■私憤と公憤
昨日と今日、私の精神状態はあまりよくありません。
いや、あまりどころではなく、怒りを抑えるのが難しいほどです。
昨日は湯島のサロンに関わるちょっとした「事件」が起こりました。
昨日湯島で行った集まりにある人が参加することを知った人(その人もサロンに参加することのある人です)が、勝手に湯島の部屋に入って来たのです。以前からその人の言動には不快感を持っていたのですが、昨日はさすがに怒りを感じました。その人のおかげで、その集まりもいささかおかしな雰囲気で始まることになりました。
さすがに私も、その人に向かって、出て行ってよといいましたが、後になって、怒りの感情が強まってきました。その人に責められた友人のことを思うと、ますます怒りを感じます。他の人には真似できないほど、誠心誠意、善意の活動をしている人なのです。
しかし、それはまあ私の「私憤」でしかありません。私の料簡が狭いのかもしれません。
ところが今日は、「公憤」を感じました。
私が住んでいる我孫子市の「公務」に関してあることを耳にしました。
私が実際に見聞したことではなく誤報かもしれませんので、内容は書けませんが、私のこれまでの体験から考えて、私には事実と思えるような話です。
話を聞いた時には、さほどではなかったのですが、時間が経つほどに怒りが湧いてきました。これは「公憤」といってもいいでしょう。
ウクライナの状況にも「憤慨」しますが、どうも最近、怒りを感ずることが少なくありません。長年生きてきて、大概のことは許せるようにはなっているのですが、この2日間、怒りにつつまれてしまっています。
気を静めるために、今日は7杯もコーヒーを飲んだのですが、気が鎮まりません。
困ったものです。
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