■第19回万葉集サロン「あらためて万葉集を読むためにーこれまでのまとめの講座」報告
今回は、「あらためて万葉集を読むためにーこれまでのまとめの講座」と題して、升田さんに話してもらいました。新たな参加者が2人ありました。
最初にまずは、万葉集に関する基本的な説明がありました。
「万葉集」は全20巻で、約4500首の歌が納められていますが、収録された歌は時代的には大きく4つに分けられること、また歌は内容によって「雑歌」「相聞歌」「挽歌」と分けられること。作者不明の歌が多いことに併せて、いま私たちが考えているような意味での「作者」では必ずしもないことなどを、話してくれました。
また表記も、いわゆる万葉仮名で、漢字だけで表記されていたのを、後世になって読みくだされたことを、額田王と柿本人麻呂の歌で実際に文字で見せてくれました。
巻14には東歌が多いですが、それらは具体的な地名が明記されていて、各地の語彙や方言、あるいは風土文化も歌われていて、その広がりも面白い。そんな話も少しだけ話してくれました。
つづいて、歌が文字化されたものになっていくのを、これも実例を題材にして説明してくれました。
当初の歌は、いわゆる序詞や枕詞(升田さんはそれらを「神の領域」とし「歌」と表現します)に先導されて、その勢いに乗って、自ら(「わ」)の思いを自由に「言」として表出する。そうしたなかで、「わ(我)」は「な(汝)」(「た(多)」の中から切り離された相手」を生み出し、そこに「人の領域」が育ってくる。
さらに時代が進むと、序詞や枕詞の「神の領域」も、次第に自然をそのまま叙景するような「人の言」になっていく。升田さんは、そこに「た(多)」の中で、ゆるやかに共生する「わ」と「な」が生まれてくると言います。そして、「た(多)」が「た(他)」になっていく。
このあたりが、升田万葉集サロンの基本テーマなのですが、「神の領域」が大きかった初期万葉の世界から、「人の領域」である「わ」や「な」が中心になっていき、さらには「な」との相対化が「わ(自己)」の意識へとつながっていく後期万葉の世界への変化の中に、日本人の「自我の芽生え」や「人のつながりの変化」が読み取れるというわけです。
こう書いてしまうとややこしいのですが、升田さんはいろいろな歌を通して、そういうことを、それこそ文字ではなく言葉で話してくれました。そうしたこと自体のなかにも、口誦文化と文字文化の違いが、感じられるような気がします。もっとも、以上は私の解釈も入っているので、きちんと理解できているかいささかの不安がありますが。
いずれにしろ、身体的な音が声になり、声が言になって、文字化されていく。そしてそこから歌が生まれ、文化が育っていく。そんな流れを私は改めて感じました。
さらに升田さんは、新しい視点を2つ出してくれました。
一つは、「心に乗る」という表現。もう一つは「かなし」と「さぶし」。
何かに心を乗せるとは言わずに、何かが心に乗ると言う表現が、万葉には多いそうです。
それに関していくつかの歌を紹介してくれましたが、いずれも相手は向こうからやってくるという受身的な表現が多い。そこにはまだ主体的・能動的な自己はない。
そうしたなかで、感覚は「た」のなかで共有され、その一つの現れが「かなし」という言葉の多様な意味に現れているのではないか。
以前にも出てきましたが、万葉集における「かなし」は、最近の「悲し」「哀し」だけではなく、さまざまな意味(愛おしいという意味さえある)があると同時に、集団で共有する感覚でもあるようです。そして「かなし」の言葉の前につく言葉で、その意味はさまざまに意味をもっていく。もちろん話し方(朗誦の仕方)によっても違いは表わされていたかもしれません。
それに対して、升田さんは「さぶし」という言葉を紹介してくれました。「かなし」とちがって、「さぶし」はむしろ集団から孤愁を感じさせる。つまり、「かなし」とは逆に内に向かい、「な」とも離れた「わ(自己)」の意識を覚醒させる。そこから能動的な自我が生まれていく。
「な」や「た」と共にある「わ」から、「わ」から「な」や「た」を見るという意識の転換。斉明天皇の頃がそうした転換期だったのではないかと、升田さんは言葉から推測しています。
斉明朝から持統朝への時代は、まさに日本の国家が整っていく時代であり、国家としての自立が進んだと言われていますが、それは同時に、日本人の自我の生まれた時代だったという話は、私にはとても新鮮で納得できるものでした。
しかも、升田さんは「さぶし」が朝鮮から入ってきた言葉ではないかともいいます。これは考えだすとさらに想像が広がりますが、今回はあまり深入りできませんでした。
今回もまた時間が不足して、「かなし」と「さぶし」の歌をゆっくりと読めなかったのが残念でした。しかし、心の向きが反転して、また再反転する、そんなことが読み取れるような気がしました。いつかもう一回やってほしい気がします。
話し合いもいろいろと広がりましたが、今回は古代ギリシアの会のメンバーの友人が参加していて、イリアスの話がまた少し出ました。
そして、口承の伝承力の正確さに関する話も少しありました。これまでも何回か話題になりましたが、たしかに伝承力においても情報量においても、そして精確さにおいても、言葉の文化と文字の文化は全く違います。文字になったために、それまで生きていた歌が死んでしまったように思っている私としては、これもとても興味あるテーマです。
東国の人たちのいわゆる民謡的な歌とみやこ人の整った文字の歌との違いや、東国の文化状況の話も出ました。万葉集には意味不明な歌もあるそうですが、そこにまだ「文字で画一化されていない豊かな東国の文化」の存在を感じます。
まあ今回もまたほんの一部しか紹介できませんでしたが、万葉集を通して、草創期の日本社会のイメージがまた少し広がった気がします。
ちなみに今回の報告も、升田さんの監修を受けていないので、身勝手な解釈があるかと思いますが、お許しください。文責はすべて私にあります。
参加者の中には別の解釈を持った人もいるかもしれませんが、よかったらぜひ投稿してください。
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