■節子への挽歌5294:事件の被害者と加害者
節子
昨夜は明け方にみぞれが降っていましたが、8時頃からは態様も出て来て、いい天気になりそうです。
今週は病院や自治会活動などもあって在宅で過ごす予定ですが、ネット社会のおかげで、在宅でも何かと事件が飛び込んできます。
いい事件もあれば、心配な事件もある。
そうしたことも、昨今のコロナ騒ぎとも無縁でないような気もします。
いまや1億総ストレス時代かも知れません。
しかもなかにはいささか物騒な話も含まれていて、新聞ネタになるような殺傷事件につながりかねないような話まであります。
私は、時々、世間の常識とは食い違って、被害者と加害者を逆転して受け止めてしまう場合があります。
正確に言えば、事件が起きた場合、すべての関係者は、つまり加害者も被害者もという意味ですが、みんな「被害者」であり、それを見過ごしていた周辺の人たちこそが「加害者」ではないかと思うことが少なくありません。
そういう風に捉えると、世の中で起こっているすべての事件が、私とは無縁ではなく、ある意味で私自身が「加害者」になっているということになります。
そう考えてしまうと、いろんな事件報道に合うと、気が滅入ってしまいます。
だから新聞もテレビも見ないと元気になるわけです。
最近、新聞を読まない人が多くなったというのも、こうしたことと関係があるかもしれません。
事実、しばらく新聞もテレビも見なかったら元気になったという人もいます。
在宅ということは、新聞やテレビに接する時間が増えますので、元気がなくなってしまうわけです。読まなければいい、見なければいいというわけですが、そこに新聞やテレビがあるとついつい見てしまう。
困ったものです。
朝、気になっていた人から、いい方向に動き出しているとメールが届きました。
少しホッとしました。
でも気は許せません。
ウクライナも気になりますが、友人知人のトラブルも気になります。
人は何でもっとおおらかに生きないのでしょうか。
新型コロナウイルスに対する多くの人たちの反応を見ていると、とても寂しくなります。
そこに他者への目線と同じものを感ずるからです。
陽射しがちょっと強まってきました。
今日は元気で過ごせそうです。
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