■節子への挽歌5297:人は「死ぬとき」には死ぬのです
節子
数年前から2か月ごとに脳神経外科に通っています。
脳のMRI検査をしたら、細い血管が2本消えかかっていたので、以来、血液サラサラの薬を3種類毎日飲むとともに定期的にいろいろと検査しているのです。
今日は今年初めてのMRI検査でした。
結果は悪化していないようで、現状維持だそうです。
MRI画像で見ると、たしかに血管が途中で消えていますが、周辺ががんばって、機能を分担しているのだそうです。人間の身体の見事さに感心します。
そういうことを知れば知るほど、死は定められたものと思うようになります。
無駄に抗うこともありません。
人は「死ぬとき」には死ぬのです。
節子もたぶんあの時が「死ぬとき」だったのでしょう。
最近、なんとなくそういう風に考えられるようになってきていますが、にもかかわらず、私の対応には悔いが残ります。
あの頃は、節子はまだ死なないという思いだけでした。
いまさら気づいても何の役にも立ちませんが。
自分が「死ぬとき」はわかるものでしょうか。
たぶんわかるだろうなと思っているのですが、もしそうなら、節子もわかっていたはずです。
それを無理やり延ばしていたのかもしれません。
そうさせてしまったことを今でも反省しています。
私のために無理やり延ばさせてしまった。
ユカが時々言うように、私はどうもあまりに自己中心的に思考してしまうのかもしれません。
気をつけなければいけません。
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