■節子への挽歌5270:私の身体に痛みを与えているのはやはり私?
節子
今日は好調の出だしだったのですが、やはり朝食を食べた後にまたお腹が痛くなりました。
どうも胃腸が弱くなったようです。困ったものです。
心当たりと言えば、最近、朝にたんぱく質を摂取するのがいいというテレビの影響で、毎朝ウインナを3本食べているのがよくないのかもしれません。
加えて、毎朝、メカブをワンケース食べていますが、これもあまりよくないようです。
またこの3日ほど、レタスが切れていたのもよくない。
明日から自重しようと思います。
午後、出かけたのですが、途中でまたお腹が痛くなり、帰宅して横になりたくなるほどでした。
横になりながら、ふと思ったことがあります。
この痛みを「与えている」のは誰なのか、仮に原因が食べたものにあったとしても、その食べ物に反応して「痛み」を起こしているのは、やはり私なのではないか。
だとしたら、なぜ、私が私にこんな苦痛を与えるのか。
何か意味があるはずだ。
そんなことを考えていたら、痛みよりもその問いかけのほうが気になりだしました。
そんなうちに何とか痛みは解消しました。
うまく書けませんが、実は最近、そういうことをよく考えます。
私を見ている私、という風に、私は決して一人ではありません。
たくさんの「私」が、この私をつくっている。
そういうことがとても実感できるようになっているのですが、最近は、その私は必ずしも私の身体の中にだけいるわけではないのではないかという感覚も、最近強まってきています。
私がどんどん広がっている。
そんな気がしないのでもありません。
それはそれとして、しばらくは食生活に注意しようと思います。
たしかに最近ちょっと乱れてきています。
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