
以前、湯河原を仕事場にしていた時があり、そのついでに箱根にはよく行きましたし、小田原から東京の道もよく通った道です。運転はいつも節子でしたが。
自転車で走ったところもあり、なんとなくなじみがあります。

当時は駅伝には全く関心がなかったのですが、私が正月の箱根駅伝をテレビで観るようになったのは、節子がいなくなってからです。
節子が元気だったころのお正月は、テレビなど観る時間はなかった。
家にもあまりいなかった気がします。
もし節子が元気だったころ、箱根駅伝に興味を持ったなら間違いなく応援に行ったでしょう。ちょっと残念な気がします。

今年は青学が圧倒的な強さでした。
青学優勝がかなり早い時期にわかってしまったので、ちょっと興味を失ってしまい、11時ころからはユカに録画しておいてもらった英国のドラマ「刑事モース」の最新版を2話(3時間)続けて観ました。途中ちょこちょこ駅伝を観ながらですが。
刑事ものなのに、家庭問題や家族問題が複雑なうえに、主役のモースがとんでもなく挫折状況にあるので、観ていてもどうもすっきりしないのです。しかし、最初からずっと観ているので、観ないわけにはいかないのです。

気づいたら3時近く、3時に約束していたのを思い出して、急いでまた約束のサイゼリアに駆けつけました。そういえば、年末にもこんなことがありました。何とかぎりぎり間に合ったのですが、相手の人はもう行っていて外で待っていました。
不覚にも、人を待たせることから始まってしまいました。
年のはじめくらいは、人を待たせてはいけないと思っていたのですが。

帰宅して「刑事モース」の残りの20分を観ましたが、やはり暗い。
英国のドラマはどうしてこうも暗いのでしょうか。
人間関係もとても哀しい。観終わっても爽快感が出てこない。
ただし最後に一抹の光が見えて気はしますが。

昨日書き残した年賀状の残りの連絡も何とか終わりました。
節子の姉にも電話しました。
おせち料理も飽きましたが、食事もそろそろ日常化しつつあります。
年々正月らしいことが減ってきていますが、今年はさらに一気に減った気がします。
歳のせいなのか、時代のせいなのか。
いずれにしろ正月気分もあまり出てこない。

お正月だからと言って、普段合わない家族や親戚が集まることもなくなってしまいました。まあこれも私の生き方がもたらした結果なのでしょう。
わが家の正月行事は、節子とともに消えてしまった。
そんな気がします。
両親のお正月文化も、もうなくなってしまった。
そう思うといささか後悔の念が浮かんできます。

| | コメント (0)

2022/01/02

■節子への挽歌5254:年賀状

節子

年賀状をやめてからだいぶたちます。
それでも年賀状をくださる方がいます。
できるだけメールで返信させてもらっていますが、なかにはメールをやっていない方もいますので、時に返信を書くこともあります。
しかし書くのは少したってからですが。

メールの返信は、そこからまた交流が始まります。
久しく会っていない会社時代の(他社の)知人から一斉に送った年賀状を添付したメールが届きました。
基本的にはそういう一斉出状はパスするのですが、なぜか今日は返信する気になってメールしました。そうしたらすぐに返信メールが来ました。
サロンに何十年もいけなくて気になっていたが、今年は行こうと思うという内容でした。
まあこういう感じで、人のつながりはちょっとしたことで切れたり繋がったりするのです。

節子の友人からも年賀状が届きます。
彼女はメールをしていないので、手紙を出すしかありません。
節子が亡くなってからも自宅まで供花に来てくださいましたので、返信しようと思いますが、何を書いていいかわからない。いささか気が重いですが、いまもなお年賀状など下さるので感謝しなければいけません。

節子が元気だったころのサロンの常連のおひとりからも年賀状が届いたので、返信しました。いまもサロンをやっていると書いたら、また突然行くかもしれないと連絡がありました。
もっとも節子がいた頃とはサロンのスタイルが大きく変わっているので面食らうかもしれません。まあそれもいいでしょう。

年賀メールよりも最近はフェイスブックでの年賀状公開が増えているようです。
今日は時間があったので、フェイスブックの年賀状を読んでみました。
こんなにきちんと読んだのは初めてだと思いますが、これが意外と面白い。
久しくお会いしていない方のもありました。
久しく連絡が途絶えていた人の年賀状も見つけました。

フェイスブックは「ゆるやかなつながり」を維持する上では効果的だと思いました。

まだ返信できていない年賀状もなりますが、後は明日の楽しみに残しておきましょう。

| | コメント (0)

2022/01/01

■節子への挽歌5253日:新しい年の始まり

節子

また年が明けました。
節子が彼岸に転居してから今日は5253日目です。

一昨年までは、まずは家族で初日の出を屋上から見て、その後、「年のはじまりに」を書いてホームページにアップしていました。そういう生活を20年近く続けていましたが、昨年は休んでしまいました。
習慣は一度休むと再開は難しい。
そもそも最近はホームページも更新をやめてしまっているのです。

今年の初日は雲も少なく、とても美しい日の出でした。
娘家族と一緒に、屋上からお迎えしました。
すがすがしい年のはじまりでした。

Hatuhi

朝はこれまでとはちがい雑煮から始まりました。
いつもは朝はトーストで、昼食はみんなでの祝い膳の後にお雑煮だったのですが、今年からみんなでの祝い膳をやめたのです。
おせちやお煮しめは、夕食からでしょうか。まあこのあたりは娘たちに一任ですので、私はそれに従うだけです。
節子がいたら、これもまったく違った形になっていたでしょうが。
ちょっと残念ですが、家族文化も必ずしも思うようには伝わりません。

午前中には近くの子の神様にみんなで初詣。
それ以降はみんなそれぞれの年明けです。
ジュン家族は取手の、峰行の親の家に行きます。
そこに兄弟姉妹が集まるのです。

私は今日は特に予定がないのですが、まあなにかと出てくるでしょう。

今年はきっと良い年になるでしょう。
一応、この1年はまっとうしようと思っています。

| | コメント (0)

« 2021年12月 | トップページ | 2022年2月 »