■湯島サロン「俳句の楽しさをシェアしませんか」報告
俳句詠み1年生のタカイシオミさんの「俳句の楽しさをシェアしませんか」の呼びかけで開かれた俳句サロンは、私のような俳句に全く背を向けたものまでも俳句に関心を持たせてしまうような、楽しい会になりました。
もっとも俳句好きな人は、1句しか詠む機会がなかったのでちょっともの足りなかったかもしれませんが、たぶん今度はもう少し俳句づくりを楽しむ会が開催されるでしょう。
やはり何事も最初に出会った人によって印象が全く変わることを改めて実感しました。
タカイさんが俳句を作りはじめたのは1年ほど前だそうです。しかし、そのはまりようはかなりのもので、俳句の醍醐味ばかりか、俳句の効用をていねいに、しかも実体験を踏まえて具体的に話してくれました。
俳句にまったくと言っていいくらい関心のなかった私でさえ(どちらかと言えばむしろ背を向けていました)、タカイさんの語りについつい引き込まれてしまいました。
俳句は、自らの心を開くばかりか、他者と心を通じ合わせる効用がある、しかも、時間を越えて、過去の自分や他者とも会える…、などなど、たくさんのことに気づかさせてくれました。
5・7・5とか季語とかいうのも、規則嫌いな私は煩わしいルールと思っていたのですが、タカイさんのお話を聞いていて、まったく逆なものだと思い知らされました。
それがあるからこそ、誰でも俳句が詠めるのだというのです。
最後に実際に俳句をつくらせてもらったのですが、まさにそうでした。
タカイさんの俳句にまつわる話は、内容の深い、示唆に富む話だったのですが、タカイさんが話すからこそ伝わるので、私が書いても伝わらないでしょう。ぜひ次回も、タカイさんにはまた話してもらいたいと思います。
タカイさんの話とそれを踏まえての参加者の俳句談義の後、タカイさんは4つの季語を示して、好きな季語を埋め込んだ俳句をそれぞれがつくる課題を与えてくれました。その季語はいずれも5文字で、要するにそこに、あと5文字と7文字をつければ俳句になるのです。これは入門編のスタイルのようです。
与えられた時間は5分ほどで、それを紙に書いて、俳号を添えてタカイさんに提出。誰のものかわからない形でそれぞれ評ずることになりました。
俳句心の全くない私は、季語から何かそれらしい俳句をつくろうと思いましたが、4分経ってもまったく何も浮かばない。ところがタカイさんが自分の体験を思い出せばいいというようなことを話していたので、俳句づくりを忘れて、その季語にまつわる記憶を思い出そうとしたら、なぜか1週間ほど前のあるシーンが頭に浮かんできました。そうしたらなんと7文字と5文字が自然と出てきたのです。それで俳句が完成。
前回の万葉集サロンで、人の言葉を引き出す序詞や枕詞の話を聞きましたが、俳句における季語も同じなのです。タカイさんもそうした話もしてくれました。
季語に心を任すと、言葉が向こうからやってくる。実感しました。
私自身の感想だけの報告になってしまいました。
しかし、俳句がいま広がっていることの意味がよくわかりました。
子どもたちにも、高齢者にも。
福祉の世界や更生の世界や、暴力の世界や不和の家庭にも、効果ありそうです。
そんな風に、思いを飛ばしたくなるほど、私にはいろんな刺激をもらえました。
サロンの最初に、「私は俳句が好きではないです」などと余計な自己紹介をしたことを大いに反省しました。
タカイさんの俳句サロンは、また時々やってもらえたらと思っています。
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