■節子への挽歌5254:年賀状
節子
年賀状をやめてからだいぶたちます。
それでも年賀状をくださる方がいます。
できるだけメールで返信させてもらっていますが、なかにはメールをやっていない方もいますので、時に返信を書くこともあります。
しかし書くのは少したってからですが。
メールの返信は、そこからまた交流が始まります。
久しく会っていない会社時代の(他社の)知人から一斉に送った年賀状を添付したメールが届きました。
基本的にはそういう一斉出状はパスするのですが、なぜか今日は返信する気になってメールしました。そうしたらすぐに返信メールが来ました。
サロンに何十年もいけなくて気になっていたが、今年は行こうと思うという内容でした。
まあこういう感じで、人のつながりはちょっとしたことで切れたり繋がったりするのです。
節子の友人からも年賀状が届きます。
彼女はメールをしていないので、手紙を出すしかありません。
節子が亡くなってからも自宅まで供花に来てくださいましたので、返信しようと思いますが、何を書いていいかわからない。いささか気が重いですが、いまもなお年賀状など下さるので感謝しなければいけません。
節子が元気だったころのサロンの常連のおひとりからも年賀状が届いたので、返信しました。いまもサロンをやっていると書いたら、また突然行くかもしれないと連絡がありました。
もっとも節子がいた頃とはサロンのスタイルが大きく変わっているので面食らうかもしれません。まあそれもいいでしょう。
年賀メールよりも最近はフェイスブックでの年賀状公開が増えているようです。
今日は時間があったので、フェイスブックの年賀状を読んでみました。
こんなにきちんと読んだのは初めてだと思いますが、これが意外と面白い。
久しくお会いしていない方のもありました。
久しく連絡が途絶えていた人の年賀状も見つけました。
フェイスブックは「ゆるやかなつながり」を維持する上では効果的だと思いました。
まだ返信できていない年賀状もなりますが、後は明日の楽しみに残しておきましょう。
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