■「民主主義において権力は、資本という特殊な「主権者」によって占められている」
イタリア生まれの社会学者マウリツィオ・ラッツァラートの本は私には難解過ぎてなかなか消化できません。何となく気になって時々挑戦しますが、いつも途中で投げ出してしまいます。昨年末に翻訳出版された「資本はすべての人間を嫌悪する」(法政大学出版局)もやはりだめでした。
ただとても気になる指摘に出会いました。昨日、投稿した「資本主義と民主主義」に関わるものです。それは、「民主主義において権力は、資本という特殊な〈主権者〉によって占められている」という指摘です。私はまだ十分に咀嚼できていないのですが、なんとなく納得してしまっています。
ラッツァラートは別の著書で、「資本主義とは、資本が民衆に対して永久戦争を仕掛ける体制運動である」とも書いていますが、現在展開されているコロナ騒動を見ていると、この指摘にも納得してしまいたくなります。
それに抗っての「革命」を呼びかけているラッツァラートは、本書には多分そのためのヒントが書き込まれているはずですが、なかなかそれが読み取れません。元気な時にもう一度、再挑戦しようと思いますが、どなたかヒントをいただけるとうれしいです。
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