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2022/01/08

■緊急サロン「新型コロナワクチンについてもっと知ろう」報告

新型コロナワクチンの賛否を、反対派と支持派とで話し合うサロンは、いささか無謀な試みと思っていましたが、初の試みとしては、先行きの可能性を感ずる手ごたえのあるものとなりました。同時に、異論をぶつけあう話し合いから何かを生み出していくことの難しさも改めて思い知らされました。

Vaccine2

今回はいつもと違い、1時間延長し、最初にワクチン接種反対派、賛成派からそれぞれ2人ずつ話をしてもらい、その後、少しのやりとりをした後、中立の立場の人に問題を整理してもらってから、話し合いに入る予定でした。
双方にはあらかじめできるだけデータをベースにわかりやすい言葉で説明してもらうようにお願いすると共に、話し合いの論点を絞るために事前に意見や情報のやりとりをしてもらっておきました。さらにその一部は、参加者にもシェアしてもらうようにしました。

しかしなかなかルール通りにはいかず、双方とも予定の時間を超えてのプレゼンテーションになってしまったにもかかわらず、論点をかみ合わすことは難しかったです。
基本的な認識(例えばデータは絶対的なものではない、情報操作は存在する、さらには悲惨な副作用の事例はあるといった認識)はシェアできていたと思っていましたが、そこへの言及も多く、話し合いの基盤づくりが不十分だったことを反省しました。反対派や賛成派の人が話し合う場が少なく、お互いにあまり相手のことを信頼できていないことも話し合いを難しくしたのかもしれません。それぞれが相手側の人をどう捉えているかが、そうしたところにも現れているような気がします。

いずれとも付き合いのある私にとっては、ワクチン反対派も賛成派も、多くの共通点を持っていますし、データや情報操作に関しても大きな認識の違いはないように思います。しかも、いずれも生命を守りみんなが安心して暮らせる社会を目指すということでは共通しています。そうした共通点から話し合えば、新しい合意点が得られるはずです。

ワクチンは是か非か、というような対立型の議論にしてしまったのがよくなかったようです。
賛成派もワクチンの副反応のリスクや強制接種の動きには多かれ少なかれ違和感をもっていますし、ワクチンがだれにもいいと言っている人はたぶんいないでしょう。問題の立て方を間違えてしまったのは、企画者の私のミスでした。せめて「ワクチンのリスクと効用を話し合おう」とすべきでした。

反対派からは、副反応リスクの大きさやコロナでの死者数よりもワクチンでの死者数が多いことなど、ワクチンの危険性に加えて、ワクチンが違法に打たれていることが指摘されたほか、ワクチンにまつわる情報操作やワクチンパスポートのおかしさなどが指摘されました。

それを受けて、賛成側は、疫学に関する基本知識や医療におけるエビデンスの意味、さらに臨床試験や論文がどういう審査を経て成り立っているかを説明してくれ、データや論文の信頼性の根拠を説明してくれた後、ワクチンに関する明らかなデマを、その理由付きで紹介するとともに、ワクチンの限界と効用を話してくれました。

反対派の立場からは公開されているデータや情報の信憑性に関して疑問が出されていましたが、にもかかわらずそういうデータを論拠に使わざるを得ないという難しさがありますし、賛成派のほうは、ワクチンの「効用」を総合的に立証する難しさがあります。
ですからどうしても、双方とも個別事象の問題になりがちで、これも話し合いを難しくした理由の一つです。

薬に危険性はつきものですので、反対・賛成と言っても、厳密に言えばプラスマイナスのバランスの問題になってしまいますが、その判断は人によって違ってきます。
また、「在る」ことを証明するのとちがい「無い」ことを証明するのは難しく、よく「悪魔の証明」と言われますが、それと同じように薬の弊害を証明するのに比べて薬の効用を証明するのは至難です。今回も「プラセボ対照試験」の話も出ましたが、実際にはデータでのエビデンスも、基準の置き方や解釈で、評価は反転しかねません。

さらに大きな問題があります。
ワクチンの効用とリスクと言っても、新型コロナウイルスそのものへの捉え方によって、その意味合いもまったく違ってきます。そもそもコロナ感染症は本当に危険なものなのかという話です。その危険度との関係でワクチンリスクの許容度は変わってくるでしょう。新型コロナへの不安の高まりがワクチン接種を加速させていることは否定できませんが、その不安が人為的なものだとしたら、ワクチンリスクの評価は全く違ってきます。

