■核兵器よりも危険な武器が実用化されつつあるという警鐘
先日、予告したとおり、スタニスワフ・レムの「地球の平和」を読みました。
久しぶりの長編小説だったというよりも、言葉や概念が飛び交うにぎやかさに、思考がついていけずに、物語の筋さえも十分に消化できないままに読了しました。
しかし、全体から伝わってくるメッセージには、共感でき、最近起こっている「平和でない平和」や「パンデミック」などを思い出しながら、奇妙に納得できる面もありました。
ところで、読み終えた後、解説が載っていたので、それも読んだのですが、そこに42年前に、あるアンケートに答えたレムの回答が紹介されていました。
長いので、すべてを紹介できませんが、その一部を紹介させてもらいます。レムの予感はあまりにも当たっているような気がしましたので。
なお、これは文芸誌『すばる』1983年7月号が行った「世界の作家に問う 核状況下における文学者の態度」というアンケートで、総勢30名以上の世界の作家たちからの回答をもらったようです。
レムの回答は、「核兵器による人類の危機についての私の解釈」と題されたもので、一言で言えば、核兵器よりも危険な武器が実用化されつつあると警鐘でした。
以下、一部を引用させてもらいます。
物質のもっている、軍事的に応用可能な原子核の力は、疑いもなく私たちの文明を自滅へと導くことができます。しかし、この力は同時に、そして残念ながら、現代の武器庫を構成する一つの要素にすぎません。
2つの理由によって、原子爆弾よりも制御することがむずかしいような新しい武器が、研究の場所から実用へと移されつつあります。第1に、地球を取り巻く宇宙空間へ軍事的な大量殺人の手段が持ちこまれることは、ほとんど不可避のように思われます。
しかし、第2に、核兵器に反対する者が現在より小さな悪と見なしている旧来の伝統的な兵器は、秘かに進歩をとげて、伝統の枠をつき破ろうとする段階にあります。そのようにして、戦争と平和をわかつ境界は鈍く、二次的で、曖昧なものにされてしまうでしょう。
まず第1に私がここで考えるのは伝染病(すなわち、隠微な形での軍事的攻撃)を阻止することはできません。隠微というのは、そういった攻撃が必ずしも人間の生命をただちに絶滅させるものではないからで、遅れて現われる効果によって生命に必要なものを徐々に破壊することができるような手段さえ考えられるのです。
遺伝学に由来する数多くの手段も、軍事的に、さらには隠微な形で軍事的に応用することができます。たとえば、敵の農業による食料生産の基礎に損害を与えるとか、あるいはその他に、部分的にはヴィールスによる手段(つまり、もっぱら恒常性と呼ばれる生物圏における生活様式の均衡を土台から変えてしまうような手段)が考えられます。
近い将来、一つの国の死亡率を徐々に高めることも可能になるでしょう。遺伝的に条件づけられた一定のタイプの病気の発生率を高めることもできるようになるでしょう。
しかも、その際、病気や、その他の人工的に引き起こされた危機が、一つの大陸だけで広がるようにすることも可能になるのです。
一言で言えば、たとえ、超大国間の交渉が首尾よくいって核軍縮に成功したとしても、核兵器の均衡などはくつがえすことができるし、それからさらに軍事的な大量殺人に通じる道も開けているということです。
(中略)
原子爆弾の危険を世界からとりのぞくために、そして、その空席になった場所に他の少なからず破滅的な危険を見出せないようにするために私たちが変えなければならないのは、武器のシステムではなくて、この世界そのものです。
(後略)
42年前のレムの警鐘と昨今の地球の状況。
改めて恐ろしさを感じます。
なお、レムの「地球の平和」は2つの主題を持っている思弁小説(Speculative Fiction)です。一つは「脳梁切断術を受けた人間の自己同一性」、もうひとつは「激化する軍拡競争の中での平和」。それに関して関心のある方は、この小説をお読みください。いささか難解ですが。
次は岡和田さんが編集してくださった山野浩一さんの作品を読もうと思いますが、いささか疲れたので、少し間を置くことにしました。
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