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2022/02/20

■節子への挽歌5300:久しぶりのシンクロニシティ

節子

長いメールが届きました。
もう20年近く会ったことのない知人からです。

彼女に会ったのは、コムケア活動のなかでだったと思いますが、その後、いろんなことがあり、いまはスピリチュアルの世界で活動しているようです。
数年前にフェイスブックを通して連絡があり、一度、湯島に来ると言っていたのですが、直前になって来られなくなったと連絡があり、その後、交流は途絶えていました。
しかしフェイスブックなどは見ていてくれたようで、最近、私が始めた生活事業研究会に少し関心を持ったようで連絡してきてくれたのです。

そこに書かれていたのは、最近の彼女の状況はこれから取り組みたいことの思いでした。
人の物語には、他者には理解しがたい物語があります。
文字にして読ませてもらうとそれなりにわかるような気もしますが、実際の物語はいずれも本人しかわからない展開になっているはずです。
しかしそうしたなかにも心が響き合うことがあります。

彼女が数年前に行き着いたのは、宮沢賢治の「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という言葉です。
これはまさに私が以前取り組んだコムケアの理念でもあります。
実際にしっかりと生きていれば、誰も行き着く言葉ではないかと私は思っていますが、最近はどうも理想的な言葉になってしまっているような気もします。
しかしこの言葉は、極めて現実的な言葉ではないかと思います。
にもかかわらず、そういう幸福でない小さな幸福しか目指せなくなってしまっているのは、社会が病んでいるとしか思えません。

長いメールを読ませてもらい、なぜ最近、こうしたシンクロニシティが起こるのか不思議に感じました。
そういえば、一昨日書いた植林事業に関してアドバイスを頼んだ友人の一人から届いたメールにもこんなことが書かれていました。

佐藤さん、こちらこそご無沙汰しております。思い出していただいて光栄です。すぐにこの方にお力になれるかは疑問ですが、この件について、かなりシンクロニシティを感じて驚いています。

そのシンクロニシティの内容はその後教えてもらいました。
たしかにつながっている。

大きな意志がどこかで働いているのかもしれません。
そう思いたくなることがこの数日起こっているのです。

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