つまりワクチンだけでは判断できない面が大きいのです。反対派は、そこにも焦点を当ててきました。さらに製薬会社の問題にまで入ると、議論はさらにややこしくなる。医療問題や科学技術の問題を超えて、政治経済や権力構の要素が入ってきてします。
そういう問題とワクチンの問題は切り離したいと思っていましたが、どうもそれは難しいようです。いやむしろそこにこそ、問題の本質があるのかもしれません。

私自身は、パンデミック騒動やワクチン問題から可視化されてきたことにこそ関心があります。いずれも「医療問題」ではないと考えています。だから、ワクチンの背後に何があるのかがわかれば、問題は解きやすくなると思っています。
今回は新型コロナウイルス感染症(たとえそれが人為的に流行させられたものであれ)から私たちが身を守るためにワクチンをどう評価するかをテーマにしたのですが、やはりそこだけの議論ではおさまらないことがよくわかりました。

これほど副反応が問題になっているにもかかわらず、急いで多くの人にワクチン接種させる風潮が生まれているのはいったいなぜなのか。ワクチンの副反応を知りながらも、急いで接種したがる人が多いのはなぜなのか。たぶん問題の本質はそこにある。
改めて、これはもうワクチンの安全性とか病理学的な効用の話ではなく、もっと大きな視野で話し合う必要があるテーマだと実感しました。

しかし生活者である私たちにとっては、いまここにある危機として、ワクチンを接種すべきかどうかが切実な問題です。にもかかわらず、ワクチンのリスクを真剣に考えもせずに接種している人がなんと多いことか。ワクチンのリスクをしっかりと理解しようというのが、反対派の人の呼びかけだとしたら、私は共感できます。しかし、いまの状況でただ「ワクチンに対する不安感を高める」ことになるのであれば、推進派と同じになってしまう。新型コロナ感染症で実際に大変な目にあった人がいることまでは否定できないように思います。

いずれにしろ、「ワクチンを接種するかコロナ感染症に苦しむか」という二者択一の問題設定にこそ問題がある。ここでも「問題の立て方」を問い直す必要がある。
いずれにしろ「わからないこと」が多すぎるのです。だからこそ、異論をぶつけ合うことが大切なのだと思います。

今回は、是か非か論にたどり着くまでには至らなかった気がしますが、それぞれの立場への理解を深める上では一歩進んだように思います。少なくとも、ワクチン接種を進めていくのであれば、反対派の問題提起に対してきちんと説明すべきです。そのためにも、ワクチン反対派の疑問をマスコミはもっと誠実に報道すべきであり、私たち接種対象者もそういう疑問やリスクをしっかりと知ろうとする姿勢を持つべきです。反対派の意見を信ずるかどうかは別にして、もっときちんと聴く必要がある。

同時に、反対派の人たちも、ワクチンに救いを求めている人たちの状況をもっと知ったうえで、全面否定ではなく推進派の気持ちにも耳を傾ける必要がある。

今回は、ミニサイズのテスト版でしたが、こういう話し合いの意味は大きいと思います。
一方的に情報発信している医療関係者は少なくないですが、立場の違う専門家が公開でワクチン議論をする場がもっとあってもいい。できれば、こうした話し合いの場を、公開で、しかもエンドレスで行えればと思いましたが、どなたか取り組まれませんか。

ちなみに、今回反対の立場で話してくださった宮庄さんたちは、フェイスブックでも「コロナの真実を伝える会」というグループを開いていますので、関心のある方はご覧ください。
ネットでは、賛成論反省論の情報がたくさん出ていますので、ぜひともテレビや新聞だけではなく、そういう情報にも接してもらえればと思います。
少なくとも与えられた情報をうのみにするのではなく、コロナ感染症やワクチン接種について、おかしいと思ったら、少し自分で調べてみるようにしたいと思います。

湯島では、これからもワクチンやコロナウイルスのサロンは開催していきます。
話したい人がいたら、ご連絡ください。
コロナやワクチンの背後にある問題に関しても、引き続き、サロンを開催していこうと思います。

 

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