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2022/01/07

■節子への挽歌5259:しあわせのかたち

節子

この2日ほど、あまり体調がよくありません。
どことなく違和感があるのです。
のどの調子もよくない。
発熱もなく、頭痛などもないのですが、気が出てこない。
まさに病気。気が病んでいる。

そんなわけで、昨日も今日もほぼリビングに座ったままです。
ジュンとにこが庭で雪だるまをつくっていましたが、そこに出ていく元気もない。
こんなことをしているとまた腰痛になってしまうと心配ですが、風邪になってはいけないので、大事を取らないといけません。
しかしこういうときはやはりこたつが欲しい。

こたつに入って、みかんを食べながらテレビを見る。
これが節子がいた頃の私の「しあわせのかたち」でした。
いまはもう、節子もこたつもなくなってしまった。
みかんはよく食べるようになりましたが、みかんだけではしあわせは実感できません。

人にはみんな、それぞれの「しあわせのかたち」というのがあるのでしょう。
しかし最近は、そんなことを考えることもなくなってしまいました。

娘たちと同居できていることは、もう十分に「しあわせ」なのではないかと言われることがあります。たしかにそれは否定できません。
しかしやはりちょっと違うのです。これがしあわせだなどとは思えない。

お正月に子供や孫たちがたくさん集まったという話をフェイスブックでよく見ます。
正直、すごくうらやましい。
そういえば、まだ私が両親と同居していなかった頃、お正月には兄家族と私たち家族が両親の家に集まった。母親は、数日前から料理の準備で、お正月は普段とは違ったたくさんのご馳走をみんなで食べるのが習慣でした。
あの頃、両親はしあわせだったのかもしれません。もっともそれが「しあわせ」などとは考えたこともありませんでしたが。

よく言われるように、「ハレとケ」の差異が今はもうなくなってきてしまいました。
娘家族と同居していると、孫はいつも同じ屋根の下で暮らしている。だからみんなで集まるうれしさも特になくなってしまった。
あらためて「しあわせ」とは何だろうと考えると、わからなくなる。

まあそんなことをうだうだと考えていた1日でした。
体調はほぼ回復しました。

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