■節子への挽歌5255:地味なお正月でした
節子
今日は予定が変わり1日、テレビ三昧でした。
娘から外出を誘われましたが、なんとなく気分がのらなかったのです。
独りで在宅、朝から箱根駅伝の実況を見ていました。
箱根駅伝は往路よりも帰路に関心があります。
以前、湯河原を仕事場にしていた時があり、そのついでに箱根にはよく行きましたし、小田原から東京の道もよく通った道です。運転はいつも節子でしたが。
自転車で走ったところもあり、なんとなくなじみがあります。
当時は駅伝には全く関心がなかったのですが、私が正月の箱根駅伝をテレビで観るようになったのは、節子がいなくなってからです。
節子が元気だったころのお正月は、テレビなど観る時間はなかった。
家にもあまりいなかった気がします。
もし節子が元気だったころ、箱根駅伝に興味を持ったなら間違いなく応援に行ったでしょう。ちょっと残念な気がします。
今年は青学が圧倒的な強さでした。
青学優勝がかなり早い時期にわかってしまったので、ちょっと興味を失ってしまい、11時ころからはユカに録画しておいてもらった英国のドラマ「刑事モース」の最新版を2話(3時間)続けて観ました。途中ちょこちょこ駅伝を観ながらですが。
刑事ものなのに、家庭問題や家族問題が複雑なうえに、主役のモースがとんでもなく挫折状況にあるので、観ていてもどうもすっきりしないのです。しかし、最初からずっと観ているので、観ないわけにはいかないのです。
気づいたら3時近く、3時に約束していたのを思い出して、急いでまた約束のサイゼリアに駆けつけました。そういえば、年末にもこんなことがありました。何とかぎりぎり間に合ったのですが、相手の人はもう行っていて外で待っていました。
不覚にも、人を待たせることから始まってしまいました。
年のはじめくらいは、人を待たせてはいけないと思っていたのですが。
帰宅して「刑事モース」の残りの20分を観ましたが、やはり暗い。
英国のドラマはどうしてこうも暗いのでしょうか。
人間関係もとても哀しい。観終わっても爽快感が出てこない。
ただし最後に一抹の光が見えて気はしますが。
昨日書き残した年賀状の残りの連絡も何とか終わりました。
節子の姉にも電話しました。
おせち料理も飽きましたが、食事もそろそろ日常化しつつあります。
年々正月らしいことが減ってきていますが、今年はさらに一気に減った気がします。
歳のせいなのか、時代のせいなのか。
いずれにしろ正月気分もあまり出てこない。
お正月だからと言って、普段合わない家族や親戚が集まることもなくなってしまいました。まあこれも私の生き方がもたらした結果なのでしょう。
わが家の正月行事は、節子とともに消えてしまった。
そんな気がします。
両親のお正月文化も、もうなくなってしまった。
そう思うといささか後悔の念が浮かんできます。
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